カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

ミサが日本語になった時は嬉しかった ー 96歳信徒の信仰の歩み

2023-11-28 14:44:03 | 教会


 「王たるキリスト」の祝日の翌日、つまり教会暦では今年A年最後の週の今日、当教会の信徒の集まりである「アカシアの会」で私どもが敬愛するSさんのお話があった。テーマは「わたしとカトリック信仰」というものだった。96歳(1927年生まれ)のSさんが戦前をどのように過ごし、戦後日本のカトリック教会でどのような信仰生活をおくられてこられたのか、を聴きたいと思い、わたしは普段はあまり出たことのないこの集まりにいそいそと出掛けた。お集まりになったのは10数名で普段ほど多くはなかったようだが、お話はすこぶる興味深いものだった。

 Sさんは次のような順番で話題を提供された。

1 カトリックとの出会い
2 教会と共に
3 頂いたいのち、神と共に歩む日々
4 皆様より少し高齢を経験している私

 1時間以上にわたって、ゆっくりとしかも丁寧に話された(1)。皆さんも初めて聴く話が多かったようでしっかりと聞いておられた。プライバシーに関わるお話多かったのでここでは私が強い印象を受けたお話を少し紹介してみたい。

1 カトリックとの出会い

 昭和2年生まれで6人兄弟姉妹のまんなか。戦前に横浜雙葉の前身校に入られたが学徒動員などを経験されたという(2)。昭和20年8月15日は動員先の工場がなぜか休みになり、自宅で玉音放送を聞かれたという。洗礼を受けたのは1947年で、その後いくつかの教会や修道会でオルガンを教えていたという。当教会はまだ生まれていない時代だ。コロンバン会によって当教会が生まれる経緯の話は興味深かった(3)。

 公会議後の教会の変化についてのSさんの話は興味深かった。ミサなどでの変化はすぐには起こらず、徐々に変わっていったのだという。大きな変化は1970年頃起こったのではないかという(4)。ミサが日本語に変わって理解できるようになったことが一番嬉しかったという。聖書が変わったり、ミサが対面式になったり、聖体拝領のしかたが変わったりといろいろ変化はあったが、やはりミサがラテン語ではなく日本語になったことが一番嬉しかったという。

2 教会と共に

 受洗は1947年6月という。Sさんが以前から勉強されていたこともあり、信者ではない旧華族のご両親も特に反対されなかったという。ここでは当教会の設立建設過程の話が中心だった。初代主任司祭J.K師が1948年に市内に民家を購入し、新しいお聖堂が1950年に献堂された頃の話だ。昔話とはいえ興味深い逸話がたくさん紹介された。

 第二バチカン公会議は1965年に終わるが、変化がすぐに起こったわけではない(5)。Sさんは当時使っていた「弥撒典書」(6)と「ラゲ訳新約聖書」(7)をお持ちになり、当時のミサの様子を説明された。また、教会の中の様々な信徒の集まり(聖歌隊、コールスマリエ、金曜会、敬老会など)の発足の経緯のお話は大変役立った。教会の『50年誌』などにも載っていない話もあり、興味深いものだった。

3 頂いたいのち、神と共に歩む日々

 主にアカシア会の歴史の話だった。J・K師以降主任司祭は次々と変わり、アカシア会の活動も変化があったようだ。大きな変化は、主任司祭が昭和50年代(1970年代後半)に入り、コロンバン会宣教師から横浜教区司祭に変わったことだという(8)。歴代の主任司祭は以後5年から8年くらいの間隔で交替された。現在は日本人司祭としては(任命されたが病気で着任できなかった司祭を含めて)8代目になるようだ。各主任司祭についての思い出話は話が尽きなかった。

4 皆様より少し高齢を経験している私

 Sさんの健康の秘密は誰しも知りたいところだったのでみなさん真剣に聞いておられた。ところがご本人は、特に変わったことはしておらず、「遺伝」ですとケロッとしておられた。長寿のご一族らしい。とはいえ、持病もなく、水泳もしておられるようだ。スカール(ボート競技の一種)が好きだったという話にはみな驚いておられた。高齢期を乗り切る3種の神器があるという。それは2本の杖(両腕)とリュックサックだという。みなさんこの話では盛り上がった。

 最後にみんなでいつも通りSさんのオルガンに合わせて文部省唱歌を歌った。今回は「故郷」と「紅葉」だった。楽譜がなくとも歌える方が多く私は身が縮む思いだった。


1 原稿はご自分でパソコンで書かれたらしく、数ページあった。A4用紙にきれいに印刷され、何度か見直されたようで赤が入っていた。準備してこられたのであろう。
2 昭和10年代のカトリック教会は、「天主公教の信徒」か「皇国の臣民」か、の軋轢に苦しんでいた(三好千春『時の階段を下りながらー近現代日本カトリック教会史序説』2021 オリエンス宗教研究所)。
3 三好氏によれば、戦前の教会はパリ・ミッション(パリ外国宣教会)中心で動いていて、外国人宣教師への依存度は高かった。戦後はフランスのみならずドイツアメリカなどから数多くの修道会が日本に入ってきた。1950年代にはカトリック信者は激増する。年間2万人近い人が洗礼を受けていたという(ちなみに2022年の受洗者数は幼児洗礼を含んでも5千人を切っている)。やがてカトリック教会は、第二バチカン公会議を経て、信徒数だけで言えば、現状維持から衰退の時期に入っていく。
4 第二バチカン公会議は1962~65年。
5 三好氏によれば、日本の司教団の第二バチカン公会議の受け止め方は当初は十分なものではなかったようだ。典礼面でいえば、背面ミサから対面ミサへの変化など典礼の変化はゆっくりとしか進まなかったようだ。このなかで「聖書100週間」の成立など日本が世界に誇るべき習慣が生み出された。とはいえ、最も大きな影響を与えたのは「現代世界憲章」だという。これを契機に日本の司教団は正平協の改組など大きな態勢の変化をめざした。宣教派(信者を増やし、教会を増やすのが大事)と福音派(リベラル化+土着化)の対立が顕在化し、司教団は福音派へと大きく舵を切ったようだ。
6 この「弥撒典書」とは信徒用のもの。司祭が祭壇で用いるものとは異なる。第二バチカン公会議以前はごミサには信徒がこの弥撒典書を持っていく習慣があった。現在は「聖書と典礼」があるので、ミサで読むべき朗読箇所がわかるが、当時は祈祷文も探すのが大変だったという(当然文語。なお、弥撒は当て字、いわば語呂合わせで、ミサ のこと。弥は「あまねく」、撒は「手で撒く」という意味。英語ではMassで、ラテン語の missio(ミッシオ)が語源だという。「派遣」を意味するようだ)。

【弥撒典書】

 


7 このラゲ訳新約聖書も普段使っておられたらしく、今回は「山上の説教」(マタイ5:3~10)の部分をコピーして配られて説明された。このラゲ訳の「我主イエズスキリストの新約聖書」は、ラテン語のヴルガータ訳から1910年に日本語に翻訳されたもので長く使われたという。やがて1957年に口語訳で出るバルバロ訳のベースになっている。バルバロ訳より詳しい注がついているが、それ以上に訳文が流麗なので長続きしたようだ。(私は1964年のバルバロ版は持っているが、ラゲ版は残念ながら持ってはいない。現在はkindleで読める。なお、プロテスタント系では文語訳新約聖書は岩波文庫版(詩篇付き)が手に入れやすい)。聖書研究が発展するにつれてこのあと聖書の改訳が続いていく。『聖書協会共同訳』が最新だが、カトリック教会は現時点ではこの聖書のミサでの使用をまだ明言していない。

【ラゲ訳 我主イエズスキリストの新約聖書】

 

8 日本の教会は修道会の宣教師によって維持発展させられてきたものが多い。神父といえば外国人の宣教師というイメージを持つ人は多かった。第二バチカン公会議以降は各地の修道会管区の教会が教区移管されるようになる。日本のカトリック教会が組織としても自立していく過程だが、それでも教育機関を初めとして修道会の果たす役割は大きかった。やがて現在は多くの修道会が日本から続々と撤退し始めているという。

 

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難民と入管 ー カトリックがみる難民問題

2023-11-26 11:46:12 | 教会


 今日はわたしの所属教会で難民問題に関する講演会が開かれた。テーマは「日本に辿り着いた難民達をめぐる問題と入管問題」というもので、講師は弁護士の駒井知会氏(「入管を変える!弁護士ネットワーク共同代表」)だった(1)。主催者は横浜教区の委員会のひとつである共同宣教司牧サポートチームの第4地区「神の愛を証しする力を育てる部門」だった(2)。
 参加者は多かった。50名ほどはおられたであろうか。とはいえ参加者は他教会所属の信者さんがほとんどのようで、わたしの顔見知りの方は少なかった。

 講演は熱のこもったものだった。講演の内容は話しが多岐にわたり焦点が解りずらかったが、講師の駒井氏の熱意はよく伝わってきた。駒井氏は話したいことがたくさんあるらしく、パワーポイントを使って早口で1時間40分休みなく話し続けられた。かなり専門的な国際法の細かい話やカレントな法改正の話もあり、予備知識の無いわたしはフォローするのが精一杯だった。そのためメモも十分には取れていないので、ここでは記憶のみに頼って印象に残った点をいくつか記してみたい。

 会の冒頭に主催者を代表して雪の下教会の古川勉師が講演会の主旨を説明された(3)。鎌倉市十二所(じゅうにそ)のイエズス会の修道院が「アルペなんみんセンター」に変わり(4)、サポートチームもそこにすむ難民達を支えてきたが、同センターが昨年ウクライナからの難民を受け入れ始めのを契機に、「難民問題の理解を深めたい」と思い、今回の公演を企画されたという。

 駒井師の講演は話題が多岐にわたったが、ポイントは、日本の難民をめぐる入国管理制度は国連の人権理事会から勧告を受けるほど国際法にあわず、入管法(出入国管理及び難民認定法)の改正が必要だ、ということだと理解した(5)。

【駒井弁護士講演会】

 

 


 駒井師は具体例、ケースの紹介から講演を始められた。次いで難民申請の制度の話し(6)、入管への収容の話し、裁判での援護での話しが続いた。

 最初はコンゴからの来日7年、仮放免6年の人のケースが詳しく紹介された。日本の難民認定がいかに困難かが説明された。調査官の聴取の方法、通訳や翻訳の問題など細かな説明があった(7)。日本の難民申請の認定率は平均で2022年度は1.95%(一次で3.27%、二次で0.3%)だという(8)。そのほか様々なデータがスライドで紹介され、詳しく説明された(9)。
 
【難民認定申請】(出典はClover)

 

 


 ついで本論とも言うべき入管への収容の実体が説明された。具体的にはウィシュマさんの死亡のケースについて詳しく紹介された。2年前に名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ国籍の女性、ウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が助かるべき生命を落としてしまったケースだ。2020年8月に収容された彼女は体調不良を訴え続けていたが点滴など適切な治療を施されないまま死亡した。そのため、出入国在留管理庁の体制そのものが問題視され、現在も裁判が続いているという。

 裁判に至るまでの調査や援護活動の話は興味深いものであった。難民調査官とか難民審査参与員(10)の実態、提出書類の翻訳や面会の通訳の話など初めて聞く話が多かった。実際に活動しておられるからこそ伝えられる話なのであろう。

 講演の最後に駒井氏は、二つの問題点を強調された。一つは、日本政府の難民条約や国際難民法の解釈が恣意的であること、二つ目は入管法の改正により第3者の審査機関の設置が必須だ、という。どれも専門的な話でしかも国策に関わる話なので氏の議論は慎重であった。

 ということでこの講演会は特に宣教司牧に関わる講演ではなかった。カトリック教会では難民についてはカリタスが国際面で、難民移住移動者委員会が国内面で対応しているという。次回は入管難民法改正の件だけではなく移民に関する教会の関わり方の特徴についての話も聞きたいものだと思った。横浜教区の宣教司牧委員会の努力に感謝したい。



1 古川師によると、駒井氏は、東大、Oxford、LSEを経て(LLM)、日本の弁護士になられ、外国人の人権問題に精力的に取り組んでおられる経験豊かな弁護士だという。
2 横浜教区には11の委員会があるようだが、各委員会の活動は小教区レベルにはよく見えない。今回は「難民移住移動者委員会」ではなく「共同宣教司牧サポートチーム神奈川」の第4地区の主催だという。
3 「アルペなんみんセンター」は難民申請中の外国人を受け入れているNPO法人が運営するいわゆる「シェルター」だという。アルペはイエズス会の第28代総長であったアルペ神父様(1907-1991)に由来するという。アルペ神父様は戦後に広島の被爆者救済に助力され、自らも被爆しているので被爆神父として広く知られていた。その影響力はカトリック教会だけではなく広く日本社会全体に及んでいると言われる。
4 古川師は9条の会で発言されたり、ごミサのお説教でカレントな話題に言及されたりするする方なのでわたしは少し身構えたが、今日の主旨説明はテーマにかなったものだった。
5 現在国会では難民等保護法案や入管法改正案が審議されているという。
6 難民調査官とか難民審査参与員とか収容とか難民認定とか強制退去とか、聞いたことはあっても具体的な法的定義や実態の理解が難しかった。
7 難民申請者が収容されている収容所での生活がどのようなものなのか公開されていないようだ。ただ、難民以外の理由で(例えばオーバーステイなど)収容されている人もいるので外部の人(弁護士など)との面会は可能らしい。
8 認定率の低さは諸外国とはまったく比較にならない低さだ。ただこれは、移民問題や、外国人労働者問題、技能実習生制度(こんど制度変更があるようだ)などとも関連した問題だという指摘もあるので国連人権委員会の指摘(勧告)をそのまま鵜呑みにして良いのかどうかは門外漢のわたしにはよくわからなかった。しかも、今年度は、ウクライナ関連のJICAの難民認定(補完的保護制度とか準難民とか呼ぶらしい)、クルド人に対する法務大臣の初の認定という異例の出来事があり、事態は流動的だという。
9 ウクライナからの難民を特別に認定しているので昨年今年は数字は変わっているようだ。
10 入管庁(出入国在留管理庁)による難民認定はこの人達によるらしいが、駒井氏によるといろいろ問題のある制度らしい。人数は100名余いても実際には数人にしか割り当てられていないらしいとか、対面審査はほとんど無いとか、審査が適正におこなわれているかどうかが問われているという。

 

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カトリックの家庭集会 ー 関心は告解と終油に集中した

2023-11-23 10:48:35 | 教会


 久しぶりに家庭集会(1)が教会で(2)開かれた。コロナ禍をはさんで5年ぶりだという。当教会では今年は各組ごとに月1回くらいの頻度で持たれているようだ。月1回といっても2000人前後の信徒数で9組に分かれているのでなかなか順番が回ってこないようだ。私どもの組は6つの班から構成されていて、今日は各班長さんを含めて20名ほどの参加者があった。

 家庭集会といってもカトリックとプロテスタントではその形態が大分違うようだし、カトリック教会の家庭集会も教区ごとの違いは大きいらしい。家庭集会とはこういうものだと一概には言い切れないようだ。
 家庭集会は何のためにするのか。そこで何をするのか。カトリック教会の場合はどうなのか。一般的な姿は解らないので今日の様子を少し記録にとどめておきたい。

 今日は、まず主の祈りの後、参加者の一人あたり2分間限定の自己紹介、各班の近況報告があった。続いて神父様の講話があり、その後「分かち合い」(質疑応答)(3)があった。最後にアヴェマリアの祈りと栄唱でお開きだった。2時間ほどの集まりだった。

 久しぶりの家庭集会だったのでわたしには興味深かった。まず参加者が女性中心で、男性は神父様を含めて3名。事実上婦人会の例会みたいだった(4)。自己紹介は皆さん個性豊かにもかかわらず2分間を厳守しておられた。神父様も自己紹介のなかで、召命や神学校時代の経験、叙階の話しをかなり踏み込んで話された。名前は健次だが3人兄弟の長男だという話しなど皆さんを和ませておられた。神父様の人となりが皆さんによく伝わったようだった。2分間の制限は超えていたかな。

 家庭集会の中心である、神父様の講話ではヨハネ21:15~19の「イエスとペテロ」の対話の箇所が取り上げられた。神父様は「」には3つの意味があると説明された。アガペー(神愛)・フィリア(友愛)・エロス(性愛)だ(5)。イエスがペテロに「あなたはわたしを愛しているか」と3回問うたとき、1回目と2回目はアガペーの愛だが、3回目はフィリアの意味で「愛しているか」と問うたのだという(17節)。神父様は、日本語の訳語としての「愛」の問題以上に、フィリアとしての愛を宣べ伝えることが福音宣教につながると話された。聖書に出てくる「愛」はアガペーの意味で使われる場合がほとんどだが、フィリアの意味での使い方もあると説明された。ここから本題かと思ったら司会者から時間厳守と言われ、続きは次回にということになった。

 続いて分かち合いの時間になったが、実際には神父様への質問と神父様からのお答えの時間になった。いろいろ質問が出たが、結局は二つの問題に話題は絞られた。一つは告解、二つ目は終油(葬儀)の話しだった。高齢者の集まりだから当然の話題と言えば当然だろう。告解では、告解での大罪・小罪とはなにかとか、告解の仕方が変わってきているがなぜか、などの質問があり、神父様はきちんと答えておられた(6)。終油の秘跡や葬儀の在り方(家族葬が増えている)に関する質問も多く、みなさん切実な問題なのであろう(7)。

 ということで家庭集会は実りの多いものであった。教会は共同体だと口では言ってもごミサで顔を合わすだけでなかなか交流する機会はない。家庭集会は良い機会になった。

【水上健次師】

 

 



1 実は家庭集会とはなにかははっきりしない。わたしは霊性の向上と共同体としての教会の強化のために各家庭が寄り集まって一緒にお祈りする(分かち合いをする、証しする)集まりだと理解している。しばしば、家庭集会は、聖書勉強会とは違います、家庭教会とは違います、という点が強調される。聖書研究は全く別の集まりがあるし、家庭教会は家庭を信仰と希望と愛の共同体にする集まりとされ(「カトリック教会のカテキズム要約」第3編第2章第4の掟 = あなたの父母を敬え の456項)、家庭集会とは別扱いされる。
 文書上も家庭集会は『カトペディア 2004』や「日本カトリック教会情報ハンドブック2024」にも「カトリック教会の諸宗教対話の手引き」(2021)にも説明されていない。司教団文書を少し調べたところ、「家庭を支え福音を生きる教会共同体の実現をめざして」(1994)に「第二回福音宣教推進全国会議」で家庭集会が「分かち合い」の場として想定されているように書かれているが、はっきりした規定はなされていない。
 歴史的にも、日本の家庭集会がいつ頃生まれ、現在のような形でいつ頃定着したのかはよくわからない。福音派(リベラル化+土着化)vs.宣教派(信徒数の増大を目指す)という軸で近代日本のカトリック教会の歴史をきれいに分析された三好千春氏の好著『時の階段を下りながらー近現代日本カトリック教会史序説』(2021 オリエンス宗教研究所)にも信徒養成の重要性を訴えながらも家庭集会についての詳しい説明はない。
 家庭集会という集まりは、キリスト教以外の宗教・宗派でも使われるようだし、キリスト教でもカトリックとプロテスタントでは内容や強調点が異なっているようだ。プロテスタント教会の各教派でも違うのかもしれない(証しの強調か、聖書研究の強調か、分かち合いの強調か、など)。現在は様々な試みがなされている段階とみておいた方が良さそうだ。
2 家庭集会は、当然、信徒の家庭に何家族かが集まってお祈りするものだった。わたしが経験してきたのはそういうものだった。ところが時代の流れの中で自宅の開放を良しとしない考え方が広まり、教会の集会室に集まるという形が定着しつつあるようだ。この方がより多くの方が集まれるという利点があるのかもしれない。費用の点でもお茶菓子代程度で済むのも利点かもしれない。
 神父様が指導司祭として家庭集会に参加するかどうかもこれといった決まりはなさそうだ。信徒は自分たちの司祭を親しく知る機会だし、司祭からみれば信徒養成の良い機会なので、教会で開かれる家庭集会には司祭が参加するという形は定着していくように思える。
3 この「分かち合い」という言葉も最近は良く耳にするようになった。みみざわりは良いがわたしにはあまりなじみのない言葉だった。いつ頃から使われるようになったのかは解らない。教会用語としてはそれほど古くは無いのではないか。日本司教団は「家庭を支え福音を生きる教会共同体の実現をめざして」(1994)のなかで、次のように述べていた。
「ことばによる分かち合いにとどまらず、物や時間やお金などを含めて自分自身の痛 みをも伴う生き方を分かち合う、このような生き方が福音宣教の重要な柱として定着し ていくことが大切であり、さらに『福音宣教』と『分かち合い』との関係をより明確に していくことが求められています」。
つまり、教会が共同体として福音宣教していく手立てとして分かち合いを考えていたようだ。
 これは現在の用語の使い方とは少し異なる捉え方だ。現在では分かち合いとは「傾聴」(聴くこと)という意味で使われる。宣教や聖書研究という意味ではない。むしろ霊性の向上人格的な出会いを強調する言葉となっている。たとえば、「分かち合いのルール」をつくっている教会もあるようだ。聴いたところによるとある教会では次のようなルールが作られているという。
①人の意見を否定しない ②人に知られて困る内容の話しはしない ③その場で知った話しは外に漏らさない ④意見が合わないときは反論しないでパスする
 要は、人の話に耳を傾ける、傾聴に徹する、が分かち合いの意味で、議論したり、説得したりする場ではないことが強調される。分かち合いは英語のsharing の訳語だというが、sharing is caring と言われるようにshareにはそういう感情の共有や共感という意味が含まれているのかもしれない。この言葉は現在は完全に定着した教会用語と言って良いだろう。
4 わたしが以前他の小教区にいた頃の家庭集会はほとんどご夫婦そろっての出席が多かった。今回は女性が多かったのは当教会でも高齢化が進んでいるからであろう。
5 4種類あり、4番目はストルゲー(家族愛)とする説もあるようだ。日本語の「愛」という言葉ではこの3種類(4種類)のギリシャ語の使い分けを訳し分けることが出来ないのだという。
6 年に一度は告解しなければならないが、きちんと告解をする信徒は減ってきているという。イースター前に「共同回心式」があるのでそれで済ます人も多いという。告解は「赦しの秘跡」なので、「神の前に心を開いて」「良心の糾明」をすることが大事なのだという。ちなみに、心の糾明は告解の「7つの要素」の1番目で、①神に対して②隣人に対して③自分自身に対して、することになっている(7つの要素とは、心の糾明・悔い改め・告白・司祭の勧め・悔い改めの祈り・ゆるしのことば・生活の改善 のこと 『祈りの手帳』三訂版 2022 84頁)
7 所属教会でなければ葬儀は挙げられないわけではない、という説明に皆さんホッとしておられたようだ。日本の習俗への適応を勧める視点が強調される『カトリック教会の諸宗教対話の手引き 実践Q&A』(日本カトリック司教協議会諸宗教部門編 2021)ですら、日本の「祖先崇拝」観念・行事と「靖国神社」問題に関しては慎重に立場の表明を控えている。以前は終油の秘跡も「天国泥棒」などと揶揄されたりしたが、祖先崇拝や葬儀に関する対応は小教区の司祭の判断に個別かつ具体的事例に応じて任されているのであろう。

 

 

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信徒は司牧者を育てて欲しい ー 阿部仲麻呂師指導の黙想会

2023-11-19 21:32:50 | 教会


 2024年の待降節第一主日は今年の12月3日なので(1)、当教会では11月の18・19日に黙想会がもたれた。コロナ禍で黙想会も長い間開かれなかったのでわたしは久しぶりの参加だった。

 黙想会と言えば修道院かどこかに泊まってするものと思っていたが、現在は日帰り黙想会とかいろいろな形の黙想会があるようだ。今回は二日がかりで、一日目は講話赦しの秘跡(告解)とごミサ、二日目は通常のミサの後の第二講話という構成だった。

 黙想会はかならずなにか黙想のテーマが与えられるが(2)、今回は「フィリピの信徒への手紙」の第1章第2章を読むことだった(3)。わたしは一日目は出られなかったのが残念だった。今日は講話だけで、通常のミサの後だったので、参加者は多かった。ほとんどの方はミサの後そのまま残っておられたようだ。

 指導司祭は阿部仲麻呂師(サレジオ会)。著名な神学者だがまだ50代半ばの若い神父様だった。わたしは師の『使徒信条を詠む』(4)で多くを学んだので、楽しみにしていた。講話でのお話しぶりからは、神学者から連想されるなにか気難しい印象はなく、むしろ、穏やかと言うよりは朴訥という雰囲気であった。小一時間立ったままずっとマイクを握っておられた。いろいろなところで黙想会の指導をしておられるという。

【阿部仲麻呂師】

 

 

 講話はフィリピ書の解説と言うよりは、そこらか師が読み取られたポイントをいくつか整理して話されたというものであった。

 最初は黙想会での祈り方の説明があった。黙想会に出るとかならず「生き方が変わります」と言われた。なんのことかと聞き耳を立てたら、フィリピ書第2章は第5節~11節の「キリスト賛歌」が歴史的にも神学的にも大事なのだという(5)。キリストは信徒の模範であるという話しなのだが、具体的には、祈りには、①降りる祈り、と②登る祈り、があるのだという。降りるとは、イエスの受肉(誕生)であり、へりくだりであり、謙遜のことだという。登るとはイエスの復活のことであり、挙げられることだという。

 今回は待降節を前にして①の降りる祈りについて縷々説明された。教皇フランシスコの話、シノドスの話し、幼児洗礼と成人洗礼の違いの話しなど、お話しはいろいろあった。原稿を読んでおられるわけではないので話題はあちこちに飛んだ。どうもポイントは子どもを育てた経験を持つ親(信徒)は、親として「愛」や「憐れみ」(昨日のテーマだったという)を理屈抜きで知っているので、子どもを育てた経験の無い司牧者(司教や司祭)をむしろ導いたり、育てたりする努力をして欲しい、というものであった。あまり聞いたことのないお話しだったので皆さん熱心に聞いておられた。

 聞きようによっては司牧者批判にも聞こえるが、阿部師が修道会司祭で教区司祭ではないからかもしれない。司教や司祭が信徒にああしろ、こうしろと命令ばかりして、信徒はなんでも司祭の言うことに従っているだけではだめですよ、むしろ信徒が司教や司祭を育てる気概を持って欲しい、というふうに言われているように聞こえた。ときどき冗談を加えた講話は興味深く、なんどか皆さんの笑いを誘っていた。東京カトリック神学院での講義もこういうなごやかなものなのであろう。次回はご専門の基礎神学の話しを聞きたいと思った(6)。



1 つまり、教会暦で言えば来年2024年度は始まるのが遅い。今年は11月27日だった。
2 黙想は、座禅などと違って、考えたり、祈ったり、なにかに心と意識を集中させる。マインドフルネスなどの瞑想とは意識を集中させる対象が異なる。座禅はキリスト教的に言えば観想(Contemptation)に近く、黙想(Meditation)とは区別されるようだ。
3 ピリピ書(文語訳聖書の訳語)はパウロの書簡の中でも4番目に古い手紙で、54年頃書かれたらしい。フィリピ(ピリピ)というのは街の名前で、マケドニアのフィリピ2世に因んだものだという。フィリピの教会は異邦人(ユダヤ人ではない人、つまりギリシャ語を主に話す人々か)が中心だ。著者がパウロというのは確定しているようだが、内容から見て3通の手紙が一通にまとめられたものらしい。
4 阿部仲麻呂『使徒信条を詠む』2014 教友社 466頁の大著である このブログでも内容を紹介したことがある
5 長いので引用しないが、要は、キリストを「模範として」生きなさい、ということらしい。
6 基礎神学とは組織神学の一分野で、特に初期キリスト教時代の弁証論を取り扱うようだ。キリスト教弁証論とはキリスト教に対する非難を弁証する議論で、バルトらの現代の弁証法神学とは一応区別されるようだ。

 

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八ッ場ダムは紅葉に燃えているか

2023-11-10 11:19:14 | 観光


 11月上旬快晴が続く。季節外れの暖かいある日、ふと思い立って吾妻渓谷に紅葉を見に行きたくなった。久しぶりの片道3時間のドライブ。あがつま峡は町営の無料駐車場が渓谷の途中にありクルマで少しは入れる。

 山は全山紅葉でその美しさに感嘆した。来た甲斐があったと納得した。さすが足腰の弱った身で渓谷沿いのハイキングは無理だったが、歩道は整備されており紅葉をゆっくりと楽しめた。色とりどりの紅葉は最盛期だった。

【あがつま渓谷】

 


 しばらく歩くと突如八ッ場ダムが現れた。見上げるとその威容に圧倒された。東京タワー並みの高さだという。エレベーターで上に上ってみる。ダムの貯水量の大きさは解らないがとにかく巨大だ。周囲の山は青空に映えて美しい。だが紅葉を楽しむ場所ではない。このダムはダム工法としても独特らしくダムカードコレクター間でも評判らしい。

【八ッ場ダム】

 


 民社党政権の迷走で(1)頓挫しかかったこのダム建設が完成したのは2020年3月のことで、まだ3年前のことだ。実はわたしはこの工事再開直後にここを訪れたことがある。完成したこのダムの姿は当時の工事を思い起こさせて感慨深いものがあった。

【八ッ場ダム2】

 



1 民社党政権の迷走は福島原発事故処理とこの八ッ場ダム建設中止に象徴される。ともに当時はその評価は割れていたが現在はその評価はほぼ定まったと言えるだろう。

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