カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

教皇ミサに与って感動した

2019-11-27 21:16:06 | 教会


 11月25日の東京ドームでの教皇ミサにあずかってきた。喜びに満ちた感動的なミサであった。
 教会の月報の編集委員からなにか教皇ミサの感想を書いて欲しいと言われた。私の教会からの参加者のなかには教会の重鎮が多く、また、前回38年前のヨハネ・パウロ二世による後楽園のミサに参加した方も何人かおられ、私などがあれこれ雑文を書ける立場にはない。丁寧にご辞退した。
 とはいえ、このごミサでは感動し、感激することも多かったので、忘れないうちに印象をとどめておきたい。カト研の皆さんのなかにも参加された方が多いと思う。少しでもこのブログで喜びを分かち合いたい。

 今回のフランシスコ教皇さまの訪日に関するテレビや新聞の報道は比較的好意的なものが多かったという印象がある。帰国されたのは昨日なのでブログなどSNSでの記事はまだあまり多くはないようだ。そこでここでは東京ドームでの教皇ミサについてのみ少し感想を記しておきたい(1)。

 といっても、どの角度から、どういう視点から、この教皇ミサをまとめたらよいのか、実はまだよくわからない。今回の訪日のメインテーマ「すべてのいのちを守るため Protect All Life 」を論じたらよいのか、それとも教皇さまがふれたれた個別のテーマ ー 長崎・広島の原爆、戦後日本の経済発展、東日本大震災、気候正義(climate justice)、差別と格差、若者の生きづらさ、などなど ー の話題か。または、参加枠をめぐる問題とか、会場の特徴か。やはり、ミサそのものの特徴もふれなければ。などなど色々頭に浮かぶが、ここではとりとめも無く書いてみたい。

 メディア報道から見ると、カトリック中央協議会は教皇さまの動きをliveで報道していたし、テレビ局もニュース番組で特集を組んだりしていた。教皇ミサに参加できなかった人も教皇さまの動きをきっちりとフォローできたようだ(2)。

 報道は、教皇さまの数多くの「メッセージ」のなかで、「核兵器廃絶」を訴えたとするものが多かったようだ。被爆地訪問は26聖人殉教地を含めて注目を集めたようだ。他方、メインテーマ「すべての命を守るため」はあまり取り上げられていなかった気がする。少し抽象的すぎたのかもしれない。報道では、教皇さまが東日本大震災、差別・格差問題、気候変動問題、青少年問題などにも触れていたことをもう少し強調して欲しかったところだ。朝日や読売はこれらの問題を「考えるきっかけを与えた」とかなり抑制した表現を使っているが、キリシタン迫害問題などとは異なり、世論が割れる問題なのであまり深くはふれたくないのかもしれない。

 参加者としてはやはり参加枠の問題が気になった。私どもの教会は100人近い参加希望者がいて教会内で抽選をおこない、申請をしたらやっとバス二台の割り当てがあった。個人枠で申し込んでもあたらなかった人もいたようだ。抽選倍率は不明だが予想以上に高かったのであろう。このほか、学校枠とか司教枠とか色々あったようだ。外国人も多かった。日本のカトリック信者数は43万人強といわれるが、恐らく同じくらいの数の外国人信徒が日本で暮らしているというのだから、外国人参加者が多いのは当然だ。プラカードを見ると、東北や関西からの参加者のみならず、フィリッピンなどアジアからの参加者もおられたようだ。収容5万人強の東京ドームは満席だった。

 入場のチェックは事前に言われていたほどの厳しさではなかったが、時間がかかった。退場時は小雨も降っていたせいか混雑が激しく、バスに乗れるまで2時間近くかかったのではないだろうか。
 球場には巨大なパブリック・ヴユーイング用のスクリーンに似たテレビ画面が二台用意されていて、教皇さまが入場の際、式場内を一周されるのが見えたのはよかった。この時は全員が席から立ち上がって旗を振り、スタンディングオベーションだったので、写真はほとんど撮れなかった。私は望遠鏡も持参したが、教皇さまがどこを動いているのか、場所さえわからないほどの歓声だった。

 ごミサ用に「ミサ式次第」が手渡された(一緒に立派なご絵が配られた)。ミサの式文はラテン語、日本語、英語が入り交じっていたが、流れは同一なので特に問題はなかったようだ。共同祈願ではベトナム語、韓国語、スペイン語、タガログ語、英語、日本語の祈りがなされ、印象深かった。
 司式中の教皇さまはさすがお疲れの様子だったが(3)、教皇杖を持って気丈に頑張っておられたようだ(4)。教皇さまのミサは一部英語だったがお説教をはじめほとんどスペイン語だった。聖歌を歌っていたのはシスターや、双葉・清泉・栄光・サレジオなどの生徒たちだったようだ。オフィシャル・テーマソングの「時のしるし」は特によかった。

 

 

 


 また、中央協議会が配信した動画(https://popeinjapan2019.jp/assets/file/live_sch.pdf)はよく編集されている。また、YouTube で配信されているいくつかの動画も見飽きなかった。来日記念のオフィシャルグッズも売られていたようだが、すぐに売り切れたという。せめてメダイくらい、と帰途のバスのなかでは残念がる声が多かった。

 教皇さまが残されたメッセージはたくさんある。

①二つの「メッセージ」:「核兵器に関するメッセージ」(長崎爆心地公園)、「平和のための集い」(広島平和記念公園)
②四つの「講話」:東日本大震災被災者との集い(ベルサール半蔵門)、青年との集い(東京カテドラル聖マリア大聖堂関口教会)、要人および外交団等との集い(官邸)、上智大学学生へのスピーチ(上智大学)
③ミサでの三つの「説教」(長崎県営野球場、東京ドーム、クルトム・ハイム)

 このほかにもあるのかもしれない。これらの文書を良く読んで、教皇さまのメッセージは何だったのか、核兵器廃絶だけがメッセージだったのか、「すべてのいのちを守るため」とはどういうことか、機会を改めて自分の考えを整理してみたい。

 この教皇ミサにあずかることが出来て本当によかった。年甲斐もなく感動した。

1 今回の訪日を契機に日本政府が「法王」から「教皇」に呼称を変更し、メディアや官庁もそれに倣ってやっと「教皇」という言葉を普通に使うようになった。これほど嬉しいことはない。この変更がもたらす影響を見守りたい。
2 YouTube での報道はさすがインターネットの時代の到来を思わせた。前回のヨハネ・パウロ二世による後楽園球場でのミサの時に較べると隔世の感がある。私はこの頃、桜村(つくば市)の大学に勤務していて参加できなかった。村に教会はなく(土浦にカトリック教会はあったが遠すぎてたどりつく術がなかった 現在はカトリックつくば教会がある)、大学は出来たばかりで高速道路どころかバス道路もなく、晴天の日でも長靴で通勤するありさまで、東京は遙か彼方であった。
3 数少ない教皇ミサ関連のブログのなかで、谷口幸紀神父様のブログを読んだ(https://blog.goo.ne.jp/john-1939/ 続ウサギの日記 「教皇は来て、そして、去って行った 何を残して?」)。共同司式司祭でもあった谷口神父様にしてはかなり辛口の印象記だ。カト研の先輩でもあるし、新求道共同体で苦労しておられるのは承知しているが、「そこには、テレビカメラを意識して、パパモビレの上であふれる笑顔を振りまいていた教皇とは打って変わった、疲れた老人の姿を私は見逃さなかった」は少し筆が滑ったか。わたしはむしろ82歳にしてここまで頑張れる教皇さまの気力と意志の強さを見た。
 また、谷口師はこうも言う。「その度に、ドームをいっぱいにした群衆からは万雷の拍手と悲鳴に近い歓声が湧き上がった。まるで、ロックのスターに叫びを贈る熱狂的なファン集団のような群衆心理ではないか」。私のまわりでも一緒に参加した人のなかで、歓迎の旗を振る5万人の信徒は「群集心理」に酔っているようだったと評した人がいる。いくら電通さんでもそこまでは出来ないだろう。
 私の印象は違う。わたしはむしろそこに、日本社会ではマイノリティ集団でしかないカトリック信徒の連帯感の発露を、共感の喜びを見た。「わたしたちにはフランシスコがいる」という誇らしい気持ちの表現を見た。日頃の肩身の狭い思いが誇りと自信に変わった瞬間を見た。
 ル・ボンを持ち出すまでもなく、「群集心理」には匿名性・衝動性がともなう。そんなものがどこにあったというのだろう。私がこのミサに見たのは、操作された群集心理ではなく、整然と喜びを表現する信徒の姿だった。
 こういう言い方はあまりに護教的すぎるのだろうか。むしろ、わたしとしては、群集心理という社会学用語をこういう風に無造作に使われることに悲しみを覚える。
4 今回私が強く印象づけられたのは、教皇さまに、常に、片時も離れず、ピタッとそばについて、しかも目立たないように、教皇さまの手助けをしておられた司祭の存在だ。カラーの色から見ると枢機卿のようだが、日本語もわかる方のようだった。秘書と呼ぶのか、まさかカメルレンゴとは思えないが、高齢の教皇さまはこの人なしには激務をこなせないのであろう。

 

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教会は「神の国」か ー 教会論(2)

2019-11-20 09:57:26 | 神学


Ⅱ 教会の定義と本質

1 教会の定義

 前稿で見た教会論では、教会は神学的にはキリスト教信仰を「仲介する」機能にその存在意義があるとされていた。キリスト教信仰が歴史において形を取るのは教会においてであるからだ。聖書、典礼、秘跡、教義、聖職者、公会議はすべて教会により仲介されるという。増田師はこれを教会の「シンボル機能」と呼んでいる。仲介とは信仰の世界内次元と超越的次元を媒介するという意味だ。教会は人間の集まりであり、かつ、秘跡でもある。この両者を媒介しているのが教会だということのようだ(1)。では教会の「定義」とはなんなのか。
 教会は、「キリストの体」、「キリストの神秘体」、「救いのための普遍的秘跡」、「神の民」などと定義されることが多いが、あまりぴんとこない。これらは教会の超越的次元の特徴を表現しいているからだ。そこで増田師は、教会の構成員から教会の定義を試みる。教会を構成するメンバーは普通「洗礼」を受けた人々からなると考えられている。では洗礼を受けていない人は教会の構成員ではないのか。
 そんなことはない。「教会憲章」は、ユダヤ教徒も、イスラム教徒も、神を求めている人も、善意の無神論者も、その救いの可能性を「肯定」している。つまり、洗礼は教会の構成員の要件ではあるが、絶対的・排他的条件ではないということになる。むしろ、「聖霊に息吹きかれたキリストの弟子たちの共同体」が教会だという説明だ。これは、肯定的な意味で、驚くべき説明ではないだろうか。この説明は教会の「本質」を考えないとわからない。

2 教会の本質 ー 教会は「神秘」である

 教会を集団とか共同体とか人間の集まりとしてだけ捉えるのではなく、むしろその「神秘性」「秘跡性」でも捉える必要がある。「教会憲章」の第1章は「教会の神秘について」と題されており、「教会は三位一体の神による救いの神秘」と定義されている。
 K・ラーナーは、「教会はキリストの受肉の機能の継承」と定義している。
増田師は、「教会の秘跡性は、世界内次元と超越的次元とを仲介するシンボル機能」のことだと定義している。
 どれも教会を社会集団としてだけではなく、「神の自己譲与」にその本質を見ている点で共通している。「神の自己譲与」は「聖霊」というかたちと、「イエス」というかたちで姿を現す(2)。

 だが、こういう神学的説明だけでは不十分で、教会の本質は歴史のなかにも見いださなければならない。教会がどのようにして生まれ、どのように発展したかは、歴史分析の課題である。

 ここから、初代教会(ユダヤ教)、古代教会(職制の成立)、迫害の教会、公認後の教会、中世の教会(教皇権)、宗教改革、近代、現代の教会、と「個別論」が始まる。この歴史分析は教会論の中心テーマだが、歴史分析だけあって論者の「評価」の問題が常につきまとう(3)。そこで、ここではこの部分の要約を飛ばして次に進みたい。

Ⅲ 生前のイエスと教会

1 「神の国」と「教会」

 教会は神の国だという「神の国の教会論」というものがあるようだ。「神の国」とは、神が歴史に介入し、人間に働きかける救いの出来事のことをいう(4)。イエスの福音、イエスの存在そのものが「神の国」の到来を意味していたようだ。
 だが、岩島師は、神の国と教会はきちんと区別せよと言っているようだ。

①両者を同一視することは出来ない。神の国は神の働きかけだが、教会は人間集団だ
②神の国の福音から教会は生まれた
③とはいえ両者は無関係ではない。どちらかという極端な議論は避けるべきだ。

 そして師は重要なことを言われる。イエスが生前、教会設立の意図を持っていたかどうかは、神の国の使信からは、つまり聖書からは、判断できない、という。イエスは使徒を集められた。だがこの使徒たちは自分たちの「集会」を「教会」に作り替えようとしたのだろうか。

2 弟子の召命 (マルコ3:13~14)

 イエスはイスラエルの12部族から12人の弟子を召し出し、教育し、派遣した。だから、生前のイエスには「教会の意識」があったことは確実だ、というのが岩島師の判断だという。

3 ペテロの約束

 「あなたはペテロ。私はこの岩の上に私の教会を建てよう」(マタイ16:18~19 協会共同訳)

 このイエスの言葉は、後にローマ教皇の首位権、不可謬権の根拠とされた。このため、教会論では、この文言には根本的な疑問が残るとして批判的に議論されることが多かった。これは本当にイエスのことばなのか。ペテロの後継者にも適用されるのか。そもそもこのことばはマタイ福音書にしか書かれていないではないか、などの批判が相次いだ。主な批判は次のようなものだ。

①これはペテロの権威を示すために後の教会が創作したのではないか
②イエスが教会という言葉を使ったはずがない
③マルコ、ルカには書かれていない
④エクレシア ということばはここだけで使われている

 岩島師はこのような批判に対して次のように反論しているという。

①福音書が作られていた時代(60~80年代)、ペテロの権威は失墜していたにもかかわらずこの記載があるのは、むしろ信憑性を示しているのではないか。
②エクレーシア(ギリシャ語)はヘブライ語ではカハルで、「集会」の意味。旧約聖書にはよく出てくる普通名詞だ。
③カハルは旧約からの伝統的表現で、マルコやルカにも同様の表現がある。

 つまり、岩島師は生前のイエスにはある種の教会観と呼べるようなものがあったと考える方が妥当だ、ただしこの文言から教皇の首位性を読み取るのは無理だ、という判断のようだ。この判断の妥当性を私は論じることはできないが、日本の教会内での岩島師の立場から見てこれが現在の日本の教会の教会論と考えて良さそうだ。

4 最後の晩餐

 これについても色々問題点が指摘されてきたという。

①イエスは記念をおこなうことを委託したのか
②聖体の祭儀は歴史のイエスに端を発しているのか
③イエスは自分の宣教が引き継がれることを本当に望んでいたのか

 岩島師はすべての問いに「そうだ」と答え得ると言う。最後の晩餐から聖体の祭儀へは連続性があり、教会の初めから聖体祭儀が存在したからだという。

5 教会の成立の前提としてのイエスの生涯

 結論的には次のように言えるという。

①イエスの宣教のメインテーマは神の国。教会設立はメインテーマではない。だが、教会設立を意図していなかったとは言えない。
②エクレーシアは旧約の神の民カハルの延長上にある。
③イエスによる弟子の育成と派遣、洗礼、晩餐は、イエスが自分の死後の宣教の継続を意図していたものと考えられる。
④イエスの死後、教会はすぐに成立した。イエスの生涯は、教会成立の準備、前提だった。



1 増田祐志『カトリック教会論への招き』第1章第3節 27頁。もちろん、「信仰のみ」「聖書のみ」を主張する立場からは相容れない教義である。
2 こういう「神の自己譲与」という説明は「形式的教会論」と呼ばれるらしい。「神の自己譲与」論はキリスト論の重要なテーマだ。K・ラーナーにならえば、それは「聖霊の経験 Erfahrung des Heiligen Geistes 」として、また、「キリストの受肉 Fleischwerdung 」として、具体化されるという。聖霊の経験とは聖霊降臨のことを念頭に置いているらしく、また、キリストの受肉とは歴史のなかに現れたイエスのことを指している。
3 例えば、前稿では、「トマスには教会論はない」と述べられていた。スコラ神学そのもに教会を独立した対象とした議論はない、という意味なのだろうが、トマス・アクィナスに教会論が全くないとは言えないようだ。例えば増田師は、『神学大全』をとりあげてトマスの教会論(教会の4属性論)を説明している。増田祐志『カトリック教会論への招き』第4章第3節。なお、「大全」(スンマ)とは、スコラ学が聖書と伝統だけではなく、プラトンやアリストテレスなどのギリシャ哲学その他の思想も組み込んだ統合的な学問だということを意味する。
4 「神の国」とは別に「天の国」という概念がある。マタイ福音書が中心で(18:1~)、マルコ1:15とかルカ17:20などだ。イエスは「神の国」を終末論的な意味で使っていたようだが、「天の国」は「天国」とか「楽園」という意味が強いようだ。

 

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イエスが教会を創ったのか ー 教会論(1)

2019-11-19 12:49:42 | 神学

 11月の学びあいの会は神学のなかでも最も難しいと言われる教会論への挑戦で始まった。教会論はキリスト論と並んで神学のなかで教義学の中枢の位置を占める(1)。教会論に挑戦するS氏は一人当千のカテキスタである。S氏はこの論考は岩島忠彦師の教会論をベースにしていると言われた(2)。

 「教会とはなにか」。現代の日本人にとってそれは、十字架か、建物としての教会か、彫刻や絵か。統一したイメージはないような気がする(3)。教会とはイエス・キリストの名のもとに集う人の集まり、共同体のことだという理解はまだ十分には深まっていないように思う。

 思えば、第二バチカン公会議が開催されていた頃、われわれカト研やカト学が熱心に議論していたのは教会論だった。キリスト教の土着化などと言っていたが、結局は教会論だった。

 「教会論 ecclesiology とは、キリスト教共同体である教会 ecclesia を考察対象とする教義学の一分野である」(4)とされる。つまり、教会論の考察の対象は「キリストの教会」ということになる。

 クリスチャンが信じているのは三位一体の神と教会である。キリスト教の信仰宣言(ニカイア・コンスタンティノポリス信条)によれば、信ずべき教会とは「一・聖・普遍・使徒継承」の4つの属性を持つ教会とされている。逆に言えば、これら4つの属性を持たない、認めない教会はいくら教会と名乗ってもキリスト教の教会とは言えないということになる。

 さらに言えば、キリスト教共同体は歴史的に様々な形で発達してきたので、それら様々なキリスト教教会(東方教会など)を比較的に考察するのは宗教学の課題であって、教会論の課題ではない。つまり、教会論は、狭い意味では、ローマ・カトリック教会を考察の対象としていることになる。しかもそれは制度論的に見れば、教皇制と位階制をもつカトリック教会を考察対象とする学問ということになる。教会論が教義学の中枢に位置するというのはこういう意味なのだとここでは理解しておこう。以下、S氏の報告を簡単に要約していって見たい。

Ⅰ 教会論の現状

1 教会論の特徴

 教会論は教義学の一つだがその成立時期は、キリスト論、三位一体論、恩恵論、救済論、終末論などに較べて遅い。教会が何時生まれ、どのように発展してきたのかを自覚的の問うまでには時間がかかったわけだ(5)。
 教会はイエスが創ったのか。それともペテロが教会の創始者なのか。パウロの考えていた教会(エクレーシア)とペテロたちの考えていた教会(カハル)は同じものだったのか。こういう問いはキリスト教の発展のなかで徐々に生まれてきたもののようだ。

2 教会論の歴史


①伝統的教会論:制度としての教会論。教皇制と位階制の分析が中心
②トマス:教会論をもっていない
③最初の教会論:トルケマダのヨハネ(1430-90)『教会大全』。これ以前の中世の教会論は王と教皇の関係が中心だったが、はじめて教会そのものがとりあげられる
④対抗宗教改革の時代:宗教改革に対抗して、16世紀には位階制が強調される
⑤啓蒙主義の時代:17世紀・18世紀には近代の合理主義に対抗しようとした
⑥ネオスコラ学:19世紀後半にはローマ教皇の唯一絶対性を証明しようと努めた
⑦第一バチカン公会議(1869-70):教皇論のみで、教会論は公文書としてはまとまらず
⑧第二バチカン公会議(1962-65):「教会憲章」公布。教会の本質に関わる初めての公文書(6)

3 教会論の現状

 増田師の言うように教会論は「教会の自己理解の展開の歴史」と考えられるので、歴史的存在としての教会が強調される。教会論は教会の神学的・教義的特徴の説明にとどまらず、むしろ歴史的説明を重視するようだ。様々な教会論が提起されてきたが、なかでも、20世紀後半に活躍したアメリカの神学者ダレスの「教会の5モデル」論が現代の中心的な説明図式のようだ。

①制度としての教会  The Church as Institution
②神秘的交わり(秘義)としての教会 The Church as Mystical Communion
③秘跡としての教会 The Church as Sacrament
④御言葉を告げるものとしての教会 The Church as Herald
⑤奉仕者としての教会 The Church as Servant
後年追加されたモデル
⑥弟子たちの共同体としての教会 The Church as Community of Disciples

 おのおののモデルにはそれぞれの的史的な背景がある。例えば、カトリック教会はモデルの①②③⑤を好むし、プロテスタントは②④⑤を好む傾向があるという(7)。このダレスの6モデルは現在でも広く受け入れられているという。

 20世紀前半の神学者たちによる教会論も多様であった。従来の制度論的教会論は批判され、第二バチカン公会議のなかに新しい教会論が流れ込んでいく。

①Y・コンガール :救いの共同体論
②O・ゼメロート :救いの秘跡としての共同体論
③H・キュンク :「原点に戻る教会」論
④K・ラーナー :「無名のキリスト教」論
⑤E・スキレベークス :新スコラ主義からの決別

 やがて、第二バチカン公会議が契機となり、新しい教会論が登場してくる。

①J・B・メッツ :政治神学
②G・グティエレス :解放の神学
③プロテスタント :御言葉を宣教する共同体(K・バルト、R・ブルトマン)
④ピオ12世 :キリストの神秘体論
⑤教会憲章 :「神の民」論

4 現代の教会論の特徴

①過去の教会論との対決姿勢:制度論的教会論の批判
②教会と世界との関係を重視する教会論が展開されている
③教会論が多様化している
④歴史の1点に凝縮した教会論が登場した:キュンクは「過去」に、バルト・ブルトマンは「現在」に、モルトマンは「未来」に、ゼメロートは「非歴史性」に、焦点を合わせた

 このようにみると、教会論はその研究対象も、研究方法も、まだまだ発展の途上にあるように思われる。長くなったので続きは次稿に回したい。



1 教会論は「教会憲章」によればマリア論やエキュメニズム論をも含むようだが、キリスト論と別立てて論ずるのはあまり意味が無いのかもしれない。岩島忠彦師はカトリック神学院で教義学を教えておられるようだが、専門は教会論とキリスト論だという。教義学には基礎神学や人間論も含まれるようだがその重要度は比較にならないようだ。
2 恐らくは『キリストの教会を問う』(1987) のことであろう。なお、この要約では、岩島師のお弟子さんの故増田裕志師の『カトリック教会論への招き』(2015)にも依拠しながら、両者の視点の違いにも目配りしてみたい。カトリック神学院(東京神学校)では濱田壮久師が跡をついでおられるようだ。教会論のさらなる発展を期待したい。
3 教会という用語は、キリスト教以外にも、仏教でも新興宗教(新宗教・新新宗教)でも使われることがあるのでイメージの統一はむずかしい。といっても、現代の日本では教会と言えばキリスト教の教会を連想することのほうが多いのではないだろうか。逆説的だが、内村鑑三の無教会主義は教会とはキリスト教のことだという理解を日本社会に定着させたのではないだろうか。
4 増田祐志「教会論ーキリストの教会とはー」増田祐志編『カトリック神学への招き』(2009)第10章 176頁。ここで増田師は教会を「共同体」と呼んでいる。宗教共同体の意味であろう。師自身が認めているように(『カトリック教会論への招き』3頁)、これは社会学で用いられる共同体概念とは必ずしも同じではない。とはいえ、これはヴェーバーやテンニースなどの社会学の問題であって、カトリック神学のなかで論ずる問題ではないのであろう。また実体としてみても、成人洗礼の比率が幼児洗礼より高い日本のカトリック教会にassociationの特性を見ることはできそうだが、神学の課題ではなさそうだ。
5 増田師は、教会論の研究対象は教会共同体だが、研究方法は①歴史分析②シンボル論のふたつだという。具体的には「社会学的・歴史的アプローチと神学的アプローチ」だという。詳細はいずれ触れるにして、教会論は歴史分析が中心のようだ。
6 こうしてみてみると『教会憲章』がいかに重要な位置を占めるかがよくわかる。この教会憲章は教会を「神の民」とし、従来の伝統的教会論のテーマ(位階制)だけではなく、信徒、修道者にふれ、終末論を展開している。また、マリア論、エキュメニズム論をも含んでいる。批判的に言う人はこれは従来の議論のごった煮だと評するらしい。教会憲章は教義憲章とも呼ばれ、教会の教義的性格を論じている。他方、教会の司牧的性格は『現代世界憲章』のなかで論じられている。これは司牧憲章と呼ばれているようだ。教会論は「教会の自己理解の展開の歴史」(増田 24頁)なのだという。
7 増田師によれば、このモデルは説明力が高く、特に追加された⑥モデル(弟子たちの共同体)というモデルは現代社会では広く受け入れられているという。A.Dulles, Models of the Church, 1987  邦訳はまだなさそうだ。

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遺伝子改変作物 ー ポストゲノム時代のパラダイムシフト(5)

2019-11-09 14:25:57 | 神学


③遺伝子改変作物(遺伝子組み換え作物)

 食品関係でラウンドアップ Roundup という言葉を聞かれたことがあるだろうか。スーパーで買い物をすると「遺伝子組み換えです」「遺伝子組み換えではありません」と表記された商品を手にすることが多くなった。ラウンドアップとは強力な除草剤のことで、それがもたらした効果と弊害(ヒトへの発がん性)は大きかったようだ。それに遺伝子操作により耐性をもつよう作られた作物を遺伝子組換え作物、ラウンドアップレディ Roudup Ready と呼ぶようだ。日本では大豆、トウモロコシ、ジャガイモなどで使われているようだ。

 今までのゲノム編集はもっぱら人間を対象とする話だった(1)。他方、ゲノム編集は遺伝子改変された農産物や水産物の開発の世界でも急速に進んでいるという。角が生えない乳牛、筋肉隆々の牛、病気に強い小麦や大豆の話など、われわれも見聞きしたことがある。人間に対するゲノム編集には厳しい眼が向けられているが、こういう遺伝子改変作物については現在のところまだ社会的にも、専門家の間でも、評価が定まっていないようだ。高垣氏は強い批判的視点をお持ちのように聞こえた。
 氏は、ラウンドアップに耐性をもつ GMO(Genetically Modified Organism 遺伝子組み換え作物)について説明に入られた。ラウンドアップはアメリカのモンサント社が1970年に開発した除草剤だが、2018年にはこれが原因でガンを発症したと訴えられ、敗訴。バイエル社に買収されたという。アメリカの農地の汚染がひどいことをいくつかの例を挙げながら詳しく説明された。
下図は、世界のGMO生産マップだという。

 

 


 氏は BT剤 の危険性についても少し説明された。BT剤とは、微生物を使った殺虫剤で、中国・インド・アメリカで広く汚染問題を引き起こしているという。
 細かいことは参考文献を読めと言うことで、まとめに入られた(2)。

④優生学 Eugenics

 高垣氏が最後に取り上げられたのは優生思想のことらしい。もっぱら優生学の説明をされ、「進化医学」 Evolutionary Medicine に言及された(3)。

 優生学というのは1883年にF・ゴルトン(ダーウインの従兄)が提唱した学問で、「自然選択説」の延長だという。「生物の遺伝構造を改良することで人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」と定義されるそうだ。社会運動として実行された点が興味深い。他方、人種差別や障害者差別を正当化する理論にもつながったらしい。

1881 A・G.ベル 聴覚障害は遺伝するので、遺伝しない結婚を奨励。移民の制限を提起。
1896 コネチカット州などでてんかん患者などの結婚を制限する結婚法。
1907 インディアナ州で断種法が制定。1923年まで全米32州が制定。
1910 ダベンポートがカーネギー研究所内に優生記録所を開設。
1933~45 ナチス政府による「不適格者」強制断種、強制的安楽死計画、積極的優生政策
        民族浄化政策
1948 日本 優生保護法(遺伝性疾患・精神病・精神薄弱ライ病者などに強制断種)
     1996年法改正で母体保護法に

 優生思想とは、身体的・精神的にすぐれた能力を持つ者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想のことだという。こう表現すると何か悪い思想のように聞こえるが、研究者の世界では難しい問題を提起しているようだ。
 例えば、出生前診断にもとづく妊娠中絶や、着床前診断は「胎児や受精卵の排除」であるのに対し、「ゲノム編集によるヒト受精胚の遺伝子変異の修正はそれ(遺伝性疾患)を回避できる可能性がある・・・科学的にすぐれた方法と言うことも出来る」(4)という意見も強いらしい。
 これは、優生思想を一概に悪い思想とは片付けられないということなのであろうか。それともゲノム編集は思想とは関係ありませんと言うことなのだろうか。「人が病気や障害を持って生まれないようにする」ことは大事だと思うが、こういう考え方自体が優生思想が入り込んでいる、というのだろうか。なにかポリティカルコレクトネスみたいに聞こえる。高垣氏は個人的意見ははっきりとは表明されなかったのでお考えはわからなかった。

 氏は最後に冗談を言われて締めくくられた。先日の講演会で質問があり、旧約聖書には女は男のあばら骨から作られたと書いてあるが(5)どう思うかと聞かれた。答えようがなかった。みなさん、そんな質問しないでください、というものであった。
 ということで、この後の質疑応答はかなり熱を帯びたものであった。私の印象に残ったのは、「人間の生命の誕生の瞬間は受精の瞬間か着床の瞬間か」という問いに氏が言下に「やはり着床でしょう」と答えておられたことだった。
 帰り道、友人といろいろと印象を語り合ったが、こういうゲノム編集についてカトリック教会は何と言っているのか知りたいものだということになった(6)。今回の講演会を開いてくださった栄光同窓カトリックの会に感謝すると共に、高垣氏の信者としてのさらなるご活躍を期待したい。



1 最先端の話題では、着床前診断、デザイナーベビー、エンハンスメント(強化) などの問題ががあるようだ。どれも「望ましい子ども」「すぐれた子ども」を作る技術だ。重篤な遺伝性疾患のある子どもを持つ親にしてみれば遺伝子治療は希望の光だろう。他方、そのために受精卵を選別することが倫理的にどこまで許されるのか。「先天的な難病は根絶されなければならないのか。障害を持って生まれてくることは悪いことなのか」。倫理学はなんと応えるのだろうか。
2 山田正彦 『売り渡される食の安全』(角川新書 2019)
3 井村裕夫『進化医学ー人への進化が生んだ疾患』(2013)
4 青野由利『ゲノム編集の光と闇』219頁 (2019)
5 「神である主は、人から取ったあばら骨で女を造り上げ、人のところへ連れて来られた」
  (創世記 2:22 聖書協会共同訳)
6 「しかし、カトリックのブックレットも触れていたように、フランス医学アカデミーはヒト胚・生殖細胞系列細胞へのゲノム編集による研究の必要性を強く打ち出している。・・・」香川知晶 「われわれはいかなる世界を望むのか」(Web) 『現代宗教』(2019)78頁 国際宗教研究所

 

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遺伝子治療からゲノム編集へ ー ポストゲノム時代のパラダイムシフト(4)

2019-11-08 21:24:48 | 神学

Ⅲ 環境とゲノムのせめぎ合い (共生細菌・エピゲミクス)

 ここでは高垣氏は、細菌とエピゲミクスの話をされた。環境とゲノムがせめぎ合っている例として腸内細菌を取り上げられたようだ。

①共生細菌

 現代人の腸内細菌は約800種あるという。腸の様々な疾患は腸内細菌種の分布との相関が検出されているそうだ。氏は出産後の細菌叢の形成が生涯にわたって影響を与えると言われた。要は早期出産はよくないという話のようだった。母胎から子どもへ細菌がきちんと伝えられないということらしい。
光岡知足『人の健康は腸内細菌で決まる』(技術評論社)を推薦しておられた。

②エピジェネティクス Epigenetics  後世遺伝学

 後世遺伝学とはDNAの上書き現象を研究する学問らしい。氏によると、「身体は、皮膚・胃・肝臓など様々な組織からできており、これらは別々の細胞(約200種)で構成されている。どの細胞も基本的には同じ遺伝情報をもっているのに、別々の細胞になれるのは、使う遺伝子と使わない遺伝子に目印をつけているからである。エピジェネティクスとは、これらの目印を解明する学問である」という。考えてみれば一つの細胞から別々の細胞が作られてくるのは不思議と言えば不思議だ。
 細胞内のDNAは「ピストン」と呼ばれるタンパク質に巻き付いて出来ているらしく、氏は図を使って説明された。とはいえ、「DNAのCGのCのメチル化」といわれても私には理解できなかった。国立遺伝学研究所や遺伝学電子博物館のホームページに入って勉強しろと言うので帰宅してから覗いてみた。内容は一般向けの部分もあり、理解はできないが、ホームページとしては面白い作りだった。


Ⅳ バイオサイエンスと倫理 (遺伝子診断・遺伝子改変作物・ゲノム編集)

 ここはわれわれ素人には一番興味を抱かせたセクションだった。と言っても、氏は、現状を淡々と説明しておられた。要は、遺伝子診断の時代から、ゲノム編集の時代に変わってきていると言うことらしい。

①遺伝子診断は、特定の疾患以外、フェイクサイエンスである

 ここでは氏はかなり断定的に遺伝子診断を批判しておられた。フェイクサイエンスというのだから厳しい。
 氏によると、遺伝子検査は、米国FDAが2013年に23&Me社を禁止し、豪州では2015年に禁止されたという(1)。2017年4月には、FDAは10種類の病気に限り遺伝子解析サービスを認可した。2018年3月には、FDAは23&Me社の消費者直送型テストキットを公式に認可したという。これは日本の新聞でも報道されたのでご記憶の方も多いであろう。

 MYCODE マイコード という言葉も聞いたことがあるだろうか。自宅でできる遺伝子検査、DNA検査のことらしい。
 神奈川県は平成27年に「未病市場創出促進事業」なるものを始めて、今年は5件の ME-BYO
が認可されたという(2)。

 氏は、病因遺伝子の発見方法を説明された。臨床遺伝学では病因遺伝子をもつ人の発病率を浸透率と呼ぶが、病因遺伝子をもっていても発病しない例がたくさんあり、モディファイアー遺伝子の存在などが想定されているという。

 この後、高垣氏は、遺伝子治療の歴史を説明された。1985年に米国でヒト遺伝子治療のガイドラインが作成され、日本では1993年に厚生省が「遺伝子治療ガイドライン」を作成した。1990年頃から治療が実施されたが、失敗例(白血病様症状発症)や死亡例があり、2000年頃から、遺伝子治療はがん細胞を標的とするものに集約されていったという。ところがこれも成功とは評価されず、現在は「潮流は、ES細胞やiPS細胞による再生医療に移った」という。

②ゲノム編集

 ゲノム編集はこういう混迷する遺伝子治療を打破するものとして登場してくる。繰り返すと、人間の身体は細胞からできており、DNAはその細胞のなかに含まれる。このDNAを操作するのが遺伝子治療だが、これは遺伝子を注入することはあっても編集したり、書き換えたりはしない。ゲノム編集は遺伝子を追加・挿入・修正・削除したりする技術のようだ。
 氏はこの違いは、遺伝子治療は「遺伝子導入」、ゲノム編集は「遺伝子修正」とよんで、以下の図を使いながら説明された。

 

 

 

私にはこの図を説明する力は無い。図の下の方に、従来の遺伝子治療の限界、ゲノム編集による遺伝子治療の可能性、ゲノム編集による遺伝子治療の課題、という欄があり、細かい説明が続いたが私にはフォローできなかった。
 なお、下段に新書本が紹介されている。青野由利『ゲノム編集の光と闇』(ちくま新書2019)だ。私もちょっと読んでみた。とても読みやすい本だが、次のテーマの遺伝子改変作物についてはほとんど触れられていないのが残念だった(3)。


1 FDAとは Food and Drug Administration アメリカ食品医療品局のこと。
なお、23&Me社とは、遺伝子検査サービスをしている会社らしい。
2 ME-BYOとは「未病」のことらしい。神奈川県はサミットを開くなど力を入れているようだ。
3 著者は科学ジャーナリストのようだが、本書は、例のニュース、「中国の科学者がゲノム編集した受精卵から双子の赤ちゃんを誕生させたと主張している・・・改変したのはエイズウイルスの感染に関わる遺伝子だという」と話から始まる。著者が言うように遺伝子治療された人間が住む「新世界」が「素晴らしい世界」になるのかどうか、興味のある方は本屋で拾い読みでもされてはいかがだろうか。

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