カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

イスラム教とキリスト教は和解できるのか ー イスラム教概論20(び合いの会)

2021-10-27 16:07:57 | 神学


 難しいテーマなのでS氏主張の論点のみを要約しておきたい。

イスラムはユダヤ教とキリスト教から発生した宗教であるから、キリスト教との共通点は多い。共通点と異なる点をまとめと次のようになる。

1 共通点

 ムハンマドは文盲だったとも言われ、聖書を読んだことも聖書朗読を聞いたこともなかったと言われる。ただ、ユダヤ教徒やキリスト教徒との交流を通じて聖書の内容は知っていたと思われる。 創世記25章に依拠して、アラブ人はアブラハムーイシュマイルの子孫と考えていたようだ。

教義上の共通点:
神の唯一性・偶像崇拝の禁止・無からの創造・天使と悪魔の存在・啓典の書・最後の審判・肉体の復活・永遠の生命・地獄の刑罰

預言者:
旧約聖書の多くの人物を預言者として認める:アダム・ノア・アブラハム・イサク・イシュマイル・ヤコブ・ヨゼフ・モーセ・ダビド・ソロモン・エリア・天使ガブリエル
新約からは:ザカリア・洗礼者ヨハネ・イエスとその母マリアへの言及

6信5行:
6信の内容もほぼ同じ。ただしカトリックは「予定」説をみとめない。
5行も類似:信仰告白・毎日5回の祈り(聖務日課)・喜捨(愛の献金)・断食・巡礼など

2 異なる点

①イスラムには原罪の思想がないので、贖い主(メシアーキリスト)の存在を必要としない。ムハンマドはあくまで使徒であり、人間であり、神的存在ではない。この点ではユダヤ教に近い。だから三位一体論がない。これはキリスト教との最大の相違点といえる。
②コーランは天使ガブリエルを通して伝えられた神の言葉そのもので、「一人称」で書かれている。新約聖書にはイエスの言葉が書かれているとはいえ、使徒たちの聞き伝えだ。新約聖書は基本的に初代教会の信徒の信仰告白である。
③共同体の在り方が異なる。イスラム共同体は宗教団体であると同時に政治的共同体でもある。政教一致だ。これに対しキリスト教は宗教団体であって政治的共同体ではない。

3 両者の関係

①ムハンマドはユダヤ教徒とキリスト教徒を啓典の民として認め、人頭税を支払うことと引き換えに宗教的自由と安全を保証した(1)。
②ムハンマドの死後、イスラム神学者たちはキリスト教との対決姿勢を強める。武力によってキリスト教徒を支配し、勢力を拡大した。
③十字軍は、セルジューク・トルコ(1038-1194)がキリスト教徒巡礼者を迫害したため、聖地をイスラム教徒から奪回する試みだった。ウルバン(ウルバヌス)2世教皇の説教(クレルモン教会会議 1095)が発端。この戦争の記憶が今日に至るまでイスラム教徒とキリスト教徒の友好の妨げとなっている。
④十字軍の後イスラム教徒はキリスト教世界を侵略する。オスマン・トルコは1453年にコンスタンチノープルを占領して、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)は滅亡した。15~17世紀には、ハンガリー・バルカン半島・北アフリカにまたがる大帝国を築き、キリスト教諸国を圧迫する。

 

【オスマン艦隊の山越え】

 

⑤現在は、イスラム諸国はイスラム圏外の国とも国交を樹立する。キリスト教世界との意見交換の気運も高まる。第2バチカン公会議は他宗教との対話を重視し、「教会はイスラム教徒を尊重する」と宣言する。現在多くのイスラム国家がバチカンと外交関係を持っている。両者の相互理解と対話促進が進んでいる(2)。



1 人頭税(head tax,poll tax)とは資産や納税能力に関係なく一人一人に一定額の税金を課すこと。物納もある。税額に貧富の差はない。しかも自由と安全を保証するのだからよいことのように聞こえるが、そういうわけでもない。人頭税の改廃が中世の歴史を貫いていく。尚、現在、人頭税の制度をとっている国はないといわれる。
2 S氏のこういう整理の仕方はあまりに護教的だとすぐに反論が出るだろう。日本の世界史関連の本では決して目にすることがない視点だからだ。また、現在の中近東、中央アジアのイスラム世界を見るとき、この整理は楽観的すぎると言う人もいるだろう。会の終了後質疑応答があったわけでもないので参加者の皆さんの意見は解らなかったが、異論がでたわけではない。歴史は和解と対決は二者択一ではないことを教えてくれている。

 

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イスラム王朝は復活するのか ー イスラム教概論19(学び合いの会)

2021-10-26 17:21:55 | 神学


 学び合いの会は7月以来三ヶ月ぶりに開催された。コロナ禍が収まりつつあるなか教会の集会室の扉が開かれたとはいえ、出席者は10人ほどであった。皆さん全員マスク姿で、雑談もままならない状態だった。

 今回のテーマは「イスラム教の歴史」と題されていた。イスラム世界の歴史をどのようにして通して語るのか、興味深いテーマだ(1)。
 キリスト教の歴史は、いろいろな語り方があるだろうが、結局は「教会史」だ。教会の歴史を学ぶことがキリスト教の歴史を学ぶことになる。
 ところが、イスラム教には教会や教皇庁に対応する組織がない。モスクを語ってもイスラムの歴史を語ることにはならない。それはイスラムの歴史は「帝国」または「国家」の歴史だからだ。帝国の成立と滅亡を語ることがイスラムの歴史を語ることになる(2)。

 帝国と言えば、イスラム世界の歴史は複雑すぎて全くわかりずらい。ローマ帝国→フランク王国→神聖ローマ帝国の流れで理解しやすい西欧史とは比較にならないほど複雑だ。あえて言えば、
アラブ帝国→イスラム帝国→トルコ帝国→民族独立 とでも言えるだろうか(3)。

 S氏は今日興味深い年表を示された。「イスラム王朝の交代表」である。イスラム世界に限定してまとめられているのが、通常の世界史対照年表と異なる(4)。
 この表を使いながらS氏は今日は、アラブ帝国(ウマイヤ朝 661-750)、イスラム帝国(アッバース朝 750-1258)にふれた後、後ウマイヤ朝(756-1031)、ファティーマ朝(909-1171)、マムルーク(奴隷軍人国家)を紹介された。そして話の中心はオスマン帝国(1299-1922)であった。歴代のイスラム帝国のなかで最強の、そして最後の世界帝国だ。そしてオスマン・トルコの支配は中世末期から20世紀まで実に600年におよぶ(5)。

1 オスマン・トルコの成立

 トルコ民族の祖先は遊牧民テユルク(トルコ)で、既に紀元前3世にはモンゴル高原で活動していたという。「鉄勒」と「突厥」の二つの民族がいたが、6世紀頃突厥を建国。その後継民族がウイグル族だという。モンゴルに負われて西・南下してイスラムと接触した。11世紀には西アジアを支配下に入れた。
1299 オスマン1世(1299-1326)即位 オスマン朝成立(オスマン家の王朝)
1389 第2代オルハン 第3代ムラト1世 コソヴォの戦い勝利
1453 コンスタンチノープル陥落(ビザンツ帝国滅亡) オスマン・トルコ世界帝国となる
1517 シリア・エジプト征服 メッカ・メディナ占拠 スルタン=カリフ制成立
1522 ロードス島攻略(ヨハネ騎士団マルタ島へ)
1538 地中海制海権獲得

2 トルコの西洋との出会い

1683 ウイーン再包囲失敗
1798 ナポレオンのエジプト遠征 中世以来のオスマンの西欧への優勢が逆転する
1699 カーロヴィッツ条約で初めて領土を喪失(対オーストリア・ポーランド・ヴェネチア)
 これ以降18世紀以来様々な近代化改革を試みる。これは社会のイスラム性を弱めた
1875 財政破綻 西欧列強の経済支配が強化
1876 憲法制定(ミドハト憲法)(6)
 バルカン半島でナショナリズムが高まり独立運動が始まる
ギリシャ独立(1830)・ルーマニア独立(1878)・ブルガリア独立(1908)
 やがて、オスマン主義からトルコ・ナショナリムへ替わり、トルコ共和国が世俗的国民国家として成立する(1923)。この共和国は脱イスラムで、ラテン文字を採用。服装の西洋化・スルタン制とカリフ制の廃止・シャリーア(イスラム法)の廃止が行われた。現在EU(欧州連合)の加盟国ではない。

3 ワッハーブとサウジ家のアラビア

 このあとサウジアラビアについても簡単に紹介された。現在のアラビアはサウジ家の支配下にあり、イスラム教のなかでもワッハーブ主義を国教とする。サウディ・アラビア王国として建国されるのは1932年だ。サウジアラビアは若い国であることを忘れてはならない。国王はメッカ、メディナの保護者を任じている。
 ワッハーブとは18世紀後半のイスラム法学者だ。急進的なイスラムの改革主義者だったようだ。ナジュドの豪族イブン・サウドはこの思想を受け入れて、宗教的・軍事的キャンペーンを興し、19世紀初頭にメッカとメディナを支配した。だがオスマン朝の命令を受けたエジプト軍によって滅ぼされた。そして20世紀初頭にイブン・サウドの子孫であるアブド・アルアジースによって再興された。これが現在のサウジアラビア王国で、絶対君主制国家である。

 

【イスラム王朝交替表】

 


1 YouTubeでは、予備校や塾の先生がイスラム教の歴史を上手に説明しておられる方が多い印象だ。世界史の話は、歴史全体についての知識が十分にないと個別の国や事件の説明はうまく出来ない。縦・横の関連をバランスよく説明するのは大変な作業だろう。高校の教科書のように流れに関係なくパラパラ説明されると全体が見えてこない。ましてやイスラム世界の話はカレントなテーマでもあるので、説明も慎重にならざるを得ない場合があるようだ。
2 帝国が解体して民族国家からなる現在のイスラム世界が単一の帝国に再編されるとは思えない。シーア派またはスンニ派が統一する、イラン・サウジアラビア・エジプト・トルコなどのどこかが統一する、タリバンやアルカイーダ・ヒズボラなどのイスラム過激派がイスラム世界を統一する、などという事態は誰も想定していない。それでもカリフ制の復活を夢見る人達がいる。
3 世界史音痴の私が言っているだけで、なんの根拠もない。
4 この表の出典は明記されていないのでわからない。
5 日本にはトルコ好きの人が多いようだが、理由はよくわからない。ヨーロッパには、特にドイツには、トルコ人が数百万人いるというが、近年の移民だけではなく、オスマン・トルコの時代から住み着いている人達も多いという。中央アジア(トルキスタン)にもイラン系、モンゴル系とならんでトルコ系が多いという(バシュトウン人・ウイグル人)。現在のエルドアン大統領はイスラム教とナショナリズムという本来は異なる(対立する)原理を結びつけてトルコの復活を夢見ているようにみえるが、専門家にはどう見えているのだろうか。
6 アジアで初めての憲法。ちなみに大日本帝国憲法発布は1889年。日本より約10年早い。

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主日ミサが再開された ー 2021年10月

2021-10-24 19:00:34 | 教会


 2021年(令和3年)4月に出された緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置が、 9月30日をもって全都道府県で解除された。これにともないわたしの所属教会でも10月9日からミサが再開された。これほど嬉しいことはなく、わたしの所属する「組」も今日24日のごミサに出てよいこととなった。
 喜び勇んでごミサに出てきた。それでも出席者は20名ほどであった。相変わらず「組」ごとの、つまり地区ごとの、分散ミサという形での再開である。
 コロナ禍後のミサの再開形式は、教区ごとに、小教区ごとに異なるようで、主任司祭の意向で(または教会委員会の意向で)多様なようだ。完全に元の形に戻った教会もあると聞くが、わたしの所属教会では分散ミサが続いている。いくつかの部会の教会活動も少しづつ動き始めたようだ。ミサがもとの形に戻るには時間がかかるのだろうが、とりあえずは今年の(来年の)待降節と降誕節は普通に迎えたいものだ。
 今日の福音朗読はマルコ10:46-52。イエスが「何をしてほしいのか」と問われる場面だ。神父様はお説教でいろいろと難しい説明をなさっていたが、正直なところ、私の願いは単純だ。「はやくもとのミサに戻りたい」。

【司祭メッセージ】

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