カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

流す涙はうれし涙がよい ー 「二人のローマ教皇」を観る

2019-12-19 22:08:06 | 映画


 映画「二人のローマ教皇」(The Two Popes) をみてきた。とにかく楽しい映画だった。カトリック映画らしくないほど笑わせてくれた。もちろん内容は深刻な話もあるが、監督がよいのか、俳優がよいのか、脚本がよいのか、楽しめる映画だった。

 映画は英・米・伊・アルゼンチン合作。ラテン語を含めいろいろな言語がでてくるようだが、二人の教皇ーベネディクト16世名誉教皇とベルゴリオ枢機卿(フランシスコ教皇))ーは原則英語で話していた。監督はフェルナンド・メイレレス、脚本はアンソニー・マッカーテンというらしいが、どういう人だか知らない。 ベネディクト16世役はアンソニー・ホプキンス、ベルゴリオ役はジョナサン・プライス。顔はどこか映画で見た覚えがある。特にフランシスコ役のブライスは実物そっくりなので驚いた。先日の東京ドームでの教皇ミサでフランシスコ教皇さまのしぐさを身近で拝見したので、よく似ているので感慨深かった。
 
 内容は、2012年に当時のローマ教皇だったベネディクト16世と、翌年に教皇の座を受け継ぐことになるホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿の間で行われた対話だ。二人の会話が中心となる。

「二人の教皇」

 


 司祭の性的虐待問題やヴァチカン銀行問題で信頼を失っていくベネディクト16世、ヴァチカンに不満を抱き枢機卿辞任の許可を求めるベルゴリオ。育ちも思想も全く異なる、または対立する二人が、対話を通してお互いに理解し合っていく過程を丁寧に描いている。二人のこの対談は実際にあったことらしいが、内容は公表されていないようだ。従って脚本は二人の著作などからすべて組み立てられたらしい。

 保守派 vs. 改革派 と言ってしまうと紋切り型になってしまう。ベネディクト16世の「苦悩」とベルゴリオ枢機卿の「悔恨」。特にベルゴリオの回想は、フランシスコ教皇の思想と行動の深さと幅広さの源を描いてくれて、この映画を重厚なものにしているようだ。昔の「ローマ法王になる日まで」より印象深い(1)。人生を生きるとはどういうことか、人生をふり返るとはどういうことか、自分が犯した罪をどう向き合ったらよいのか、赦されるとはどういうことなのか、ふたりの「人生」そのものが問いかけてくる。

 「妥協」か「変化」かで論争する二人。けんか別れかと思うと、ビートルズの話、ピザの話でもりあがる。サッカーワールドカップでのドイツとアルゼンチンの決勝戦をテレビビで鑑賞するふたり。映画の展開は緩急自在で、2時間はあっという間に過ぎた。

 二人の和解と友情を描いていると言ったら、あまりにも現実離れしていよう。小児性愛、トランスジェンダー、司祭独身制、女性の叙階、近代主義的思想や相対主義的価値観、などなど教会が直面している問題は共通でも、ふたりが見つめている教皇の姿は違うようだ。システィーナ礼拝堂が繰り返し出てくる。ミケランジェロが描いた神と人間の物語は、教皇という存在が何なのか、改めて問うてくる(2)。ベルゴリオが言う。「流す涙はうれし涙がよい」 (Make them tears of joy !)。

 もう一つ、この映画の話題の一つは Netflix が配給していることらしい。ロードショーは12月13日から始まったようだが、わたしは横浜でみてきた。netflixの配信は20日からだという(3)。わたしももう一度見てみようと思う。


1 この映画の原題 The Two Popes の邦訳は「二人のローマ教皇」だ。教皇という言葉が使われている。日本政府が「法王」から「教皇」に呼称を変える前からこの訳語を採用していたことになる。映画配給会社の先見の明を称えたい。
2 映画館の隣に座っていたご婦人方が映画終了後、「教皇ってこんなに人間くさいのかしら」と話し合っていた。この映画は信者向けだけではなさそうだ。映画へのカトリック中央協議会の推薦などもまだないようだ。
3 netflix と言われてもカト研の人にはよくわからない方もおられよう。これはどうも最近はやりの動画ストリーミングの配信サービルらしい。映画やテレビドラマがスマホ・テレビ・パソコンなどでどこでもいつでも見られるということらしい。Amazon prime などのユーザーならテレビでFire TVなどでなじみがあるだろう。または、飛行機の座席に着いている映画サービスといえばピントくるでしょうか。VOD (video on demand) というらしいが、DVDを借りて映画を見るとか、ビデオレコーダーにせっせと映画やドラマを録画して後から見るなんて言うのは、どうも遠い昔の話らしい。

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新約聖書における教会の自己理解(1)ー 教会論(5)

2019-12-18 10:13:25 | 教会


 第6・7・8章は教会の「本質」論となる。本質とは、新約聖書の中で教会はどのように自分自身を理解し、説明しているのか、という問いへの答えのことだ。岩島師は、①新しい神の民 ②キリストの体 ③聖霊の神殿 という3つの自己理解の仕方を示している。

第6章 教会の自己理解(その1)ー神の民ー

 教会は「神の民」といわれる。第二バチカン公会議以降よく使われるようになった。では、神の民とは誰のことなのか。一般的には「イスラエルの民」のことを指すと考えられているが、これはイスラエルの契約思想や選民思想にもとづいた表現のようだ。ではなぜイスラエルなのか。それはイスラエルが虐げられた、弱小の民族だったからだといわれる。新約聖書は、こういう旧約聖書の選民思想的な用法を引用しながらも、「キリストを信ずる者」たちが「神の民」だと規定し直していく。そして第2バチカン公会議は教会を「新しい神の民」と規定した。

Ⅰ エクレーシア

 エクレーシアという言葉は福音書にはほとんど登場しないが、書簡や黙示録には頻出する。カハル(集会のこと ヤーヴェのカハルとは神の民のこと)は、シナイの集会(出エジプト記24:3〜8)が原型といわれ、ギリシャ語ではエクレーシアとなる(1)。以下の特徴をもつという。

①政治的決定のための男子の集会
②70人訳ではカハルの訳として98回使われる
③新約聖書では、3つの用法があるという
a  キリスト者の集会(Ⅰコリント11−18,使徒5−11)
b キリスト者の地域共同体 (Ⅰコリント1−2)
c 全体教会 (使徒20〜28)


Ⅱ イスラエル

 イスラエルとは、 ヤサール(支配する)+エル(神) のことで、「神が支配する」という意味のようだ。
 旧約ではヘブライ民族の自称で、他民族からはヘブライ人と呼ばれた。アブラハムの孫ヤコブの別名でもあり、イスラエル12部族はどれもかれの息子の子孫とされる。
 新約では必ずしも教会を意味するとはかぎらないが、キリストの教会を表すこともあるという。

Ⅲ 神の民

 旧約では、イスラエルの民のことで、ユダヤ民族は神から特別に選ばれ、恩恵を受けるとされる(出エジプト記19:5〜6)
 新約では、旧約を引用して、それが教会を実現しているという間接的表現が多いという(Ⅱコリント6−16)


「契約の板」


Ⅳ その他の教会像

 その他にも教会を表すイメージ、喩えは多い。

1 羊飼い、羊の柵、羊の群れ(ヨハネ10章) 羊飼いと羊(ペテロ5:2〜4 教会指導者と信者)


「善き羊飼い」

 

2 ぶどうの木と枝 (ヨハネ15章)
3 家、建物、神殿

Ⅴ 「神の民」としての教会という自己理解

 教会は「神の民」であるという理解は第2ヴァチカン公会議で再確認された、新しい自己理解、自己規定であった。

この「神の民」教会論について、H・キュンクは次のように述べているという(2)。

1 教会が神の民ならば教会とは信徒のことであり、聖職者中心主義への批判的視点の基盤になる
2 個人主義的な教会理解への警告を意味する(グループで救われる)
3 人間抜きの教会観への批判を含んでいる つまり、教会を位階制、教義、秘跡を有する制度的機関とみなすことへの批判を含んでいる
4 「旅する教会」の主張:教会は固定した超歴史的存在ではなく、歴史的存在であることを示している(3)

 キュンクのこの説明は、教会は神の民だという第二バチカン公会議での自己理解がいかに革新的であったかを示している。また、それだけ批判と攻撃の対象にもなり得たことを示している。


第7章 教会の自己理解(その2)ーキリストの体ー

Ⅰ 肢体の喩え

 「教会はキリストの体」だという言い方は、教会の中ではよく聞く言葉だが、教会の外ではあまり聞かれない。基本的にはパウロの言葉なのだが(Ⅰコリント12:27)、教会を肢体に例えた表現である。
 ギリシャ思想の「諸器官に関するたとえ」が下敷きだそうだ。教会を体そのものというよりも、教会の「頭」が「キリスト」だという意味が含まれているようだ。パウロはさらに信徒はキリストの体の肢体であって、肢体の動きは多様であっても体は一つだといっているようだ。「器官と一つの体」は、「多くのカリスマと一つの教会」のたとえにもなる(4)。

Ⅱ キリストの花嫁

 「教会はキリストの花嫁」だという言い方は結婚式などでよく使われるので人口に膾炙した表現だろう。結婚の中に、男女の結びつきの中に、キリストと教会の関係が反映されているという考えだ。つまり、「キリストは教会の花婿」だという言い方になる。エフェソ5:30〜32がよく引用される。Ⅰコリント6:12〜20は男女の結びつきの比喩だ(5)。


「キリストの花嫁」

 

Ⅲ 新しい人類キリスト

 キリストは「第二のアダム」ともよばれる(ロマ書5:12〜21)。第一のアダム(創世記2:7)は人間に罪を、死をもたらしたが、第二のアダムであるイエス・キリストが人間を罪と死から救ってくれるという。第二のアダムは「最後のアダム」とも呼ばれる。

Ⅳ 祭儀ーキリストの体の具体化

 キリストと人を結びつけるものが洗礼であり(ロマ書6)、聖体祭儀である。
 「キリストの体」という表現はなにか神秘主義的なものを指しているのではない。
 よって、復活したキリストの現存が教会の本質ということになる。

第8章、聖霊の神殿(霊の被造物)としての教会 の要約は次回のテーマである。



1 エクレーシアが日本語で「教会」と訳されるようになった経緯はいろいろあるようだ。「天主堂」という言葉は建物を指すニュアンスが強いが、「教会」は人の集まりを指すニュアンスが強いように感じられる。「堂」と「会」の違いなのだろうか。御堂(みどう)とか聖堂(おみどう)という表現は私は今でも日常的に使う。「せいどう」と発音する人も多いようだ。そういえば、「召命」もいまは「しょうめい」と発音され、「めしだし」(召し出し)と読む人は少ない気がする。いつ頃起こった変化なのだろうか。
2 H・キュンクは、ラーナーと並んで、第2ヴァチカン公会議に大きな影響を与えた神学者のひとりだ。おそらく今でもカトリック神学者の中で最も人気があるのではないか(H・カー『二十世紀のカトリック神学』 2011)。公会議首位主義であり、教皇不可謬説批判で有名だ。教会論では、バルトの『教会教義学』に比肩しうるようなカトリック教会論をうちたてたと評価されている。1928年生まれだが、まだ元気なようだ。岩島師はキュンクを引用するくらいだから、評価は低くはないようだ。
3 『教会憲章』の第7章は、「旅する教会の終末的性格」と題されている。昔、カト研でも旅する教会とは何だと大いに議論したことを覚えている。部室に使った進駐軍のかまぼこ校舎は旅する教会そのものだった(?)。なお、第8章は「聖なる乙女マリアについて」と題されている。マリア論が教会論の一部とされているのは、不思議と言えば不思議だ。
4 これは現代風に言えば「身体論」だ。キリスト教は肉体と霊魂をわける二元論だという俗説があるが、聖書にはそのような記述はない。キリスト教では人間は「神の似姿」であり、肉体が復活すると信じている。心身二元論はデカルト以来の西欧思想の中核だが、西欧の現代哲学もこの心身二元論を克服しようとしているようだ。身体論はカトリック神学では霊性神学のテーマだ。
5 ジェンダー論からいえば、聖書は男性の視点から書かれている。当時の父権制社会が前提になっている。それでも「フェミニスト神学」は創世記やガラティア書のなかに男女平等の表現を見出そうとしているという。

 

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エルサレムの教会から異邦人の教会へ ー 教会論(4)

2019-12-17 11:13:54 | 教会


 第5章は原始教会の変貌の歴史を描く。使徒たちは、復活体験を経て、ユダヤ教の枠内にとどまりながらもエルサレムに独自の集団をつくる。やがて迫害の中でユダヤ教から徐々に離反していく。パレスチナへの宣教を開始し、使徒会議を開く。第一次ユダヤ戦争でエルサレムが破壊されるとエルサレム教会は消滅し、ここにキリスト教はユダヤ教から完全に決別し、独立していく。

Ⅰ エルサレムの原始教会

1 イエスの復活後、使徒たちはエルサレムに独自の集団を形成した。カハル(=エクレシア)が「旧約の民イスラエル」と呼ばれていたのに対抗して、自らを「キリストの真の民イスラエル」と呼んだ。

2 この集団はユダヤ教の枠内にとどまっていた。ユダヤ教の1グループで、似たようなグループは他にもあっただろう。彼らは共同生活を営んでいた(使徒言行録2:46)。

3 このグループは以下のような独自性を持っていた

①イエスの名による洗礼
②パン割き(聖体祭儀)
③独自の祈祷会(個人宅でおこなった)
④指導体制:長老制(1)をとった (12使徒・ペトロ・ヨハネ・兄弟ヤコブ)
⑤愛の共同体:所有物を共有していた

4 エルサレムの教会の自己理解

 イエスの死後(2)、おそらく70年代までおよそ40年間くらいは、ユダヤ教の枠内にとどまっていたが、自分たちを以下のように理解していたようだ。

①自分たちこそ「新しいエルサレム」、すなわち、「神の民」である
②ユダヤ教全体がこのエクレシア(教会)に改心することを期待していた
③万人が集まり、救いに与ることを期待していた

Ⅱ 原始教会のユダヤ教からの離反

 このエルサレムの教会は徐々にユダヤ教から離れていく

1 宣教と教会の発展

① エルサレムにおける3回の迫害

①37年 ステファノの殉教 エルサレムを追われ、サマリアへ逃げる
②44年 ペトロの捕縛 ヤコブの殉教
③62年 兄弟ヤコブの殉教

② パレスチナへの宣教
  最初の15年で教会は急速に拡大していく
  ガリラヤ・サマリア・トランス・ヨルダン フィリポカイザリア・ヤッファ・ガザ

③パウロとバルナバによる宣教
  38年 パウロの改心
  45年 小アジアへ宣教開始 当初はユダヤ人のみ やがて異邦人にも宣教する

④諸問題
  パウロの教会観とユダヤ人の教会観の違いが多くの問題を生み出す。問題解決のために会議が開かれる。

2 使徒会議 (49年)

 ユダヤ教の枠内での教会観は異邦人の教会観にあわない。使徒会議が開かれる。パウロとペテロ(のちに兄弟ヤコブ)の対決と言ったらいいすぎか。論争は一応の決着をみる。異邦人の教会が承認され、割礼とか食物規定などの律法遵守を求めないこととされた(使徒言行録15章、ガラテア2:1〜10)(3)。

3 決着

 第一次ユダヤ戦争(66〜70年)の結果、エルサレムは陥落し、破壊される。神殿祭儀は終焉する。エルサレム教会も消滅する。ここにユダヤ教とキリスト教は完全に袂を分かつことになった。

 

 

Ⅲ 離脱の神学的反省

 こういう歴史的経緯は神学的には次のような反省材料になっているという。

①エルサレム教会:ユダヤ人による神の民。ユダヤ人選民の完成を目指す
②パウロ:パウロは、ユダヤ人選民説を修正しつつも、ユダヤ人の救いの図式は捨てていない
③マタイとルカ:二人ともエルサレムの消滅が決着をつけたと考えた
マタイ:ユダヤ人を対象とする福音書ゆえ、ユダヤ教がキリスト教に止揚され、新しい律法となると説明した
ルカ:異邦人対象の書は3つの時代を想定していたという(H・コンツエルマンの説)
律法と預言者の時代ー>イエス・キリストの時代ー>聖霊/教会の時代(主の昇天から再臨まで)

④後期新約聖書:書簡は、「神の民」の称号を教会に与えている。イスラエルはもはや問題にしていない。

 第6章以下の「教会の自己理解」は次回に回したい。



1 長老制にはいろいろな特徴があるだろうが、基本的な特徴は合議制が段階的であることだ。改革派の組織原理だで、監督制とは対象的な組織原理だ。宗教改革後に西欧で発展した議会制民主主義と親和的だったという説明を取る人が多い。
2 30年4月7日という説が多いが、もちろん確定しているわけではない。
3 この使徒会議を第一回公会議とみなす議論も多いが、全地教会会議(First seven ecumenical councils)という意味では第一ニカイア公会議(325年)が第一回公会議である。

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教会は神の自己譲与 ー 教会論(3)

2019-12-16 16:51:07 | 教会

 12月の学びあいの会は岩島師の教会論の続きである。師の『キリストの教会を問う』がベースである。第4・5章は教会の「発生論」、第6・7・8章が「本質論」となるようだ(1)。発生論では、「使徒の教会」・「エルサレムの教会」・「異邦人の教会」の三者の違いが説明され、本質論では教会の自己理解が「神の民」・「キリストの体」・「聖霊の神殿」という三側面から説明される。S氏の紹介は丁寧なものだったが、かなり細かい話なので、ここではポイントのみを整理しておきたい。

第4章 教会の発生

 発生というのは聞き慣れない言葉だが、ここではイエスの復活体験を契機とした教会の誕生とユダヤ教からの脱皮・発展の過程を指しているようだ。

1 神の自己譲与である教会

 師は、教会は「神の自己譲与」(Selbstmitteilung Gottes)であるという視点から説明を始める。イエスの復活により教会が発生したのであり、教会は神の人間への自己譲与であるとする。神の自己譲与(譲渡)といわれても、カト研の皆さんにはわかりきったことでも、ピンとこない人もいるかもしれない。K・ラーナーの創造論によれば、神は世界を作ったとき、それを自分から切り離して対象化して被造物としたのではなく、神は本当に自分自身の存在を被造物に「譲与 mit-teilen 」したという(2)。

2 復活の出来事

 イエスの復活があってはじめて教会が生まれてくる。

①復活の性質 : イエスの復活を歴史的に客観化することは不可能だ。イエスの復活を見たという「復活体験 Ostererfahrung 」によってのみ、つまり信仰体験によってのみ、復活の意味は明らかになる。

②復活のテキスト:新約聖書における復活物語は三種類ある。この3つをきちんと識別することが大事だ。

A 復活のケリグマ:何箇所もあるが最も有名なのは、Ⅰコリント 15:3〜8 だろう。
B 空の墓 物語:4福音書全てに記載があるが、マタイ28:1〜15 の描写が感動的だ。
C 弟子への顕現物語:4福音書、使徒行伝、コリント前書に見られるが、マタイ28:16〜20 など描写は詳しくはない。

 聖書の記述に史実を求めるのは無理で、復活の証言は使徒の権威によって裏打ちされている。その弟子たちも復活体験のなかで変貌していく。

③復活体験の内容: 復活体験には以下の内容が含まれる

A 弟子たちは生前のイエスと同一のイエスに出会った
B イエスを神の子キリストだと確認した
C 聖霊を受け、罪をゆるされた
D 使命を受け、遣わされた

④ 復活体験の二重性 : 復活の体験は二重の意味を持っている

A イエス自身に起きた客観的出来事としての復活体験 : イエスが神の子とされた
B 体験者におきた主観的出来事としての復活体験 : 恵みと罪のゆるし

 つまり、神の自己譲与に対する最初の応答が教会の誕生である(3)。

3 使徒の教会

 教会はまず使徒の教会として生まれる。では、使徒とは誰か。これは難しい問題らしい。普通使われる「12使徒」はルカの用語であり、ルカは、最初にイエスによって選ばれた12人の弟子たち、という意味で使っている。ではパウロは使徒ではないのか。パウロは自分は使徒だと繰り返し主張している。ルカもパウロも、イエスの「兄弟(カトリックでは従兄弟)ヤコブ」を使徒と呼んでいない。また、女性の使徒もいたようだ。つまり、使徒の条件や定義は時代とともに変わってきたようだ。
 そこで岩島師は、使徒を次のように整理している。

A 教会全体を代表して送られた「使者」のこと:2コリント8:22〜24、フィリポ2−25
B 原始教会の「伝道者」
C 12使徒+パウロ

{最後の晩餐}

 

 新約聖書ではアポストロス(使徒)ということばは、マルコでは6:30のみ、マタイでは10:2のみでつかわれているにすぎない。だが、ルカは、福音書では7回、使徒言行録では28回用いているという。使徒はルカの言葉とさえ言えそうだが、これが歴史的には定着していった。
 パウロは12人と使徒を区別して、自分を使徒としている。使徒とは福音伝道の担い手のことと考えていたのだろう。使徒を復活したイエスと遭遇した者と考えるならもっとたくさんいただろう。イエスに選ばれた者という意味では12人ということになる。
 岩島師は幅広く捉えているようだが、要は、教会の基礎は使徒にあり、その歴史的一回性に特徴があるという。つまりその後に使徒はいない。

第5章のエルサレムの教会と異邦人の教会の話はは次回に回したい。



1 念の為に、本書の目次を掲げておく。

第1章―教会論の現状と目的
第2章―教会の本質とそこからくる方法論
第3章―生前のイエスと教会
第4章―教会の発生
第5章―エルサレムの教会と異邦人の教会
第6章―新約聖書における教会の自己理解Ⅰー新しい神の民
第7章―新約聖書における教会の自己理解Ⅱ-キリストの体
第8章―新約聖書における教会の自己理解Ⅲ-霊の被造物
第9章―新約聖書に見られる教会制度の確立
第10章―イエス・キリストによる教会の設立
第11章―教会の本質の自己実現について
第12章―古代教会の自己展開Ⅰ
第13章―古代教会の自己展開Ⅱ
第14章―古代教会の自己展開Ⅲ
第15章―「教会の外に救いなし」
第16章―中世教会の自己展開
第17章―近代教会の胎動
第18章―宗教改革と反宗教改革
第19章―第一バチカン公会議ー制度としての教会の完成
第20章―第二バチカン公会議ー世界に開かれた教会
第21章―教会の過去・現在・未来

2 ラーナーはさらに、この神の自己譲与には二種類あるという。①聖霊による実存的派遣 ②子(ロゴス)による歴史的派遣 の二種類だ。要は、神の自己譲与とはイエスのことである。
3 言うまでもないことだが、こういう教会論はカトリックの教会論である。信仰のみ、聖書のみを主張するプロテスタンティズムにはこのような教会理解は少ない。例えば、カルヴィンは、「目に見える教会」「目に見えない教会」の区別をして両者ともに重要とみなしたようだが、カトリックの教会論との比較は別の話題になる。

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大嘗宮は観光施設だった ー 宗教が消費される社会

2019-12-04 10:45:48 | 教会


 今日(12月3日)は晴天に恵まれたので、西洋美術館の「ハプスブルク展」を見るついでにと思い、皇居に大嘗宮をも訪ねた。ところがこれが思いがけず長い大行列で大混雑だった。

 大嘗宮(だいじょうきゅう)は先日の大嘗祭(新嘗祭)で用いられた施設で、大金をかけて作られた施設だがいずれ解体されるという(1)。11月21日から12月8日まで一般参賀が許されるというので訪ねたわけだ。もう公開も終わり間近なので空いているかと思いきや大混雑。参観者は東京駅から並んでおり、観光バスでくる人もいたらしく行列は長かった。手荷物の入場チョックもあり混雑はひどかった。結局2時間はかかったと思う。

 大嘗宮は思いがけず質素というか素朴な印象だった。「清明な建物」という印象であった。ここで受けた印象は、非人格的な、自然的な宗教性だった。神道の宗教性とはこういうものなのかもしれない(2)。

 他方、別の印象も持った。大嘗祭は宗教行事で、大嘗宮は祭祀施設、つまり、宗教施設とされていたので、賽銭箱でもあるのかと思ったが、そういうものはなく、われわれはただ通り過ぎるだけだった。警備のための宮内庁のお役人や皇宮警察とおぼしき人が、立ち止まらないで、写真は撮らないで、と叫んでいたが、言うことを聞いている人はいない。皆カメラやスマホで記念写真を撮っていた。手を合わせたり、お賽銭を上げたりする人はいなかった。これは完全に「観光施設」だと思った。天皇家は仏教徒だったというが、ここは神道の祭神がいるところであろう。神仏混淆の印象はなかった。

 神道は「宗教か習俗か」は決着のつかない争点だが(3)、ここが伊勢神宮や出雲大社とならぶ神道の重要施設とは思えなかった。参観する人は神社にお参りするという気分すら持っていなかったのではないか。すぐに解体され、この先数十年は見ることができない貴重な建物だから見ておこう、というのが大方の気分だったのではないか。現代の日本人は「無神論」者ではないにせよ「無宗教」の人が多く(4)、宗教は「消費の対象」になっているからではないかと思った(5)。

 

 

 このあと、上野に「ハプスブルク展」を見に行った。思いがけずここも混雑していた。1月26日までまだ開催期間は続くのに多くの人が来ていた。私は美術についてはまったく音痴なので詳しいことはわからないが、美術愛好家や歴史好きの人には貴重な展覧会なのであろう。そんな私でもA・デューラーやD・ベラスケスの絵はハプスブルク家の美術収集の功績の偉大さが伝わってきた。特にレンブラントの「使徒パウロ」(1636)は素晴らしかった。おそらくマリア・テレジアやマリー・アントワネットの肖像画におとらず、見る人を離さなかった。

 

 

 私はこの展覧会で強い印象を持ったことがある。それは、これらの絵はハプスブルク家を支えた宗教、カトリック、をぬきにして理解できないはずだ。政略結婚と宗教のかかわりだ。それが、どの絵の説明にも、音声ガイドにも、カトリックのカの字も出てこない。神聖ローマ帝国という言葉が数回出てきただけだった。私は主催者(朝日新聞、TBSなど)の一定の意思を感じたが、それは言いすぎで、これが美術展の標準的な説明の仕方なのであろうか(6)。ここでも宗教が美術の名のもとに「消費されている」と思った。なぜもう少しキリスト教とハプスブルク家のコレクションとの関わりを説明しないのであろうか。それともそれは当然の予備知識なのであろうか。

 今日は奇しくも神道とキリスト教の世界を見た。大嘗宮に行ったからどこか神社にお参りに行ってみようと思った人がいたのだろうか。ハプスブルク展をみたからどこかキリスト教の教会にでも行ってみようと思った人がいたのであろうか。恐らくいないであろう。現代日本は宗教が消費される時代なのだと思った。他方、それはそれで、これは豊かで平和な日本社会がたどりついた宗教との関わり方の到達点の姿なのかもしれない。

 思いがけず愚痴を連ねたが、まさに日本晴れの楽しい一日であった。


1  報道によると、大嘗祭は27億1900万円かかり、大嘗宮は19億900万円かかったという
2 どこか深い森を歩いているとき、または山の頂に登ったときに感じるあの静かな感覚だった。自分のなかに残っている日本人としての心性に触れられた気がして、なにかほっとした喜びがあった。
3 教会は現在は神道を宗教と見なしている。カトリック信者が神社で鈴を鳴らしたり、お賽銭をあげたり、お守りを買うことなどは許されない(『信教の自由と政教分離』中央協議会)。だが、例えば、新年に神社を訪れることは日本人の霊性として尊敬し、「共にかかわりを求める」行為だとしている(教皇庁「神道の皆様への新年の挨拶」)。
4 例えば、磯川全次『日本人は本当に無宗教なのか』2019 もまた、日本人の無宗教になった理由を国家神道にもとめる。国家神道がかっては事実上「国教」であったにもかかわらず「非宗教」とされてきたからだ。「無宗教」とは、特定の宗教団体に属していない、家に仏壇も神棚もない、宗教性のない葬式を受け入れている、迷信や占いを信ずるがそれを宗教とは思っていない、ことなどを指しているようだ。
5 消費社会論には色々あるようだが、要は、消費社会とはモノを大量に消費する社会という意味ではなく、消費行動が他者との「違い」を「記号」に求めることを意味するようだ。例えば、大嘗宮を訪れることは、「私はあなたとは違う」ことを確認する行為ということになる。今日の新聞によれば、大嘗宮を訪れた人は50万人弱で、平成の代替わりの時よりもすでに多いという。
6 美術史の叙述の仕方はこれがスタンダードなのかもしれない。とはいえ、別途販売されていた『公式図録』(¥2800)のなかの説明にはそれなりに宗教への言及はあった。『ハプスブルク帝国』(加藤雅彦著、河出書房新社、2018)のように、宗教や政治と関連させて説明している書物もあるようだ。美術史と政治史のちがいなのだろうか。

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