映画「二人のローマ教皇」(The Two Popes) をみてきた。とにかく楽しい映画だった。カトリック映画らしくないほど笑わせてくれた。もちろん内容は深刻な話もあるが、監督がよいのか、俳優がよいのか、脚本がよいのか、楽しめる映画だった。
映画は英・米・伊・アルゼンチン合作。ラテン語を含めいろいろな言語がでてくるようだが、二人の教皇ーベネディクト16世名誉教皇とベルゴリオ枢機卿(フランシスコ教皇))ーは原則英語で話していた。監督はフェルナンド・メイレレス、脚本はアンソニー・マッカーテンというらしいが、どういう人だか知らない。 ベネディクト16世役はアンソニー・ホプキンス、ベルゴリオ役はジョナサン・プライス。顔はどこか映画で見た覚えがある。特にフランシスコ役のブライスは実物そっくりなので驚いた。先日の東京ドームでの教皇ミサでフランシスコ教皇さまのしぐさを身近で拝見したので、よく似ているので感慨深かった。
内容は、2012年に当時のローマ教皇だったベネディクト16世と、翌年に教皇の座を受け継ぐことになるホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿の間で行われた対話だ。二人の会話が中心となる。
「二人の教皇」
司祭の性的虐待問題やヴァチカン銀行問題で信頼を失っていくベネディクト16世、ヴァチカンに不満を抱き枢機卿辞任の許可を求めるベルゴリオ。育ちも思想も全く異なる、または対立する二人が、対話を通してお互いに理解し合っていく過程を丁寧に描いている。二人のこの対談は実際にあったことらしいが、内容は公表されていないようだ。従って脚本は二人の著作などからすべて組み立てられたらしい。
保守派 vs. 改革派 と言ってしまうと紋切り型になってしまう。ベネディクト16世の「苦悩」とベルゴリオ枢機卿の「悔恨」。特にベルゴリオの回想は、フランシスコ教皇の思想と行動の深さと幅広さの源を描いてくれて、この映画を重厚なものにしているようだ。昔の「ローマ法王になる日まで」より印象深い(1)。人生を生きるとはどういうことか、人生をふり返るとはどういうことか、自分が犯した罪をどう向き合ったらよいのか、赦されるとはどういうことなのか、ふたりの「人生」そのものが問いかけてくる。
「妥協」か「変化」かで論争する二人。けんか別れかと思うと、ビートルズの話、ピザの話でもりあがる。サッカーワールドカップでのドイツとアルゼンチンの決勝戦をテレビビで鑑賞するふたり。映画の展開は緩急自在で、2時間はあっという間に過ぎた。
二人の和解と友情を描いていると言ったら、あまりにも現実離れしていよう。小児性愛、トランスジェンダー、司祭独身制、女性の叙階、近代主義的思想や相対主義的価値観、などなど教会が直面している問題は共通でも、ふたりが見つめている教皇の姿は違うようだ。システィーナ礼拝堂が繰り返し出てくる。ミケランジェロが描いた神と人間の物語は、教皇という存在が何なのか、改めて問うてくる(2)。ベルゴリオが言う。「流す涙はうれし涙がよい」 (Make them tears of joy !)。
もう一つ、この映画の話題の一つは Netflix が配給していることらしい。ロードショーは12月13日から始まったようだが、わたしは横浜でみてきた。netflixの配信は20日からだという(3)。わたしももう一度見てみようと思う。
注
1 この映画の原題 The Two Popes の邦訳は「二人のローマ教皇」だ。教皇という言葉が使われている。日本政府が「法王」から「教皇」に呼称を変える前からこの訳語を採用していたことになる。映画配給会社の先見の明を称えたい。
2 映画館の隣に座っていたご婦人方が映画終了後、「教皇ってこんなに人間くさいのかしら」と話し合っていた。この映画は信者向けだけではなさそうだ。映画へのカトリック中央協議会の推薦などもまだないようだ。
3 netflix と言われてもカト研の人にはよくわからない方もおられよう。これはどうも最近はやりの動画ストリーミングの配信サービルらしい。映画やテレビドラマがスマホ・テレビ・パソコンなどでどこでもいつでも見られるということらしい。Amazon prime などのユーザーならテレビでFire TVなどでなじみがあるだろう。または、飛行機の座席に着いている映画サービスといえばピントくるでしょうか。VOD (video on demand) というらしいが、DVDを借りて映画を見るとか、ビデオレコーダーにせっせと映画やドラマを録画して後から見るなんて言うのは、どうも遠い昔の話らしい。