カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

仏教とキリスト教ーカトリックからの評価(6)(学びあいの会)

2018-03-26 22:34:37 | 神学

 3月の学びあいの会は春爛漫の26日に開催された。市内どこも桜が五分咲きだ。参加者も10名と多かった。
 さて今回は仏教論の最終回ということで話題は盛りだくさんだった。まず、大乗経典の続きが紹介され、日本仏教の各宗派の特徴が概観され、最後に仏教徒キリスト教の比較がカトリックの視点からなされた。簡単に整理しておこう。

6 大乗経典(続き)

6・5 維摩経
 あまり知られていないが、最近改めて注目され始めた重要なお経らしい。聖徳太子によって日本で初めて解説されたお経だという。興福寺にある「維摩居士」の坐像で知られている。「維摩居士」とはこのお経の主人公で、釈迦の弟子でもなんでもない。盧舎那という街に住む普通の住民(架空の人物)で、この人が仏弟子をからかうドラマ風のお経だという。お経の成立は西暦紀元前後。部派仏教が盛んな時代に小乗仏教を徹底的に批判し、大乗仏教誕生のきっかけとなったという。出家者を中心として厳しい修行や哲学的思索を批判し、自分の救いよりは多くの人の救いを得ようとする運動(大乗仏教)の始まりだ。縁起、空、利他、など大乗仏教の中心概念が説かれているという。NHKの「100分de名著」でも読まれたというからよほど大事なお経なのであろう。

6・6 華厳経
 釈迦が、35歳で悟りを開いた7日後、普賢菩薩に覚りの内容を説いたものという。毘盧遮那仏の蓮華蔵世界を観察し、そこに赴くことを目的にしているという。蓮華蔵世界とは、世界の中心である毘盧遮那仏が無数の釈迦を生み出して衆生を救い続けるという世界のことだという。奈良東大寺にある盧舎那仏である。仏説としては、応身仏でななく法身仏であり、縁起説ではない性起説をとるという。

6・7 浄土三部経
 「仏説無量寿経」・「仏説観無量寿経」・「仏説阿弥陀経」を総称して浄土三部経と呼ぶ。浄土信仰の中心となる経典で、浄土教系の宗派で読まれる。阿弥陀経は天台宗でも読まれるという。「無量寿経」は阿弥陀如来のプロフィールが細かく説かれていて、極楽世界の設計図と呼ばれるらしい。浄土真宗で良く読まれるお経は「讃仏偈」とよばれるようだ。
 おなじく1~2世紀に西北インドで生まれた「阿弥陀経」は浄土三部経では最も短く、死後に往生する極楽浄土の世界を克明に描く。念仏を唱えればここに往生できると説いている。このため葬儀で読まれることが多いという。石塔などに刻まれる「倶会一処」は、死後みんなで一緒に極楽浄土で会いましょうという意味らしい。
 「観無量寿経」は4~5世紀に中央アジアで生まれ、極楽浄土に往生するための方法が説かれているという。特に16観のなかの第9である「真身観」は「真身願文」と呼ばれ、16観中の白眉とされているという。極楽世界の案内図と呼ばれるらしい。

6・8 涅槃経
 釈迦80歳での入滅を扱ったお経。小乗と大乗の二経があるという。色身の釈迦が法身になったのは衆生の救済のためと説かれているようだ。大乗涅槃経の教理は、①如来常住 無有変易 ②一切衆生 悉有仏性 ③常楽我浄 ④一闡提成仏(注1) だという。よく聞く言葉ではある。

6・9 大日経
 7~8世紀頃成立した真言密教経典の代表。真言三部経のひとつ。「大毘盧遮那成仏神変加持経」略して「大毘盧遮那経」のこと。大日如来の説法を説いたもの。大日如来は華厳経の毘盧遮那仏と同一の法身仏。全7巻36品のうち教義に関するのは「住心品」第一のみで、ここでは煩悩を捨てて浄らかな心を持つことの重要性が説かれている。そのほかはすべて典礼の説明に終始しているという。密教の実践行を事細かに説明してあるようだ。
注1 一闡提(いっせんだい)とは欲望を持つ者の意で、具体的には仏の教えを誹謗する者のことらしい


7 日本仏教の各宗派
 ここでは、日本仏教の各宗派の特徴が簡単に紹介された。周知の話で、特に変わった説明はなかった。

7・1 初期
1 仏教伝来は538年だが、聖徳太子の功績が強調された。聖徳太子の実在が問われているが、飛鳥白鳳時代の寺院仏教の重要性は変わらないという。
2 南都六宗 大乗では、三論宗(法隆寺、当麻寺、中観派)・法相宗(薬師寺、興福寺、唯識)・法華宗(東大寺、華厳経)、小乗では、律宗(唐招提寺、東大寺戒壇院、授戒)・倶舎宗(法相宗の付属)・成実宗(三論宗の付属)。現存するのは、法相宗、華厳宗、律宗の三宗という。

7・2 平安時代
1 天台宗 法華経を第一とするが、「朝題目・夕念仏」。台密と東密の比較が紹介された。
2 真言宗 教義は、六大(地水火風空識)と四柱曼荼羅。加持祈祷の意味が説明された。
3 浄土教 浄土教と浄土宗の区別が強調された。

7・3 鎌倉時代
 浄土宗、浄土真宗、時宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、が紹介される。問題は仏教研究の中でまだ決着がついていない鎌倉仏教の評価だ。S氏の立場は普通の鎌倉仏教中心論、鎌倉仏教革新論に近いように聞こえた。現代日本仏教を、葬式仏教・妻帯・経典不在の三点で批判するのは定石なので、当然の評価かもしれない。とはいえ、現代の論点なのでもう少し立ち入った議論、説明が欲しかった。

8 仏教とキリスト教 (カトリック大辞典より)

 仏教とキリスト教の関係の評価についてS氏は、個人的な考えを述べるのではなく、カトリック大辞典を紹介された。これもひとつの整理の仕方であろう。

8・1 カトリック教会の立場
 第二バチカン公会議の16文書のうち、「諸宗教宣言」の第2項で仏教に言及している。仏教は、本来、神概念のない宗教にもかかわらず無視し得ない存在としてとらえられている。なお、ここでの仏教はほとんど原始仏教を想定して書かれているようだ。
 教会の他宗教との関わり方は、①社会的・政治的次元 ②知的・学問的次元 ③哲学的・神学的次元 ④修道的・霊的次元 の4つの次元から検討されるが、仏教は修行に重きを置く宗教として③と④のテーマが主題となっているという。
8・2 比較
 キリスト教と仏教は本来全く異なった宗教なので比較は難しいとしている。原始仏教を想定しているからだろう。
8・3 創始者と教え

<キリスト教>                         <仏教>

イエス(神の子、真の神で真の人)               シッダルタ(人間)
神と神の国の告知                       自己救済、人間が自己に立ち返る道
ドグマ(教理)                        ダルマ(法) 教理よりも解脱
エクレシア(教会共同体 秘跡性)               サンガ(教団 秘跡性なし)
教会共同体の基本的重要性が高い                教団の重要性は低い
神が中心的位置を占める                    神々の否定
神の自己譲与 啓示                      修行による覚り
ロゴス ことば                        言語の否定
    ↓                           アートマン(自我)否定
神は自ら語りかけ、回答を求める                アナートマン(無我)
    ↓                               ↓
イエス・キリストの受肉                        瞑想
                                   ↓
                                   解脱
                                   ↓
                              無我 ニルバーナ 沈黙
ケノーシスのキリスト論                    空の思想
イエスの十字架の死                      シッダルタの覚り
過越の神秘                          瞑想
神秘主義の体験                        瞑想を通しての覚り

          *両者とも歴史上実在した人物による人類の救いの約束

8・3 世界に対する責任

8・3・1 
キリスト教の世界に対する責任はひたすら「愛」(アガペー)の道。他方、仏教は、知恵(prajna)と慈悲(karuna)の関係で論じる。知恵は自分を救うことを強調し、慈悲は他者を救うことを強調するので、その限りでは知恵と慈悲は緊張関係にある。解脱へ導く覚りの道を説く。
8・3・2
仏教には創造の概念は無い。したがって、創造主と被造物間の緊張関係はない。
また仏教には人格の概念が無い。悪は物事を判断する精神の問題とされ、キリスト教のように自然的悪と道徳的悪の区別がない。
8・3・3 社会的政治的行動
仏教に内在する世界に対する否定的態度から現実逃避的、悲観主義的と見られることもある。キリスト教の修道生活、特に観想修道会と似た面がある。
8・3・4 仏教から学ぶこと
仏教とキリスト教は以上のように異質のものながら、仏教の瞑想法、修行、マインドフルネスなどキリスト教が学ぶところは多い。

 以上が今回の報告の要旨である。特に質疑応答も無く終わった。カトリックからの仏教の評価は議論しだしたらキリが無いであろうが、今回はカトリック大辞典は原始仏教を念頭に置いて仏教を論じているらしく、質問はなかった。大乗仏教や禅をも射程にいれた議論をしてみたいものだ。たとえば、「キャソブー」(カトリックと仏教)、「神ブー」(神道と仏教)の登場など新しい動きもあるようだ。いずれ改めて取り上げてみたい。

コメント (1)
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