カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

仏教とキリスト教(3)(学びあいの会)

2018-01-27 11:16:08 | 神学

Ⅲ 修行と教団


 仏教教団の整理も難しそうだ。特に組織論として議論するのは難しそうだ。キリスト教のように聖座(使徒座)があるわけではないし、統一組織があるわけでもなさそうだ。本末制度(本山・末寺のヒエラルヒー)も歴史的議論が中心のようだ。
 仏教教団の特徴を整理するためにここでは「学派」と「宗派」という区別をたてておこう。仏教はインドで生まれたが、中国で発展した仏教はインド仏教そのものではない。取捨選択がなされ、土着化がなされる。それでもインド経典の翻訳解釈だから、どうしても研究集団、「学派」の性格をもっていたようだ。末法思想が広まって浄土信仰が強まると「挌技仏教」と呼ばれる中国化した仏教が生まれてきたらしい。それでも信仰集団とは呼べなかったようだ。やがて、天台宗の開祖智顗(ちぎ)が登場し、学派だらけの仏教をちゃんとした信仰集団に、「宗派」に、切り替えたようだ。そして智顗に教えを受けた最澄こそ日本の信仰集団としての宗派創設の始まりと言って良いらしい。ここに宗派としての日本仏教が動き始める。
 日本には538年に仏教が伝えられたが、そのまま入ってきて定着したわけではなさそうだ。奈良時代に成立したいわゆる「南都六宗」(法相宗・華厳宗・律宗・倶舎宗・成実宗・三論宗)は中国直輸入だから、宗派と言うよりはやはり経典研究を注とする研究集団、学派みたいなものだったらしい。例えば、法相宗は唯識論を研究する集団、律宗は戒律を研究する集団みたいで、諸宗兼学だったという。僧はあっちこっちに行って経を学んだわけだ。だがやがて仏教は日本文化にあわせて変化発展していく。日本仏教として、宗派として、きちんと独立するのは最澄・空海の密教を中心とする平安仏教以降のことと考えて良さそうだ。
 仏教の日本化は、従って、教義的には「諸法実相」論が基礎となり、「本地垂迹説」として現れてくる。諸法実相とは大乗仏教の思想で、原始仏教みたいにすべてが無だとか識だとか考えない。むしろ存在するものをすべてありのままに受け入れ、真実と認める。いってみれば現実主義的な思想だ。本地垂迹説では、日本の神は仏が姿を変えてこの世に現れたもの(権現)とされる。たとえば、天照大神は大日如来の化身だとされる。仏教の日本化はこうして始まったという。やがて日本の仏教は鎌倉仏教として発展していく。
 このように、教団論は結局どうしても日本の宗派の比較か、伝統教団と新教団(創価学会とか立正佼成会とか)の比較の話になってしまう。なにか視点を定めないとうまく整理できないようだ。

3・1 出家の生活様式

 そこでここでは、仏教における「修行」の意味の検討から始めてみたい。まず「三宝論」から入ってみよう。仏教徒の信仰の対象は「仏法僧の三宝」といわれる。三宝とは、仏法僧は仏教の宝物、という意味だ。「仏(ブッダ)」はシャカのことで、「法(ダルマ)」は教えのこと、そして「僧(サンガ)」は教団のことだ。具体的には仏は「仏像」、法は「経典」、僧は「寺院」ということになる。この三宝を信ずることを「三帰(依)」とよび、入信受戒のときの条件となるようだ。僧俄(サンガ samgha)が、つまり出家修行者の集団である教団が、信仰の対象であるというのは、教会を信仰の対象とみなすカトリックと似ていて興味深い。だがサンガは出家修行者の集団だ。本来は在家者を含まない。そこで、修行とはなにか、という問題にぶつかる。
 一般論で言えば、修行(spiritual exercise)とは宗教体験を通して宗教意識を高める精神的・身体的な営みといえよう。つまり身体を訓練すれば精神を変えることができるという考え方がないと修行は成立しない。キリスト教はどちらかといえば「霊肉二元論」が強いのでこの思考様式は弱いが(注1)、仏教は「心身一如論」をとるので、身体の訓練が精神を変えるという考え方に違和感を持たない。ところが、宗教の中には神や仏などの超越者が一方的に恩寵・恩恵を施し、人間側の努力や実践は救いには役立たないと考える立場もある。誤解を恐れずに言えば、恩寵のみのプロテスタントや絶対他力の浄土真宗だ。こういう考え方のなかからは修行というものは生まれてこない。他方、救いには人間の側の努力も必要だと考えれば修行が重視されてくる(注2)。日本人は汎神論的思考が強いので、一道に通じればすべてに通じる、宇宙に通じる、と考える。このため、仏教では、念仏・只管打坐・お題目などが重視される。また、宗教だけではなく、武道・茶道・書道など芸術や行でも修行が大事だと考えたがるようだ。
 修行は、精神(心)だけの修行と、身体の修行と、二つある。心の修行は、ウパニシャッドのヨガとか、仏教の座禅とか、キリスト教の黙想とかがあげられる。身体を使う修行としては巡礼のような歩行、写経があり、不眠のような苦行も入るかもしれない。
 仏教ではこの修行は、「三学」として定式化されている。三学とは「戒・定・慧(かいじょうえ)」という修行の項目のことだ。おのおの戒学・定学・慧学とよばれているという。戒とは五つあって「五戒」といわれ、「不殺生(ふせっしょう)・不偸盗(ふちゅうとう)・不淫・不妄語・不飲酒」からなる。なかなか厳しい戒律だ。定(じょう)とは心の安定、精神統一のための禅定のこと、慧(え)とは般若のこと、つまり真理を悟る知恵のことらしい。仏教の修行とはこの三学を修めることを意味する。
 では誰が修行するのか。それは出家だ。出家とは文字通り家を出て仏門に入ることを意味する。原始仏教の時代、出家はホームレスみたいなもので定住せず、労働せずだった。雨期にのみ数ヶ月定住しただけだったらしい。やがて定住して、精舎で集団生活をするようになる。自ら労働はしないのだから、外部からの援助支援がなければ生きていけない。
 教団を構成するサンガは出家だった。男性修行者は比丘、女性修行者は比丘尼とよばれ、生活は遍歴、つまりホームレスだ。持ち物も、三衣(さんね)・食鉢・座具・漉水袋(ろくすいたい)だけだという(注3)。
 出家して修行する者を「沙門」(しゃもん)と呼ぶ。僧侶のことだろう。修行者のなかで最高位の者を、小乗仏教(部派仏教)では「阿羅漢」(アラカン)とよぶ。聖者とも呼ばれるらしい。仏はシャカのみだ。つまり「覚った」のはシャカのみだ。他方、大乗仏教では成仏した仏を最高位の者と考えるようだ。

 今回は時間切れでここまでだった。詳しい教団論は次回以降ということになる。なお、参考までに、インド仏教の根本分裂の歴史、日本仏教の歴史と概要、主要宗派の比較表などを数枚載せておきました(注4)。

注1 キリスト教における霊肉二元論は議論し出すとキリが無いテーマで、神学の問題になってしまう。ジョンストン師は禅を学ぶことで、身体が、姿勢が、信仰に対して持つ重要性を再確認したと繰り返し述べている。かれは寒い冬でも作務衣を着ていた。
注2 カトリックでいえば善行論だ。キリスト教では、「修行」(praxis)は「修徳」(禁欲 askesis)の対概念で、修道者の節制・禁欲のすべてをさす。たとえば、断食・徹夜の祈り・霊的読書などで、清貧生活のすべてが含まれる。昔のドミニコ会の鞭打ち苦行も含まれるかもしれない。神学的に言えば、恩寵論対自由意志論の対立の話になる。
注3 キリスト教で発展した修道院、修道士と対比して考えると色々感想が浮かぶが、それは改めてふれてみたい。
注4 松濤弘道『』仏教の常識がわかる小辞典」2002

 

 

 

 

 

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仏教とキリスト教(2)(学びあいの会)

2018-01-25 16:20:45 | 神学

Ⅱ 仏教の教義

 仏教の教義をまとめるのは至難の業だ。ましてや、仏教に体系化された教義が存在するのか、阿含と上座部と大乗はどこが共通なのか、各宗派がいわば勝手に教義を展開しているだけではないか、などという根本的な問いも出てくるだろう(注1)。それを承知でS氏は以下の11項目を教義として整理された。

 ところで、お経には小乗経典と大乗経典がある。前者は阿含教とも呼ばれ、シャカ在世当時の教えなどを集めた経典で、『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう)が有名だという。『ジャータカ』も有名で、その中のいくつかのシャカの逸話はイソップ物語や日本の『今昔物語』にも入っているという。大乗経典は『大般若経』『法華経』『浄土三部経』などが有名だという。キリスト教ならとにかく『新約聖書』から読み始めるわけだが、では仏教では何から読み始めるものなのだろう。『般若心経』『歎異抄』『正法眼蔵随聞記』などがすぐ思い浮かぶが、それらが仏教を学ぶ最初のお経、入門書として妥当なのだろうか。『般若心経』は浄土真宗では決して読まれないという。『法華経』(観世音菩薩普門品第二十五)も各宗派で良く読まれ、『般若心経』とともにポピュラーなお経らしいが、私はいままで読む機会はなかった。第一どこでどう手に入れたら良いかもわからない。
 この状況は日本仏教の特徴なのだろうか。奈良仏教は「南都六宗」とよばれ、「諸宗兼学」で僧侶は複数の宗派に同時に所属していたという。他宗のお経も学んでいたわけだ。六宗といっても現存しているのは、薬師寺・興福寺を本山とする法相宗、東大寺を本山とする華厳宗、唐招提寺を本山とする律宗の3宗派だけだという。天台・真言の平安仏教ではさすがこういう重複所属は消えたようだが、鎌倉仏教になると独立した信仰集団としての性格が強くなり、読まれる中心的なお経も個別化していったのであろう。鎌倉仏教は日本仏教を強化したとその革新性が強調されることが多いが、あまりに強調しすぎると仏教の本質や共通性が見えづらくなると批判する研究者も出てきているようだ(末木文美士『思想としての近代仏教』2017)。
 つまり仏教の教義は体系化されていない。いろいろな説が出されているが、どうしてもまとめずらい。S氏のまとめも以下のように教義の羅列になってしまうのはいたしかたない。

2.1 四法印

 諸行無常(一歳の者は常に変化する)
 諸法無我(法とは物のこと、我とは実体のこと すべての物には実体がない)
 涅槃寂静(煩悩の火を消し、覚りの世界に到達する)
この三つを三法印と呼んで仏教の根幹をなす思想とする説と、
 一切行苦(すべては苦)
を含めて四法印とする説もあるらしい。法印とは仏教の教えのしるしのことで、仏教の教義の基礎をなす根本教説という意味のようだ。

2.2 縁起説

 これも根本教理の一つで、老死に代表される人間の苦悩はなぜもたらされ、どうすればこの苦悩から解放されるのかという問いへの仏教の答えである。縁起論争は原始仏教・部派仏教・大乗仏教のすべてを通じてみられ、現代の仏教思想史研究でも中心的テーマになっているという。つまりは今でもさまざまな解釈が展開されているということであろう。
 原始仏教では「十二支縁起説」が成立し、これが正統な説として広がったという。縁起とは、個々の法(ダルマ)ではなく、法と法の間の因果関係のことだから、縁起支は12個で定着したようだ。十二支とは、無明(無知)・行(意志的行為)・識(認識機能)・名識(みょうしき 名称と形態)・六入処(6種の感覚機能)・蝕(対象との接触)・受(苦楽の感受)・愛(渇愛)・取(執着)・有(生存)・生(生まれ生きる)・老死。これらが系列的に生起して(因果関係となって)老死にいたるということらしい。つまり、最後は、「生」の消滅によって「老死」が消滅し、苦しみが解決されるというロジックらしい。「還滅の系列」と呼ばれるようだ(岩波哲学思想事典)。
 興味深いのは、ここでの「愛」が渇愛とされ、内容は、欲愛(感覚的快楽)・有愛(自己愛)・無有愛(虚無への愛)とされている点だ。キリスト教は love を「愛」と訳したが、愛とは情欲を連想させるので適訳ではないという議論は、この縁起説にまでさかのぼれるのだという。今更訳語を変えることはできないし、実際、現代日本では、「愛」の内実はアガペーに変わりつつあるのではないか。

2・3 四諦説

 すでに触れたが、諦とは真理のこと。苦集滅道からなる。
苦諦:人生は苦しみに満ちている
集諦:現世は「五蘊」の集積である。人間と現象界の存在すべてを構成する5種類の原理。色・受・想・行・識の五つ。すべての存在は五蘊から成立しているから「無我」であるという。『般若心経』では「五蘊皆空」といって、自我への執着を厳しく戒めている。
滅諦:煩悩を滅する
道諦:修行の道 八正道のこと

2・4 煩悩論

 煩悩とは心身を悩ませるすべての心理作用。百八煩悩とかいわれ、たくさんあるようだ。主なものとして、貪欲(むさぼり)、瞋恚(しんい 怒り・恨み)、愚痴(無明)、見(仏教以外の誤った考え)、が紹介された。

2・5 輪廻

 輪廻とは死と再生を繰り返し続けることで、車輪の回転にたとえているという。ヴェーダにもみられるインド思想で、原始仏教に流れ込む。原始仏教では死後の問題は「無記」として退けられている(死後どうなるかなんて考えても無駄という教え)。他方、大乗仏教では、六道(六趣)輪廻として、天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界を回るという。日本でも定着した考えだ。仏教は無我説をとるので、つまり、固定した自我とか自己は存在しないと考えるので、業(ごう)の思想が輪廻の思想と混ざると何が輪廻するするのか、という問題が浮上する。仏教は霊魂の存在を認めないのだから(死んだらお終い、死体に意味は無い、キリスト教が言う肉体の復活なんて想像すらできないらしい)、何が輪廻するのかを明らかにするのは仏教教理の大問題らしい。

2・6 空の思想

 空の思想は、原始仏教でも禅定(禅)をなす場所という意味で実践的な性格が強かったという。やがて、無我説に基づいて五蘊からなる世間を空とみなす考えが生まれる。けれども、空の思想は、普通、大乗仏教の根本教理とされる。特に般若経の空の思想、中観派(ナーガルジュナ、龍樹)の空の思想が中核となっているという。般若経は実践徳目としての知恵の完成(般若波羅蜜)を重視する。悟りや涅槃などあらゆるものへの無執着の状態を「空」と呼んだ。
 龍樹(ナーガルジュ AD150~250頃)は縁起論にもとづくこの般若経の空概念を批判し、すべては時間的・空間的に他との関連性においてのみ存在するとした。実体や本体の固定性を認めない。相関主義とでも呼べそうな思想だ。中観派の中観とは存在と非存在の中道のことで、最高の真理は言葉では言い表せないとした。「空性(くうしょう)」と「自性」を唱え、主観・客観の2要素は空であるとした。かれの『中論』は中村元訳で今でも良く読まれるようだ。
 こういう主張は、キリスト教からは「否定神学」との類似性、共通性が繰り返し指摘されている。ジョンストン師も「空」や「無」の思想を否定神学の視点から検討し、その摂取を試みている(『愛と英知の道』第10章)。だが、否定神学は肯定神学との対立の中で発達してきたのであり、例えばナーガルジュの八不中道説は否定神学とは言えないように思えるがどうだろうか(橋爪・大沢『ゆかいな仏教』2013)。

2・7 五蘊の思想

 すでに触れたようにすべての存在は「五蘊」から成り立っているため「無我」であると説かれる。五蘊とは、色(身体)・受(感覚)・想(表象)・行(意志)・誠(心)のことをさす。これは仏教の人間論、自我論といえるようだ。

2・8 三蔵

 これもすでにみたように、経・律・論のことで、この三つがそろってはじめて仏教の教理が成立するという。日本で良く読まれるお経の解説書はかなりあるようだが、お経は漢文書き下し文でちょっと簡単には手が出ない(注2)。

2・9 三身論(さんじん論)

 ゴータマ・シッダルータは悟りを得て仏陀(ブッダ)になった。新しいブッダ論は特に法華教で展開されたようだ。三身論である。これはブッダの「仏身論」で、ブッダの身体を二つとか三つにわけて論じる議論だ。原始仏教の仏身論は法身・色身の二身論だったが、大乗仏教では三身論となる。ゴータマは悟りを得て涅槃に行ってしまった。でも現世にもいる。どうしてあっちにもこっちにもいられるのか、という問いであろう。仏とは、ゴータマであり、宇宙の真理であり、かつ覚者でもある(注3)。大乗仏教では、①宇宙・自然の真理(仏性)を「法身」とよび、時間と空間を超越した真理と合体して悟りや救いを得る、②その属性(機能)を「報身」とよび、仏性の働きである知恵と慈悲心を感得する、③この世で悟ったシャカを「応身」と呼び、悟りを開いたシャカの姿を見る、つまり歴史上のシャカ、と区別した。仏はこのように三種類に分けられるが(注4)、すべての仏は宇宙の法の働きから「かくの如く来たれる」という意味で「如来」と名付けられる。①は毘盧遮那仏(如来)、②は阿弥陀仏(如来)、③は釈迦牟尼仏だ。どうもこの順番で偉いようだ。
 日本では、人は死ぬと成仏してホトケになる、と信じられている。これは一種の民間信仰だろうが、仏教はこの民間信仰に適合するために三身説を強調したようだ。このため日本では三身説は広く受け入れられていった。日本の大乗仏教ではこのためいろいろな仏像が造られてきている。これは三身の仏にすがる人が、目的に応じて三身の見分けがつきやすいように造られたのであろう。しかし鎌倉仏教以降、各宗派の自立性が高まってくると多くの仏典のなかから「教相判釈」(教判)をおこない、自分たちの宗旨に合う本尊仏をまつるようになる。結果、宗派や寺院ごとに別々のいろいろなご本尊が生まれ、いろいろな仏像が拝まれるようになった。このため、外部の人間にとっては何が何の仏様なのかわからなくなってしまったようだ。現在でも自分の家の宗派のご本尊がなにかわからない人が多いのではないだろうか。

2・10 菩薩

 三身の仏の脇仏として侍ったのが「菩薩」だ。だから菩薩は大乗仏教にしかいない。仏教の修行者という意味で使われることもあるが、本来は成仏を求める人を助けるのが菩薩で、観世音菩薩や地蔵菩薩が代表例だ。涅槃から救済のために降ってきたとも説明される。如来の前段階みたいな存在らしい。報告後の討論で、菩薩はカトリックでいう取りなしをする聖人みたいな機能をはたしているのではないかという質問があり、話ははずんだ。
2・11 唯識論

 唯識論は、「空の思想」とならんで大乗仏教の根幹をなす思想だ。理解が難しい思想といわれる。人は輪廻するが、死んで輪廻するのは霊魂、魂、ではない。仏教は霊魂の存在を認めていない。だが、死んで消えるのは、意識の部分で、その下に、いわば無意識の部分が存在する。輪廻し、再生するのはこの無意識の部分だと考える。つまり、人間精神はいくつかの層からなっていると考える。唯識とはこういう層をなした人間の意識・無意識を指すようだ。唯識論を定義的にいえば、すべての存在は我々の心の本体である「識」によって仮に作り出されたものに過ぎないという説である。なにか観念論風に聞こえるが、実は一種の心理学のようだ。まるでフロイトやユングの話を聞いているようである。
 唯識では人間の心は八段階に区別される。まず五識がある。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識で、これは普通の知覚のことだ。ついで、意識が加わって、眼耳鼻舌身意の六識がある。この下にあるのが七識のマナ識で、深層心理学風に言えば「自我」の部分だろう。、さらにその下にあるのがアーラヤ識(阿賴耶識)で、最も理解説明が困難な識という。言ってみれば、生まれる前の自分、私という自己意識の前の自分が持っている生命、精神という感じだ。前世の自分といっては言い過ぎか。輪廻転生するのはこの部分なのかもしれない。いずれにせよフロイトのイドではないようだ(注5)。
 唯識思想は玄奘三蔵が七世紀にインドに行って学んで中国に伝えた。日本には奈良時代に入り、法相宗の興福寺を中心に広まったという。現代日本人が輪廻思想をそのまま受け入れているとは思えないが、唯識論が持つ徹底した「反実在論」は広くうけいれられているのではないだろうか。認識する主体である自分の心から独立した実在、存在を認めない。客観的な実在と思えるものも結局は心が作ったもので、人が異なれば、心が異なれば、違ったものが見えてくる。こういうどちらかと言えば主観主義的な見方は広く受け入れられているのではないか。社会学で言えば、一世を風靡した「社会構築主義」(Social Constructionism)が思い起こされる。この学派は、実証主義が主流の社会学の世界ではそれなりの位置を占めていた時代があったし、現在でも生きている。また、社会学を離れて一般的に言っても、あまり自覚はされていないが、唯識論的思考は現在も生きているように思える。

 以上のようなS師のまとめは興味深かった。といっても教義が体系化していないのだからこの要約にも体系性はない。どちらかといえば外国の宗教学風の整理の仕方という印象を持った。例えば、密教が取り上げられていない。唯識論は触れているが、『大乗起信論』はでてこない。鎌倉仏教や禅がでてこない。会の今後の議論の展開に期待したい。

注1 カトリックからみると、仏教には体系化され、統一された教義がない。だから、正統と異端の区別がない。仏教の異端なんて聞いたことがない。組織も教団ごとで統一組織がない。したがって教区に対応するような地域集団がない。これは次の第三講でもう少し言及してみたい。
注2 瓜生中『よくわかるお経読本』2014、 由木義文『よくわかるお経の本』など、専門家で無い人向けの解説本ですらとっつきにくい。
注3 仏教では「覚者」(覚った人)が最高存在だが、キリスト教では、「知者」(sapiens)が最高存在とされる。知者とは「英知」という「徳」を身につけたもののことだ。知者は、最高原因である神を中心とした宇宙全体の秩序を認識しうる(山本芳久『トマス・アクィナスー理性と神秘』2017)。
注4 キリスト教の「三位一体論」では、神は三つの「位格」(ペルソナ)を持つのであり、仏身論のような「身(体)」ではない。
注5 ジョンストン師は、空や無についてはあれだけ詳細に語っているのに、唯識思想については明確には語っていない。だが、師は意識や無意識の下にさらに別の世界、「神秘の領域」、があると繰り返し述べている。「人間の深奥部に隠れているこの偉大な神秘について、心理学は語ることができません・・・仏性とか三位一体について話す場合は、科学から信仰へと方向転換しなければなりません」(『愛と英知の道』329頁)。師は唯識論を知っていたのではないだろうか。

 

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仏教とキリスト教(1)(学びあいの会)

2018-01-23 22:08:40 | 神学

 2018年度の学びあいの会は仏教を取り上げることになった。3回連続の予定で、一月は第一回目で (1)仏教とはなにか と題されていた。ほとんど雪の降らない当地でも今日22日は朝から雪に見舞われた。雪の中、いつも通りの顔がそろった。予定としては以下の順番で論じられるという。○始めに ①概略(仏教とは何か)②仏教の教義③教団④日本の仏教史⑤宗派⑥大乗経典⑦日本仏教⑧キリスト教との対比。盛りだくさんのテーマで、展開が楽しみである。

 カテキスタのS氏はまず「はじめに」として、「なぜ仏教を学ぶのか」という問いから入られた。重い問いである。

 報告の紹介に入る前に、わたしの要約の視点を少し記しておきたい。私見によれば、クリスチャンによる仏教論はあまたあれど、仏教徒や僧侶によるキリスト教論は数少ない(注1)。そのなかでわれわれはカトリックの立場から仏教を学ぶ。信仰を持つ者の宗教論と、信仰を持たない者の宗教論とのあいだに違いがあるのかどうかを巡っては果てしなく議論が続いているが、この学びあいの会の立場性ははっきりしている。カトリックサイドからの議論である。中立性や実証性を装う宗教学を避けるわけではないが、かといって護教論的立場に立つわけでもない。現代日本の神仏習合的社会環境のなかで生きざるを得ないカトリックとして、虚心に仏教を学ぼうということである。
 家に仏壇を持ち、機会あるごとにお墓参りをし、仏式の葬儀に出ることの多い多くの日本人のとり、仏教のイメージは何なのか。仏教について何を知っているのか。自分の家の宗派もおぼつかない人がいるのではないか。現代日本人は仏教を、知っているようで実はなにも知らないのではないか。カトリック信徒でも成人洗礼の場合は家に仏壇がある環境で育った人も多いことだろう。仏教のことを知っているようで知らないという点ではあまり違いはないのではないか。家に仏壇のあるカトリック信徒。死んだらお寺のお墓に入らざるを得ないカトリック信徒。カトリック教会の宣教を担う信徒の中にはこういう人たちもいることを忘れてはならない。
 カトリックとして仏教を論じる時、私は三点が特に気になっている。一つは、仏教一般またはインド仏教と日本仏教をきちんと区別して考えたい。そんな明確な区別は無理だといわれても、日本のカトリック信徒が直面しているのは日本仏教だから。第二に、仏教とキリスト教の違いとか、似ている点とかに、目を向けすぎたくない。あそこが違う、ここが似ているといくらあげていっても、ああそうですか、で終わってしまう。われわれが求めるのは「日本的霊性」の発見であり、日本のキリスト教が、日本の仏教が、日本的霊性をどのように捉え、摂取し、発展させているか、を知りたい。日本のキリスト教は日本的霊性を糧にして発展していく以外に道はない。第三に、仏教とキリスト教の比較はどうしても教理・教義・神学が中心になってしまう。それはそれで大事だが、同時に信徒の社会的特性や聖職者の社会的背景などにも目を向けたい。この点では宗教社会学の知見はぜひ学んでみたいものである。

 さて、本題に入ろう。S氏は、「はじめに」の第一点として、「なぜ仏教を学ぶのか」という問いを掲げた。自分の意見として4点を指摘された。①現代は「諸宗教の神学」の時代だから ②仏教はキリスト教、イスラームとならぶ世界三大宗教だから ③仏教が日本の精神文化に与えた影響が大きいから ④仏教研究を通してキリスト教信仰を再確認したいから。
 どれももっともな指摘だが、①は若干の注釈が必要だろう。カトリック教会は仏教やイスラームなど他宗教に対する態度を、第二バチカン公会議で大きく変えた。それ以前の、他宗教をいわば邪宗扱いする独善的立場を放棄し、現在は、「他宗教に対する尊敬」、「他宗教との対話」がベースになっている。第二バチカン公会議での『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』には次のように書かれている(『カトリック教会の教え』2003 314頁にも引用されている 詳しくは『第二バチカン公会議教会憲章』2014)。

カトリック教会は、これらの諸宗教の中に見いだされる真実で尊いものを何も排斥しない。これらの諸宗教の行動と生活の様式、戒律と教義を、まじめな尊敬の念をもって考察する・・・他の宗教の信奉者との話し合いと協力を通して、彼らのもとに見いだされる精神的、道徳的富および社会的、文化的価値を認め、保存し、さらに推進するように勧告する。

 他宗教への尊敬と対話、これがカトリック教会の基本的態度である。あまり良い例ではないかもしれないが、例えば、友人が神社にお参りに行くとする。友人だから一緒についていく。友人はお賽銭を上げ、おみくじを引き、お守りを買ったりするかもしれない。自分が拝んだり、おみくじを引いたり、お守りを買ったりはしないが、友人がそうすることを止めたりはしない。友人の信仰を尊敬しているからだ。これは日常的に見られる光景であろう。

 「はじめに」の二点目として、S氏は「非仏教徒による仏教研究の限界」を指摘された。クリスチャンによる仏教論には限界があるという一般論であるとともに、自分はカトリックだから自分の仏教理解には限界があるという謙虚さの表明でもあろう。実際この学びあいの会には、仏教の某宗派の本山で責任ある地位についておられ、やがてカトリックの洗礼を受けられた方もおられ、当日も出席しておられた。他方、僧籍をもつ人は、自分の所属する宗派については教義も組織についても詳しいが、他の宗派についてはほとんど知らない、関心が無いという人も多いという。僧侶だから仏教一般について語れるというわけでもなさそうだ。例えば、真言宗のお坊さんが浄土真宗について非排他的に何を語れるのか、という問いにつながる。われわれカトリックからの仏教論は謙虚でなければならないという指摘だと受け止めた。

Ⅰ 仏教徒は何か(概略)

1・1 インド思想の時代区分

 仏教は紀元前にインドで生まれ、紀元前後に1000年にわたり隆盛を極め、13世紀頃完全に姿を消していく。仏教はインド以外の地で発展していく。仏教がインドでどのように生まれたかという問いは、仏教はインドではなぜ突然消滅したかという問いにつながる。その消滅に関してはヒンズー教による包摂説、イスラームによる侵攻説などあるようだが、思想としてみれば以下のように整理できるという。

①インダス文明(BC2500~1500)
②ヴェーダの宗教(B1500~500)
③仏教盛期(BC500~AD650)
④ヒンドゥー教(AD650~1200)
⑤イスラーム(AD1200~1851)
⑥近代ヒンドゥー教(AD1851~ 英統治以降)

 この整理がどの程度妥当かは私にはわからないが、②のヴェーダについては少し補足しておこう。ヴェーダ Vedanta はインドのアーリア文化の知的源泉、正統派神学のことで、哲学とか思想といってよい。ヴェーダはバラモン教の聖典、経典という説明が一般的なようだ(バラモン教とヒンディー教の区別は諸説あるだろうが、ここではヒンディー教とはヴェーダを聖典とするバラモン教に民間信仰が入り交じったものと考えておく)。内容としては「リーグ・アタルヴァ・サーマ・ヤジュル」があるという。S氏はこのおのおのについても説明されたが、要約すれば、リーグは神への賛歌、アタルヴァは呪文、サーマは歌詞と旋律、ヤジュルは作法のことらしい。ヴェーダはむしろウパニシャッド哲学として知られている。ウパニシャッドとはヴェーダの哲学の奥義書みたいなものを指すらしい。カト研の皆さんなら、ブラフマンとアートマンという言葉は聞かれたことがあるであろう。ブラフマンとは宇宙の原理・真理で「梵」と漢訳され、アートマンは個人の原理・真理で「我」と漢訳され、ウパニシャッドとは「梵我一如説」のことだとどこかで聞いたことがあるのではないか。インド哲学の専門家の間では色々議論があるようだが(たとえば竹村牧男『入門・哲学としての仏教』2009)、我々としては仏教の輪廻論、梵我一如論はヴェーダに源を持つとひとまず理解しておこう。
 ④のヒンドゥー教をどう理解するかも仏教をどう理解するかにかかわってくる。キリスト教とユダヤ教の関係が複雑なように、仏教とヒンドゥー教の(バラモン教の)関係も複雑なようだ。仏教はヒンドゥー教を否定したとは断言できないだろうが、ヒンドゥー教を支えるカースト制(ヴァルナとジャーティのこと ヴァルナは4つのヒエラルヒーを持ち、バラモン(祭官)・クシャトリア(武士官僚)・ヴァイシャ(平民)・シュードラ(賎民)からなる、ジャーティは世襲の職業集団のこと)を否定しようとした点がポイントだろう。ゴータマ(仏陀、お釈迦様)はバラモン出身ではなく、クシャトリア出身だった。かれはカーストを超えて教えを伝えた。これは当時のインドでは革命的な出来事であったのであろう。
 ⑤のイスラーム(イスラーム教とは言わず、イスラームと表記していることに注意)と仏教との関係も議論しだしたらキリが無いわけで、S氏も深くは触れなかった。現在のミャンマーのロヒンギャ問題もこの文脈でみるといろいろな姿がみえてくるようだが、これは別の問題である。

1・2 シャカ、ゴータマ・シッダルタ、ブッダ(BC463~383またはBC563~483)

 仏教とは何か。仏教の定義は難しそうだが、実は明解なのかもしれない。キリスト教を、「ナザレのイエスは神の子キリストであると信じる信仰」と言って良いのなら、仏教は「ゴータマ・シッダルタは悟りをえてブッダになったと信じる信仰」と言ってよいのではないか。ブッダとは覚った人、「覚者」のことだ(ここでは悟ると覚るは同義と考えている)。ゴータマ・シッダルタの生涯が説明された。仏教の創始者。シャカ族の王子として生まれ、結婚して子までもうけたが29歳で出家し、35歳で覚りをひらき、45年間にわたって布教し、80歳で入滅する。数年間の活動と30数歳で磔刑にあったイエスとはあまりにも対比的である。先行宗教から、ヨーガの技法や、解脱・修行・出家などの観念を学ぶとともに、ヴェーダ聖典を否定していく。

1・3 シャカの教え

 シャカの最初の説教を「初転法輪」という。シャカは最初自分の悟りの内容を5人の修行者に説いたという。一般に転法輪とは仏法を説くことを意味する。教義的にはブラフマン批判が中心のようだが、基本的考え方は以下の4点だという。

1 中道:快楽と苦行の中道をとる。原始仏教、部派仏教、大乗仏教に共通して一貫して流れる仏教の中心的な教え。特に、八不中道(はっぷちゅうどう)説は3世紀頃に龍樹(ナーガルジュナ)が唱えた説だ。八不とは、不滅・不生・不断・不常・不一義・不異議・不来・不去のことで、個々の事物には特定の性質がないことを知ることだという。後世の『般若心経』を貫く根本思想である。
2 四諦(したい):苦・集・滅・道。シャカが初転法輪で唱えた仏教の根本教義。諦とは真理のこと。苦諦とはこの世は苦であるという真理、集諦とは苦の原因は世の無常と人間の執着にあるという真理、滅諦とは無常の世を超え、執着をたつことが苦をなくすという真理、道諦とは苦を滅するためには八正道によるべきだという真理のこと。
3 八正道(はっしょうどう):正見・正思・正業・正命・正精進・正念・正定の八つの道。実践的な徳目のことで、例えば正見とは四諦の道理を正しく見きわめること、具体的には現実をありのまま受け止めよという徳目。以下同じような実践項目だ。八正道とは極めて実践的な方法論とでもいえよう。
4 縁起:因縁生起という意味で、物事には原因(因)や条件(縁)があって生まれるという考え。一種の存在論で、実体ではなく関係性のみがあるとする。実体論的哲学からは想像できない思想が紀元前にすでに生まれていたということである。

 こういう風に整理されるとなにかスコラ哲学みたいに聞こえるが、仏教はもっと実践的な教えのようだ。人生の実存的問題を解決するための実践的な思想体系・行為体系だといえそうだ。

1・4 結集

 結集はけつじゅうと読む。仏典、経典の編集会議のことだ。シャカの時代にインドにはすでに文字はあったようだが、神聖な言葉を文字で表すことはタブーだったので、シャカの教えはずっと口承だった。だが教えが間違って伝承されることがあった。そのためお経の編集会議が開かれた。新約聖書が編纂されてくるプロセスとそれほど違いはないだろう。キリスト教ではエルサレムの使徒会議(49年 使徒言行録15章)や公会議が思い浮かぶが、結集は4回あったという。

第一結集:シャカの死後3ヶ月後、十大弟子の呼びかけで500人が集まったという。三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)のうち、経と律がそろったという。だが文書化はされなかった。
第二結集:仏滅100年後頃に行われた。700人集まったという。戒律が検討されたが律の内容を巡って若手と長老派が分裂した。これを「根本分裂」と呼ぶらしい。若手革新派の「大衆部」と長老保守派の「上座部」に分裂し、大衆部は大乗仏教の源流となり、上座部はいわゆる小乗仏教の源流となっていく。
第三結集:仏滅後200年、恐らくBC268年アショカ王の治世に行われた。インドの最初の統一王朝マウルヤ朝時代だ。経と律の内容が確認されるとともに、論蔵(経典の注釈書、思想書)も編纂され、三蔵(ティビタカ)がすべてそろった(注2)。パーリ語で整備されたが(シャカは古代マガダ語を使っていたらしい)、パーリ語はサンスクリット語と同じくインド・ヨーロッパ語族に属するが、文字を持たない。そのため、セイロンのシンハラ文字、ミャンマーのブルマ文字、タイのシャム文字などで表記されていたという(19世紀ヨーロッパで刊行されたパーリ語の聖典はローマ字表記されたという。なお、大乗経典の多くはサンスクリット語で書かれている。いわゆる梵語だ。サンスクリット語はラテン語みたいなもので時代によって文法が変化しないようだ。つまり初期の小乗経典はパーリ語、後の大乗経典はサンスクリット語で書かれ、今でも唱えられているという)。小乗経典はまとめて「阿含教」(あごん)と呼ばれ、長阿含・中阿含・雑阿含・増阿含の4つがあるという(注3)。
第四結集:最後の第四結集は紀元二世紀なかばカニシカ王の時代にインド北部のカシミールに500人の僧侶が集まって開かれ、三蔵のそれぞれに解釈をつけたという。ここには阿含教(小乗仏教)のすべての教理・教義が網羅されているという。内容的には、縁起論・解脱論・諸行無常論・中道論から構成されているという。ただし、覚りと慈悲、つまり利己と利他の両者を強調しており、教えに矛盾もみられるという。現在の小乗仏教の国(旧セイロン現スリランカ,旧ビルマ現ミャンマー、タイなど)では歴史的事実ではないととして疑問視されているらしい。
これらは口頭伝承(アーガマ)であったが、100年後には文書化されたという説もある。だが、その真実性についてはまだ議論が続いているようだ。

 要約が少し長くなりそうなので、続きは改めて投稿してみたい。

注1 カト研の仲間にもお寺さんの生まれだという人がいた。日本社会学会でも僧籍をもつ研究者は少なくない。キチンとした調査がなされているかどうか寡聞にして知らないが、クリスチャン社会学者よりも比率としては高いのではないかという印象を持つ。
注2 仏典の数は膨大で数え切れないらしいが、内容的には経・律・論の3ジャンルに分けられるという。「経」はシャカが説いた教えで、「法華経」や「阿弥陀経」などの経典をさす。「律」は戒律のことで、仏教教団の規律をさす。殺生してはいけない、酒を飲んではいけないなどの規則の集合で、男性僧侶には250,尼僧には348の戒律があるという。「論」は経や律の注釈書、または後世の学僧が展開した思想書をさすという。この経・律・論を三蔵とよび、この三つがあって仏教の教えは完全なものになるという。この三蔵をすべて読破し自分のものとした者のことを三蔵法師と呼ぶという。例の玄奘三蔵も三蔵法師の一人らしい。
注3 小乗・大乗の「乗」とは乗り物のことで、此岸から彼岸へと渡る船のようなもののこと。大乗とは大きな乗り物、優れた乗り物の意で、多くの人が一緒に悟りの世界に行ける巨大な乗り物という意味のようだ。

 

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