カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

キリストとは誰かー古代公会議でのキリスト論(5)

2019-05-29 11:58:23 | 神学


Ⅴ エフェゾ公会議

1 テオトコス(神の母)論争

 聖母マリアは、テオトコス(神の母)か、アンドロポストコス(人間の母)か、キルストコス(キリストの母)か、という論争。論争の発端は、コンスタンチノープルの大司教ネストリオスが428年に、伝統的な「神の母」の称号は正しくなく、「キリストの母」が正しいと主張したことにある。つまり、マリアは、キリストの人性の母であって、神性の母ではない、と主張した。これが大問題に発展した。

2 エフェゾ公会議 431年

 この公会議ではキリストの神性と人性の結びつきがテーマであった。アレキサンドリア学派(キュリロス派、キュリロスはアレキサンドリアの大司教で、公会議の議長)とアンチオキア学派(ネストリオス派)が対立した。権力闘争でもあったため両派は激しく争い、結局ネストリオス派は排斥される。
 マリアは「神の母」と宣言される。「キリストの神性と人性は区別されなければならないが、唯一の人格(ペルソナ)において結合され、両者とも1つの人格に帰されなければならない」とした。現在でもカトリック教会は「マリア崇拝」(批判者はMariolatoryという用語を使う)は禁止し、「マリア崇敬」(hyperdulia)を認めている。

 ネストリオスはエジプトへ流刑となり、弟子たちはペルシャを経て中国にネストリオス派のキリスト教を伝える。「景教」である。空海(弘法大師)は唐で修行中にこのネストリオス派の景教に接していたといわれる(1)。

Ⅵ カルケドン公会議

1 エフェゾ強盗会議 449年

 エフェゾ公会議のあともキリストの本性についての議論は終わらなかった。キリスト単性論をとるアレキサンドリアの大司教エウテュケスやその支援者はエフェゾ(第二、陰謀、強盗)会議を勝手に開いて単性論を認めた。このため新皇帝のアルキアヌスは教皇レオ一世の要請で公会議の開催を決断した。

2 カルケドン公会議 451年

 これは重要な公会議である。皇帝の代理人9人、教皇使節が3人が主催。東方教会の司教500人以上が参列。
 449年の強盗会議の無効を宣言。エウテュケスは排斥される。カルケドン信条が採択される。

3 カルケドン信条

 これはカルケドンの思潮とアレキサンドリアの思潮を統合するものであった。「唯一かつ同一」のイエス・キリストは「真の神であり、真の人間」であり、「神性において父と同一本質の者(ホモウーシオス)であり、かつまた人性においてわれわれと同一本質の者(ホモウーシオス)」であり、「2つの本性において、混合されることなく、変化することなく、分割されることなく、分離されることがない」と宣言された。つまり、キリストの神性と人性が、「混合されない、変化しない、分割されない、分離されない」ことが宣言された。これは三位一体論の重要な教えで、現在でも生きているだ。

4 キリスト単性説

 カルケドン公会議でのキリスト両性説は、西方教会では全面的に受け入れられたが、東方教会では会議後も単性説の支持者が反カルケドン派として大きな勢力となっていった。今日でも、アルメニア派、ヤコブ派、コプト派として残っている。ただ、単性説は反皇帝運動の旗印だったという説明も根強いようだ。

Ⅶ 第三回コンスタンチノープル公会議 680年

 カルケドン公会議でも、キリストの「意志」の問題は残されたままだった。キリストの本性は2つ(神性・人性)であることは確認されたが、キリストの行為・行動(エネルゲイア、オペラチオ)は1つだ。それでは、キリストの意志は1つなのか、2つなのか。単意説と両意説が対立した。結局両意説が確定し、単意説は異端とされる。
「キリストは神のゆえに神の意志を有するが、同時に人のゆえに人間の自由意志も有する。人間本性の中心は理性と意志であるから、真の人であるキリストは、人間の自由意志を有するはずである。キリストは人間としての自由意志により、神の意志を受け入れ、人間の意志を神の意志に従わせ、神と一致して行動する」と宣言された。ここにキリスト両意説が完成した。

八 今回の結び

 以上の古代の公会議によって、キリスト論の教義は完成した。それ以来、今日に至るまで、キリスト論についての新たな教義は制定されていない。

 S氏によると、キリスト論には狭義と広義の二種類があるという。
狭義のキリスト論はキリストの本性論で、キリストは神か人か、という問いが中心だという。
他方、広義のキリスト論は、キリストはなぜこの世に来たのか、その目的は何か、を問うのだという。これは「救済論」につながる。
 だが、救済論には教義はない。キリストによる人類の救済は教義として確認されることはなかった。救済は聖書で語られており、信条が信仰箇条であった。トリエント公会議では、キリストによる義認と和解、十字架上の犠牲と償い、洗礼とゆるしの秘跡などが確認されている。現代では、救済は人間だけではなく、万物におよぶ、という新約聖書の宇宙論的救済論が注目され、そのエコロジー的側面が強調されてきているという。
 つまり、救済論は「終末論」という形をとる(2)。大貫隆氏によれば、イエスの終末論は「神の国」の宣教であり、「上昇の黙示録」だという(3)。イエスは「天上の神殿」が「天から降りてくる」イメージを持っていて(4)、洗礼者ヨハネの宇宙論的黙示思想とは異なるようだという(5)。
 こういう救済論と終末論の関係の議論は組織神学のテーマでキリスト論からは離れていくが、S氏の次回の話がどこまで広がるか楽しみである。



1 もしこれが真実なら、空海はキリスト教に接した最初の日本人ということなる。ザビエルの来日に遡ること744年。真言密教に、茶道に、キリスト教の影響を見る人は多いようだ。ロマンを感じさせる話である。
2 終末論 eschatology とは、歴史には終わりがあるという思想。それが歴史の目的であると主張する。キリスト教的にはその目的は「審判」と「救済」になる。「ヨハネの黙示録」は天地創造から最後の審判・イエスの再臨まで語るが、救済への言及は少ないという。
3 大貫隆『終末論の系譜ー初期ユダヤ教からグノーシスまで』 筑摩書房 2019
4 大貫氏は、初期ユダヤ教の終末論はメシア思想と黙示思想からなり、黙示思想には宇宙史全体の行方についての言及と、「天上の神殿・玉座の幻視」への言及の二側面があるという。イエスは政治的メシア思想を避け、黙示思想から自分の「神の国」論を組み立てていったという。
5 黙示 apocalypse とは神が自らを啓くこと、つまり、真理を開示すること。日本語では 啓示 revelation と区別されるが、ギリシャ語では同じ言葉のようだ。
 黙示は契約を語るが、聖書には7つの契約が書かれているという。そのうち4つは神とイスラエルとの契約(アブラハム・土地・モーゼ・ダビデ)、3つは神と人類との契約(アダム・ノア・新しい契約)からなる。大貫氏は言う。「洗礼者ヨハネは、大きく見れば、ユダヤ教黙示思想の宇宙史の終末論を背景として登場してきたと考えられる。しかし、アブラハム契約の棄却という見方においては、その宇宙史の終末論からも訣別しているのである」(133頁)。

 

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キリストとは誰かー古代公会議でのキリスト論(4)

2019-05-28 16:31:23 | 神学


 5月の学びあいの会、「キリスト論の展開」の第二回目、は猛暑の中でおこなわれた。高齢者は外出を控えたくなる異常な暑さで、出席者も少なかった。
 今回は古代の6回の公会議の特徴の紹介であった。カテキスタのS氏や岩島師の独自の解釈が紹介されたわけではない。今日のポイントは、最初の6回の公会議のなかで(これを古代と呼んでいる)いわゆるキリスト論の教義は完成し、以後今日まで新たなキリスト論の教義は制定されていない、ということを繰り返し確認することであった。
 キリストとは誰か、イエスとは何者なのか。この問いへの答えは教義としては確立している。使徒信条である。イエス・キリストは神であり同時に人である。

 だが、この教義の確立までざっと400年かかっている。第7回の第二ニケア公会議まで含めれば約500年ということになる。そして以後現在まで1400年近くこの教義は守られている。
 ではそういう教義をまとめた公会議とは何なのか。 公会議 Ecumenical Councilと、使徒会議、教会会議など他の類似の会議との違いの説明は他に譲るとして、私の要約の前提を三点挙げておきたい。
 まず、カトリック教会は公会議は現在まで21回開かれたとしている。東方教会では第1回から第7回までの会議しか認めていないところもあるようだ(1)。

 第二に、公会議では教皇首位性と公会議優位性の対立が内在していることだ。中世では、皇帝権と教皇権の対立も公会議の性格を強く規定していたようだ。公会議は異端説に対応するために開かれたとはいえ、権力闘争の性格も持っていたようだ。

 第三に、古代の公会議でキリスト論の教義が確定したとはいえ、中世には第7回から第19回のトリエント公会議まで12回開かれている。このうち、前半の(大きく見て11・12世紀)6回では、主に教会の組織や制度の整備が進み、教皇権が確立していった。十字軍や騎士団の時代だ。後半の(大きく見て13・14世紀)6回は教会のシスマ(大分裂)に代表されるように教会の世俗化のなかでおこなわれた。教皇権と皇帝権の対立や教会の腐敗の時代だ。やがておこる宗教改革に教会が対応しようとしたのは1545年のトリエント公会議まで待たねばならなかった。フス戦争から約100年、ルターの95ヶ条の論題から28年後のことであった。これ以降、近代社会の成立の中で教会は公会議を開く力を持てなかった。そしてやっと開かれた第一バチカン公会議(1869)はこの近代社会を支えた近代主義を否定したのである。教会が現代化の方向に舵を切ったのは1962年の第二バチカン公会議である。われわれは今この時代に生きている。公会議を語ることは、単に歴史的事実を羅列することと同じではない。

 参考までに、21回の公会議の一覧をみてみよう。

 

 

Ⅰ 古代の公会議一覧

 キリスト論の教義は古代の6回(第7回は外す)の公会議を経て確立する。

1 第一にケア公会議 325 アレイオスの異端排斥 父と子は同一本質(ホモウーシオス)
               ニケア信条の成立
2 第一コンスタンチノープル公会議 381 聖霊の神性の確認
                      ニケア・コンスタンチノープル信条の成立
3 エフェゾ公会議 431 「神の母マリア」の宣言 ネストリオス派排斥
4 カルケドン公会議 451 キリストのペルソナにおける神人両性の確認
5 第二コンスタンチノープル公会議 553 ネストリオス派への追加的異端宣告
6 第三コンスタンチノープル公会議 680 単意説の異端宣言 両意説(両性説)の確立(2)


 以下おのおのの公会議の特徴が詳しく紹介された。

 

Ⅱ 第一ニケア公会議 325年

1 アレイオスの異端説
  アレイオスはアレキサンドリアの司祭。318年に、「神は唯一 キリストは神ではなく被造物」と主張。321年に破門される(後に復帰)。教会を二分する巨大勢力となる。
2 ニケア公会議
 教会はアレイオス派と反アレイオス派に分裂。コンスタンチヌス大帝がこれを憂い、325年に最初の公会議を開催する。激しい議論の末に、アタナシオスの活躍もあり、アレイオス説は排斥される。「ホモウーシオス」(子は父と同一本質)の教義が決定され、ニケア信条が成立する。史上初めてのキリスト論の教義が決定される。
 だが、このニケア信条は必ずしも守られず、その後約50年間、アレイオス派との争いが続く。皇帝が変わるごとに両派の追放と復帰が繰り返される。最後に勝利したのは正統信仰派であった。

Ⅲ 第一コンスタンチノープル公会議 381年

1 聖霊の神性の問題
 キリストの神性が確認されると、次に、聖霊の神性が問題となった。カッパドキアの3教父(カイサリアのバシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリオス、ニュッサのグレゴリオス)が活躍し、アレイオスの教説をめぐる混乱を終結させる。
2 第一コンスタンチノープル公会議の開催
 やがて公会議が開催され、聖霊の神性が確定される。そして、ニケア・コンスタンチノープル信条が成立する。これは今でもわれわれが唱えている信条である。ここに三位一体論が確立する。

Ⅳ 三位一体をめぐる論争

 最初の2つの公会議を経て、キリストと聖霊の神性が確認された。つまり、「父・子・聖霊の3つの神性」の存在が認められた。では、この教義は、「神は唯一である」という教えとどうつながるのか。矛盾してはいないのか。これが三位一体論論争である。

1 東方教会
 オリゲネスはネオプラトニズムの「流出説」(3)の影響を受け、「父→子→聖霊」の流出説を唱え、父・子・聖霊のそれぞれを「ヒュポスタシス」と呼んだ。つまり、父・子・聖霊は「それぞれ独立した存在性を持つ神的実体」だとした。

2 西方教会
 ヒュポスタシスのラテン語訳は「スブスタンティア」で、「実体」と訳される。西方教会では、三位一体の神を「1つのスブスタンティア、3つのペルソナ(位格)」としてきた。西方教会から見れば、東方教会のヒュポスタシス説では、神は3つのスブスタンティアをもつことになってしまうと批判した。しかも子は父に従属するという従属説をとっていると非難した。これに対し東方教会は西方教会はサベリウス主義だと批判した(4)。父・子・聖霊が別の存在でなければ3者の間に愛の交わりは生じないと主張した。
 342年の教会会議で両者はついに決裂する。

3 カッパドキアの3教父の仲裁

 カッパドキアの3教父による仲裁が見事だった。
  東方教会:3つのヒュポスタシスの1つのウシアにおける一致(5)
  西方教会:1つのスブスタンティアにおける3つのペルソナ(6)

Ⅴ キリストの神性と人性の結合の問題

 キリストは神性と人性を持つことは確認された。それでは、この神性と人性はどのように結びついているのか。いかにして人間の肉体が神の霊をもちうるのか、という大問題が浮上した。

1 ロゴス・サルクス説
 キリストにおいて、神のロゴスと人間の肉体(サルクス)が結合しているとする。つまり、ロゴスは人間の魂の代わりであるとする。この説ではキリストの完全な人性は否定されてしまう。

2 ロゴス・アンドロポス説
 アンディキア学派が提唱した説で、神のロゴスと人間(魂と肉体)がペルソナを通して結合するとした。ペルソナ概念が使われる。
 ちなみに、位格という意味で用いられていたのはギリシャ語のプロソポン、ラテン語のペルソナという言葉であったが、やがて、プロソポンは「仮面」、ペルソナは「人格」という意味に変化していったという。

 次の第三回エフェゾ公会議は「テオトコス(神の母)」論争から始まる。次稿にまわそう。


1 公会議一覧を参考までに載せておいた。出典は様々で、要約は基本的には私の表現である。間違いがあれば、ご指摘いただけると幸いである。
2 キリスト単位説(単性説)とは、受肉後のキリストは神性のみを持ち、人性を持っていない、つまり人間ではないという説。現在でもエジプトのコプト教会など単性説をとるキリスト教がある。
3 ネオプラトニズムは3世紀頃成立した思想で、プラトンのイデア論を発展させ、万物、理性、は神である一者(ト・ヘン)から流出するとした。流出したものを 「ヒュポスタシス(実体 自存者 自立存在 位格的結合)」 と呼ぶ。
4 サベリウス主義とは、様態論のことで、父と子は独立した存在ではなく、神が顕現する「様態」(モドウス)の違いと主張する思想。サベリウスとは人名。
5 ウシア(ousia)とは、「実体」とか「本質」と訳されるギリシャ語。ギリシャ哲学の用語。
6 ペルソナ(persona)とは、「位格」と訳されるラテン語。自己と他者を区別する主体のこと。人間に対しては「人格」と訳される。

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令和元年の初ホタルが飛ぶ

2019-05-16 20:54:44 | 


 今年、令和元年(2019年)5月16日午後7時45分に、今年初めてホタルが飛ぶのを見た。一匹。田越川のいつもの場所だ。今年の春は寒さが続いていたので心配したが、なんとか生き延びていたようだ。昨年は飛んだことは飛んだがあまりにも数が少なかったので、これでお終いかと友人知人と心配していたところだった。ホットしました。
 ちなみに、初めてホタルが飛んだ日付は以下の通り。
2019年 5月16日
2018年 5月15日
2017年 5月12日
2016年 5月12日
2015年 5月17日

 今年は来週の週末あたりがピークになるだろうか。

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協会共同訳と新共同訳はどこが違うのか(3)

2019-05-05 12:14:41 | 教会


Ⅱ 翻訳のプロセス

1 パラテキスト

 今回の聖書協会共同訳は新共同訳の改訳ではなく、原文からの全く新しい翻訳だ。この新たな翻訳作業は、「パラテキスト」(ParaTExt)という翻訳支援ソフトを使ってなされたという。このアプリは画期的なものらしく、訳語の調整、修正、ルビの入力など完全なデジタル入力が可能なものだという。作業は、「聖書協会世界連盟」という組織のサーバーにすべて送られ、翻訳者は自分のパソコンをこのサーバーに同期させながら作業したという。今回の翻訳はインターネットの発達がなければ実現できなかったわけだ。

2 原語担当者と日本語担当者

 今度の聖書が新共同訳と大きく異なるのは、日本語担当者の比重が非常に高かったことらしい。原語担当者と日本語担当者の数の比率で言うと、新共同訳のときは9対1だったが、今回はなんと7対3だったという。歌人や詩人を新たに加えたことなど、「美しい日本語」を目指すという姿勢が貫かれたようだ。

3 翻訳者委員会

 翻訳者委員会は各書ごとに作られ、編集委員会は、「五書・歴史書、詩書・預言書、続編、新約」の4部門に分かれて組織されていたという。柊神父様は、「五書・歴史書」の「翻訳者兼編集委員」だったようだ。「訳語検討会」という作業部会が旧約・続編・新約ごとに編集委員会の下に設けられ、重要な役割を果たしたという。例えば、「いなご」という言葉が「ばった」に変更されるなど、動植物や宝石などの訳語の変更がけっこうあったようだ。

Ⅲ 翻訳について

1 最近の旧約聖書学の反映

 旧約聖書学は現在「正典的アプローチ」(正典的解釈)と呼ばれる新しい方法が主流になりつつあるようだ(1)。新共同訳の翻訳がおこなわれた1970年代は、いわゆる「歴史的・批判的方法」が中心で、伝承史や編集史の資料批判が主流であった。資料仮説ではいわゆる「JEDP説」(文書仮説)が中心だったが、やがて1990年代には否定され始まるなど大きな理論的転換が起こったという(2)。21世紀の正典的アプローチはこういう論争の中で登場してきたものらしい。いづれにせよ、今回の翻訳は旧約聖書学の理論的発展を取り入れているところに特徴があるという。

2 重要な訳語の変更

 多くの訳語の変更の中で、最も重要なのが、旧約における「ツァラアト」の訳語と、新約における「ピスティス・クリストゥ」の訳語だという。

①「ツァラアト」
 かって「らい病」と訳されていて、やがて「重い皮膚病」と訳し直されていたが、今回は「規定の病」とさらに訳し直された。規定の病といわれてもなかなかピンと来ないが、「律法で規定された病」という意味で、訳語には聖書学的根拠があるという。これにそって「癒やす」も「清める」に改められているという。この訳語が定着していくかどうか興味深い。

②「ピスティス・クリストゥ」
 これも神学者、特に聖書学者のあいだで決着がつかない神学上の大問題らしい。「キリストへの信仰」か「キリストの真実」かという問題らしいが、「信実」、「真実」、「信仰」などの訳語が可能らしい。神学的にはいわゆる「義認論」の問題なので、パウロ問題になる。協会共同訳は「キリストの真実」で合意に達したというが、これは「信仰による義認」というパウロの立場を否定するものではないという。

Ⅳ 今後の課題

 あらゆる聖書翻訳は刊行後すぐに批判にさらされる。協会共同訳も学会レベルではもう批判的議論が始まっているようだ。岩波訳聖書の改訂版がでれば、批判的議論はもっと激しくなるだろうが、これは翻訳の宿命だろう。協会共同訳が将来改訂されるのか、または全く別の新訳が出されるようになるのか、岩本氏は「全く未定である」と述べている。

 以上が岩本氏の報告の概略である。配付資料(論文)にはさらに別の論点が言及されているが、紹介はここまでが限界だろう。
 報告の後、質疑応答が熱心におこなわれた。名称(略称)の問題、カトリックとプロテスタントの力関係の問題、スコポス論、義認論、と質疑は多岐にわたった。岩本氏が、丁寧に、しかも慎重に答えておられたのが印象的だった。
 この講演はわたしは全く知らない世界の話だったので、出席できてよかったと講演会の主催者に感謝の気持ちで一杯である。


1 私は全く門外漢だが、聖書テキストを全体として捉える手法らしく、訳語も原語に対応させることを重視するらしい。例えば、新共同訳での「神に従う人」は「正しき者」に訳し直され、「恵みの御業」は「義」と訳し直されているという。こういう訳語の変更も聖書学の理論の発展を反映しているのだという。「御使い」が「天使」に戻されるのもその流れなのだろうか(黙示録5:11、出エジプト記3:2など)。
2 文書仮説(Documentary hypothesis)とは、モーゼ五書がモーゼによって書かれたのではなく、もともとバラバラの文書が後でまとめられたという説らしい。JEDP説はその基礎になる考え方でここから色々仮説が生まれたようだ。1990年代にはほぼ否定されたと言うが、基本的視点は今も生きているのであろう。カトリックでは「高等批評」という言葉も聞く。『ウィキペディア(Wikipedia)』レベルの話ではなく、かなり専門的な仮説らしい。考古学の素養を欠くわたしは全くわからない。

 

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協会共同訳と新共同訳はどこが違うのか(2)

2019-05-04 21:36:06 | 教会


Ⅰ 新共同訳と協会共同訳の共通点と違い

1 共同訳の原則

 聖書の共同訳に関する標準原則は第二バチカン公会議で作られたわけだが、どの国でも聖書の改訳は自国の事情に合わせて30年おきくらいに行われているらしい。日本での翻訳は、聖書協会訳は(1)、明治訳(1887)、大正改訳(1917)、口語訳(1955)、[共同訳(1978)]、新共同訳(1987)と続いてきたが、現在の新共同訳が「一般向け」という性格をもつのに対し、今回の協会共同訳はあえていえば「教会向け」という性格づけが強いらしい。新共同訳の時は委員会の構成はカトリックとプロテスタントが「同数ずつ」という原則だったが、今回は同数原則は廃止され、結果的には4:6くらいの割合だったらしい。新共同訳のときはカトリックのほうがより大きな影響力を持っていたようだが、今回は比重は明らかにプロテスタントに傾いていたようだ。とはいえ、エキュメニズムはほぼ定着し、今更、カトリックだプロテスタントだと区別する雰囲気はほとんどなかったという。時代の変化であろう。
 翻訳者の年齢構成では、新共同訳の時は開始時平均34歳なのにたいし、今回は開始時平均53歳だったという。新共同訳は若者の翻訳、今回は熟年者の翻訳とでも言えようか。ちなみに、両方に関わった方は和田神父様お一人だという(検討委員)。
 翻訳者の男女比の違いは明らかで、新共同訳の時は女性はわずか3%、今回は23%だったという。聖書協会は各翻訳参加教派に協力を依頼したとき、「女性は最低25%を」と言っていたという。


2 翻訳組織

 翻訳の主体が異なる。新共同訳では「共同訳聖書実行委員会」で、委員会方式だった。今回は日本聖書協会が主体だ。これは一般財団法人だ。そのためだろうか、今回の聖書の名称は「聖書協会共同訳」となっている。「共同訳」という名称が残っているだけでも幸運で、「標準訳」とする意見が強かったようだが、カトリック側からの強い申し入れで「共同訳」という表現が名称に残ったという。「聖書協会」が頭に着くのは何か落ち着きがないが、委員会方式をとらなかったので「新新共同訳」とは呼べなかったのだろう。委員会では3案が議論されたがどれも日の目をみなかったという。それにしてもこの名称はしっくりこないし、ましてや略称が作れない。わたしは「協会共同訳」と略称しているが、発音すると「協会」が「教会」と区別できず、困ってしまう。聖書協会は特に略称の提案はしていないようだし、聖書学者や専門家たちはなんと呼んでいるのだろうか。なにかよい知恵が欲しいところである。

3 翻訳原則

 「翻訳方針全文」は今回の協会共同訳聖書の「序文」に明記されている。序文では、「スコポス(目的)理論」の採用が、最大の特徴だとしている。スコポス理論とはオランダのL・デ・ヴリース氏の理論という。新共同訳が、いわゆる「動的等価理論」(dynamic-equivalence Bible translation theory)をとっていた、つまり、「意訳」重視だったのに対し、今回は「逐語訳」(formal correspondence)重視に変更となった。スコポスとは、翻訳方針の違いは、翻訳聖書が「誰のために」(聴衆)、「何のために使われるか」(機能)の違いによって生じると考える理論らしい。
 たとえば、マタイ5:3は、共同訳(1978)では、「ただ神により頼む人々は、幸いだ」となっているが、新共同訳では「心の貧しい人々は、幸いである」となっている。今回も同じである。
「礼拝での朗読にふさわしい、格調高く美しい日本語訳を目指す」ことが基本方針だったという。

4 固有名詞、各書書名、続編の扱い方

 固有名詞については、原音忠実派と慣用重視派の対立は消えることはない。共同訳の時、「イエズス」が「イエス」に変わってわれわれは驚いたが、今回は変更されたのは15語にすぎないという(2)。
 各書の書名も慣用重視というか、基本的に新共同訳が踏襲されているようだ。例えば、「使徒言行録」はそのままで、バルバロ訳以来の「使徒行録」は使われていない。
 続編の扱いも大問題だろうが、結局は新共同訳を踏襲して、旧約と新約の間に挟まっている(3)。

5 用字・振り仮名(ルビ)

 この聖書は、中卒以上の学力を想定しているので(4)、用字は基本的に「常用漢字表」に従うようだが、実際にはNHKのいくつかの辞典も用いているようだ(5)。
 「交ぜ書き」は神学用語に多いが、文化庁が勧めないので、常用漢字表にない漢字を用いる場合が多かったという。
 振り仮名(ルビ)で今回の大きな特徴は、すべての「数詞」にルビが振られていることだ。漢字にはすべてルビが振られているが、数字にもふるのは画期的なことらしい。とはいえ、数詞(数字)の読み方も色々あるらしいので、基本はNHKの『ハンドブック』に従っているようだ。

6 注のつけかた

 注は重要だ。直訳、別訳、異読などの注が豊富だ。特に「言葉遊び」は注がないと分からないことが多い。これらは、新共同訳では括弧つきで説明されていたが、今回はすべて注で説明されているという。逆に言えば、「注付き」でない聖書だと、読んでいてなんのことだか分からなくなるケースが多くなりそうだ。


1 他にも、フランシスコ会訳とか岩波書店訳とか、重要な翻訳はたくさんあるようだ。
2 例えば、メディアンがミデヤンに、シケムがシシェケムに、アレキサンドロスがアレクサンドロスに、など。
3 例えば、知恵の書、シラ書(集会の書)は、雅歌の後ろには来ない。
4 「翻訳方針全文」には「義務教育を終了した日本語能力を持つ人を対象とする」とある。
5 例えば、「解る」とか「判る」ではなく、「分かる」を使うなど。

 

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