カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

仏教とキリスト教ー歴史と大乗経典(5)(学びあいの会)

2018-02-28 15:10:05 | 神学


6・3 法華経(妙法蓮華教)

1 法華経は大乗仏典の王とされている重要な経典だ。「般若経」誕生後50~150年に作られたお経。般若経を批判否定し、「一仏乗」を主張しているという。諸宗派の開祖(最澄・法然・親鸞・栄西・道元・日蓮など)が帰依している。日蓮宗などはこれ一本だという。全8章で28品(章)、迹門(1~14章)、本門(15~28章)からなり、二門六段からなるドラマ仕立ての経文だという。といっても内容はかなり矛盾した教えが含まれ、どれを正しいとするかで日本の宗派が分かれてくるようだ。
 如来寿量品第16は天台宗や日蓮宗では日常的に読経が行われていて、「自我偈」とか「久遠偈」と呼ばれているらしい。「諸法実相」を説く方便品第二も思想的には重要なお経だという。
 法華経は、聖書でいえば、ヨハネの黙示録みたいなものらしい。

2 法華経の主な教え
①仏のみが真理を知る。仏のものの見方、知見を知ることが大事である。
②久遠実成の仏 久遠実成(くおんじつじょう)の仏とは、遠い過去(久遠)に仏(如来)となった釈迦が現在も生き続け、未来永劫に渡って人を救い続けてくれるという意味だという。
つまり、シャカは無限の昔に仏となっている。仏は永遠に存在する。シャカはある時生まれて、覚りを開いて仏になった歴史的存在、という理解を覆す教理。「仏に生死、生滅、実も無もない」(如来寿量品第16)。これは革命的な主張だったのだろう。イエスは遠い昔から存在していたというヨハネの描き方に似ているといったら言い過ぎだろうか。
③法華七喩
三車火宅の喩・長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の喩・三草二木の喩・化城宝処(けじょうほうしょ)の喩・衣裏繋珠(えりけいじゅ)の喩・髪中明珠(けいちゅうみょうじゅ)の喩・良医治子(ろういじし)の喩。法華七喩の話は最近はマンガにもよく出てくる有名な譬えのようだが、マンガを読まない私は知らない。カト研の皆様のなかにも聞いたこともないという人がおられるかもしれない。ネットを覗いてみましょうか。といっても仏教関連の本には必ず紹介・説明があるようだ。

 さて、ここで仏教の典礼の紹介に入った。「三礼(さんらい)・三宝礼(さんぼうらい)」というらしい。ごミサもその内容は構造化されており(ことばの典礼・感謝の典礼)、姿勢(所作・動作)も、起立・着席・跪く(立ったり、座ったり、跪いたり)があるが、仏教の典礼にも同じような構造、姿勢があるようだ。一つの例が紹介された。もちろん宗派によって言葉や所作に違いはあるようだが、基本は同じと考えてもよいらしい。

 三礼は、本尊に向かって、3回立ったり座ったり(和室なら、畳に額をつけ)して、「普禮真言」を唱える作法のことをいう。お寺の法要などでよく見かけるシーンである。

①三礼
②「南無十方法界常住三宝」奉唱(三遍、二丁)
③懺悔文 奉唱(一遍、一丁)
我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡 (かいゆうむしとんじんち)
従身語意之所生 (じゅうしんごいししょしょう)[2]
一切我今皆懺悔 (いっさいがこんかいさんげ
④三帰依文 奉唱(三遍、一丁)
弟子某甲 (でしむこう)
盡未来際 (じんみらいさい)
帰依仏 (きえぶつ)
帰依法 (きえほう)
帰依僧 (きえそう)
⑤三竟 奉唱(三遍、一丁)
弟子某甲 (でしむこう)
盡未来際 (じんみらいさい)
帰依仏竟 (きえぶっきょう)
帰依法竟 (きえほうきょう)
帰依僧竟 (きえそうきょう)
⑥三聚浄戒(さんじゅじょうかい) 奉唱(三遍、一丁)
摂律儀戒 (しょうりつぎかい)(一切の諸悪をみな断じ捨てさること)
摂善法戒 (しょうぜんぼうかい)(積極的に一切の諸善を実行すること)
摂衆生戒 (しょうしゅじょうかい)(一切の衆生をみな摂取して、救済する)
⑦開経偈 奉唱(一遍、一丁)
無上甚深微妙法 (むじょうじんじんみみょうほう)
百千万劫難遭遇 (ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
我今見聞得受持 (がこんけんもんとくじゅじ)
願解如来真実義 (がんげにょらいしんじつぎ)
⑧読経
「オン・アロリキャ・ソワカ」 (観世音菩薩の真言、まるで呪文のよう。事実マントラは呪文とも訳される。日本に入ってくる過程で発音が変化してしまったらしい)
⑨回向文 奉唱(一遍、五丁)
願以此功徳 (がんにしくどく)(願わくは私の行った善い行いの果報が)
普及於一切 (ふぎゅうおいっさい)(この世のありとあらゆる存在すべてに行きわたり)
我等与衆生 (がとうよしゅじょう)(自分を含めたすべての人々と生きとし生けるものとが)
皆共成仏道 (かいぐじょうぶつどう)(皆と共にあらゆるものに対しての慈しみの心を持ちつつ自らが勤め励む道を日々たえまなく進んでいきますように)
⑩三礼

 この構造化された典礼は興味深い。まるで、「キリストと我等のミサ」を読んでいるようだ。動作にも意味があるのも同じだ。問題は言葉だ。日本語ではないので何を言っているのかわからない。文字にすればなんとなく類推できるが、漢字で音読されるとまったくわからない。なぜ日本語訳で唱えないのか。といってもカトリック教会でもついこの間まではラテン語でごミサをあげていた。ミサの現地言語化がいかに革命的であったかを思い起こす。なぜ漢訳された梵語のまま使い続けているのか。冗談好きのお坊さんによれば、お経を上げていても誰も意味はわからないのだから、いつどこで止めても誰も気づかないから重宝だという。日本語化したらありがたみがなくなるという説よりなんとなく説得力があるといったら、お坊さんに叱られるか。


6・4 観音経

 これは、観世音菩薩普門品第25が独立したもので、観世音菩薩(観音菩薩)の来歴や功徳について説かれているという。日本では、真言宗・天台宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗などで、法要で良く読まれるという。すでにインドで信仰されていて、中国、日本でも多くの信仰を保ち続けているという。日本ではこの経典に基づいて西国33観音霊場が整備され、多くの人が霊場巡りをしているという(四国88カ所のお遍路さんではない)。観音経は般若心経についで良く読まれるお経だという。般若心経がどちらかといえば庶民的・大衆的なお経なのにたいして、観音経は人生の糧として真剣に信仰されているという(写経は般若心経で、観音経ではないようだ)。
 観音菩薩を称えれば「七難」から救われるという教えが中心らしい。七難とは、
火難・水難・羅刹難・刀杖難・鬼難・枷鎖難・怨賊難 という。
 観音は菩薩だから、出家前の王子だった頃の釈迦の姿に似せて豪華な衣装や装飾品を身にまとう。菩薩は如来ではないから、現世利益、救済信仰の対象で、33のの姿に身を変え(33化身 注1)、現世利益をかなえるという(注2)。観音はじっとしている。なにもしない。じっと聞き耳を立てて皆の訴えを聞いているのだという。
 観音経は般若心経より長文なので、出だしだけちょっとのぞいてみよう。

(01) 世尊妙相具 我今重問彼 仏子何因縁 名為観世音
(02) 具足妙相尊 偈答無盡意 汝聴観音行 善応諸方所
(03) 弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億仏 発大清浄願

真言宗での訳は、

(01) 仏陀釈尊は、とても優れたお姿をされています。「私(無尽意菩薩)は今再びこれについて質問させて頂きます。仏の子(観世音菩薩)はどのような理由によって、「観世音」と名づけられたのでしょうか?」。
(02) 素晴らしいお姿をされたお釈迦様は、詩を唱えて無尽意菩薩に答えられた。「無尽意菩薩よ、聞きなさい。観音菩薩の修行は、あらゆる場所(からの救いの求めに)に答えるものです。
(03) その誓願の大きく深いことは海のようであり、永遠とも思える時間を経ても、伺い知れないほどである。幾千億というほど多くの仏陀のもとで修行し、大いにして清らかな誓願を発したのである。

 今日は時間切れでここまでだった。来月もお経の話が続く。


注1 33という数字は古代インドでは特別な宗教的意味を持っていたという。数そのものに意味があるわけではなさそうだ。
注2 先日、上野の国立博物館に「特別展「仁和寺と御室派のみほとけ ― 天平と真言密教の名宝 ―」を見に行った。京都仁和寺の阿弥陀如来座像も立派だったが、驚いたのは大阪・葛井寺(ふじいでら)の千手観音菩薩坐像だった。千手観音像は普通40本の手で1000本をあらわすのに、これはなんと1041本の手を持っている。像の裏に回ってみるとこの1041本の手がみな突き刺すように組み込まれていた。しかも大きい。8世紀の作とは思えないほどの美しさを保っている。国宝とか芸術作品というより、やはり信仰の対象だったことがよくわかる。事実、この座像の前で真剣にお祈りしている人もいた。観音信仰は今も生きているのだろう。

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏教とキリスト教ー歴史と大乗経典(4)(学びあいの会)

2018-02-27 21:26:40 | 神学

 2月の学びあいの会は厳寒の26日にもたれた。最近はメンバーは固定化してきているが、今回はテーマが仏教ということで参加者が少し増えた。
 さて今回は盛りだくさんの話だった。仏教の歴史が概観され、般若心経を全員で読み下し、仏教の「典礼」がカトリックのごミサと構造が類似していることを学び、ついで大乗仏教の主要な経典の解題にまで進んだ。主任司祭の交替があるということでカテキスタのS氏は報告を急いでいるようだ。
 前回はおもに経典教理の話だったが、今回は歴史である。仏教研究も急速に進んでいるようで、原始仏教や部派仏教を見直す動きが強まっているようだが、依然として大乗仏教の重要性を説き続ける人も多いようだ。禅との交流が求められたカトリックの動きはなにか遠い昔の話のようにも見えるほど、仏教研究や運動が急速に変化しつつあるようだ。こういう状況の中でS氏が仏教の歴史をどのように整理されるか、楽しみである。どうしても整理の視点が問われるからである。そこでここでは私の個人的コメントはできるだけ省いて、報告のみを紹介してみたい。

4 仏教の歴史的展開

 仏教の開祖はお釈迦様で、本名はゴータマ・シッダッタ。ブッダガヤでの悟りは35歳頃で、時代は約2500年前。シャカはイエスと同じく文書を書き残していない。仏教が当時のバラモン教をおしのけてインドに広がったのがアショーカ王の時代といわれ、紀元前三世紀頃か。S氏はこの後の仏教を部派仏教・小乗仏教・大乗仏教の三つにわけて説明された。

4・1 部派仏教

 紀元前三世紀、アショカ王の時代に仏教は戒律問題をきっかけに分裂する。戒と律は異なるので、上座部と大衆部の約20の部派が発生した。

4・2 小乗仏教(上座部仏教・南方仏教・南伝仏教)
 インドから南方へ僧侶を中心に拡大した。現在のスリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジアなどに伝わる。全体に保守派で、僧は妻帯せず独身(注1)、サンガで集団生活し、労働しないで托鉢生活をする。

4・3 大乗仏教の3期

 大乗仏教の歴史は3期にわけることが多いらしい。
1 初期はAD1世紀から300年頃で、多くの経典が書かれた時代(般若経・法華経・無量寿経・涅槃教・大日経など)。龍樹が登場し、中観思想や唯識論が打ち出される。

2 中期は300年から650年頃で、大乗仏教の盛期。教えは哲学的で、宗教と言うよりは学問という傾向が強かったという。多くの如来像が生まれる。

3 後期は650年から13世紀頃で、衰退期。民衆の支持を得るため、学問よりは信心に比重が移る。仏教に葬儀が入り込み、密教が登場する(つまりヒンディー化し始める)。やがてインドでは仏教は滅亡・消滅する。原因は色々挙げられているようだが、イスラムの侵入説が定説のようだ(注2)。

5 様々な仏教(浄土教・禅宗・密教)

5・1 浄土教
 浄土教はインドで発生するも東アジアで発展する。阿弥陀如来(アミターバ=無限の光)を絶対化し、その救済を求める他力本願の教え。仏教を「悟りの宗教」から「救いの宗教」へと転換させた。一神教的でキリスト教に近いといわれる。現在の日本でもキリスト教に改宗する人には浄土真宗系の人が多いという。
浄土三部経(じょうどさんぶきょう)が根本経典で、『仏説無量寿経』(サンスクリット)、『仏説観無量寿経』(サンスクリットなし)、『仏説阿弥陀経』(サンスクリット)の三経典をさす。

5・2 禅宗

5・2・1 中国生まれの仏教で、達磨禅師(~528)が伝えたとされるが、座禅の法は仏教独自のものではなく、シャカ以前から存在していたという。ヨーガスートラの第三アサーナ(坐法)や第七ディアーナ(静思)が源という。

5・2・2 禅の思想
 キャッチフレーズ風にまとめれば、只管打坐・不立文字・教外別伝・仏祖正伝・直使単伝・己事究明。シャカは極めて分析的な人で、瞑想を通してシャカの悟りを追体験しようとするのが禅。禅は体系を否定し、直感を重んじる。

5・3 密教

5・3・1 仏教の衰退
 仏教は7世紀頃から衰退が始まる。その原因として以下があげられるという。①仏教はあまりに高踏的で、大衆がヒンディー教に向かった ②出家中心への反発 ③現実問題に冷淡 ヒンディー教は現実的 ④仏教を保護した王政が消滅 ⑤イスラームの侵入

5・3・2 密教の発生
 民衆を仏教に呼び戻すためにヒンズーに回帰する。ヒンズーの神々を取り入れたため、密教には神が多い。

5・3・3 密教の歴史的区分
①前期(5世紀~) 除災招福など呪術による現世利益中心
②中期(6~7世紀)悟りによる解脱が中心。「身口意」の三密業とは、印契(身密)・真言(口密)・観法(意密)のこと。
③後期 タントリズムが生まれる その定義は難しいようだが、要は性行為を修行に導入した
④最終期 カルト教団的要素が強まり、戒律と矛盾が生じ、13世紀には滅亡する。

5・3・4 密教と顕教
最澄と空海とで理解が異なっていた。最澄は大乗の中に顕教・密教があると考えたが、空海は密教・顕教の区別がまずあり、顕教の中に大乗・小乗があると考えた。キリスト教から見れば、仏教には正統と異端の区別がない。どの教えが正統でどの教えが異端なのかという区別がない。

5・3・5 密教の行
行とは、マンダラを眺め、マントラ(真言)を唱え、印契をむすび、心を集中し、最終的に自らを大日如来と一致させる修行のこと。方法としては、マンダラ、マントラ、護摩、灌頂、阿字観、加持祈祷、などがあるという。

5・3・6 密教経典
大日経、金剛頂教

5・3・7 密教の仏たち
大日如来、薬師如来、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、観音菩薩、多くの明王など多数。なお、如来と菩薩の区別は大事である。

 S氏はこのように、仏教を4つの異なる仏教に整理された。小乗・大乗・浄土教・密教。これはこれで興味深い整理の仕方である。日本の仏教は奈良仏教系・平安仏教系・浄土系・禅系・日蓮系に分類されることが一般的だが、この対比は興味深い。


6 大乗経典

6・1 大乗経典の数

 大乗経典はキリスト教から見れば「教父の書」みたいなものらしいが、数が違う。聖書でいえばキリスト教では、旧約が39巻、新訳27巻、合計66巻。これはこれで大部だが、大乗経典はなんと3000以上あるらしい。とはいえ、通常読まれるのはせいぜい30位で、1%弱。大体同じくらいの分量なのかもしれない。大乗経典は原文はサンスクリットだが、小乗ではパーリー語で唱えられているという。

6・2 般若心経

 般若経のグループは大乗仏教初期の代表的経典。般若心経は般若経のエッセンスを短く述べたものだという。我々にももっともなじみのあるお経である。大いなる知恵の完成を説く核心的経典で、小乗仏教を否定し、空の思想を強調している。人間観としては五蘊、六根、六処を持ち、八正道と四諦(苦集滅道)を否定している。彼岸に到達する修行の方法として六種類があげられている:布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)。

 このあと、般若心経を全員で読んだ。高校の漢文読み下しみたいに一行一行読み、解読していった。現在はネットを見れば、原文も日本語訳も色々読める。また、音声でも聞くことができる。念のためちょっと引用しておこう。(一部変換できない文字がある)。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩?、依般若波羅蜜多故、心無?礙、無?礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

日本語訳も色々あるようだが、オーソドックスな訳をみてみよう。

観音菩薩が、
深遠なる「智慧の波羅蜜」を行じていた時、
〔命ある者の構成要素たる〕五蘊は「空虚」であると明らかに見て、
すべての苦しみと災い〔という河〕を渡り切った。
「シャーリプトラよ、
色(肉体)は「空虚」と異ならない。「空虚」は色と異ならない。
色は「空虚」である。「空虚」は色である。
受(感覚を感じる働き)、想(概念)、行(意志)、識(認識する働き)もまた同様である。
シャーリプトラよ、
すべての現象(一切法)は「空虚」〔ということ〕を特徴とするものであるから、
生じることなく、滅することなく
汚れることなく、汚れがなくなることなく
増えることなく、減ることもない。
ゆえに「空虚」〔ということ〕の中には、
色は無く、受、想、行、識も無い
眼、耳、鼻、舌、身、意も無く、
色、声、香、味、触、法も無い
眼で見た世界(眼界)も無く、意識で想われた世界(意識界)も無い
無明も無く、無明の滅尽も無い
"老いと死"も無く、"老いと死"の滅尽も無い
「これが苦しみである」という真理(苦諦)も無い
「これが苦しみの集起である」という真理(集諦)も無い
「これが苦しみの滅である」という真理(滅諦)も無い
「これが苦しみの滅へ向かう道である」という真理(道諦)も無い
知ることも無く、得ることも無い
もともと得られるべきものは何も無いからである
菩薩たちは、「智慧の波羅蜜」に依拠しているがゆえに
心にこだわりが無い
こだわりが無いゆえに、恐れも無く
転倒した認識によって世界を見ることから遠く離れている。
過去、現在、未来(三世)の仏たちも「智慧の波羅蜜」に依拠するがゆえに
完全なる悟りを得るのだ。
それゆえ、この「智慧の波羅蜜」こそは
偉大なる呪文であり、
偉大なる明智の呪文であり、超えるものなき呪文であり、
並ぶものなき呪文であり、すべての苦しみを除く。
〔なぜなら〕真実であり、偽りなきものだからである。
〔さて、〕「智慧の波羅蜜」という呪文を説こう、
すなわち呪文に説いて言う:
"ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー"
(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に正しく往ける者よ、 菩提よ、ささげ物を受け取り給え)
〔以上が〕般若心経〔である〕。

 最後の「羯諦羯諦」はどうも英語でいえば Go ! Go ! という意味らしい。日本語訳も簡単に理解できるものではなく、ある程度の仏教の知識が必要だ。ちなみに、舎利子 シャーリプトラ は釈迦の弟子の名前のようだ。内容も、祈りというよりは哲学的言明のように聞こえる。とはいえ、その占める位置は我々でいえば信仰宣言みたいなもので、ニケア・コンスタンチノープル信条を思い起こさせる。
 少し長くなったので、次は次回にまわしたい。


注1 日本仏教は大乗仏教だが、僧侶は妻帯する。日本仏教の二大特徴の一つと言われるらしい。もう一つの特徴は浄土系が強いことのようだ。この辺の議論は次の文献がおもしろかった。
佐々木閑・宮崎哲弥『ごまかさない仏教ー仏・法・僧から問い直す』2017
佐々木閑 『集中講義 大乗仏教』2017
立川武蔵 『ブッダをたずねてー仏教2500年の歴史』2014
橋爪大三郎・大沢真幸『ゆかいな仏教』2013
注2 インドで消滅と言っても、現在でも少しはいるようだ。人口比は現在の日本のカトリック並で0.7%という。ちなみに、2011年で、 ヒンドゥー教徒79.8%,イスラム教徒14.2%,キリスト教徒2.3%,シク教徒1.7%,仏教徒0.7%,ジャイナ教徒0.4%、という数字があるが、数値にあまり意味はないようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神道とキリスト教(学びあいの会雑談)

2018-02-01 15:53:48 | 神学

 学びあいの会で仏教を勉強している。会のあとの雑談で、日本では神仏習合だから神道のこともわからないと仏教のこともわかりづらい、という話でもりあがった。例えば、お稲荷さんは仏教なの、神道なの、とか、恵比寿さんは仏教なの、神道なの、という話になる(注1)。そこで雑談の中で出てきた議論を少しまとめ、手元の本を読んで補ってみた。雑談だからそれほど根拠のある話ではないので、お気に障る話があったらご勘弁願いたい。

 キリスト教からの神道論は大きく見て二つあるようだ。一つは16世紀の「キリシタン論」であり、もう一つは明治期の「耶蘇教論」だ。キリスト教が神道を見る目には変化があるようだ。キリシタン時代には、神道は仏教とは別物で、教義的にもそれほど強敵とは思っていなかったようだ。明治以降は神道は最初は宗教として、戦後は習俗の衣をかぶって、キリスト教に対峙してくる。この変化は神道がキリスト教を見る目にも影響を与えているのかもしれない。また、キリスト教からみれば、キリスト教は神道がもつ(とされる)日本的霊性とは何かを学びなおす機会なのかもしれない。現代の文脈で言えば、靖国神社問題などに対する態度ではクリスチャンのあいだにも意見の違いがある。われわれはカトリックとして神道をどう理解しているのだろうか。

 カトリックの神学者は神道とは何かという問いはあまり掲げないようだ。それは、われわれの中に神道についての共通理解がありそうで、ないかららしい。神道に教義があるか、という問い以前の問題として、カトリック信徒の神道理解にあまり共通性がないからだろう。たとえば、「神道」をカト研の皆さんはなんと読んでいるだろうか。なんと発音しているだろうか。「しんとう」と清音か、「しんどう」と濁音か。「ジンドウ」から「シントウ」への読み方の変化に神道の性格の変化を見る専門家もいるようだ。ここでは普通にシントウと清音で読んでおこう。

 定義的に言えば、神道は「民族宗教」で、祖先崇拝と自然崇拝(アニミズム)を中心とする「神祇信仰」(注2)と言えそうだ。しかし、この定義はすぐに難問にぶつかる。それは、日本の民族宗教は「神仏習合」であり、神道と仏教は区別できない、神道は仏教にのみこまれてその一部に過ぎない、という考え方が一方にあり、他方、神道と仏教は明確に区別される「神仏隔離」が特徴だという考え方もあるからだ。明治期の廃仏毀釈・神仏分離、つまり、仏本神迹(本地垂迹)から神本仏迹への変化は、神仏習合が日本の宗教だとは言えない証拠だという考え方だ。16世紀のキリシタンは神道と仏教をわけて考えていたようだ。わたしどもの教会にもキリシタン研究に詳しい方が何人かおられ、こういう神仏隔離説をとる方がいるという。

 キリスト教が日本に伝えられたのは、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した1549年だ。宣教師と日本人によるキリシタン信仰は1639年の完全鎖国までほぼ100年間にわたり続く。キリシタン論では、ハビアンの『妙貞問答』(1605)やルイス・フロイスの報告書『日本史』が取り上げられるという。これらの本によれば、当時のキリシタンや宣教師たちも、日本の宗教についてはどちらかというと神仏隔離説の立場に近かったようだ。具体的には「吉田神道」こそ日本の神道の代表で、教義上の強敵だと考えていたようだ。吉田神道は、神道は仏教から独立した信仰であると主張することを特徴とする。キリシタンの神道論とは吉田神道論といって良いらしい。

 次に話題になったのは、神道の定義に関わる「カミ」概念だ。万葉仮名では「迦微」と書いたらしいが、普通は「神」と表記される。記紀を学んだ国学の本居宣長風にいえば、森羅万象すべてがカミで、人間も自然もモノ(物)もすべてカミとされる。キリスト教のGodのような創造神ではない。教会でわれわれが使う「神」と、神社で日本人が祈る「神」は同じではない。キリスト教のGod(父なる神 名前を持たない)もユダヤ教のヤーウエもイスラムのアッラーも同一人物で、おなじ神のことを指している。しかし、神道では八百万の神々と言われるように神はたくさんいて、しかも皆死んでしまっている。神道のカミは死者のカミだ。一神教のGodは生きている神だ。神という言葉が紛らわしいという点は改めて論じる必要はないであろう(注3)。

 教義的には神仏習合説は、「本地垂迹説」、「中世日本記説」、「天台本覚説」の三本柱から成り立っているという(注4)。本地垂迹説とは、インドにいた仏や菩薩が日本にやってきてカミガミになった、という説だ。本地とはインドのこと。垂迹とは動き、移ることを意味する。中世日本紀説とは記紀を本地垂迹説で説明することだ(キリスト教で言えば予型説だろうか)。例えば、天照大神は大日如来だとされる。天台本覚とは、誰でも仏性を持っていて仏になれるのだから修行なんかして苦労する必要はない、という考えだ(注5)。仏教には体系化した教義はないというのが我々の今の印象だが、神道においてはなおさらという感をぬぐえない。それでも、本地垂迹説こそ神仏集合説の基本だと考えて良さそうだ。
 義江によれば、本地垂迹説は、記紀のケガレ観念、密教化した仏教、怨霊信仰、浄土信仰、を基礎に持っており、平安末期から室町時代にかけて成立した考えだという。普遍宗教とは異なる「基層信仰」だという。日本的霊性の基層になっているという意味であろう。かれは、神々はホトケになりたかった、と述べている。神は菩薩だった(注6)。
 中世の神道は両部神道(真言神道)を中心に発展したようだが(注7)、ここでは近世の神道である吉田神道(唯一神道)をキリシタンがどう見ていたかをみてみよう。
 吉田兼倶(1435-1511)は「根本・枝葉・花実説」を唱えたという。神道は根本、儒教は枝葉、仏教は花実とし、儒教と仏教は神道の分枝に過ぎ無いとした。本地垂迹説の否定で、神本仏迹説と呼ばれるらしい。また、「天道思想」とも呼ばれるようだ。天道とは吉田神道の大元尊神(国之常立神)のことで、仏教儒教をも統合する宇宙の根源原理のことのようだ。ハビアンの『妙貞問答』によれば、キリシタンはデウスを天道と呼んでいたという。天道観念が持つ創造神的性格が日本人をキリスト教に強く引きつけたという説もあるらしい。逆に、キリスト教がもつ霊魂不滅観は神道の担い手たちを引きつけたようだ(注8)。
 キリシタンによる神道の評価は仏教に比べれば低かったらしい。仏教のような思弁性・抽象性がなく、多神教的であり、現世利益追求型であり、陰陽道など土俗信仰を含んでいるとみたようだ。他方、神道の担い手側からはこのキリスト教の神観念(創造神・救済神)は驚くべきものとして映ったようだ。細川ガラシャ(明智玉)もこういう世界の中でキリスト教に近づき、洗礼を受けたようだ。吉田神道の流れの者がキリスト教に近づいた例は多いらしい。ちなみに高山右近は幼少時に洗礼を受け、神道の影響はないらしい。

 江戸時代に入り林羅山らの儒家神道が生まれてくると神道は次第にキリスト教との関わりを持たなくなる。次に両者が出合ったのは1868年の王政復古の号令の発布後だ。神仏判然令のあと「廃仏毀釈」の嵐が吹き荒れる。キリスト教への弾圧もおこる。しかし、結果的に神道の国教化政策は失敗する。伊藤博文らを中心とするこの間の経緯はよく知られている。仏教や神道を国教化する代わりに、いわば「天皇教」が構想され、天皇制の構築が始まる。神道は国教にはなれなかった。そのかわり、神道は宗教ではないという神道非宗教説が臆面も無く打ち出されてくる。

 明治政府は宗教の自由をうたいながら実際はキリスト教は耶蘇教だとして弾圧を続けた。カトリックとしては、浦上四番崩れと、ペトロ岐部と187殉教者の列福は忘れられない。キリスト教が公然と活動できるようになたのは、1873年のキリスト教禁制の高札撤廃の後である。高札が撤廃され、プロテスタントを中心とする宣教が始まるのは熊本バンドなどが旧士族に受け入れられていってからのことだろう。やがてキリスト教は文明開化のなかで、西欧文明の宗教として受容されていった。内村鑑三の無教会主義など新しいキリスト教も生まれてくる。
 他方、神道は仏教から独立しようと努めてきた。われわれが今見ている神道は仏教と切り離された神道だ。教派神道のみならず、神社神道も明治以降人為的に作られた神道だ。だが、雑談では、キリスト教から見れば、現在の神道はまだ二つの難問を解決できていないようだと、話が熱を持った。一つは、仏教の影響を受けている両部神道や吉田神道から自立した神道というものが本当にあり得るのか、という問題だ。神道は本当に仏教から切り離されているのだろうか。神仏分離は成立しているのだろうか。第二の問題は、神道は宗教ではなく習俗だと本当にいえるのか、という点だ。神道は日本固有の民族宗教だというのなら、現在の神社神道は宗教ではないのだろうか。キリスト教から見れば神社神道は宗教にしか見えない。

 ということで、雑談はおもしろかった。それにしても皆さん学識のある方ばかりで、学ぶことが多い。

注1 今すぐ思い浮かぶ神様としては、八幡さま・お稲荷さん・天神さま・明神さま・道祖神・お蚕さまなど。また、仏さまは身近なところにたくさんありそうだ。お地蔵さん・観音さま・大黒さま・恵比寿さま・弁天さま・如来さま・薬師さま・明王さま・お不動さん・金比羅さま・韋駄天・閻魔さま・達磨さん・太子さま・お大師さま・権現さまなど。「さま」と「さん」をどう使い分けているのかわたしにはわからない。八幡さんとは言わない気がする。
注2 伊藤聡『神道とはなにか』2012
注3 カトリックでは、デウスやGodを「天主」と訳していたが、あるとき「神」に変更した。その経緯や是非については現在でも議論が続いているようだが、いまさら訳語をもとに戻すわけにはいかないようだ。残念なことである。「教皇」と「法王」という訳語も同じようになんとか教皇で統一してほしいものである。
注4 義江彰夫『神仏習合』1996
注5 死んだら仏になるというのが今の日本人の死生観だろう。人は死ぬと霊魂が肉体から抜けて幽霊となって暫くはその辺にふらふらと浮いている。やがて三途の川を渡って極楽に行き、仏様になる。残された我々は「ゆっくりお休みください」とか言って、死者は仏になると思っている。また、葬儀(告別式)では、弔辞は参列者に向かってではなく、正面の祭壇に向かって読まれる。まるで祭壇の周りに霊魂がふわふわと漂っているかのように話しかける。これは仏教の死生観ではない。現代日本の、作られた、死生観だ。仏教は死後の世界の存在を認めない。輪廻思想を持っているからだ。日本の現在の仏式の葬儀には儒教と神道の影響がみられるという(例えば、お通夜で遺体を自宅に安置したり、会葬者に浄めの塩を渡したりする)。
注6 天皇家は神道の総元締めみたいに思われているが、明治維新までは実は仏教徒であり、皇居には仏壇があり、仏を拝んでいたという。これは、天皇家の誰かが個人としてキリスト教の洗礼を受けることもあり得ると言うことなのだろうか。
注7 両部とは、密教の胎蔵・金剛の両界のこと
注8 『日本思想大系 25  キリシタン書・排耶書』  1970

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする