カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

教会の非中央集権化は「開かれた教会」を生み出したか ー 岩島師教会論25(学びあいの会)

2021-03-25 11:44:33 | 教会


Ⅲ 『現代世界憲章』のヴィジョン

 岩島師は続いて現代世界憲章のなかの教会論に関する部分に簡単に言及する。この憲章の位置づけ、教会憲章との関係などについての詳しい説明は省いている。そこでここで前書き風に少し触れておきたい。

 現代世界憲章が採択されたのは、すでに触れたように、第9公開会議の最終審議日(1965・12・7)だ。「教会の現代化」がモットーとして掲げられた。つまり教会が現代世界と対話することだ。これがヨハネ23世がこの第二バチカン公会議を開いた主旨であることを考えると、この憲章の重要性がよくわかる。また、それが難産の末の成果だったことがよくわかる。「憲章」ではなく「宣言」にとどめるべきという声はかなりあったようだ。この憲章は普通、教会憲章を補うもの、教会憲章の続きのように語られることが多い。だがその意義は教会論を超えてもっと広く、深いようにも思える。

 現代世界憲章は第一部が4章、第二部が5章で構成されている。全部で93項あり、教会憲章よりも長い。目次を見てみよう。正式なタイトルは『現代世界における教会に関する司牧憲章』となっている。

序文
前置き 現代世界のおける人間の状況
第1部 教会と人間の召命
第1章 人格の尊厳
第2章 人間共同体
第3章 世界における人間活動
第4章 現代世界における教会の任務
第2部 若干の緊急課題
第1章 結婚と家庭の尊厳の推進
第2章 文化の発展
第3章 経済・社会生活
第4章 政治共同体の生活
第5章 平和の推進と諸民族の共同体の促進
結語

 前回にも触れたように、第二バチカン公会議が「教会論」を集中的に取り上げたのは公会議の歴史の中で画期的な出来事だった。だがこれは逆に言えば、世界を取り巻く「社会問題」がほとんど取り上げられなかったことを意味する。保守的な当時の教皇庁が用意した70議案のうち社会問題を取り上げたのはただ一つだけだったという。

 第4会期は1965年9月14日から開始されたが、公会議事務局が用意した議案はどれもがあまりに楽観的なトーンで書かれていたという。当時の世界が直面していた矛盾、罪と悪の現実は黙殺され、十字架の神学も十分には取り上げられていなかったという。ここにラッチンガーが登場し、原案作成に関わってきたという。後のベネディクト16世である。かれは当時は進歩派の先頭を切っていたのだ(1)。
 現代世界憲章の「解説」を書いているH・J・マルクス(聖書学者)は、この憲章の「意義」を5点に整理している。

①キリスト教人間学の構想をたてた:それまで別々に論じられていた創造・罪・恩恵・終末などを総合した
②無神論へ対応した:無神論とはここでは具体的には実存主義とマルクス主義のことで、無神論を断罪するだけではなく、信者と無神論者は世界構築のため協力しなければならないとした。
③結婚と家庭についてのトリエント公会議以来の静的な見方を克服した:夫婦愛と出産が取り上げられ、夫婦間の性行為の尊さが讃えられた。産児制限については堕胎だけが弾劾されており、人工的産児制限はあえてふれられていない。
④労働の尊厳を強調した:単に私有財産の擁護だけではなく、資本に対する労働の優位を力説している
⑤戦争と平和について伝統的正戦論を乗り越えた:正当防衛権を認めながらも、原子・生物・化学兵器の使用は正当防衛の範囲を超える無差別破壊をもたらすと警告した。以後歴代教皇は第一次イラク戦争などに反対していく。


(教皇ヨハネ23世)

 

 さて、このような現代世界憲章を岩島師は以下のように紹介している。

第二バチカン公会議における教会についての記述は必ずしも教会憲章に限定されない。16文書すべてが教会の在り方に関わっていると言っても過言ではない。特に、第1部第4章(40-45項)のテーマは「現代世界における教会の任務」である。40項は教会の課題・起源・目的・働きについて述べている。この項は、この憲章全体の発想をよく示している。教会は神の自己譲与の成果であり、現実の歴史において働く。それは教会からの一方通行ではなく、相互関係であると述べる。41-44項は教会と世界の相互関係を記述し、45項はこの相互関係のキリストにおける完成(初めと終わりであるキリスト)について記述する。

 現代世界憲章に関するこういう要約の仕方は、上記H・J・マルクスの「解説」とは力点の置き方が全く異なることが解る(2)。

4 第二バチカン公会議と教会

 ここは岩島師の第二バチカン公会議への評価である。師は2点指摘している。

①教会の非中央集権化が進んだ
②「完全なる社会」論から「開かれた教会」論への転換がなされた(3)

 ①は、絶対主義的・中央集権主義的な教会理解が解消したことだという。具体的には以下の5点が挙げられている。
 a キリストこそ教会の真の主
 b 教会の最高権威としての教皇中心主義は、司教の団体性指導原理により修正された(4)
 c 教会は神の民 ヒエラルヒーは教会の秩序維持の手段である
 d 他のキリスト教会、他宗教への開かれた見方を提示した
 e 教会は自己目的ではなく、世界のために存在するとした

 ②では、前時代の「完全な社会」論は、典型的な閉ざされた社会のパターンである。第二バチカン公会議の教会論は開かれた社会のパターンである。変化していく世界の中で、人類全体の救いのために教会が存在するという思想を打ち出した、と述べている(5)。



1 現在の名誉教皇ベネディクト16世は教皇フランシスコと較べれば保守派サイドに位置づけられるだろう。ラッチンガーが変わったのか、教会が変わったのか、評価は難しい。
2 岩島師はこの現代世界憲章をあまり評価していないのかもしれない。またはこの本『キリストの教会を問うー現代カトリック教会論ー』が書かれた時代(1987)の制約かもしれない。この時期、1980年代にはいると、正平協の変質に見られるように岡田大司教の下にあった日本の神学校や司教団*は急速に「左傾化」*していく。第二バチカン公会議の「教会の現代化」は日本では「教会の左傾化」に読み替えられてしまったかのようである。日本のカトリック神学のリーダーだった岩島師のこの著作はこういう状況下で書かれたという文脈において読む必要があるようだ。
 *日本では「司教団」の力が極めて強い。教区司祭は人事権を握られているし、服従が叙階の条件だから、ほとんど発言できないようだ。しかも信徒数に較べ司教の数がダントツに多い。教区も多く、細かく分かれすぎている。個々の司教にはすぐれた方がたくさんおられるようだが、組織としてはここ数十年変化していない印象を受ける。
 *左傾化とは曖昧な言葉で使いたくはないが、『広辞苑第7版』によると、「社会主義・共産主義などの左翼の立場に傾くこと」と説明されている。左翼(Left)という言葉も曖昧で、党派性を右・左で類型化する思考はフランス革命まで遡らなければならないが、これは保守・革新(日本)や、リベラル・保守(米国)、進歩・保守(ヨーロッパ)という類型とは異なる。これはイデオロギー論のテーマなので改めて考えてみたい。
3 「開かれた教会」というスローガンもその中身はあまり具体的ではない。神学的にリベラル神学や福音主義神学批判のことを言うわけではなく、また、ある特定の組織形態や団体を意味しているわけでもなさそうだ。大きく見て二つの側面があるようだ。一つは、聖職者と信徒との上下関係が緩やかになるという意味だ。教会内部が開かれるという意味だ。たとえば信徒使徒職が見直された。もう一つは教会が社会に開かれるという意味だ。つまり宣教を重視するという意味だ。さて、第二バチカン公会議後の日本の教会は宣教に成功したのか。努力が成果に結びついたのか。統計で見る限りここ数十年間信徒数は減少の一途を辿っている。「アジアシノドス」(世界代表司教会議 1998)をめぐるローマとの軋轢は日本の司教団が歩んでいる道の険しさを示しているようだ(使徒的勧告『アジアにおける教会』)。
4 司教の団体性指導原理とは、全世界の司教は団体として教会全体を導く最高責任者であることをいう。この責務は明白な形では公会議において遂行されるが、「全世界に散在しているときにも、……団体的機能を行使できる」と教会憲章で述べられている(22項)。「教皇の首位性」に対して「司教の団体性」を強調しているのが第二バチカン公会議の特徴と言えるだろう。
5 岩島師の議論はここで終わっているが、本書出版35年後の現在を岩崎師はどのように見ているのだろうか。ネットでも講義を続けられる師が好んで取り上げられる現代の問題は、インカルチュレーション*・小教区の制度・女性の役割・信徒使徒職などだ。女性の叙階とか司祭による性的虐待問題とか同性愛問題とか正平協問題とかセンシティブな問題はあまり取り上げられない。教会論の視点からの発言を望みたいところだ。
*元来は文化人類学の用語で文化の受容という意味だが、教会では具体的にはキリスト教の土着化のことをさす 土着化という用語はナショナリズムとの関係を論じざるを得ないのでインカルチュレーションという言葉は使いづらく現在はあまり使われない言葉だ 教会では、谷口幸紀師のようにそのイデオロギー性を強調して言葉の使用を強く否定する人もいるが、便利な言葉なので教会にはあえて使う信徒も多いようだ

 

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「神の民」とは誰のことか ー 岩島師教会論24(学びあいの会)

2021-03-23 21:20:40 | 教会

Ⅱ 第二バチカン公会議の教会憲章

 第二バチカン公会議(1962-65)では16本の公文書(4憲章・9教令・3宣言)が公布されている。『第2バチカン公会議 公文書全集 』(1986 南山大学 監修) には以下のような目次が載っている(公開会議と章番号は私がつけた)。

第3公開会議(1963・12・4)
1 典礼憲章 * 
2 広報機関に関する教令
第5公開会議(1964・11・21)
3 教会憲章 *
4 東方カトリック諸教会に関する教令
5 エキュメニズムに関する教令
第7公開会議(1965・10・28)
6 教会における司教の司牧任務に関する教令
7 修道生活の刷新・適応に関する教令
8 司祭の養成に関する教令
9 キリスト教的教育に関する宣言
10 キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言
第8公開会議(1965・11・18)
11 神の啓示に関する教義憲章 *
12 信徒使徒職に関する教令
第9公開会議(1965・12・7)
13 信教の自由に関する宣言
14 教会の宣教活動に関する教令
15 司祭の役務と生活に関する教令
16 現代世界憲章 *

 詳しくは解らないが、憲章(Constitutio)とは公会議が信仰・道徳に関して決めた文書のことで、教令(Decree)とは教皇の決定で副書がないものを指し、宣言(Declaratiio)とは教会の姿勢を表明する文書、とされるようだ。憲章が最も重要な文書で、ここでは星印をつけてある(1)。

 教会憲章が公布されたのは1964年11月21日で、第3会期(1964・9・14~11・21)の最後の段階(第5公開会議)だった(2)。第一会期は準備期間で、第二会期は提案された議題が多すぎて収拾がつかなくなり、後継教皇パウロ6世は教会論とエキュメニズム論を第二会期の優先議題としたのだ。

1 教会論的出来事としての公会議

 岩島師によると、教理省によって用意された草案は、ピオ12世の回勅『ミスティチ・コルポリス』のラインに沿った伝統的・スコラ的・静的・法的なものであったため、ほとんどすべて反故にされた。会議は保守派と進歩派との激しい対立のなかで行われたが、ヨハネ23世のリーダーシップにより新しい司牧的教会論が成立した。最終的に公布された文書は画期的なものであった。

2 『教会憲章』の構造

 教会憲章は次のような目次になっている。教会憲章の正式のタイトルは「教会に関する教義憲章」というもので、普通は「ルーメン・ジェンツィウム」と呼ばれことが多い。「諸民族の光」と訳されているが、これはこの憲章の書き出しの文が Lumen gentium  だからだ。第1章の序文の1は「諸民族の光はキリストであり・・・」と始まっている(3)。

第1章 教会の神秘について
第2章 神の民について
第3章 教会の位階的構成、とくに司教職について
第4章 信徒について
第5章 教会における聖性への普遍的召命について
第6章 修道者について
第7章 旅する教会の終末的性格および天上の教会との一致について
第8章 キリストと教会の神秘の中の神の母、聖なる処女マリアについて
通達 聖なる第二バチカン公会議の記録より

3 教会憲章の解釈と個別テーマ

 第1章と第2章は「教会という神秘」を説明している。教会は神の啓示だという説明だ。第3章・第4章は教会の実態を説明している。その位階制、教皇・司教・司祭・助祭・信徒とは誰なのかの説明だ。第5章・第6章は教会の実態ではなくカリスマの視点からその聖性を説明する。第7章・第8章は教会の終末的性格を説明している。

 教会憲章のカトリック中央協議会による日本語訳(2014)には和田幹男師が詳細な「解説」を載せている。細かくなるので、ここでは岩島師の整理を要約しておきたい。

 第1章 教会の神秘について

1項:原秘跡としての教会の教え 教会は神と人間との交わりの秘跡だ
 1 教会の力の源泉はキリストであり、教会は神と人とが結ばれるための道具
 2 教会自体が秘跡である(教会は秘跡をおこなう場所という従来の考えを逆転させた)
2~5項:三位一体の神の自己譲与としての教会
5~6項:聖書に教会を尋ね求める
7項:パウロのキリストの体としての教会について
8項:教会は見える姿として歴史を通して歩む キリストの教会とカトリック教会の関係
 「キリストの教会はカトリック教会の内に存在する」(subsit in Ecclesia catholica) 
 subsit であり、est ではない。つまり、キリストの教会=カトリック教会とは言っていな  い。エキュメニズム思想が反映している表現になっている。

 第2章 神の民について

神の民とは聖書的用語だ。そのヘブライ語amは、ギリシャ語のデモス、「人民」とは異なり、元来はむしろ家族や親族に近い言葉だという。
神の民とは教会の本質を表している。ヒエラルヒーの下にある二流の信者、いわゆる「平信徒」という考え方を訂正し、新しい教会の見方を提示した。

10~12項:神の民はキリストの王職(牧職)、祭司職(祭職)、預言職に与る。教会は全体としては不可謬である。
14項:カトリック信者とはいかなるものかを述べる。信者は救いのためには恵まれた条件の下にいるが、この恵に応えなければ厳しい審判が待っていると戒める。
15~16項:神の民の帰属の諸段階を説明する。いわゆる「同心円」説だ。つまり、カトリック信者ーその他のキリスト教信者(東方教会・プロテスタント)-その他の宗教者ー無神論者という図式だ。無神論者も救われる可能性があるという視点だ。

 第3章 教会の聖職者制度、特に司教職について

20項:司教の任務は群れの牧者。司教の統治権は、教皇からではなく、使徒から授かった権限だ
22項:司教の団体性指導原理。教皇と共に司教団が最高の指導権を持つ(5)。
29項:終身助祭制度の復活(6)

 第4章 信徒について

信徒についての神学的解明は公会議史上初めてだという。信徒とはラテン語のlaicusの訳語だが、語源的には為政者によって統治される民、国民、人民を意味していた。やがて教会では、聖職者によって導かれる「信徒」の意味になり、聖職者ー信徒という上下の関係に位置づけられ、信徒は過小評価されてきた。この信徒を神の民として考察し、位置づけ直したこの憲章は価値あるものだ。
31項:信徒の定義
   1 キリスト教徒で、聖職者・修道者以外の者(消極的定義)
   2 現世的な特性を有する(世俗で生きている 聖職者は世俗で働いてはいない)
 (積極的定義)
32項:信徒は多様な任務を持ち、ただ受け身であってはならない
33項:宣教の務め
34~36項:信徒の祭司職・預言職・王職への参与
37項:信徒は聖職者から霊的援助を受ける権利を持つ

 第5章 教会における聖性への普遍的召命について

聖職者ー信徒は位階制のもとにあるが、では修道者はどこに位置づけられるのか。修道司教、修道司祭とはなんなのか。理解するには聖性(holiness)の視点が必要になる。

39項:教会は本質において聖である
40~42項:聖化への道は多様であり、個々の身分に応じて聖性への道を歩むべきだ(7)

 第6章 修道者について

前章で述べた教会の聖性の典型が修道生活である。
教会の位階的構成である聖職者ー信徒とは別に、修道者は「清貧・貞潔・従順」という奉献をおこない、自発的な生活形態を教会の中で選択する。本章は全5項から成り、第43項は修道者の生活の特徴、44項はそのカリスマ的側面、45項はその法的側面を明らかにし、46項は教会・社会にとっての修道者の意義が述べられる。

 第7章 旅する教会の終末的性格および天上の教会との一致について

この章はヨハネ23世の提唱、パウロ6世の支持により付け加えられたという。教会の歴史的、終末的性格を述べている。終末とは時の終わりを意味し、この終わりについての学問を終末論(eschatology)という。終末論には個人的終末論と集合的終末論がある。組織神学では主に前者が、私審判(死後人間個人におこなわれる)と公審判(世の終わりにおこなわれる)、天国・煉獄・地獄などのテーマが考察された。聖書、特に黙示文学は後者を考察している。新しい契約とか、新しい神の民とか、回復される人類とか、宇宙とかのテーマである。

 第8章 キリストと教会の神秘の中の神の母、聖なる処女マリアについて

この章の草案は別の独立した委員会で作られたが、結局独立した文書ではなくこの教会憲章の中に含まれることになった(8)。
 聖書の中で聖母マリアが登場することは少ない。聖母の無原罪の御宿りとか聖母の被昇天などの教義はあるが、これらの教義はどうしても思弁的・抽象的にならざるを得ない。その点この章は新たなマリア論を展開している(9)。

52~54項:マリア崇敬の根拠(神の母)
55~59項:救済史における聖母の役割
60~65項:教会の象徴でかつ信者の母であるマリア
68~69項:旅する教会にとっての希望と慰めのしるしとしてのマリア

4 教会憲章の特徴

岩島師はこの教会憲章の特徴を以下のように整理している。厳しい評価だが肯定的・好意的ではある


 ①歴史上初めての、教会に関する総合的な公会議文書
 ②従来の制度としての教会論と新しい教会論との妥協の産物
 ③にもかかわらず教会論の転換を告知している
 ④その新しさは全体の構造にある。すなわち、教会は、神の救いの計画の中に正しく位置  づけられ、狭い制度的理解から脱しており、民全体が教会とされている
 ⑤源泉への回帰がみられる

 『現代世界憲章』と岩島師の評価は次回にまわしたい。

 

(聖ペテロ大聖堂での全体会議)

 

 



1 過去の公会議は教義上の異端への反駁のために開催されることが多かった。この第二バチカン公会議はそうではなく、教会の在り方に集中して開かれた歴史的には希有な公会議だ。なお、カトリック中央協議会の邦訳では、典礼憲章と教義憲章は一冊に納められている。
2 公会議への参加者は3000人くらいと言われ、毎年秋に集まり、議案は自国に持って帰って検討したようだ。会期途中でのヨハネ23世の死去(1963・6・3)、パウロ6世の選出など波乱の公会議だった。
3 「序文の1」の「1」は「項」と呼ばれ、いわば通し番号だ(「条」ともいう)。教会の文書は章とか節とかでわけるのではなく、すべて「項」番号が振られている。教会憲章は69項から成っており、第69項は「キリスト者の一致のためのマリア」と解説されている。聖書も同じだが、こういう説明が付されていないと項だけでは理解がなかなか難しい。
 なお、本文の最後におかれた「通達」はあまり言及されることはないが重要なものらしい。正式には、「1964年11月16日、第123回総会において公会議事務局長からなされた通達」と題されており、教会憲章の「神学上の格付け」を説明している。和田師によれば結局この教会憲章は「教義決定ではない」と述べているようだ。信者はもちろんこの憲章を「受け入れ、堅持しなければならない」が、教義ではないという説明のようだ。この通達が載っていると言うことはこの憲章が保守派と進歩派の妥協の産物であることを示しているのかもしれない。
5 司教団の団体制指導原理はこの公会議で最も激しい論争が行われた争点のようだ。つまりは、教皇至上主義なのか公会議至上主義なのかの問題に行き着く。現在は司教団の優位性が強調されているようだ。
6 助祭とは司祭に成る前のせいぜい一年くらいの一段階と思われがちだが、それは普通の助祭の話で、それとは別に終身助祭がいる。助祭は叙階されるから祭司職で、生活や報酬は教会が保証する。だがミサを挙げることは出来ないから「聖職」と呼ばれるのかどうかは解らない。終身助祭には「独身の助祭」と「妻帯の助祭」がいる。離婚経験者は終身助祭にはなれないし、助祭になった後の結婚は認められないようだ。第二バチカン公会議で導入されたこの制度は教区によっても運用が異なるらしい。東京大司教区では1999年に公にこの終身助祭制度が導入され、現に終身助祭がいる。名古屋、浦和教区にも導入されているようだ。だが、横浜教区では導入されていない。横浜教区には終身助祭はいない(横浜教区梅村昌弘司教 司教教書「終身助祭制度の導入に関して」2001)。
7 聖であるとか、聖性とはどういうことなのか。聖俗論は宗教社会学の代表的な二分法概念で様々の説明があるようだが神学上のテーマではない。ここでは教皇フランシスコの言葉を引いておこう
「聖性とは神に心を開き、神の愛によって変容されるにお任せすることです。また、聖性とは、自己から抜け出し、イエスがわたしたちをお待ちになっている他の人々に出会うために出かけ、その人々に励ましの言葉、助けの手、優しさと慰めのまなざしを届けることです。」(2019年4月12日)
8 現在の神学教育ではマリア論は教会論のなかに位置づけられているようだが、マリア論の取扱の難しさを示しているようだ。
9 和田師によると、伝統的マリア論はキリスト型とよばれ、キリストをモデルとしてマリアを考えてきた。この第8章のマリア論は教会型マリア論とも言うべきもので、教会の神秘の中にマリアを位置づけた画期的なものだという。

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平信徒から神の民へ ー 岩島師教会論23(学びあいの会)

2021-03-22 20:36:29 | 教会

 昨日21日に緊急事態宣言が解除されたので、学び合いの会が今日22日に急遽召集された。突然のことで出席者は少なかった。
 今回は学びあいの会としては岩島師教会論の最終回である。第20章「第二バチカン公会議ー世界に開かれた教会」が紹介された(1)。
 本章の内容は、第二バチカン公会議の教会論の紹介、特に『教会憲章』(およびその続きのような性格を持つ『現代世界憲章』)の紹介である。最後に岩島師による第二バチカン公会議の評価が下される(2)。

Ⅰ 第一バチカン公会議から第二バチカン公会議までの様々な教会論

 ここは第一バチカン公会議以降の教会論の変遷を取り扱う。教会論をどのように整理するか、その変遷をどのように位置づけ、評価するか、は、カトリック神学者や哲学者によっていろいろあるようだ。最近は稲垣良典氏の教会論の歴史的変化の整理(3)が標準のようだが、岩島師はJ・メーラー(J・A・Moehler)(4)を中心に教会論の変化を跡づける。

1 メーラーの教会論

 メーラーはプロテスタントのシュライエルマッハーらと親好を持ち、個人の内的な宗教体験を重視した神学者だ。キリスト論的な教会解釈(教会はキリストの受肉の役割の延長)をおこない、教会は神的側面と人的側面の両方を持っていて分離不可能だとした。これは、要は、教会は国家に属しているという当時の主流派の考えを批判したもののようだ。

 ここでは、教会論は、①新スコラ主義的教会論→②「キリストの神秘体」論→③「神の民」論、という変化の流れのなかで説明される。いわば、伝統的な制度的教会論からどのように脱出するか、が問われたわけだ。

2 新スコラ主義的教会論

 教科書神学のなかでは、メラルミーノの教会論(5)、第一バチカン公会議ラインの新スコラ主義的教会論(6)が主流であった。
 岩島師は、この新スコラ主義的教会論の特徴を以下の三点にまとめている。

①教会はヒエラルヒーとして描かれる
②教会の教導権について語られる
③教会の超自然的性格(一・聖・公・使徒的)を語る

 つまり、教会の公同的側面が強調されており、ローマの劣勢を反映しているという。こういうまとめの仕方では岩島師が何を言いたいのかよくはわからないが、師の批判的視点だけはあきらかだ。

3 キリストの神秘体論

 教会は「キリストの神秘体」だという考え方は20世紀前半を支配した考え方だ。その根拠は、第一バチカン公会議の草稿(De ecclesia Christi、これは憲章としては意見がまとまらなかった)およびピオ12世の回勅『ミスティチ・コルポリス』(1943)だという。この考え方の特徴を岩島師は以下のようにまとめている。

①教会は単なる制度ではなく、キリストが働く内的現実である
②キリストの神秘体とローマ教会を同一視し、ローマ教皇中心、秘跡中心の教会論だ
③キリストの神秘体という考え方は、制度としての教会を更に強固にした

 つまり、岩島師によれば、教会をキリストの神秘体と特徴付けることは結果的に制度的教会論を強めただけだという。

4 神の民

 新しい教会論は、教会を法的・制度的組織としてではなく、「神の民」として捉えようとする。神の民とは、旧約ではイスラエルの民のことで、民は「僕・子・長子・羊の群れ・宝」などと呼ばれた。新約ではキリストを信じる者はみな神の民と呼ばれた。20世紀には、キリスト信じる者が自分を神の民として認めると、教会は自分たちだけのためだけにあるのではなく、世界の救いのためにあるという考え方を本質とするようになる。こういう新しい教会観(7)がやがて第二バチカン公会議のなかで結実していく。

(フランシスコ教皇 東京ドーム 2019)

 


 次は、第二バチカン公会議の『教会憲章』の話になる。


1 実は本書は21章まであり、「教会の過去・現在・未来」と題されている。だがこの章の内容は本書全体の要約であり、岩島師教会論の整理や、岩島師の第二バチカン公会議の評価が触れられているわけではない。省略は致し方ないところであろう。
2 第二バチカン公会議は計16本の公文書を出しているが、結局はどれも教会論関係だ。キリスト論や秘跡論ではない。第二バチカン公会議が教会論に集中して議論していたことを忘れてはならない。『第2バチカン公会議 公文書全集 』 1986 南山大学 (監修)。 昨今カトリック教会についていろいろな問題提起や議論がなされてはいるが、結局はこの一次資料に立ち戻っての話になる。
 また、評価と言っても、第二バチカン公会議は今から半世紀も前の出来事だ。21世紀の現在からみれば、第二バチカン公会議以後の教会の変化、教会論の発展にかんする岩島師の評価こそ重要になってくる。改めて触れてみたい。
3 稲垣良典『カトリック入門ー日本文化からのアプローチ』 2016 ちくま新書 第7章。稲垣氏は中世からの教会論の変遷を整理していて、時間軸は長い。
4 J・メーラー(J・A・Moehler)(1796-1838) ドイツのカトリック神学者。教会史の専門家でテュービンゲン学派(19世紀前半テュービンゲン大学カトリック神学部で形成された学派で、ロマン主義の影響のもとに発展・近代ドイツカトリック神学の本家)の代表者。『教会における一致』(1825)はエキュメニズム論の創始とされ、、『信仰比較論(信条論)』(1832)はカトリックとプロテスタントの教会論を比較してローマの優位性を主張しているという。
5 ベラルミーノ Bellarmino,R. 1542-1621。教会論ではいつも登場するイタリアのカトリック神学者。イエズス会・枢機卿。対抗宗教改革期の中心人物で、教会は位階制を持つ「完全な社会」だと主張してガリカニスムに対抗した。主著『異端反駁』。1930年列聖。
6 新スコラ主義という言葉はよく聞かれるが、曖昧な用語だ。教科書的に言えば、19世紀後半に起こった哲学運動で、トマス・アクィナスに代表される中世のスコラ学を復興させようとした。ルーヴェン学派ともよばれる(ルーヴェン大学はベルギーのルーヴェンにあるカトリック大学。ベルギーだがオランダ語中心らしく、フランス語系は別のようだ。現在でも世界でトップクラスの大学)。理性一辺倒ではなく信仰と理性の新たな総合を図ろうとする(例えば形而上学と科学を統合しようとする)点で、中世スコラ学と区別されるようだ。
7 岩島師は U.P.Koster(1940) を挙げているが、どういう人かはわからない。ここでは、F・カー『20世紀のカトリック神学ー新スコラ主義から婚姻神秘主義へ』2011(2007)教文館をあげておきたい。ここには、シェニュ、コンガール、スキレベークス、リュバック、K・ラーナー、ロナガン、バルタザール、キュンク、ヴィイティワ(教皇ヨハネ・パウロ二世)、ラッチンガー(教皇ベネディクト16世)の10人が紹介されている。この人たちなしに現代の教会は生まれなかった。

 

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