カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

クリスマスとコンテ(コンテンポラリー・ダンス)

2023-12-26 11:02:00 | 教会


 教会のクリスマスは午前10時のミサに出た。神父様がサンタクロースに扮して子供たちにクッキーを配っておられた。おこぼれに与るお年寄りも多かったようだ。そのあとの茶話会は晴天に恵まれ盛会だった。

【待降節が過ぎイエス様が飼い葉桶に収まる】

 


【サンタに扮した神父様】

 

 

 午後は11歳の孫娘のダンス発表会に誘われた。ダンスといってもいわゆる「コンテ」だ。コンテといっても高齢者は聞いたこともないし、なんのことだがわからないだろう。コンテとはコンテンポラリー・ダンスの略らしい。コンテンポラリー・ダンスといっても聞いたことがない方が多いだろう。東京五輪開会式で森山未來が披露したダンスといえば思い出されるかもしれない。コンテンポラリー・ダンスとはいわゆる「モダン・ダンス」を批判する形で登場した新しいダンスだという。モダン・ダンスもバレーのようなクラシック・ダンスを否定する形で登場してきたのというのだから、モダン・ダンスとコンテがどこが違うのかがよくわからない(1)。いずれにせよスポーツのようなダンスだ。「型」にはまらないというのが特徴らしく、思想的にはポストモダニズムの影響があったという。振付家の役割が大きいようだ。大音響の音楽も特定のタイプの音楽というわけではなさそうだ。
 何組にもよる合同発表会はまるまる2時間半に及んだ。ダンサー(演技者、プレイヤー、なんと呼ぶのかわからない)は5歳から65歳までいたという。かならずしも子供のお稽古事というわけではなさそうだ。あっという間に時間が過ぎた。こういうクリスマスの過ごし方もあるのだと感心した。妻によれば公会議前にはクリスマスには聖歌隊が信者さんの家を一軒一軒回って家の前で聖歌を歌ってくれたという。わずか半世紀でクリスマスの過ごし方は変われば変わるものだ。

【コンテンポラリー・ダンス】(デコボコダンススクールより)

1 HipHop ダンスともいうらしい。違いは分からない。

 

 

 

 

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カト研と真生会館

2023-12-06 10:48:30 | 教会


 上智カト研(カトリック研究会)の歴史を調べているうちに興味深い関連資料がいくつか見つかったので記録として残しておきたい。
 カト研の歴史についてはこのブログでも数回投稿している。カト研は戦前に岩下壮一師によって始まったが(1)、その活動は事実上「聖フィリッポ寮」(現在の「真生会館」)の活動と一体だった(2)。
 戦後のカト研は1950年代、60年代に活動のピークを迎える。1946年には東京・京都・大阪で「カトリック学生連盟」が結成され、発足する。2年後には「日本カトリック学生連盟」が発足し、事務局は上智学院におかれた。1947年から新制大学が動き始めると全国の大学にでカト研(カトリック研究会)が活動を開始する(3)。東京では各大学のカト研は真生会館を中心として活動していったようだ。1950年代、60年代はカトリック教会が急速に拡大した時期で、カト研の活動も活発だったようだ。
 1959年には横浜で第12回カト学連の全国大会が開かれる。第13回は札幌で、第14回は上智で(4)、第15回は京都の聖母短大(5)で、第16回は南山大で、第17回は仙台のウルスラ学院で開かれる。1965年に第二バチカン公会議が終わると、時代は大学紛争の時代に向かって動いていく。
 大学紛争の中で各大学のカト研は分解したり、「解体」させられたりした。カト学連は1969年に解散する。1977年に井上洋治師やネメシュエギ師によって「カトリック学生セミナー」が発足するも各大学のカト研はいわばサークルか同好会のような活動だったようだ。1980年代はカト研にとっては冬の時代だったと言えよう。
 1990年代に入り、旧カト研のメンバーが戻ってくる。例えば、上智カト研は雑誌「LUX]を再創刊する(6)。東大駒場のカト研(日本カトリック学友会・カトリック学士会)は真生会館を中心に動き出して、雑誌「創造」は100号を超えるまでになった(7)。2016年には現在の真生会館に建て直された(7)。



1 岩下壮一師の主要な著作は岩波文庫で容易に手に入れることが出来る。『カトリックの信仰』、『信仰の遺産』は現在でも色あせていない。
2 聖フィリッポ寮は1934年に創立された。岩下師は1940年12月に51歳の生涯を閉じられたが、第二次大戦直後小林珍雄氏(元上智大教授)らによって白鳩寮として再建され、やがて1952年に真生会館が生まれる。経緯は小林珍雄編『岩下神父の生涯』(中央出版 岩下壮一全集など)に詳しい。なお、戦前から1990年までの真生会館の歴史は以下を参照した。『真生会館の歩み』(真生会館、1990年12月)。これは真生会館元評議員だった小柳義夫氏がまとめられたもののようだ。
3 上智カト研の名簿によると、カト研の第1期の卒業生は1952年(昭和27年)卒のK氏である。
4 1961年のこの時のテーマは「隣人を己の如く愛せよ」で、講師は澤田和夫・武者小路公秀・神山四朗・岡田純一・デュモリン・粕谷甲一。このテーマの選択は時代の焦点を衝いていた。
5 この第15回大会には上智カト研はほとんどのクラブ員が参加した。テーマは「現代に生きる」で、講師は奥村一郎・澤田和夫・山田晶。澤田師や粕谷師が圧倒的影響力を持っていた時代だ。聖母短大は今は無い。
6 長い歴史を持つ「LUX」という名称の雑誌の発行は大学紛争の中で消滅した。形の上では再刊したということになる。LUXとは「光」という意味で、創世記第1章の「光あれ」から来ている。なお上智カト研は学生組織としてはその後復活していない。上智カト研の名簿によると、私の大雑把なカウントでは、1952年から消滅した1972年までの20年間の会員数は132名。うち上智カト研から司祭になった者は10名、シスター2名、修道士2名。上原師、塩谷師、外川師、柊師、山根師など高齢にもかかわらず現在もご活躍中である。なお、渦中の人谷口幸紀師(新求道の道)もカト研に在籍しておられたと聞いているが名簿に氏名はない。

【LUX 表紙】

 

 

【LUX 目次】

 


7 東大のカトリック学士会は1966年に発足している。駒場のカト研は1988年に復活している。
【雑誌 創造】

 


【寄留の他国人ー旧約聖書の場合-(柊 暁生)】
なお、柊師(マリア会)は、2018年に出版された聖書協会共同訳聖書の、カトリック側から出た翻訳者(旧約)である。上智カト研の出身者がカトリック学士会の雑誌に投稿されていることになる。時代は異なるが記録として残しておきたい。

 

 


7 現在はカト研は大学の学生組織としてはほとんど存在していないのではないか。中高ではいくつか活動が見られるという。カトリック信者の学生の活動は大学単位というよりは、教区単位、修道会単位に変わってきているのかもしれない。カトリック学生友の会などの活動が思い浮かぶ。だがその目標が、宣教か、信徒養成か、召命援助か、あまりはっきりしないという。一粒会など活動の多様化が背景にあるようだ。カト研の歴史的役割は終わったとみるべきだろう。

 

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カトリック司祭の老後と介護(Ⅱ)

2023-12-05 20:58:09 | 教会


 数年前に投稿した「カトリック司祭の老後と介護ー「人生の歩みを続ける途で」(外川直見神父 ロヨラハウス館長)」という投稿へのアクセスがすこぶる多い(1)。外川神父様(2)が「カトリック生活」(3)に書かれた文章をそのまま紹介しているだけなのだが、司祭の老後に対する関心が高まっている証しのように思える(4)。

 私が添付した文章(画像)が読みにくいという苦情が多く、お詫びを兼ねてここに再度掲載する。

【人生を歩み続ける途で】

 

 



1 https://blog.goo.ne.jp/kempis/e/90079b022254e47faba4a016503dcc2c
2 外川直美神父様は1939年生まれ。阪大卒業後上智大学に入られ、カト研などで活躍された。召命があってイエズス会に入られ司祭の道に進まれた。栄光や六甲などカトリック系の学校で教えられ、六甲と上智福岡では校長を長く務められた。その後ロヨラハウス(介護が必要な高齢のイエズス会司祭のための施設)の館長をされ、2020年に山口教会に移られる。現在は防府教会の主任司祭だという。
3 月刊「カトリック生活」 2016年11月号 ドン・ボスコ社
4 ロヨラハウスはイエズス会という修道会の司祭のための施設である。普通の教区司祭の場合は、一応は75歳が定年とされているようだが、老後の生活形態は多様なようだ。とは言っても、司祭は定年後元気であっても介護が必要になっても、生涯司祭なので、司祭としての信仰生活が続く(叙階されると途中で止めるとか還俗するとか原則としてできない)。修道士やシスターもいつか介護が必要となる時が来る。日本のカトリック教会が直面している課題は大きい。

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