カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

聖書とイエスー岩下壮一師の史的イエス論(3)(学びあいの会)

2018-06-28 10:28:18 | 神学

 岩下壮一師を取り上げることに若干不安がないわけではない。わたしは岩下神学をきちんと勉強したことはないし、岩下師はもうかれこれ100年も前の人だし、そもそもネオトミストで今更、といわれるのはわかっているからだ。だがわれわれはある時まで,第二バチカン公会議のあとでも、師の『カトリックの信仰』を公教要理代わりに読んでいた。史的イエス論争を俯瞰するためにもこういう議論があったのだということを書き留めておきたい。

 岩下師の史的イエス論批判は部分的にではあるが『カトリックの信仰』の第8・9章「御託身」のなかで、「近代主義と高等批評」に言及が見られる。また、『信仰の遺産』に収められた「キリストを見直す」論文なども高等批評批判と読める。

 まず、「御託身」という言葉だが、これは現在は「受肉」と訳されている。英語では Incarnation だ。「託身」が何故どのような経緯で「受肉」という訳語に変わったかはわたしはわからないが(注1)、「ご託身」とは言えても、「ご受肉」とは言えないので、私は何か居心地が悪い。

 高等批評という言葉も最近はあまり聞かないが、聖書研究、特に共観福音書研究における一つの研究手法のことで、higher criticism, historical criticism の訳語らしい(注2)。要は聖書の文学的・歴史的研究の方法のことのようだ(注3)。

 また、岩下神学における「近代主義」という言葉も、極めて強い近代主義批判の意味が込められている特徴的な概念である。岩下神学は時代的制約もあり、激しい宗教改革批判、ルター批判、プロテスタンティズム批判に貫かれている。
 また、本書は、カントやルナンなど西洋哲学を主観主義として批判するが、直接的には和辻哲郎『原始キリスト教の文化史的意義』(1926)を批判の対象としている(注4)。

 さて、岩下師は「史的イエスか信仰のキリストか」論争をどうみていたのであろうか。


自らはカトリック教会の信者だと称する近代主義者が、いわゆる「信仰のキリスト」と「歴史のキリスト」とを対立せしめて、歴史的にはキリストは単なる人間にすぎず、この歴史的人物を神格化したのは、初代信徒の情熱的瞑想の作為だと主張するのは、結局キリスト教全部を何ら客観的現実に基礎を有せざる宗教的想像に帰するもので、教会からは異端として排斥されたのは当然の運命である・・・今日の否定的高等批評の祖は、決してライマールスではなくルターその人である。

 激しい、厳しい批判である。岩下師が念頭に置いているのはおそらく「第一の探究・イエズス伝」の時代の著作であろう。時代的制約は明らかである。だが、復活論ではなく、託身論をもって史的イエス論を批判していくという視点には、目が開かれる思いである。

次の文章も厳しい。

試みにシュバイツエルの浩瀚な『イエズス伝研究史』の結論を読んでみたまえ。如何に高等批評の描き出したイエズスの姿が非現実的なものであったか、近代人が己の姿をイエズスの裡に見いだすに汲々として歴史を枉曲せる結果その真相を把握するに失敗せるか・・・著者は正直に告白しているではないか。(注5)

 イエス伝研究による「史的イエス論」はこのシュバイツァーをもって終わることを岩下師は知らない。だが、「イエス伝」では「信仰のキリスト」に到達できないことを岩下師はすでに知っていたとも読める。

 次の文章は「キリストを信じうるか」という昭和13年の論考である。

「かかるが故に高等批評がその誇りとせる歴史的考証や博言学的詮索を以てキリストの神秘を探らんとせるは、水面に映る月影を掬して天上の名月を掌中に納め得べしと夢想せるに異ならぬ・・・彼らが結局「歴史のキリスト」と「信仰のキリスト」とを対立せしめて、後者を神話の域に葬り去らんとしたのは当然の帰結である」(注6)


 つまり、師の史的イエス論、というよりはイエス伝論の評価は、徹底的に否定的である。よくぞここまでと思われるほどの評価だが、この評価をそのまま批判しても意味は無い。これらの文章はほとんどが学生相手の、しかも当時の「諸大学高専でのカトリック研究会の学生向け」(編者序)の草稿や筆記から成っているという。しかも、昭和13年と言えば、国家総動員法が公布・一部施行され、宗教団体法公布の前年である。師の講義がどのような環境の中で誰に向けてなされたのかの検討なしに、師の議論を闇雲に批判しても得るところはないだろう。むしろ、この時期にこういう議論が展開されていたことを記憶しておかなければならないと思う。

 「史的イエス」「信仰のキリスト」論争が、戦前の日本で、ヨーロッパから遠く離れた日本で、こういう形で論じられていたことに、私は驚きと喜びを覚える(注7)。


注1 託身という言葉は三省堂の『新明解』にはない。さすが『広辞苑』第7版にはある。なお、正教会では「藉身」(せきしん)と訳しているらしい。
『カトリックの信仰』のなかで、「御託身」論は第8章、第9章の2章にわたって説明されている。これは第1章が「天主」論で、カトリック信者の「信ずべき事」つまり「信条」として「使徒信経」が説明されているからである。(師はカトリックの教えを三つに分けている:信ずべき事すなわち信条・守るべき事すなわち戒律・聖霊を蒙る道すなわち祭祀)。史的イエス論でも信条は重要な論点のようだ。
 信条はキリスト教でもすべて同じではない。信条によって宗派やゼクテが分かれていく。歴史的には、どの信条を使うか、内容や表現をどうするかで、血で血を洗う争いもあったようだ。例えば、ルター派のアウクスブルク信仰告白、イギリス長老派のウエストミンスター信仰告白などが思い浮かぶ。
 われわれのごミサでも、私の教会では「信仰宣言」でこの4月から「使徒信条」を唱えるようになった。皆さんの教会では「ニケア・コンスタンチノープル信条」を今でも唱えていますか。私は昔から使徒信条派なので暗唱しているが、ニケア・コンスタンチノープル信条はまだ覚えられない。「陰府に降り」はやはり唱えたいがカト研の皆さんはどうですか。どちらを唱えるかは司祭の判断なのだろうが、お祈りも主祷文や天使祝詞と同じであまりちょこちょこ変えて欲しくないものである。
注2 文学社会学の一つの手法にまで拡大解釈されることもあるようだ。
注3 様式史批判、編集史批判と呼ばれる手法もその中に入るのかもしれない。今のところイエスが書き残したと思われる文書は見つかっていないので、これからもいろいろな手法が出てくるであろう。イエスはそもそも読み書きができたのか。イエスの旧約聖書に関する知識は口伝なのか、写本を自分で読んで学んだのか。史的イエス論はケリュグマの視点を外すと結局袋小路に入ってしまう。
注4 「キリストの真理はすなわち、彼ら自身がキリストについて勝手に作る真理(?)なのである。救い主は自分自身である。まず、「信仰のキリスト」と「歴史のキリスト」という対立を作っておいて、各自勝手にその間に自分に一番都合のいい説明をつける」(336頁)。和辻哲郎論は別に行わねばならないが、ここでは高等批評として和辻批判をおこなっている。和辻哲郎を全面否定しているわけではないと思われる。
注5 「キリストを見直す」『信仰の遺産』26頁
注6 「キリストを信じうるか」 同上41頁
注7 とは言ってもこの論争に関する岩下師の議論はあまりにも時代的制約が大きすぎる。そのまま受け取ることはできない。とはいえ、戦後の日本のカトリック教会は、第二バチカン公会議までは、恐らくは1970年代前半までは、こういう神学的世界に住んでいた。現在の日本の司教団の司教様方も、世代的に見て、知らない世界ではないはずである。

 

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聖書とイエスー「史的イエス」か「信仰のキリスト」か(2) (学びあいの会)

2018-06-27 11:48:17 | 神学

1 「史的イエス」の問題

1・0 「史的イエス探究」の要点

①「史的イエス探究」(Die Suche nach dem historischen Jesus)をめぐる争点はいくつもあるが、結局は、「史的イエス」か「ケリュグマ」かという対立になる。史的イエス研究は結局は紀元1世紀に生きた一人の男の生涯を断片的資料をあれこれとつなぎ合わせて描いていく。さすがイエスは実在しなかったとまでは言わないが、その議論はまとまりがつかなくなってしまう。他方、この研究の行き詰まりから、イエス・キリストの姿を「ケリュグマ」を通して描こうとする動きがでてくる。ケリュグマが、使徒たちによるものか、福音史家(福音書記者)によるものか、議論はわかれるだろうが、ケリュグマに、教会の宣教のメッセージの中に、イエス・キリストを見ようとする試みである。M・ケーラーが「史的イエス」か「信仰のキリスト」かと問うた意味はここにあると考えても良さそうだ(注1)。

②「史的イエス探究」の歴史の三段階

探究の歴史区分はオーソドックスな三段階論である。

1 第一段階  「イエス伝」(第一の探究)
2 第二段階 「史的イエス論争」(第二の探究)
3 第三段階 「第三の探究」

1・1 「史的イエス探究」の歴史

①「史的イエス探究」の思想史的背景

 18世紀の「啓蒙主義」にもとづく「自由主義神学」が史的イエス探究の背景であることは明らかだ。もちろん、啓蒙主義や自由主義神学をどう捉えるかで議論は複雑になるだろうが、川中師はカントの『啓蒙とは何か』を使って説明を始める。

「こうして啓蒙の標語とでも言うものがあるとすれば、それは『知る勇気をもて』だ。すなわち『自分の理性を使う勇気をもて』ということだ。」(中山元訳『永遠平和のために』 10頁)

川中師は啓蒙主義(Aufklaerung)を理性絶対主義だけで特徴付けておられるが、一般向け講義とはいえこう断定されると近代の社会科学は困るがそれはここでの論点ではない。

②『イエス伝』(Leben-Jesus-Forshung)(第一の探究)

 これはイエスの生涯を再構成しようとする試みで、H・ライスマルス(1694-1760)から始まるという。聖書は神話だという非神話化論がプロテスタント系研究者に多いが、カトリックではE・ルナン『イエス伝』(1863)もこの中に入るらしい。イエスは福音書記者たちの人格的理想の投影像だという考えだ。ルナンはカト研でも好きな人と嫌いな人がいてよく議論したのを覚えている。A・シュバイツァーもこの段階に入るらしく、川中師はシュバイツァーの『イエス伝研究史』(1906)が「イエス伝」(第一の探究)に終止符を打ったと説明している。


②「史的イエス論争」(第二の探究)

 前史としてM・ケーラーの『いわゆる史的イエスと歴史的聖書的キリスト』(1892)が紹介される。私は読んだことはないが、「史的イエス」と「聖書的キリスト」という概念がここで導入整備されたようだ。
 第二の探究はいろいろな論者がいるとはいえ、結局、R・ブルトマン(1884-1976)に代表される。ブルトマン信者は多いし、私にはあれこれいう力はないので表現が難しいが、川中師は「(ブルトマンは)原始教会の信仰の産物としての新約聖書のイエス像」を作ったと述べている。『岩波キリスト教辞典』などでは、ブルトマンは新約聖書の非神話化論、実存主義的解釈をとり、自由主義神学への批判的姿勢をとり、方法的には「様式史批評」を使って、新約聖書はイエスをキリストとして描くケリュグマ論(宣教論)を展開していると主張したとされる。
 やがて、「新たな問い」(Neue Frage) が出されてくる。ブルトマンの影響力は絶大だったが、彼の弟子たちのなかには反旗を翻す者も出てきて、「史的イエス」が再発見されていく。ナザレという小さな村で生まれ育ったイエスという何の変哲もない若者がやがて神の子キリストとされていく。それはいったいなぜなのか、という問いだ。E・ケーゼマン『史的イエスの問題』(1953)は、「史的イエス」と「信仰のキリスト」の関連を強調したのだという。史的イエス論が再度登場してくる。

③「第三の探究」(Third Quest)

 1980年代に入ると議論の中心はアメリカに移り、研究は多様化する。例えば、「イエスセミナー」(Jesus Seminor)で、福音書における歴史的事実の真正性(イエスの奇跡など)について歴史的根拠があるかどうか会員の投票による判定が下されるなど画期的な議論が始まったという。論者も、ユダヤ人研究者、考古学者など多様な背景をっもつ人々に広がってくる。日本でもよく知られているのは、N・ライト (N.Wright 『イエスとは誰か?』1992の著者)とか、キリスト教の起源の研究に社会学の方法を導入したG・タイセン(G.Theisen 『史的イエス』1996)などがいる。川中師はライトは参考文献に挙げておられないが、比較的保守的なライトはお気に召さないのかもしれない。
 現在もわれわれはこの第三の探究の段階にいるようだ。たとえば、J・チャールズワースは『史的イエス』(邦訳2012)のなかで、「問26 もしイエスの骨が発掘されたとしても、復活信仰は可能か」など刺激的な問いを27個ならべて、一つ一つ答えている(問27への答えは、この神学的問いは歴史家の守備範囲を超えており、ヨハネ20章が答えであるというもの。著者は歴史学者であり、メソジスト派の牧師)。

1・2 史的イエス探究の評価

 史的イエス論を川中師はどのように評価しているのであろうか。
師はまず、「歴史性」には Historie と Geshichte という二つの側面があるという。Historie とは狭義の歴史性であり、「史的イエス」そのものを指す。他方、Geshichte は広義の歴史性で信仰のキリストを指す、という。師は、ギリシャ語訳とドイツ語訳の「Ⅰコリント15・23-28」を引用して説明されているが、わたしには意味がわからなかった。
 ドイツ語ではこの区別ができても日本語や英語ではこの区別は困難なのではないか。Geshichtlich がケーラーの著作などでは「実存史的」と訳されているのはそのためであろう(注2)。
 いずれにせよ、師は「信仰のキリスト」論には「史的イエス」論が含まれている、キリスト教信仰は科学的論理は超越しているが歴史的事実の裏付けを必要としている。ただ信じればよいというわけではない。「信仰のキリスト」はイエスの最初の弟子たち(使徒や福音書記者)の信仰とつながっている、と言いたいのだろうと理解した。これはこれで良くわかる説明である。

 師は評価として以下の三点をあげている。

①史的イエス探究とは、新約聖書テキストから歴史的に真正なイエス像を摘出しようとする試みのことである。新約聖書におけるイエスに関する神学的主張は後世の付加として捨象する。
②史的イエス探究の意義としては、歴史的人物としてのナザレのイエスの重要な側面を発見したこと。他方、その限界としては、イエスの存在の歴史的検証可能性に限定されていて、イエスの超越性、生きているキリストを描けていない。
③したがって、新約聖書のテキストは、イエス・キリストの出来事の物語表現による超越的次元を指示し、描いているのであって、忠実な歴史そのものではない。

 川中師の説明だから、これが現在のカトリック教会の「史的イエス」論に関する標準的な理解だと考えて良さそうだ。わたしはなんどもかみしめて読んでいる。

 以上が川中師の講義の要約である。「史的イエス論争」に関するきれいな説明であり、なるほどと思えたが、他方、私にはなにか違和感が残った。これはわれわれがむかしカト研時代に習った「史的イエス論」とは違うのではないか、というものであった。われわれは昔どのように習っていたのであろうか。ここで岩下壮一師の「史的イエス論・信仰のキリスト論」を思い起こしてみたい。
 時代が違う。環境が違う。聖書学の進歩がある。積み重ねられた知見の厚みが違う。でも、岩下神学ではどう説明されていたのか、ふり返ってみたい。岩下壮一師をとりあげるのは、現代日本の(カトリック)神学界でまだ岩下神学を超えるものをまだわれわれはもっていないと私は考えるからだ。日本語による神学書や公教要理(カトリック教理書)はたくさんある。だが日本人に向けて、日本人のための神学書は、岩下壮一『カトリックの信仰』、『信仰の遺産』の右に出るものはまだないのではないか。次回に少し私見を述べてみたい。

注1 川中師が「史的イエス」と「ケリュグマ」を二者択一として捉えているのかどうかは報告を聞く限りよくはわからなかった。師がレジュメのなかで大貫隆・佐藤研編『イエス研究史』(1998)を参考文献としてあげているところを見ると、地上のイエスと復活のイエスの連続性を強調しているようにも思える。なお、私は、プロテスタントだがポピュラーな佐藤優『神学の思考』(2015)風の説明の仕方が好みである。
注2 ドイツ語の世界では GeshichteとHistorie を日常的にこのように使い分けるものなのだろうか。ドイツ語に詳しい方には当たり前のことなのかもしれないが。

 

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聖書とイエスー「史的イエス」か「信仰のキリスト」か(1) (学びあいの会)

2018-06-25 22:24:21 | 神学

 学びあいの会はここしばらく、仏教・イスラム教・神道・儒教と他宗教の「霊性」観念を学んできた。今月から久しぶりにカトリック神学に戻ることになる。
 今回は上智大学神学部の川中仁神父さま(イエズス会)の講義(2011年度夏期集中神学講座)が紹介された(注1)。タイトルは「新約聖書とイエス」である(注2)。
 講義の焦点は「史的イエス」論の評価である。「史的イエスか 信仰のキリストか」(der historische Jesu versus der Christus des Glaubens)という繰り返し問われてきた問いである。現代のキリスト教神学の最も中心的な神学「キリスト論」の中核を構成する問い、課題と言って良いであろう(注3)。

 この講義は基本的に聖書についてある程度の理解があることを前提としている。そのため、以下の二点は改めて確認しておく必要がある。
 まず、「イエス・キリスト」という言葉だ。これをなにか固有名詞と捉えて、姓がキリストで、名がイエス、と考える人がいるようだ。安倍 晋三は姓が安倍で、名前は晋三、と見なすのと同じ思考だ。だがこれは全くの間違いである。イエス・キリストとは、歴史上実在したナザレのイエスという人物に関する一つの神学的主張、命題なのだ。ナザレのイエスはキリストです、という命題、信仰を表現している。名前ではない。ここがわからないと史的イエス論を理解できなくなってしまう。
 第二に、新約聖書は福音書、書簡など27文書もあるとはいえ、一つの共通した目的、目標をもっている。つまり、ナザレのイエスは、キリストである、神の子である、ということを論証する、実証することを目的としている。歴史書もある、黙示文学もあるが、目的は同じだ。ここがわからないと聖書はただの読み物の一つになってしまう。
 カト研の皆様には、当たり前のことを、と叱られるだろうが、史的イエス論は肯定的評価も否定的評価もあり、論争の焦点であり、議論を生産的にするためにはこの二点は忘れてならない。

 それでは本論に入ろう。

0・導入

0・1 新約聖書の根本命題

「イエスはキリストである」(イエス=キリスト)。ヘブライ語のメシア(油を注がれたもの)がギリシャ語のキリストとなる。ペテロの信仰告白、マルコ8:27-29がポイントだ。

そこでイエスがお尋ねになった
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
ペトロが答えた。「あなたはメシア(キリスト)です。」

また、ヨハネ20・31には、ヨハネ福音書の執筆意図が述べられている。

これらのことが書かれたのは、
あなたがたが、
イエスは神の子メシア(キリスト)であると信じるためであり、
また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

史的イエスと信仰キリストの区別・対比はM・ケーラーの著作(1892)に始まるというのが定説だが、ここからイエス論とキリスト論が区別されてくる。イエス論は、歴史的人物としてのナザレのイエスを明らかにしようとして、キリスト論はイエスに関する新約聖書の理解・主張を明らかにしようとする。信仰を持たなくともイエス論は可能だが、キリスト論はどうしても信仰が入ってくる。

0・2 キリスト教人間学としての「イエス・キリスト」

 イエス・キリストには二つのアプローチがある。イエス・キリストの生涯を客観的に対象化する「概念的認識」と、イエス・キリストの姿を自らの生き方に結びつける「実存的認識」の二つだ。前者は、歴史的・文献学的研究だし、後者は信徒に適合的といえるだろう。このキリスト論について川中師は主要な文献をいくつかあげているが、特に、W・カスパー『イエズスはキリストである』(邦訳1978)、百瀬文晃『イエス・キリストを学ぶー下からのキリスト論』(1986)を強調している。前者は現在でも読まれる名著のようだし、後者は「下からのキリスト論」として人気があるようだ。だが、否定的評価を下す信徒もいると聞くが、川中師は肯定的評価をしている。川中師の立ち位置がわかる。

1 「史的イエスの問題」

 ここからは史的イエスの研究史が整理される。実は史的イエスの研究史は、この講座の協力者でもある岩島忠彦師の講義があり、このブログでもかって紹介したことがある(2016年3月28日)。タイトルは「教義神学から見た史的イエスの研究史」というもので、研究史を三つの時代に区分していた。①イエス伝の時代 ②史的イエス再探究の時代 ③第三探究の時代。現代は第三探究の時代とされる。時代区分は論者により異なり、カトリックとプロテスタントでも違いがあるようだが、基本的にプロテスタント研究者の貢献が大きいようだ。日本で言えば、大貫隆氏や荒井献氏の名が思い浮かぶ。
 川中師の研究史の整理の仕方は興味深いので、次回にまわしてみたい。


注1 川中仁編『史的イエスと「ナザレのイエス」』  上智大学キリスト教文化研究所編 2010。川中師は、基礎神学、特にロヨラの『霊操』論がご専門らしい。まだ50歳代のようだが神学科を担うお一人という。
注2 議論上、「イエス」と「イエズス」の両方の表記が使われる。
注3 カトリック神学を構成する神学の諸部門をどのように整理できるのかは色々考え方があるのかもしれない。神学部の講義概要などからも推測できるが、基本的には「教義学」と「実践神学(応用神学)」の二部門からなるようだ。今回、S氏は、実践神学には、典礼神学・倫理神学・教会法学・霊性神学が含まれ、教義学には、啓示論・神論・キリスト論・三位一体論・教会論・秘跡論・神学的人間論(創造論・原罪論・恩恵論・終末論)が含まれるという説明をされた。比較的古い分類のように見えた。
 阿部仲麻呂師は『カトリック生活』(2014年10月号)で、異なった視角から整理している。つまり、「神学諸科目の相関図」を紹介している。そこでは、実践神学のなかにさらに「司牧宣教論」(司牧神学・宣教学・説教学・教理教育法・カウンセリング)を含めている。また、教義神学は秘跡論・教会論・キリスト論・神学的人間論からなるとし、エキュメニズム論は秘跡論に含まれ、教会論にはマリア論が含まれ、三位一体論や教父学はキリスト論に含まれるという。なお、実践神学・教義神学以外の神学の科目として、宗教哲学(諸宗教神学・基礎神学)、歴史神学(教会史・東方教会史)、聖書解釈学(聖書学・ヘブライ語・ギリシャ語)、哲学的解釈学(哲学的人間学など哲学史・宗教史・倫理学・形而上学など)があると説明している。神学の体系の整理の仕方も多様なようだ。両者に共通して言えることは、教義神学ではキリスト論が、つまり、「史的イエス・信仰のキリスト」論が中心的位置を占めているという理解である。

 

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車検とかけて信仰と解く、その心は(なぞなぞ)

2018-06-16 11:28:29 | 教会

 クルマの三回目の車検が近づいたので、クルマの安全装備を色々調べ始めた。私ももう年なので今更、最高速度がどうのとかトルクがいくつだとかということには関心はない。燃費がよいとか荷物がたくさん積めるとかにも興味は無い。だが安全装置だけは最近急速に進化しつつあるようで、新車にするならこれを判断基準にしたい。

 暑い夏は三角窓から冷気を取り入れるものと思っていたらいつのまにかエアコンがつくようになった。サイドミラーは気がついたらボンネットではなくドアについていた。ワイパーはなんと間歇で動くようになっていた。今のクルマは前輪駆動があたりまえで、雪の日のタイヤチェーンは後ろのタイヤにつけてはダメだという。かって自分でプラグを一生懸命磨いていたが今は10万キロは掃除しなくともよいのだという。ふと時代が変わったことに気がついた。
 半分冗談だが、自分の信仰も時代遅れになっているのかもしれない。クルマの安全装置になぞらえてなぞなぞを作ってみた。カト研の神父様方からは、ちょっと冒涜的なのではと叱られるのを承知で少し考えてみた。

 クルマの安全装置といえば、ABSかESCくらいしか知らなかったが、今のクルマの安全装備には色々あるらしい。

 まずシフトがマニュアルかオートマかだ。私もある時までマニュアルに固執していたが、いつのまにかオートマになっていた。信仰で言えば、以前はあれこれ神学の勉強をしていたが、今は日曜日にごミサに行けばいいやと、まるでオートマ運転だ。オートマは楽ちんで安全この上ないが、たまにはレンタカーでマニュアルも運転してみたい。
 安全第一なら免許返納が一番だが、洗礼返納はできない。ペーパードライバーは危険この上ない。やはり安全装備が必要だ。

 安全装備の第一は衝突防止装置らしい。自動ブレーキとも言うらしい。あるスピード以下なら、衝突を察知して止まってくれるという。教会で言えば破門警告みたいなものか。あるところまでは好き勝手なことを言っても許されるが、最後の最後はここから先はダメと止めてくれる。

 飛び出し衝突被害軽減装置というものもあるらしい。たとえば子どもが横断歩道で飛び出してきららクルマが止まってくれるという。告解みたいだ。あるところでストップさせてくれる。しかも最近は障害物があっても(たとえば隣にクルマが止まっていても)飛び出し衝突を防いでくれるという。赦しの秘跡というかマリア様10回みたいなものかもしれない。

 車線逸脱防止装置というか車線維持装置みたいなものもあるらしい。センターラインを超えそうになると自動で元に戻してくれるという。隣の車線に入っての正面衝突を防いでくれる。ありがたいことだ。ごミサの説教を思い起こさせるがどうだろう。忙しくて黙想会もでられないし、お祈りもできないが、せめてごミサの説教を聞くと自分の信仰を元に戻してくれるような気がする。

 驚いたのはACCだ。Adaptive cruise control のことらしい。自動車会社ごとに言い方は異なるらしいが、前を走る車や周囲の環境に合わせて自動的にアクセルやブレーキをコントロールする機能のことらしい。ACCとは一定のスピードで走ることだと思っていたが、今は意味が違うようだ。教会で言えば回勅や教令、勧告みたいなものか。教会も時代に合わせて変わらねばならない。何を守ったらよいのかは、何が変わってきているかを知らなければならない。高速道路をずっと同じスピードで走っているわけには行かない。街中ではなおさらだ。

 誤発進抑制装置というのもあるらしい。ブレーキとアクセルの踏み間違いを防ぐ装置のことなのであろう。あまりに信仰に熱心になりすぎて別の方向に行ってしまうのを防ぐというのなら、教会の入門講座や聖書講座も同じような機能を果たしているのかもしれない。今はアクセル一つで加速も停止もできるクルマがあるという。ロザリオみたいなものだろうか。

 などなど各社のクルマの安全装備を比較しながら思ったのは、自分の信仰は今運転している車とおなじで安全装備はあまりついていないことだ。私はお聖堂では片膝をつくが、特に意味があるわけではなくなんとなく昔からそうしてきているからそうしているだけなのだが、何か意味があるようにとられて貶されたりする。誉められたことはない。別にご聖体を口をいただくわけではないし、ごミサの最中に聖変化で跪いたりはしない(そもそも跪き台がない)。それでもあれこれ言われるのだから私は古いのであろう。クルマとおなじで時代遅れになっているのかもしれない。
 などとあれこれ考えている内にもうすぐ車検だ。これではクルマの買い換えは無理だ。車検を取って古いクルマを乗り続けるしかあるまい。

車検とかけて信仰と解く、その心は装備不良。

これはダメか。

 

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潜伏キリシタンと隠れキリシタンー学びあいの会雑談

2018-06-09 12:31:14 | 神学

 五月の学びあいの会は禅とエックハルトの話だったが、その後の昼食をとりながらの雑談で、話題は 2018年の世界文化遺産登録をめざす「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)の話になった。世界遺産になれば関連教会は観光地化してしまうだろう。もう生月島でも「カクレキリシタン」はほぼ消滅したと聞くし、これからどうなるのだろうという話だった。わたしは「隠れキリシタン」はきちんと勉強したことは無いが、「キリスト教の(日本での)土着化」という問題意識から少し考えていることを述べてカト研の皆さんのご批判を仰ぎたい。

 まず、言葉の再確認が必要だ。最近はかなり定着したが、「隠れキリシタン」、「潜伏キリシタン」、「カクレキリシタン」という用語の使い分けだ。この使い分けは宮崎賢太郎氏などの努力でかなり定着してきているようだ。日本のキリシタン史はザビエル来日以後1549年に始まり、約100年におよぶキリシタン時代が幕を開ける。「隠れキリシタン」とは1614年の禁教令以降のいわゆるキリシタンのことで、一般的な用法だ。この言葉は教科書にも使われ、定着してきた。「潜伏キリシタン」の時代は1644年に最後の宣教師小西マンショの殉教にはじまり、その後230年間一人も司祭のいない信徒だけの時代のことをいう(注1)。1873年に明治政府がキリシタン禁制の高札を撤廃すると、カトリック教会に「戻った」人々を「復活キリシタン」、戻らずに潜伏時代のように寺社との関係を維持し、独特の信仰・習俗を持ち続けている人々を「カクレキリシタン」と呼び分けるようになった。カクレキリシタンはカナ表記である。ポイントは「カクレキリシタン」は「隠れて」いるわけでは無いこと、都市化のなかで「消滅しつつ」あるということのようだ。宮崎氏の表と写真を載せておいた。

 キリスト教の土着化という問題に関しては、宮崎氏はいくつかの著作で以下の三つの課題をあげている(注2)。

①多神教の土壌への根付き
②現世利益への対応
③先祖崇拝との折り合い

 ①の多神教の土壌に一神教であるキリスト教をどう根付かせるかという問題は遠藤周作をはじめ多くの文学者が取り上げてきた問題だ。わたしは多神教というよりは、日本文化がもつ汎神論的世界観、宗教的多元主義の問題だろうと考えている。カトリックが汎神論を批判する時、いろいろ言うが結局は汎神論には「人格神」がいないという点が中心となる。「宇宙は神である」、「天地草木に神が宿る」などという言明を人格論だけで否定していくのはかなり難しいと感じているが、カト研の皆さんはどう思われるでしょうか。
 宗教的多元主義も難しい問題だ。「山に登るのにはいろいろなルートがある だが到達する頂上は同じだ」というよく聞かれる言明も、わかったようで実はわかりづらい。というより、教会はこういう説明をとらない。もちろん教会は、「排他主義」は否定している。そして「包括論」とか「統合論」とかいろいろな説明を用意している。だが、これは神学的説明よりは実際の活動の面で議論され、評価される問題のように思われる(注3)。
 ②の現世利益も、無病息災とか商売繁盛のことだけではない。呪術(魔術)的行為を多くの日本人は習俗として日常的に行っている。たとえば、常香炉。煙を浴びて無病息災を願う。お守り・お札もそうかもしれない。メダイはお守りではないかといわれることもあるが、そうではなく、メダイは聖人と一緒に神のお恵みがあるようにと祈るためであって、それをもっているからといって事故に遭わなかったり、商売繁盛するものでもない。とはいえ、現世利益を願う祈りから魔術性をどう取り除くのかは日本文化はまだ試行錯誤のなかにいる。魔術とはウエーバーによれば神の意志を人間が操作することを意味する。祈りと魔術の区別はまだしっかりとは自覚されていないようだ。こういう点にはフィリッピンや韓国ではキリスト教の土着化の過程でどのように対応していったのであろうか。

 ③の祖先崇拝観念はじつはキリスト教の日本への土着化のなかで一番取り組みやすい課題ではないだろうか。自覚的なクリスチャンや仏教徒ではない普通の日本人が仏壇にお茶やご飯をあげる時、それはご先祖様にあげているのであって、仏様に対してではないだろう。第一、仏壇に位牌はあってもお大師様などのご本尊を飾っていない家が多いのでは無いか。位牌を拝んでいるのであって、仏様を拝んでいるのでは無いようにおもえる。この点、教会が、11月を死者の月とし、2日を死者の日にしていることは大事なことだ。また、ごミサのなかで亡くなった方に祈ることもある。韓国のようなシャーマニズムの伝統が弱い日本では、祖先崇拝観念をもっと教会の中に組み込んでいけるすべがありそうな気がするが、こんなことを言うとカト研出身の神父様方から叱られるかな。

 こういう土着化問題は結局はカトリック教会が「近代主義」を否定している、または肯定的には見ていない点に帰着するのではないかとわたしは日頃考えている。カト研の皆さんなら「反近代主義者の誓約」をご存知であろう(注4)。近代主義を否定するなどというと何を言っているのかと言われるだろうが(注5)、この雑談では結構盛り上がった話題だった。潜伏キリシタン論はもっと勉強してみたい。

注1 五野井隆史『キリシタン信仰史の研究』吉川弘文館 2017
注2 宮崎賢太郎 『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』角川 2018 274頁
注3 多元主義は社会学よりは政治学を支える思想的基盤とされるが、社会学にとっても中間集団論など思想的影響力は大きい。
注4 自発教令 『サクロールム・アンティスティトゥム』Sacrorum Antistisum 。1910年教皇ピオ十世により発布され、1967年に廃止された。これは六つの誓約を述べているが、例えば次のような文章がある。
「最後に、私は、近代主義者たちが奉じる誤謬を、あらゆることについて全面的に嫌悪すると告白します。彼らは、聖なる伝統には神的なものは全く存在しないと主張し、あるいは、さらにもっと悪いことには、神的なものは存在するが、汎神論的な意味においてであると主張します」。第二バチカン公会議はこういう反近代主義と戦っていた。F・カー『二十世紀のカトリック神学』(2011)。
注5 (西欧)近代を宗教改革をベースに登場した合理主義(科学)・資本主義・民主主義の集合と見なすなら、近代の次に来るのはポストモダン(脱近代)では無く、中世への回帰という議論もある。たとえば、稲垣久和・大沢真幸『キリスト教と近代の迷宮』2018。

 

 

 

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