カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

「無名のキリスト者」説の登場と退場 ー 諸宗教の神学(4)(学び合いの会)

2021-12-25 09:48:43 | 神学


 以上概観してきたように、キリスト教と他宗教を巡る議論は様々な形で展開された。結局これらの議論は三つの立場に整理されていったようだ。ここではイギリスの神学者アラン・レイスの分類を見てみたい(1)。宗教的排他主義・包括主義・多元主義の三つである。これはキリスト教の救済論の中で「レイスの三類型」と呼ばれ、最も標準的な類型論のようだ。とはいえ時代的制約もあり、現代の議論までは射程距離に入っていない(2)。

Ⅳ 現代における他宗教観の三つの方向

 S氏はここでは「方向」と表現しているが、「類型」と言い換えてみる。それは、教会が三つの異なった方向を目指しているという意味ではなく、救済論には三つの類型があり、教会の他宗教観はこの三類型からみるとよく見えるようになるという意味だ。どれか一つが正しいとか、どれか一つの方向に進まねばならないという意味ではない。性急な判断は正確な理解を妨げかねない。

1 宗教的排他主義 Exclusivism

 特定の宗教を絶対視する思想のこと。ある一つの宗教だけが正しい、真理であると主張する教義を持っている宗教のことである。キリスト教では、救済には、神の子イエスへの信仰とその教会への帰属が必要であるとする立場を指す。カトリックの「教会の外に救いなし」説、プロテスタントの「キリスト教の外に救いなし」説をさす。
 カトリック教会では第2バチカン公会議でこの排他主義を否定したが、今日でもこの排他主義を奉ずる信徒が存在すると言われる。プロテスタントでも、福音派の原理主義者にもこの立場をとる者が多いと言われるが(3)、日本の自由主義神学系のプロテスタント教会には、この排他主義をとらない教会が多いという。現在のカトリック教会はこの宗教的排他主義を批判している。実際今日のグローバル化が進んだ世界で他宗教の存在を否定することは現実的ではないだろう。

2 宗教的包括主義 Inclusivism

 一般的に言えば、他宗教の存在を認め、その教えに一定の価値があることを認めながらも、自分の宗教の方が優れていると考える思想である。現在のカトリック教会はこの立場に立っていると言われる。

2-1 包括主義の概要

① 他宗教の神についての認識を認める。一般的啓示を認める
② 神は全歴史の中に現存し、行為している
③ キリスト教以外の神認識も一つの啓示である
④ 多くの宗教はキリスト教のように「歴史における神の実存」といいう認識を持っていない
⑤ キリスト教以外の宗教の神認識は、キリストの決定的啓示へ導くもので、準備的啓示である

 このように、カトリックの宗教的包括主義の立場は、他宗教を尊重する点で排他主義的ではないが、歴史への神の介入を想定している点で包括主義一般とは異なっているようだ。

2-2 包括主義の意味

① 神と人との仲介者はイエス・キリストのみである。イエス・キリストの救いは、キリスト者に対しては教会を通して与えられる。
② 同時にキリストの救いは、他宗教の内にも隠れた形でその固有の伝統を通してもたらされる。
③ 他の宗教を信じる者は、キリストに至る完成を望んでいる「潜在的なキリスト者」あるいは「無名のキリスト者」である限りにおいて、救われる。

 このように、包括主義と言ってもカトリックのそれはかなり限定的である印象を受ける。無名のキリスト者とは、誰でも良いというわけではなく、キリストによる完成を望んでいる者とされている点が特徴的だ。

2-3 カトリック教会と包括主義

 カトリック教会の教えには第2バチカン公会議以前から包括主義的傾向が存在していた。カトリック教会は、プロテスタント諸派のように、古代イスラエルとキリストという特殊啓示にとらわれず、一般啓示を認めてきた。例えば、トリエント公会議の「秘跡を受ける望み」の思想、ヤンセニズムの拒否、ピオ9世の回勅などにその姿勢を認めることができる。
 この姿勢は1960年代に入り表面化し、第2バチカン公会議において他宗教における救いを正式に認め、包括主義的立場をとった。

2-4 K・ラーナー Karl Rahner (1904-1984)の思想

 カトリックでは包括主義はカール・ラーナーと結びつけて理解されることが多い。ラーナーは第2バチカン公会議で活躍しただけではなく、その後も影響力は大きかった。ある時期カトリック神学者の大多数は包括主義一辺倒になったと言われる(4)。かれの主張を次のようにまとめてみる。

① 神の普遍的救済意志は、キリスト教以外の宗教にも含まれているはずである
② キリスト教以外の宗教は、キリストという真の啓示に至る架け橋として積極的役割を有する
③ キリストは諸宗教の中にもその霊によって現存し、働いておられる
④ もしキリスト者がこれを否定するのならば、救済を非歴史的方法で理解しなければならない。しかしそれはキリスト教の歴史的・社会的・教会的性格と矛盾する。
⑤ このことは、キリスト教と他宗教との関係を並列的に理解することではない
⑥ キリスト教以外の宗教の信者はキリストによって救われている(「無名のキリスト者」である)


2-5 H・キュンクのラーナー批判

 キュンク Hans Kueng (1928-2021)は、スイスの神学者(司祭)で、ヨハネ・パウロ2世をはじめバチカンを厳しく批判した神学者としてよく知られている。司祭の独身制、女性司祭禁止、改革への抵抗姿勢などの点でキュンクのヴァチカン批判は厳しいものがあったが、ラッチンガー(ベネディクト16世名誉教皇)とならぶ20世紀の代表的カトリック神学者と評されているようだ。残念にも今年4月に訃報が伝えられたばかりである。このキュンクがラーナーの包括主義(包摂主義)を批判している。

 キュンクは、ラーナーが他宗教の救いをキリストに至る暫定的なものだとする見解を批判し、他宗教は多元的にそれぞれの救いの道を開いていると主張した。一体誰が「無名のキリスト者」 ein anonymer Christ  と呼ばれることを喜ぶか。キリスト者が「無名の仏教徒」と呼ばれたらどんな気持ちになるか、と問う。
 キュンクは、キリスト教の絶対視(たとえばバルト)も相対視(たとえばトインビー、ヤスパース、ヒック)も両極端だとして批判する。つまり排他主義も多元主義も批判する。そして他宗教との「対話」を提唱する。キリスト教は「触媒」として世界宗教の中で奉仕する役割を担っていると主張した。

 このキュンクの「宗教間対話説」はやがて「世界倫理説」へと発展するが、これは包括主義から多元主義への変化への徴であったという解釈もあるようだ(5)。


 ラーナーとキュンク

          

 

3 宗教的多元主義 Pluralism

 政治的多元主義はコーポラティズム論との比較で論じられることが多いが、宗教的多元主義にはそういう視点も歴史的背景もないようだ。宗教的多元主義は、単に複数の宗教が存在して、相互にその存在を認め合いましょうという程度の思想として理解されることが多い。かなり漠然とした理解だ。
 理論的には宗教的多元主義はJ・ヒックをベースとして論じられることが多いが、ここではカトリックが宗教的多元主義をどうみているかを見てみる。

 神は、様々な民族にそれぞれの状況に応じて、違った仕方で、自らを啓示したと考えられる。イエス・キリストの救いが唯一絶対で、決定的意味を持つと考える必要は無い。おのおのの宗教は救いに関して独自の役割を担っている。イエス・キリストはキリスト者にとっての道であり、キリスト者以外の者にとってはそれぞれの宗教的伝統による別の道がある。

 以上、救済に関する「レイスの三類型」をみてきたが、どれも救済論を念頭に置いている。カトリック教会から見れば包括主義の立場への立脚はしばらく続いていくだろう。けれども、救済を考えない宗教、たとえば輪廻とか悟りの観念を中心とする宗教をこの三類型で議論することは難しいようにも思える。平和資源としてキリスト教を捉える平和資源論も、包括主義の発展形態とみるか、多元主義の新たな展開とみるかは議論の分かれるところだろう。キリスト教の平和思想の展開を見守りたい。



1 Alan Race, Christians and Religious Pluralism: Patterns in the Christian Theology of Religions, 1983。 宇田進 『現代福音主義神学』 2002。福音主義神学の総帥だった宇田進氏は先日亡くなったばかりのようだ。教団系はバルト神学系らしいので自由主義神学系といいきれるかどうかわからないが、宇田氏は福音主義派だという。
2 たとえば、カトリシズムと多元主義は繋がりうると主張するチャールズ・テイラーの議論などがある(高田宏史『世俗と宗教のあいだ』風行社 2011)。
3 K・バルト(1858-1922)の福音主義神学では、啓示はただ一回イエスにおいてのみなされたとするようだ。つまり、キリストに先立つ旧約の啓示、自然神学的神認識(啓示によらない、理性による神認識)は否定されるという。他宗教、異邦人の宗教は人間の作り出したもので罪であると考えたという。こういう文脈でバルトを排他主義の立場に立つときめつけるのは議論のあるところだろうが、アメリカで支配的な原理主義的福音主義は排他主義と親和性があるという意味だと理解しておきたい。
4 K・ラーナーの訳本はたくさんある。わたしが知ったのは小林珍雄先生の訳本の時代だが、現在は稲垣先生や百瀬師のものがよく読まれると聞く。
5 宗教的多元論の主唱者であったジョン・ヒック(イギリスの宗教哲学者)がよく引用されるようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カトリック教会の他宗教観の理念 ー 諸宗教の神学(3)(学び合いの会)

2021-12-24 10:07:51 | 神学


Ⅲ 第二バチカン公会議の他宗教観

 第2バチカン公会議は他の宗教をどう見ていたのか。この「他の宗教」には正教会やプロテスタントも入るし、仏教やヒンズー教も入る。この他宗教観は「教会憲章」と「諸宗教宣言」のなかで表明されている。要約は難しいテーマだが、少し覗いてみよう。

1 「教会憲章」

 教会憲章の全8章のうち第2章は「神の民について」と題されている。神の民とは、カトリック信者だけではなく、他のキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、その他の宗教を信じる者、そして無神論者まで、同心円的に拡大して捉えている点が特徴的だ。人類全体を神の民と想定しているのであろう。
 14項はカトリック信者、15項はプロテスタント、16項はキリスト教以外の諸宗教を信じる者が取り上げられている。16項には、「まだ神をはっきりとは認めていないとはいえ、神の恵みに支えられて正しい生活をしようと努力している人々」という表現で無神論者も含めて救いの可能性を述べている。

2 「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」

 この宣言は「諸宗教宣言」と略して呼ばれることが多いが、日本語訳でもわずか4頁の短いものだ。キリスト教の他宗教観を簡潔に表明したものだ。日本語訳はなかなか手に入りづらい文書なので、PDFにして載せてみた。参考になれば幸いである(1)。 ポイントだけ拾っておきたい。

 序文では、「すべての民族はひとつの共同体であり、唯一の起源を持っている・・・ひとびとは種々の宗教から、昔も今も同じように人の心を深く揺さぶる人間存在の秘められた謎に対する解答を期待している」と述べ、すべての民族がそれぞれの歴史・文化・宗教を持っていることを認める。

 2項では、「カトリック教会は、これらの宗教の中に見いだされる真実で尊いものを何も排斥しない」が、他方、「教会はキリストを告げている」ので、「教会は自分の子らに対して、キリスト教の信仰と生活を証明しながら、賢慮と愛をもって、他の諸宗教の信奉者との話し合いと協力を通して、彼らのもとに見いだされる精神的、道徳的富および社会的、文化的価値を認め、保存し、さらに促進するよう勧告する」とのべている。

 3項では、「教会はイスラム教徒をも尊重する」と述べ、4項ではユダヤ教について、「新約の民とアブラハム子孫とを霊的に結んでいる絆を思う」と述べている。

 5項では、「教会は、民族や人種、身分や宗教の違いのために行われるすべての差別や圧迫を、キリストの精神に反するものとして退ける」と述べ、全人類が父なる神のもとで兄弟であると述べる。


3 第2バチカン公会議の公文書にみられる他宗教観を支える理念

 上記以外の公文書でも他宗教への言及がみられる。それらを支える共通の理念は次のように整理できよう。

①他宗教への肯定的姿勢がみられる すべての人が救いへの一般的召命を受けていることの言及
②救いへの道は多数あるという教会の主張は、自分の宗教を救いの場とするおのおのの人間がそこで神に近づき、神のみ旨を遂行できるという意味である
③教会は「救いの普遍的秘跡」であるという自己理解が一貫している
④キリストは神と人間との唯一の仲介者である。キリストは教会を設立し、この教会を通してすべての人に真理と恩恵が与えられる
⑤キリストの教会はカトリック教会の中に存在する。だがこの組織のほかにも、本来キリストの教会に属すべきものが存在することを認めている。

 キリストと教会と神の民がキーワードのようだ。第2バチカン公会議はこういう理念のもとに他宗教の存在を肯定的に見ていたようだ。だが当初から批判はあった。そしてその批判は今でも続いている。

4 教会の他宗教観への批判

①伝統主義者からの批判:第2バチカン公会議で示された教会の立場は、キリストの救いにおける絶対不可欠性の主張を相対化してしまっているのではないか。
②多元主義者からの批判:キリストの唯一・絶対的・普遍的救いと教会の役割の主張はあまりにも自己中心的ではないか。
③他宗教からの批判:教会が現存していない国や地域で、教会はどうやって救いの仲介者になれるのか

 こういう批判はやがて包括主義をめげる大論争に発展していく。第2バチカン公会議以後半世紀にわたって教会はこの論争の中で生きてきたとも言えそうだ。次稿でみてみたい。



1 「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」全文。出典は、南山大学監修『第2バチカン公会議公文書全集』サンパウロ、2001 197-199頁 である。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洗礼を受けてなくとも救われます ー 諸宗教の神学(2)(学び合いの会)

2021-12-22 11:24:49 | 神学


Ⅱ 教会の他宗教への態度の変遷

 教会は他の宗教をどう見ていたのだろうか。教会の他宗教への態度は時代とともに変遷していく。当初は、「教会の外に救いなし」論が支配的であった。教会の最盛期、第4ラテラノ公会議(1215)くらいまで続いたとみて良いであろう。
 やがて新大陸の発見、宗教改革を経て、トリエント公会議(1545- )で新たな段階に入る。「望みの洗礼」という新しい考え方が登場する。 17世紀に入ると教会はジャンセニスム(1)と激しく戦い、結局この思想を異端として退け、「キリストの救いはすべての人のため」と宣言する。 19世紀に入ると教会の発言に揺れが見られるようになるが、結局第二バチカン公会議(1962-1965)で、他宗教はおろか無神論者でも救われる可能性があると宣言された。
 
1 「教会の外に救いなし」論の根拠

①聖書

 聖書の様々な箇所にこの思想に近い考え方がみられる。例えば、
1ペテロ 3:20~ (ノアの箱舟のたとえ 「この霊たちは・・・」)
マルコ 16:16 (「信じて洗礼を受ける者は救われる」)
使徒言行録 4:12 (「ほかの誰によっても救いは得られません」)

②教父たち

 多くの教父たちもこの思想を表明していた
 アンチオキアのイグナチオス(35-107)、エイレナイオス『異端反駁』(130-202) オリゲネス(185-254)、キプリアヌス(?-258)、ルスペのフルケンチウス(467-533)

③第4ラテラノ公会議(1215)
 「普遍的教会は唯一で、その外では救われない」(DS802)(2)

④ボニファティウス8世(1235-1303)
 「教会の外に救いも罪の赦しもない」(DS870)

2 新たな段階

 15・16世紀になると新大陸の発見などにより他民族や他宗教の存在が明らかになり、教会はその対処に悩む。しかし「教会の外に救いなし」論は撤回されなかった。
 やがて3度にわたるトリエント公会議(1545-1547,1551-1552,1562-1563)では「望みの洗礼」の考え方が表明される(3)。

3 教導職の発言の揺れ

 19世紀から20世紀初頭にかけて、教会の発言に揺れが見られるようになる。

①ピウス9世回勅(1863) 「やむを得ぬ事情によりカトリックを知らない者が正しく生きるなら・・・救われる」(DS2866)
しかし、次の行で 「しかし教会の外において誰れ一人救われない」(DS 2867)とも述べている。この表現は矛盾しているのではないかと繰り返し指摘されてきたが、回勅は回勅だ(4)。
②ピウス12世回勅(1943) 「しかし、不可抗的無知によりカトリックを知らない者も、願望によって神に認められる」
 トリエント公会議の望みの洗礼論の再確認だったようだ

4 第2バチカン公会議(1962-1965)

 「教会の外に救いなし」論はこの公会議で大転換を遂げる。正しく生きていれば誰でも救われる可能性がある、つまり、他宗教の人でも救われる可能性があると表明されたのだ。

「また本人の側に落ち度がないままに、まだ神をはっきりとは認めていないとはいえ、神の恵みに支えられて正しい生活をしようと努力している人々にも、神はその摂理に基づいて、救いに必要な助けを拒むことはない」(教会憲章16項 24頁)
 これは無神論者すら救われる可能性があると述べていると解釈されることが多い(4)。

「キリスト教の聖なる行事も、われわれから分かれた兄弟のもとで少なからず行われてきている。それらはそれぞれの教会や教団の異なった状態による種々のしかたで、疑いもなく恩恵の生命を実際に生み出すことができ、救いの交わりへの戸を開くにふさわしいものと言うべきである」(「エキュメニズムに関する教令」3項)
 これはおもにプロテスタント教会との教会一致を念頭に置いた文言のようだ。
 
5 問題の捉え方

「教会の外に救いなし」論は古代・中世では自然な考え方であり、現代と異なるのは当然だ。第2バチカン公会議では洗礼は救済の必須条件ではないことが確認されている。信仰についての考えは、歴史の中で正され、適切な表現に代えられるべきである。

 S氏はこのように言う。だが、本当に、信仰についての考え方は歴史の中で変わるのだろうか。信仰の「在り方」は変わっても「考え方」は変わらないのではないか。それとも変わっても良いのだろうか。変わって良いのならそれはなぜなのだろう。第2バチカン公会議への批判、フランシスコ教皇批判は、リベラルからも保守からも今でもあちこちで続いている。安易な批判論に与さないためにも、第2バチカン公会議の他宗教観をもう少し丁寧に見てみよう。


ベネディクト16世名誉教皇とバルトロマイ1世(コンスタンチノープル総主教)

 


1 ジャンセニスム Jansenisme は整理が難しいよう思想のようだ。現代に至るまで影響が残っているからだ。普通は自由意志論争(恩恵論争)の一つとされる。オランダのジャンセンが著書『アウグスティヌス』(1640)で、アウグスティヌスの恩恵論と予定説を擁護したため、イエズス会と激しく争ったという。恩恵は自由を損なうことなく絶対的に有効で、予定は無条件だというアウグスティヌスの命題を絶対視した主張をさす。結局はイエズス会から異端宣言されるが、対抗宗教改革で活躍したそのイエズス会自身が一時解散という憂き目に遭ったりしている。
2 DS とは人の名前らしいが(Denzinger/Schonmetzer)、カトリック教会の公文書の文書資料集の番号のこと。19世紀に整理されたようだ。日本語訳もある。神学研究には欠かせないらしい。3 望みの洗礼とは、キリスト教を知らない人でも、洗礼を受ける前に亡くなってしまった子どもでも、神を真摯に求め、神の意志を行えば救われるという考え方。「正直に」生きていれば救われますということのようだ。『カトリック教会のカテキズム要約』262番(153頁)
4 回勅 Encyclical とは教皇が全世界の司教に出す文書。教皇が出す文書の中で最も重要なもの。これは教義ではないが信徒にとってはもっとも大事な文書だ。第2バチカン公会議のあと生まれた文書で、回勅の下に「使徒的勧告」と呼ばれるものがある。シノドス(世界代表司教会議)が作った文書を教皇が出すものだ。これもよく読まれる。さらに「使徒的書簡」とか「自発教令」があるようだが、わたしはこれらはあまり読んだことはない。
5 この表現には、K・ラーナーの「無名のキリスト者」(匿名のキリスト者、anonymous christians)の思想が反映されていると読む人は多いようだ。
 なお、この教会憲章の引用は2014年版の『教会憲章』日本語訳(カトリック中央協議会)からであり、エキュメニズム教令からの引用は『第2バチカン公会議公文書全集』(南山大学、2001)からである。両者で訳文が少し異なっている点が興味深い。たとえば南山大版では「恵み」が「恩恵」と訳されていたりする。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「教会の外に救いなし」からの脱却 ー 諸宗教の神学(1)(学び合いの会)

2021-12-20 21:35:54 | 神学

 テーマが変わったせいか、今日の学び合いの会の出席者は多かった。10名は超えていたか。
「諸宗教の神学」という言葉を聞かれたことがあるだろうか。クリスチャンの中では聞き飽きたという人も多いだろうが、今日の出席者の中でも初めて聞くという人もいたことであろう。「宗教間の対話」(キリスト教の司祭・牧師と仏教の僧侶との対話など)とか、「エキュメニズム」(教会一致運動)とかいう言葉の方がなじみ深いだろうが、諸宗教の神学とは、キリスト教がキリスト教の絶対性と他宗教(イスラム教、仏教など)との関係をどう捉えるかを探求する教義神学であり、宗教哲学でもある(1)。
 諸宗教の神学とは theology of religions (複数形)の訳語で、宗教学における比較宗教論ではない(2)。キリスト教が他の宗教をどう見るか、クリスチャンは他の宗教を信じる人々をどう交わるべきかを問うもので、仏教やイスラム教ではこういう問題の立て方をしないようだ。あくまでキリスト教神学の問題設定である。これはキリスト教では古代から近年に至るまで「教会の外に救いなし」と教えられてきており、やっと第二バチカン公会議でこの教えの再検討と修正がなされたからである。
 「諸宗教の神学」という表現はカトリック神学者が用いる表現で、プロテスタント神学者は「宗教の神学」という表現を使うようだ(3)。訳語としてはどちらでも良いともいえるが、日本のプロテスタント教会はバルト神学の影響が強いため問題の設定の仕方が少し異なるようで、訳語の違いの意味は大きいという印象を受ける。ここではカトリックの視点からの議論が中心となる。
 まずS氏の議論をみてみよう。

Ⅰ 導入

 キリスト教は唯一の神の全人類に対する普遍的救いとキリストによる唯一の仲介を主張する。古代より近年まで「教会の外に救いなし」 Extra ecclesiam nulla salus  の思想はずっと保持されてきた(4)。古代から中世のヨーロッパでは対立する世界宗教は存在しないも同然で、この思想は違和感なく受け入れられていたのであろう。だが大航海時代以来ヨーロッパが世界の他の文化や宗教と接触し始めると、教会は次第に他の宗教との関係に悩み始める。本当に教会の外には救いはないのか。近代に入ると教会の指導者たちの発言にニュアンスの変化が見られるようになっていく。グローバリズムが支配する現代ではこの傾向はますます強まっていく。
 第二バチカン公会議において、他宗教による救いの可能性が正式に認められた。そして「諸宗教の神学」という言葉が「憲章」や「宣言」や「教令」で使われるようになり、教義神学の中に組み込まれていく(5)。
 このように他宗教との対話の重要性が教皇庁や教会文書で強調される一方、キリストの絶対性・普遍性が相変わらず主張され、世界への宣教の重要性が強調されている。
 他宗教との関係で言えば、①排他主義 ②包括主義 ③多元主義 の3つの方向があり、神学者たちによって論じられている(6)。諸宗教の神学は21世紀カトリック神学の最大の課題である。


フランシスコ教皇とタイーブ師(アブダビのイマーム)

 


1 カトリックの教義神学では諸宗教の神学は基礎神学の一つのようだ。基礎神学は宗教・啓示・信仰論を取り扱う分野で、神学校の講義では宗教哲学という科目の中で論じられるという。神学生たちの相対主義的・多元主義的宗教観が問い正されるようだ(阿倍仲麻呂『カトリック神学の大系』2014)。
2 キリスト教では伝統的に世界宗教をキリスト教・ユダヤ教・イスラム教・異教*と分類してきたが、比較宗教学ではアブラハムの宗教・インド宗教・東アジア宗教と世界宗教の三分類をおこない、各宗教の教義や儀式を比較するという。ちなみに東大の宗教学宗教史学研究室の紹介文には次のような記載がある。
「宗教学という学問は比較的新しく、欧米の大学に宗教学の講座が置かれはじめたのは十九世紀末のことである。それ以前は、欧米で宗教の学問的研究といえばほぼキリスト教神学に限られていた。これを行う神学部から独立して、キリスト教だけでなく、仏教やイスラム教といった大宗教はもちろん、いわゆる民間信仰や「未開」社会の宗教まで、古代エジプトの宗教から現代の新宗教まで、特定の宗教伝統や地域に限定することなく、あらゆる宗教現象を研究対象とする学問として宗教学は成立した。そうした新興学問のための講座が、日本で二十世紀の初頭に生まれたのは、世界的に見ても稀な早さであった。」
* 異教とはpaganの訳語で、アブラハムの宗教以外の宗教をさす。たとえば仏教やヒンズー教だ。婚姻ではたとえばカトリック信者と仏教徒との結婚は「異宗婚」と呼ばれ、カトリック信者とプロテスタント信者との結婚は「混宗婚」と呼ばれ、教会法上の扱いが異なるようだ
3 たとえば、『カトリック教会の諸宗教対話の手引き――実践Q&A』 カトリック中央協議会
  東京神学大学神学会編 『キリスト教組織神学事典』 教文館 など。
4 「教会の外に救いなし」ではなく、「キリスト教の外に救いなし」と主張するプロテスタント系宗派もあるようだが、これは教会論になってしまうのでここでは議論できない。
5 『第二バチカン公会議公文書全集』 サンパウロ 2001(1986) なお、憲章・宣言・教令の違いは簡単に言えば、憲章は公会議の決定、宣言は教皇の指針、教令は司教団の声明とでも言える。重要度と拘束力が異なるようだ。
6 この説明では「3つの方向」が言及されている。だが、いろいろな宗教があるが結局はカトリックが一番上ですという包括主義はカトリック信徒にとっては耳さわりの良い主張だが、他宗教の人々を納得させるものではないであろう。現在議論が進んでいる「特殊主義」(個別主義 particularism)という第4の方向(選択肢)も議論して欲しいところだ。たとえば、宗教を「社会資源」として捉え、キリスト教を「天と地における平和」を実現する「平和資源」として鍛え直すとき、カトリックの側からの他宗教との対話や協力は現在の「正平協」路線とは異なる道が開けてくる可能性がありそうだ。だがこれは議論の視点を救済論から資源論に移すことになるので難しい課題だ。議論の進展を見守りたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする