カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

『愛と英知の道-霊性神学-』(完)(神学講座)

2017-12-29 11:33:01 | 神学

 第3部は「現代の神秘的な旅」と題されている。ここは第1部、第2部とはトーンが少し異なる。まず、全体に黙想会の講話風で、特に新しい議論がなされているわけではない。繰り返しの話があり、話題もあちこちに飛ぶので、読みやすくはない。第二に長い。全9章からなっている。全体として十字架の聖ヨハネの議論が中心となっている。第三に、結婚や性の問題が繰り返し登場する。神学上の問題でもあるが、制度としてのカトリック司祭の独身制の問題が問われている。第四に最後の2章はジョンストン師独特の現代社会論、社会正義論が展開される。師の神秘神学の射程の広さを感じさせる。ということで、要約は無理を承知でごくごく簡単に済ませたい。実際に本書を手にとってお読みいただくきっかけになれば幸いである。

第11章 信仰の旅

 ジョンストン師の神秘神学は本当にキリスト教なのか、という無言の問いに、師は、K.ラーナーとともに断固として答える。未来のキリスト者はみな神秘家になる、と。
 本章は十字架の聖ヨハネの「否定神学」に依拠しながら、「信仰」とはなにかを明らかにする。信仰とは、数多くの神学的命題への同意ではない。理解したから信じる、のでもない(注1)。信仰は、神への従順であるという。信じるから理解できるとまでは言っていないが、全人格を神に委ね、神との個人的関係に入っていくことを信仰と呼んでいる。
 この信仰の意味を知るために、師は、啓示論を展開する。聖ヨハネは啓示には2種類あると言っている。宇宙の啓示と受肉の啓示だ。師は、神秘家アブラハム(注2)、聖ヨハネの「不知の知」、禅の「大死一番」(必死で物事に取り組むこと 注3)を取り上げ、啓示の意味を説明する。啓示と同じく、「目覚め」にも2種類あるという。一つは禅の「見性」(けんしょうと読む)のような自然と宇宙を通しての目覚めだ。もう一つはキリスト教的な(受肉と贖いの神秘である)死を通しての目覚めだという。師の信仰論はキリスト教に限定されず、また、宇宙論的な響きをもっている(注4)。

注1神学論争のテーマは多い。原罪、義化か義認か、恩恵か自由意志か、善行か予定か、など。
注2 旧約聖書の英雄のなかでアブラハムは別格である。アブラハム・イサク・ヤコブ・ヨセフ・モーゼ・ヨシュア・ダビデ・ソロモンと続く続く偉人を、阿刀田高は「アイヤー、ヨッ」と覚えろと言う。わたしもこれで覚えている。「旧約39巻、新訳27巻、合計66巻」の巻名を歌で覚えてすべてすらすらと言える人も多いという。そんなことができても意味が無いと言われればそれまでだが。
注3 「大死一番絶後再蘇」は大河ドラマ「直虎」でも使われ、人口に膾炙したか。生への執着と死への恐怖は神経症や精神障害を誘発する。霊的な死から解放されれば、生物的な死を受け入れられるようになるという禅の教えだ。
注4 ラサール師の『禅-悟りへの道』(1967)がジョンストン師の『愛する』(2004)と同じく祈りのための書とすれば、『禅と神秘思想』(1968,邦訳は1987)は神学書で、本章のベースになっているようだ。とはいえ、ジョンストン師の宇宙論的・汎神論的響きは接心で見性を許されたラサール師のそれとは異なるように見える。


第12章 浄化の道

 タイトルは Via Purgativa だ。英訳は a way of purification。ここも十字架の聖ヨハネの神学がベースにある。神秘主義では、神に赴く道に三層(三段階)があるとする。

浄化の道(初心者の道)
照明の道(熟練者の道)
一致の道(完徳者の道)

 イエスは「私は道である」(the Way)と言われた。イエスに倣って生きるためには浄化の道を歩まねばならない。浄化の道はまず「回心」から始まる。回心とは神に目を向け直すことだ。具体的には告解と観想だ。告解で許されても、観想のように罪の根を取り去ることはないという。どうしても観想が必要になってくる。
 このキリスト教の浄化の道は、ヒンドゥー教や仏教の「解脱の道」と類似点があるという(注1)。だが師は、ただ両者を比較するだけではなく、キリスト教の浄化の道の神学上の基盤を明らかにすることのほうが重要だという。神学論争を避けてはならない。ここから師は、聖ヨハネに依拠しながら、浄化の道、観想の世界を詳しく説明していく。「推論」から「観想」へ進み、「暗夜」へ入っていく。

注1 業からの解脱は輪廻から解放されることだが、欲望が無くなるという意味では涅槃(悟り)と同義だという(岩波哲学思想事典)。キリスト教の罪概念と仏教の欲望概念は対照的だが、キリスト教は欲望を否定しない。

第13章 暗夜

 神秘体験を説明するためにジョンストン師は心理学、精神分析学の知見を学び始める。特にC.ユング(1875-1961)には強く影響を受けたようだ。「無意識」という言葉が師の講話にしばしば登場するようになり、わたしは強い印象を受けたことを覚えている。とくに、ユングがフロイトと決裂することになった無意識と性との関係や集合的無意識の存在についてのユングの考えに惹かれたようだ(注1)。師は「社会的な罪」(social sins)という言葉さえごく普通に使うようになった(注2)。
 本章から15章まで性の問題が取り上げられる。直接的議論ではないが、背景としてある。神秘神学は性をどう説明するのか。独身の利点・欠点はなにか。カトリック教会の独身制の意味は何か。
 だが、この議論に入る前に聖ヨハネの暗夜論が紹介される。暗夜論は神秘神学の重要な柱だからだ。最初、「神の英知は霊魂にとって、夜であり、闇であり、苦しみであり、拷問である」という聖ヨハネの言葉を説明する。。暗夜は「煉獄」(purgatory)にたとえられる。「性欲の抑圧・統合」が語られる。興味深い議論が続くが、性を、暗夜を、肯定的に見るジョンストン師の視点は一貫している。
 しかも暗夜は深い悟りの先触れでもあるという。観想が「浄化」の段階から第二段階の「照明」の段階に入ると、つまり、熟練者の段階に入ると、霊魂は解放され、精神の自由と満足を享受するという。たとえば、「恍惚」とか「脱魂」とか「脱臼」が生まれるという。感覚の浄化とも呼んでいる。

注1 ユングは、無意識は性とかならず結びつくわけではない、個人の抑圧体験だけでは説明できない社会レベルでの無意識と呼べるものがある、と考えた。フロイトよりは集団や社会にも眼を向けていたというのが普通のユング解釈だろう。
注2 第二バチカン公会議の成果である。なお、「七つの大罪」はseven deadly sins の訳で教会では「罪源」と呼ぶ。悪徳は罪源から生まれ、高慢・貪欲・嫉妬・憤怒・肉欲・貧食・怠惰の七つとされる。その内容や訳語や並べ方の順序は歴史的に変化してきているようで、現在は『カトリック教会のカテキズム』(第3編第1部第8項)に従う。


第13章 愛のうちにある (Being-in-Love)

  本章はロナガン論である。ロナガンの「超越論」という方法論が神秘主義神学の柱になるというのがジョンストン師の主張だ。特に、「愛のうちにある」(Being-in-Love)という概念が中心になる。これは単なる「愛」(Love)とは異なる。それは性愛を説明できるからだ。本章も背景は性の問題である。この 「Being-in-Love 愛のうちにある」という思想はジョンストン神秘神学の中核をなしている。そしてそれは師がロナガンから学び、発展させた重要な神学的貢献である。
 浄化の次の段階、照明の段階は、「愛の火、炎、葡萄酒」、として描かれる。こういう状態をもたらすエネルギーを、東方正教会は「造られざるエネルゲイア」と呼んだ。アジアでは「気」と呼ばれ、ヒンズー教では「クンダリーニ」(蛇の力)と呼んだ。
 ロナガンは、自己超越は、前述の4つの教えを守ることでかなえられるという(注意深くあれ・知的であれ・道理をわきまえよ・愛のうちにあれ)。こういう愛は、例えば、ロミオとジュリエットの間にあったロマンチックな愛とどこが異なるのか。ロナガンの答えは明解で、ジョンストン師はこの文章を繰り返し引用する。

「愛はどんな愛でも自己放棄であるが、<神への愛のうちにある>(Being-in-Love-with God)という状態は、いかなる制限も資格も条件も留保もなしに<愛のうちにある>ことである」。なんのことかというと、愛のうちにあるとは、超越した方に恋をすること。超越した方とは、恋人かもしれないし、神かもしれない、という。つまり、人間的な愛は同時に神秘的な愛でもある、人を愛するとは神秘的な行為だという。人を愛したことがある者にしか言えない言葉であろう。


第15章 花嫁と花婿

 教会はキリストの花嫁という言い方は、カト研の皆さんにはなじみがあっても、一般には余り知られていないのではないか。F.カーはその著『20世紀のカトリック神学』のなかで、20世紀の新スコラ主義神学の再興の試みは失敗し、「婚姻神秘主義」(nuptical mysticism)(注1)に取って代われたと言っている。婚姻の神学はオリゲネスにまでさかのぼれるとはいえ、第二バチカン公会議が打ち出した新しい神学である。婚姻論は現代神秘神学の中枢にある。本章でジョンストン師は神秘主義と結婚、性との関係を論じる。
 オリゲネスは婚姻論の始まりだが、その性への否定的姿勢は明らかだった。中世神学では独身制と童貞制は肯定的に受け取られてきた。しかし、実際には守らない教皇や司祭がいたし、結婚した神秘家も数多くいたようだ。ユダヤ教やイスラム教では性的実践は肯定的に受け入れられており、キリスト教の否定的とらえ方とは異なるという。ジョンストン師は、キリスト教神秘神学の中で独身制と童貞制が唯一の途ではないと主張する。ではどうするのか(注2)。
 「性は統合されねばなりません」(412頁)という。つまり、性的エネルギーと霊的エネルギーを統合するという。具体的には、禅や道やヨガは、霊のエネルギーを管理し、しかも性的エネルギーを変容させるという。霊的婚姻とは既婚のカップルが主と合一することを意味するという。師はもちろん性的な節制、禁欲が重要だと考えている。神秘主義が性的不健康に堕さないために必要なことだ。それでも性的エネルギーはエネルギーの根源だ。このエネルギーを、解放し、制御し、統合しなければならない。師は、神秘神学は結婚について霊的にも制度的にもさらに書かれねばならないと結んでいる。師は、結論は出していないが、方向性をはっきりと示している。

注1 花嫁神秘主義とも言われる。中世にはクレルヴォーのベルナルド(ベルナール)を中心に、花婿と花嫁との関係を神と教会との関係、または、神と霊魂(人間)との関係の比喩として解釈する伝統が確立した。
注2 独身制は肉体を軽視したグノーシス主義の影響のもとに4世紀以降制度化が進む。東方教会と西方教会とでは発達の形態が少し異なるようだ。カトリックでは第二ラテラノ公会議(1139)で確立する。当然のことながらプロテスタントでは独身制は採用されていない。上座部仏教では僧は妻帯を許されない。肉食妻帯は日本仏教(大乗仏教)の最大の特徴だ。妻帯は制度的には明治以降に確立したようだが、浄土真宗では早くも近世に見られ、日本仏教全体が浄土真宗化していく過程で広く普及したようだ。独身制の議論には日本仏教がたどった道を冷静に見ていく必要がある(末木文美士『思想としての近代仏教』2017など)。

第16章 一致

 本章が言う一致は Union の訳語である。unity の話ではない。神との一致 union with God が主題である。主題は、1993年にシカゴで開催された諸宗教の宗教会議で採択された「地球倫理宣言」の意義である。H・キュングが起草したこの宣言は、環境問題、格差問題など地球規模の問題に対して、「諸宗教の教えの中に核となる共通の価値観が見いだせること、ならびにそれが地球倫理の基盤を形成することを宣言します」と言っているという(446頁)。
 キリスト教で言えば、「神秘主義は・・・神との一致、すべての人々との一致、宇宙との一致、自分自身との一致への回帰のための道」だという。師はこのおのおのについて順番に丁寧に議論を重ねていく。
 この宣言自体には神秘主義についてははっきりした言及はないようだが、現代世界が危機に直面していることを明らかにしている。そして神秘神学はこの危機に立ち向かえる精神を用意している。神秘神学は、ただひとりじっと祈っているだけではない。地球規模の社会問題も射程の範囲に入れていると力強く宣言する。

第17章 英知

 本章は本書のまとめのような内容である。おもに二つの論点が提示される。一つは、さまざまな宗教が英知をどのように探究してきたかを比較し、キリスト教の探究の独自性を明らかにする。第二に、英知が科学的知識や常識とどのような関係を持つかが論じられ、英知と科学的知識が両立することを明らかにする。
 最初に、さまざまな宗教や分野で観想を実践している人々が求めている英知(wisdom)とはなにかが、改めて整理される。まず大乗仏教における悟りが英知の一つの形態であるという。ジョンストン師は、悟りで強調される「慈悲・空(くう)・気(き)」は仏教的な英知のあらわれであると考えているようだ。
 キリスト教、特に旧約聖書(知恵文学 注1)では、英知は女性として擬人化され、聖霊として理解される(注2)。聖霊は「神的英知」(Divina Sapientia)とよばれる。「ですから英知はゴール、愛は道です」(455頁)とされ、このゴールとは「神の直知」(Vision of God)だという。つまり、魂が肉体を離れ、神と、顔と顔を合わせて相まみえる栄光のことだという。
 さらに、知には二つの型があるという。一つは科学的知識とか常識と呼ばれる知である。もう一つは英知と呼ばれる知で、キリスト教や仏教の神秘家が探究してきたものだ。キリスト教の場合、この英知は観想によって求められる。観想はまず、「推論的観想」から始まり、やがて「習得的観想」にいたり、そして「注賦的観想」で頂点に達する。
 問題は、この科学的知識や常識と、英知とをどう調和させていくか、ということだ。キリスト教の神秘家の中には、科学的知見や日常の雑事を軽蔑し、それらは神の英知と比べれば無知も同然である、と言う人たちがいる(注3)。ジョンストン師は、神秘的英知が科学的知見より優れているという考え方をとらない。「習得された科学的な知識と注ぎ込まれた神の英知の結婚」を主張する。それは繰り返し言及されたB.ロナガンの「超越論」が師の新しい神学の方法論だからだ。
 ①(愛をこめて lovingly)注意深くあれ ②知的であれ ③道理をわきまえよ ④責任を持て。何か道徳訓みたいに聞こえますが、師はこれを「超越論的な教え」(precepts)と呼んでいる。格言、教訓といってもよいかもしれない。注ぎ込まれた聖霊の賜物である英知は、さまざまな知識、信仰、預言、異言を語る力、霊の識別力などに見られるという。本章では、聖書のなかの預言、異言、ガンジーら現代の預言者が論じられる。続いて、十字架の聖ヨハネの「内なる声」が論じられる。誰でも心の奥底で響く声を聞いたことがある。天使の声があると思えば、悪魔の声があるかもしれない。現代心理学がいうプシケから立ち上ってくる声がすべてそのまま信じられるわけではない。禅では「魔境」とよばれ、人は容易に欺かれる。つまり、英知には慎重な「識別力」が必要となってくる。聖ヨハネは、ここを過ぎると「目覚め」の段階に入り、そして「神の直知」という最終段階に至るという。つまり、浄化を経て、輝かしい婚姻を通って、神秘生活のクライマックスが神の直知なのだという(注4)。

注1 知恵文学とは、箴言・コヘレト・ヨブ記・知恵の書・シラ書の五書
注2 旧約聖書を新約聖書の視点、キリスト教の視点からのみ眺めると、ユダヤ教やイスラム教とは異なった点が強調されすぎる。予型論(タイポロジー)と言っても良いかもしれない。聖書解釈研究の課題の一つのようだ。
注3 逆に、科学の知見と矛盾することをいう(例えば奇跡)宗教なんて馬鹿馬鹿しい、と考える単純な世俗家もいる。現代日本ではこちらの方が多数派かもしれない。
注4 直知はvisionの訳語だ。visionは普通は幻視とか幻覚とか幻と訳され、五感では感じ取れないものを感じ取る超自然的な働きをさす。キリスト教ではvisionは啓示によって与えられ、預言や「内なる声」という形で表現される。これが言葉として現れるか、それとも視覚として(映像として)現れるかで、異なった描写がなされるようだ。

第18章 活動

 ここからの2章は活動論である。神秘神学が、十字架の聖ヨハネが、決して触れることのなかった現代的テーマであり、ジョンストン神学の特徴でもある。
 現代社会の問題(個人の不安から世界の分裂・抗争まで)に直面して、現代人には、積極的に活動する、運動に参加する人と、人生の深い意味を求めて瞑想の世界に向かう人がいる。観想の優越性と活動の有用性の対立。聖書でいえば、「マリアとマルタの話」(ルカ10・42)で、活動よりは観想が良い、マルタよりマリアがよい、といわれてきた。活動を信頼しないで観想に逃避する人と、観想を犠牲にして活動を過大評価する人との間の争いは終わることがない(注1)。この争いは避けられないのか。
 教会は、『典礼憲章』では「活動は観想に従属する」と言っている。他方、『現代世界憲章』では「人間は活動することによって事物と社会を変えるだけでなく、自分自身を完成させる」と述べて、活動の優位性を強調する。ジョンストン師はこの活動と観想の一致を目指そうとする。ではどうするのか。
 師は、勇気ある自己決定(言われたままに行動しない)、霊の識別(悪霊からの声と聖霊からの声を識別する)、目覚め(悟り、照らし)、を通して、活動と観想の一致を目指しなさいという。そして重要な発言をする。「ヒンズー教や仏教やイスラム教やキリスト教は、どれも、同じとは言えない・・・神秘体験が宗教間の対話には絶好のテーマであることは確かですが、得られる内容は異なっている・・・安易なエキュメニズムは避けたいものです」(510頁)。師はキリスト教にとどまっている。師はキリスト教を離れることはなかった。そしてイグナチオ・ロヨラにならって次のように言う。「祈りと活動を分離しないこと・・・聖霊の活動の識別を持続的に行うこと・・・神秘神学には社会的な側面がある」。

注1 ジョンストン師が本郷で座禅に打ち込み始めた頃は文化大革命(1966-76)が始まったばかりで、まさか10年におよぶ政治的大混乱になるとは誰も思わず、単純に社会主義を守るための運動と多くの学生は理解していた。師の勉強会の参加者は信者だけではなかったから、赤本(毛沢東語録、赤尾の豆単ではない)片手に座禅を組んでいた学生もいて、座禅と運動は併存していた。今から思えば不思議な時代だった。師がタイプライターでポツポツと著書 Christian Zen (未邦訳 改訂数回)を打っていた時代だ。

第19章 社会活動の神秘主義

 キリスト教は、長い間、苦しむ個人ー貧しい人、見棄てられた人、病気のひと、不安を抱えている人ーを支えてきた。19世紀に入り、教会は社会構造に注目し始め、社会的罪(social sin)を意識し始めた。そしてついに、第二バチカン公会議はキリスト教の社会的側面を強調するだけではなく、聖書の精神、福音の精神を世界経済に浸透させるという目標を掲げた。さらに、1993年にシカゴで開かれた世界宗教会議では、社会正義・非暴力・平和・環境保護に関する世界倫理を提案し、すべての宗教が成し遂げねばならないと宣言した。伝統的な神秘神学は神学生に、祈りに専念し、聖書を読むことだけを奨励していた。それでは地球規模の問題に立ち向かう用意ができない。
 現代の神秘神学は活動に眼を向ける。その背景として、師は何人かの偉人の貢献を論じる。マハトマ・ガンジー、マーチン・ルサー・キング、トマス・マートン、ペドロ・アルペ、などだ。また、制度としての教会がもつ抑圧的構造を批判する「解放の神学」を肯定的に評価する。最後に、「積極的非暴力」を説いたガンジー、「犠牲の神学」を説いた永井隆(注1)を詳しく取り上げ、平和こそ神秘神学が求めるものだと述べる。次の言葉は師がいかに厳しい平和論者であったかを示している。

「愛の生ける炎に促されて、彼ら(活動的な神秘家)は平和行進に参加し、街頭デモを行い、抑圧的組織を公然と非難し、権力者に抵抗し、投獄され、命を落とすことさえいとわなくなります」(544頁)

 この文章には、自分の故郷北アイルランド・ベルファーストのIRA(アイルランド共和国軍)について最後まで否定的評価を口にしなかった師の真の思いがこめられているように読める。

注1 師は永井隆『長崎の鐘』の英語への訳者でもある(1984)

 

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トリエント公会議と反宗教改革 (学びあいの会)

2017-12-18 23:13:25 | 神学

 12月の学びあいの会では、「宗教改革後のカトリック教会の刷新ートリエント公会議と反宗教改革」というタイトルで報告があった。この学びあいの会ではここ数回連続して宗教改革について学んできた。この間浮かび上がってきたのは、宗教改革に対するカトリック教会側の対応が必ずしも十分には論究されていないという点であった。教会はどう対応したのか。カトリックサイドから少し整理しておこうということである。

 本題に入る前に少し前提の議論をしておこう。まず、「反」宗教改革という言葉だ。これは Counterreformation, Gegenreformationen の訳だ(注1)。Reformation を宗教改革と訳すことも議論の余地があるだろうが、ここでは Counter の訳として「反」が妥当かどうかだ、。岩波のキリスト教辞典では「対抗宗教改革」が見出しで、角川世界史辞典は「反宗教改革」が見だしだ。山川の世界史ではなんと「反動宗教改革ともいう」と説明している。カトリックから見れば、ルターの95ヶ条の論題(1517)以後、教会は、一方では、「カトリック改革」と呼ばれる自らの改革に乗り出し、他方、「反宗教改革」と呼ばれうる後ろ向きの改革もあった。「宗教改革 対 反宗教改革」という図式は教会史のなかではもはや一般的ではないと思われる。

 つぎに、反宗教改革とはいつの時期のことを指すのかという問題だ。運動だからいつからいつまでとは決めがたいのは当然だが、宗教改革を95ヶ条の論題(1517)からアウグスブルクの和議(1555)までと考えるなら、反宗教改革は、カトリック教会のルターへの反撃がヴォルムス勅令 Wormer Edikt (1521 ルターの破門宣告)からはじまったと考えるなら、終わりは30年戦争(1618-48)後のウエストファリア条約(1648)と考えられそうだ。ここでカルビニズムは公認され、ドイツの分立が確定し、「主権」をもったいわゆる「近代国家」の萌芽が芽生えてくる。教科書風に「カトリックの反撃」と評するなら、スイス、ドイツの半分はカトリックに戻った。反宗教改革はトリエント公会議を中心に16世紀後半の出来事として議論されることが多いが、17世紀前半までを含むと考えておこう。もちろん宗教改革は現在も続いているという議論もあるが、それは別の話である。

 

 さて、報告の本題に入ろう。報告は3部に別れている。

[1] ルターの神学

 S氏はルターの神学の原理を3点に要約している。第一に、①後期唯名論をとった(エルフルト大学の主流の立場 注2)。恩恵論により自由意志論から神学を解放した 恩恵は人間側から見れば信仰義認となる。贖宥を疑問視し、修道制を批判した。だがツゥイングリの急進主義には反対した ②聖伝を否定し、聖書のみとした ③キリストのみ論で、救いにおけるキリストの働きに集中した。
 第二にサクラメントは洗礼と聖餐のみとした(カトリックは七つ)。しかし聖体の象徴主義には与しなかった(ご聖体の一時的聖変化)。また、教会の位階制を福音との関係でのみ認め、説教中心の聖餐式となる。
 第三に、倫理面では罪との戦いが必要とし、一般信徒にも修道者にならった訓練と節制を要求した。
 第四に「二王国論」をとった。霊的統治様式と世俗的統治様式とを区別した。カルビニズムのような政教一致論をとらなかった。


[2] トリエント公会議 Council of Trento(1545-63)

 トリエントは地名で、英語読みならトレント。宗教改革に対応してなされたカトリック教会の抜本的改革。19世紀のバチカン公会議までのカトリック教会の基本的姿勢を規定した。第二バチカン公会議でさらに改革される。

(1)公会議招集までの経緯
 ルターの95ヶ条の論題は1517年。ルターは公会議開催を要望していたが、カトリック教会は実に18年近く神学上の対応策を放置していた。トリエントはドイツ帝国領内で、カール5世の提案。クレメンス7世は公会議首位主義を警戒し渋っていたが、1532年に皇帝と会見し、公会議開催を約束する。しかし13年過ぎる。パウルス3世は1542年5月22日開催の大勅書を発した。当初マントヴァでの開催を予定していた(ここは教会領、皇帝は口出しできないから当然怒る。結局皇帝領のトリエントになる)。
 トリエント公会議は開始から終了まで実に18年近くかかっている。3会期、25総会がもたれたが、通常、時期的には二段階に別れるらしい。第一段階はカトリックとプロテスタントの和解が追求された段階で、カール5世が主役だ。第二段階は第3会期(1562-63)でピウス4世が中心で、教会改革に力が注がれたという。この公会議の時期には基本的には教会は宗教改革を異端視する傾向があったが、現在は宗教改革からは学ぶべき点があるとしてその評価を変化させている(注3)。

(2)第一会期(1545-49) 8総会25会議が開かれたという。第3総会ではニケア・コンスタンティノポリス信条が確認され、第4総会では聖書と聖伝についての教令が出され、聖書のみは異端とされ、ヴァルガダ訳聖書が認められる。第5総会で原罪についての教令、第6総会では義化についての教令がだされる。第7総会では秘跡についての教令がだされ、七つの秘跡が確定し、「事効性」(エクス・オペレ・オベラート 注4)が確認される。また、司教の教区在住という義務を中心とした教会改革がなされる。やがてチフスの流行を理由に開催地をボローニャに移すがカール5世は激怒する。ボローニャは教皇領だったからだ。やがて第一会議は中断される。

(3)第二会期(1551-52)第9~14総会。第13総会では聖体についての教令が出され、聖変化の実体変化が確認される。第14総会ではゆるしの秘跡と病者の塗油についての教令が出されるが、ザクセン大公の襲撃のため会議は中断される。中断は10年におよぶ。

(4)第3会期 教会改革が中心となる。第21総会では両形態の聖体拝領と幼児の聖体拝領についての教令が決まる。両形態聖体拝領は先送りされ、第二バチカン公会議で承認される。私見では、現在でも葡萄酒については不安定、不確定のままのように思える。第22総会ではミサの犠牲についての教令で、母国語のミサは否定される(注5)。また、教皇と司教の関係についての問題も討議されるが、決着はつかなかったようだ(注6)。第23総会は叙階、結婚の秘跡についての教令が出された。最後の第25総会では、3つの懸案を急遽解決するとともに(注7)、修道会の大々的な改革が行われた(注8)。

(5)トリエント公会議の評価
①プロテスタントとの再合同は実現できなかった ②教皇首位権については決着がつかなかった ③カトリックの教理の再確認がなされた ④優れた教皇、司教(カルロ・ボロメオは著名)、イエズス会やカルメル会など修道会の努力により教会の悪弊を除去し、宣教に乗り出す ⑤聖伝、原罪、義化、秘跡、ミサなどの教理に就いての宣言は歴史的な業績。だが限界も明らかだった。プロテスタントのなかの正しい要素に無理解だったし、教理でも、聖霊論・恩恵論・教会論・神の民論などの整理は不十分で、第二バチカン公会議まで待たねばならなかった。

[3]トリエント公会議後の教会の刷新と反宗教改革

(1)公会議後の教会 その後の教皇はトリエント公会議の決議をすべて積極的に全教会規模で実行し、教皇庁自体と、教会全体の改革に成功した。優れた高位聖職者と修道会の努力で教皇庁の尊厳は回復された。
(2)ピウス4世とカルロ・ボロメオ ピウス4世(1560-65)は枢機卿による委員会を設置(この制度は現在まで続いている)、禁書目録の改訂(異端審問の強化)、神学校を創設。カルロ・ボロメオは質素な生活を送った枢機卿として著名。ボロメオ家は現在まで続いているようだ。
(3)改革教皇ピウス5世(1566-72) ドミニコ会士。プロテスタントに奪われた地方や教区を政治的・軍事的に奪回した。
(4)教皇グレゴリゥス13世(1572-85) 優れた法律家で教会法を改訂。グレゴリゥス歴を制定した(以前はユリゥス歴)。
(5)教皇シクシトゥス5世(1585-90) フランシスコ会士。教皇庁に15聖省創設(9省は現存)。枢機卿を70名に確定(ヨハネ23世まで維持される)。
(6) ペトロ・カニジウスとイエズス会教育制度 イエズス会士のペトロ・カニジウスはイグナチオによりドイツに派遣された。日本に派遣されたザビエルと同じだ。9つの神学院を設立し、スイスをふくむドイツ語圏のカトリックを復興させる。イエズス会の功績は教育面で大きく、16世紀のヨーロッパのカトリックの男子高等教育はほとんどイエズス会の学校だった。
(7)積極的反撃 バイエルンではバイエルン大公アルブレヒト5世(ヴィッテルスバッハ家)のカトリック政策で反宗教改革が始まる。オーストリアではハプスブルグ家が、一時プロテスタントの牙城であったオーストリアでカール大公を追放して、カトリック政策を進める。
(8)スイスの情勢 スイスはカルロ・ボロメオが関心を持ち、積極的に奪回を図る。
(9)フランスとベルギー フランスはドイツとは異なり、司教に権限がなく、統一国家勢力(国王)が全権を握っていた。ユグノーは弾圧される。ベルギーは宗教戦争で引き裂かれていたが、賢明な司教たちの努力でカトリックがマジョリティーの国となる。

 以上が今日の報告の要約である。碩学のS氏の報告は詳細をきわめた。話は、氏が詳しいドイツ中心であり、また、少し護教的なところもあったが、興味深い逸話がいくつか紹介され、学ぶところが多かった。

注1 カテキスタである報告者のS氏は Kontrareformationen という言葉を使っていた。Kontra という言葉がどれだけ一般的かは私にはわからない。
注2 唯名論とは普遍論争で実在論(トマス・アクイナスやドウンス・スコトゥスら)に対抗して登場した立場。 普遍(類とか種のこと 普遍・特殊・個別の普遍のこと 例えば犬一般とジョンという名前の犬との違い)は「言語」で、実在しないというのが唯名論。唯名論を前期・後期とわけるならオッカムにならって「概念」の話になる。
注3 もちろん、第二バチカン公会議に否定的な態度をとり、第一バチカン公会議に戻りたい、さらにはトリエント公会議にまで戻りたいと主張する勢力が教会内に存在することを無視しているわけではない。
注4 事効性とは、秘跡は言葉とわざによるのであり、人に依存しないということ。例えば、罪を犯した司祭による秘跡も有効だという考え方。「人効性」とは反対の概念。
注5 第二バチカン公会議で母国語ミサが確定する。だが、現在でもラテン語ミサに固執する人は多い。現在のイスラム教ではクルアーンの自国語翻訳は許されないようだし、仏教でもサンスクリットでのみお経を唱える宗派が多いという。母国語ミサがいかに革命的な出来事かはもっと注目されても良い。
注6 司教の権限は神から与えられるのか、そてとも教皇から与えられるのか、という問題。教皇は司教のひとりなのか、それとも上位なのか、ともいえる。教皇至上主義と公会議至上主義の対立にもつながる論点。現在は教皇優位に傾いている時代だろうが、結局は神学的には決着のつかない論点で、社会情勢に依存する対立なのかもしれない。
注7 教会の免償権・煉獄の存在(諸聖人の通功)・聖人の崇敬という教理
注8 例えば修道者以外の修道院院長就任の禁止とか、内縁関係を持つ修道者の処罰とか、質素な生き方の奨励など。

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『愛と英知の道-霊性神学-』(4)(神学講座)

2017-12-11 10:14:49 | 神学

 ブログ村のおかげだろうか、お読みいただいている方が思いがけず多いことに戸惑っている。ブログとは不思議なもので、多くの方に読んでいただきたいという思いと、私見の入った要約をご披露するのは気恥ずかしいという気持ちとが併存している。
 いよいよ第二部「対話」に入る。ここは4章から成る。基本的に、第一部で見てきた伝統的な神秘神学では現代社会の諸問題に対応しきれない、という批判的スタンスが根底にある。

第7章 科学と神秘神学

 宗教(キリスト教)と(自然)科学は両立できない、というのが日本の社会科教科書執筆者の暗黙の了解で、このため宗教は古くて悪いもの、科学は新しくてよいもの、という思考様式が戦後日本を支配している。世俗化した現代日本では、自然宗教は大事にしても啓示宗教は根づかない。ハロウィンやクリスマスは受け入れられているのにキリスト教が土着化できない理由のひとつは、この宗教と科学は対立するという考え方のせいではないだろうか。
 本章ではジョンストン師は、T・シャルダン(1881-1955)とB・ロナガン(1904-84)の二人を通して、キリスト教の(自然)科学観を検討し、両者が両立しうる神学的基盤を明らかにする。
  シャルダンは日本でも良く読まれ、ファンも多い。イエズス会士で、科学と宗教の対話を強調した神秘家だ。第二バチカン公会議前後に科学と宗教の対話の必要性を訴えた彼の功績をジョンストン師は高く評価しているようだ。公会議直後の都内各大学のカト研でもシャルダンを読書会で読んでいる部員がたくさんいたようだ。シャルダンは科学や宇宙の進歩を信じた。さらには、「人格神や精霊への信仰を失うことがあっても、宇宙世界は断固として信じ続ける」(175頁)とまで言っているようだ。つまり、かれの宇宙論は汎神論に無限に近く、批判する人も多いが、与えた影響力は大きかったようだ。

 さて、ロナガンである。アイルランド系カナダ人のイエズス会司祭。T・マートンとならんで、ジョンストン師に大きな影響を与えた神学者である。ともに友人でもあったようだ。ジョンストン師はロナガンが『洞察』や『神学の方法』で、科学は方法論に特徴があることを明らかにしたことを評価する。実験と検証だ。近代科学は経験科学だからデータを分析する。だがこの科学的方法を使って神へ赴くことはできないと主張した。神にたどり着くには別の途が必要だと考えていたようだ。ジョンストン師は、ロナガンの考え方に大きな影響を受けながらも、この後半の主張には反駁する。ロナガンは「科学的方法から愛と恩恵を除外し」ていると批判する。ニュートン、アインシュタイン、ボーアなど科学的探求をするうちに神の手に導かれていった人は多いというのがジョンストン師の主張だ。信仰を持つ科学者も増えている。
 ロナガンがジョンストン師に与えた影響は2点ある。ひとつはその「超越的方法」であり、もう一つは「Being-in-love」(愛の内にある存在としての人間)という考え方だ。ロナガンは、経験的・実証的方法では神にたどり着けないから、別の道が必要だ。それは自己超越の道、愛の道で、「超越的方法」と呼んだ。
 この方法は三つの教訓を含むという。

①注意深くあれ Be attentive
②知的であれ Be intelligent
③道理をわきまえよ Be reasonable
④責任をもて Be responsible

自己超越は知的で合理的であるだけではなく、道徳的で倫理的でなければならないという。抽象的表現だが、ジョンストン師の次の言葉はかれの本音がぽろりと出たものかもしれない。「例えば、原子力を扱う科学者は、自分の研究がどのように利用されるかに関心を寄せねばなりません」(180頁)。ジョンストン師の念頭にあるのは「原爆の父」V.ハイゼルベルグらしく、「自然界は不確定か」 (原文は Can nature be so absurd),
 そうではあるまい、と神秘家の道に導かれたようだ(172頁)。

 Being-in-love とは「神と恋に落ちる」という意味だ。神との恋愛、神が恋人とはなんのことか。ロナガンは言う。「愛はすべて自己放棄であるが、神と恋に落ちるのは、制約も資格も条件も留保もなしに愛のうちにあることである」(182頁)。ロナガンはトマス・アクイナスの恩恵論、認識論に革命的解釈を施して、第二バチカン公会議に大きな貢献をしたと評価されることが多いが、ジョンストン師はむしろ神秘神学への貢献こそ重要だったと言いたいようだ。この「愛」は抽象的な愛ではない。「男と女が愛し合っても、包み隠さず愛を告白しなければ、まだ愛し合っているとは言えない。ただ黙っているなら、二人の愛は自己放棄や自己献身の境地にまだ達していないということである」(183頁)。リアルな表現である。事実、マートンにもジョンストン師にも心を寄せる女性がいたらしい。

 つまり、ジョンストン師は、科学者は実験的な方法に従いながら真理を探究し、同時に、超越的な方法で真理を探究している。かれらは「愛のうちにある存在」となった。神秘神学はこの実験的方法と超越的方法を統合する途だと言っているわけだ。師はニュートンとアインシュタインの二人を検討しながら、科学と宗教が対立しないことを説明していく。そして、「未来の神秘神学は、科学者を無視することはできません」と本章を結んでいる。
 だが、一つ根本的な問題が残る。アインシュタインは「宇宙の合理性への深い確信」を抱いていた。宗教的感情をもっていた。だがかれは「人格神」という概念は否定していたという。こういう宇宙と神を同一視する思想を汎神論と呼ぶなら、これは汎神論ではないのか。ジョンストン師はなんと答えるのだろうか。


第8章 修徳主義とアジア

 本章は、神秘神学がアジアの神秘主義、特に禅から学ぶことが多いと主張する。本章のタイトルは修徳主義となっているが、原題は Aseticism and Asia だ。修徳とは askesis のことで、鍛錬とか訓練のことを意味するらしいが、たんなる肉体的鍛練ではなく、霊的に精進する、向上するという意味を持つ。このため、カトリックでは、日本語では、禁欲ではなく、修徳というよい訳語が与えられているようだ(注1)。
 まず、「修行」の意義が問われる。祈りと修行は切り離せない。修行はacetical practiceの訳だが、イグナチオ・ロヨラの「霊操」でも、修徳的実践、つまり、祈りの方法や、姿勢、呼吸法について述べられているという。ここでは神秘神学と修徳神学は区別され、前者は神からの賜物である霊魂の内的生活のことを指し、後者は、人間側からの努力をさす。いわば上からの賜物と下からの祈りともいえようか。そして20世紀に入って神秘神学は修徳神学に取って代わられた。中世の鞭打ちの苦行などは現代では意味を持たなくなった。だが、神秘的祈りを求める人はいつの時代にもいる。修徳神学に飽き足らない人々がアジアの実践的瞑想法に目を向け始めた。
 東洋の修徳的(禁欲的)伝統は、一方では「道」の世界では「行」として発達した(茶道・書道・柔道・剣道などの道、原書では ways)。他方、宗教のなかでは「修行」として発達した(原書では漢字で修行という文字がそのまま使われている もちろん shugyouと訳してもいる)。修行には三つの形態がある。①身体の鍛錬 ②呼吸の鍛錬 ③心の鍛錬。
 まず、身体の鍛錬では、「気」(中国ではchi)というエネルギーが流れる「経路」(meridians)、源である「肚 はら」と「丹田 たんでん」(臍下5センチくらい)などが説明される。武道でも瞑想でも丹田に気づき、意識を集中させることが大事なのだという。そのためには姿勢が大事で、「正座」の意味が説明される(訳者はさらに、結跏趺坐とか只管打坐などの用語を使って意訳しているのはすばらしい)。
 呼吸の鍛錬では腹式呼吸、丹田呼吸が説明される。「丹田呼吸は心身の調和をもたらし、宇宙全体と調和させ」るのだという(200頁)。
 心の鍛錬では、日本語の「精神統一」を「無心」や「無我」という言葉を使って説明する(注2)。気が散っても(distractions)、雑念とは戦わず、なるがままにする、しかし丹田には力を入れておく、のだそうです。こういう説明は、ジョンストン師は座禅を何十年とやってきましたから、力が入っています。わたしはこういう世界は不案内なので、学ぶことが多かった。
 修行には「道」と同じく身体・呼吸・心の鍛錬が必要だが、修行は宗教的行為、瞑想だからもう一つ信心(信仰)が入ってくる。仏教の修行では、仏陀・ダルマ・サンガという三宝への帰依が唱えられる。
 禅では四弘誓願が唱えられる。四弘誓願(しぐせいがんと読む)は誓いだが、完全に利他的な無私の行だという。

衆生無辺誓願度 (しゅじょう むへん せいがんど)
煩悩無尽誓願断 (ぼんのう むじん せいがんだん)
法門無量誓願学 (ほうもん むりょう せいがんがく)
仏道無上誓願成 (ぶつどう むじょう せいがんじょう)

 意味はなんとなくお分かりいただけるだろう。「数限り無い衆生を悟りの彼岸に渡すことを誓う」「尽きることの無い煩悩を滅することを誓う」「計り知ることのできない仏法の深い教えを学ぶことを誓う」「無上の悟りを成就することを誓う」。仏教は救済宗教ではないと言われることが多いが、ジョンストン師は仏教は救いの宗教だと断言している。
 この禅とキリスト教の観想を、第二バチカン公会議以前に、戦前から、すでに同時に実践していたイエズス会司祭がいた。日本での「禅キリスト教」の頂点に立つ人だ。ラサール師。フーゴ・ラサール(1898-1990)、日本国籍を取って「愛宮真備 えのみやまきび」となる。カト研ではエノミヤ神父さまと呼んでいたが、ラサール師という呼び名のほうが一般的だったのかもしれない。ヨーロッパのアジア的霊性の研究者は、禅やヨガの外面的特徴は取り入れたが、その根底に流れる英知、思想には触れようとしなかった。だが、ラサール師は、「悟り」を探究し、指導した。著書『禅-悟りへの途』は基本的にクリスチャン向けだったので、今でも教会の図書室では見つけられるかもしれない。かれは座禅を神学校にも導入しようとしたが、誰も賛同しなかったという。かれのユニークなところは、「禅」と「禅仏教」を区別したことだ。ラサール師は司祭であり、仏陀やダルマを信仰していたわけではない。だが、座禅はキリスト教だけではなく、ユダヤ教にもイスラム教にも統合できると考えていた。ラサール師を深く尊敬するジョンストン師は師の禅と禅仏教の区別を丁寧に説明していく。
 だが、こういうアプローチは教会からも仏教界からも批判されことが多かった。特に仏教側からの批判が強かったようだ。禅を仏教から切り離すことはできない、ラサールの禅は外道禅だ、というものです。現在はこういう批判はさすが減ってきているようだが消えることはなさそうだ。
 キリスト教ではむしろ禅と対話し、禅から学ぶ人が増えているという。20世紀には、伝統的な修徳神学は挫折した。だが21世紀に入り、新しい祈り方や新しい心身の鍛錬方法を模索するクリスチャンが増えている。十字架の聖ヨハネの神秘主義でもなく、白隠禅師の神秘主義でもない、新しい神秘主義が誕生しようとしているという。ジョンストン師はそれを「第三の方法」(teritum quid, a third way)と呼ぶ。師は例として、マインドフルネス(精神統一とでも訳せるか)、禅、ヨガ、マントラ、ヴィパッサナー瞑想をあげている。しかも昔はニュー・エイジ運動もその一つと考えていたようだ(注3)。ジョンストン師はこれらをそのまま神秘主義的祈りとはよべないが、「神秘主義へ通じる入り口となります」(211頁)と述べている。
 そして、以上見てきたような現代の神秘主義に向かう動きは、第二バチカン公会議の精神を活かす神学的意義を持っていると述べて、本章を結んでいる。

 注1 英語にはうまい訳語がないからasceticismだが、日本語でこれを禁欲と訳してしまうとおかしなことになる。日本語では禁欲というと何かを我慢するというニュアンスが強いが、元々は欲望を制御・統制して聖なるものを自分の中に取り入れるという意味だ。禁欲という訳語ではこのニュアンスがなかなか出てこない。M・ウエーバーのいう「世俗内禁欲」という概念は、この神との神秘的一体化が世俗に向かうことを意味する。修徳は霊性を強調する場合はよい訳だ。
注2 英文の原書の中では漢字を表記しながら説明される。ジョンストン師の日本語はそれほどでもなく、ましてや漢字は得意ではなかったが、英語の単語ではその意味が説明しきれないとわかっていたようだ。もちろん『沈黙』(遠藤周作)の英訳者だから、並の日本語力ではない。
注3 ニュー・エイジは70年代・80年代にはやったヒッピーから聖霊復興運動までさまざまなものを含む運動。現在のスピリチュアルにつながり、運動そのものは消滅していないが、教会は結局は認めていない(『ニューエイジについてのキリスト教的考察』2007)。現在、その評価はほぼ決着がついたといってよいだろう。


第9章 神秘主義と根源的エネルギー

 第9章はエネルギー論である。ジョンストン師が好んだテーマだ。だが、エネルギーってキリスト教と何の関係があるの、というのが第一印象だろう。ここでいうエネルギーは物理的エネルギーではなく、神秘的エネルギーだ(といっても心霊的なものpsychicは含まない)。エネルギー論は神秘主義神学を構成する重要な柱になるというのがジョンストン師の考えだ。人間的でかつ神聖なエネルギーはわれわれを健康と英知へと導いてくれるというのが、アジアの神秘主義の伝統であり、キリスト教はそれを学びつつある。キリスト教でも、新約聖書で聖霊とか異言とかで表現されていたもの、東方教会では「光と火の体験」とか「造られざるエネルゲイア」などと呼ばれていたものを、師は「根源的エネルギー」(vital energy)と呼ぶ。ジョンストン師は本章で、神秘神学のエネルギー論を構成するために、シャーマヌズム・仏教・ヒンズー教・キリスト教におけるエネルギーのとらえ方を比較・検討するする。難しい議論が続くが、ジョンストン師のアジア理解の深さがよくわかる章である。

 まず、シャーマニズムが論じられる。シャーマニズムは世界中に見られるが、厳密なシャーマニズムはシベリアや中央アジアにみられる。シャーマンは「脱魂の技法」(technique of ecstasy)を持つ者であり、トランス状態になると死者や悪魔や精霊(聖霊ではない)と交信できる特別な存在である(注1)。シャーマニズムから生まれたものに、すでにふれた「気」とか中国の「chi」とよばれる精神的なエネルギーがある。このエネルギーは漢方医学や「道」(武士道など)や東洋的瞑想(座禅など)の中核をなしている。姿勢や呼吸の仕方を鍛錬してこのエネルギーの制御するが、うまく制御できないと精神衰弱など身体に害を及ぼすことが知られている。


 次に、禅におけるエネルギー論は、白隠禅師(1685-17699 臨済宗の中興の祖)のなかによく現れているという。白隠が言った「足心と気海丹田」という言葉は聞かれたことがあるでしょうか。白隠は「禅病」にかかる。座禅修行をやり過ぎたためだ。そのため「気」(エネルギー)が身体の上部に上がってしまったのだ。これを治すには、身体の上部をほどよく冷やすために、「心火」(エネルギー)を「丹田」(臍のこと)および「足心」(土踏まずのこと)まで降下させねばならない。その方法は「軟酥の法」と呼ばれるらしい(なんそと読む the butter method が原文だがバター状の乳製品を頭上に置いておくイメージだという)。そうすると気が全身をめぐるという。この霊的エネルギーを伝授するための「公案」が「隻手の音声」(せきしゅのおんじょう)といわれるものだ。つまり、「片手で音を鳴らせ」、という公案だ。ジョンストン師は白隠がよほど気に入っているらしく、原書の中では、「隻手」は漢字でそのまま表記して説明している。

 つぎに「クンダリーニ・ヨガ」が検討される。Kundalini,つまり、ラヤ・ヨガのことだ。ヨガにはさまざまは種類があるようだが、ジョンストン師はラヤ・ヨガのエネルギー論をとりあげる。ヨガは、バラモン教・ヒンズー教・仏教で発達したようだが、一応ここではヒンズー教のクンダリーニのことを考える。ヒンズー教では人間の身体を3層(肉体・幽体・霊体)(または7層)から考え、幽体のなかに回路があってエネルギーが流れていて、その流れはチャクラ(輪)がコントロールしている。このエネルギーをクンダリーニと呼ぶようだ。クンダリーニは障害物にぶつかると苦しみが生まれ、頭頂部に達すれば新たな力と英知を得られるという。私はヨガは体験したことがないのでわからないが、幽体の問題は神秘体験と呼んでもよいようだ。だが、ジョンストン師はあくまでクンダリーニはモデルであり、仮説であると言っている。クンダリーニ研究は現在急速に進んでいるようで、クリスチャンの中にはクンダリーニとキリスト教的霊性の統合を試みる人も生まれているという。カト研の皆さんの中にもヨガを実践し、技法に詳しい方がおられることであろう。

注1 シャーマニズム shamanism は、宗教学では、脱魂で特徴付けるか、憑依で特徴付けるかで、議論が分かれてくるようだ。憑依も含ませるならば、旧約聖書の預言者や新興宗教の予言者も含まれてくる。社会学で言えば、集合表象(トーテムとか)や機能(社会的統合など)が議論の対象になる。


第10章 英知と「空」

 本章は、仏教の「空」の思想とキリスト教の「英知」の思想(全と無)は通ずるところがあり、双方の神秘主義が共通の基盤を持っていることを明らかにする。具体的には、「般若心経」と「観世音(菩薩)」の思想が説明され、ついで、十字架の聖ヨハネに「空」の思想がある(暗闇論)ことが強調される。仏教の説明はおもに阿部正雄と西谷啓治に依拠しているようだ(注1)。

 キリスト教の否定神学の伝統には「虚空」や「無」は英知の頂点であるという思想がある。無は全、暗闇は光、虚空は充満、という逆説的な考えだ。実は仏教にも似たような教義があるという。それは 般若波羅蜜多 (ブラジュニヤー・パーラミター prajna paramita)とよばれる38の文書で、紀元前100年から紀元後600年にかけてインドで編纂されたという。サンスクリット語で、プラジュニヤーは知恵、パーラミターは完全とか超越を意味するらしく、ブラジュニヤー・パーラミターとは救済へ導く知恵のことだという。しかも、この知恵には形がなく、おぼろげで、「空」なのだという。この空は、サンスクリット語のスニャータの訳で、英語では emptiness, 漢訳では空とか無になるという。つまり、空は仏教の知恵の特徴で、暗闇がキリスト教(否定神学)の英知(知恵)の特徴であるのと同じだという。ここから仏教における知恵の概念についての詳しい説明が始まる。

 まず、般若心経(はんにゃしんぎょう しんきょうではなく濁って発音する)は4世紀頃作られた短い経文だが、空における知恵への賛歌だという。般若心経は今でも中国・日本・チベット・モンゴルで唱えられている。原典はサンスクリット語で読誦も力強く、グレゴリオ聖歌に似ている。般若心経はジョンストン師は本書の付録としてThe Heart Sutraとしてそのまま英訳を載せている。日本でも最近は真言宗などは法事の際に般若心経のコピーを配って、一緒に唱えさせることが多いので、なじみ深い人も多いだろう(注2)。といっても梵語だから意味は前もって勉強しておかないとわからない。ネットで訳文も読経も聞くことができるが、念のため中村元訳の出だしをみておこう。

全知者である覚った人に礼したてまつる。
求道者にして聖なる観音は、深遠な知恵の完成を実践していた時に、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いていたのであった。

 この訳では「かれ」になっているが、アヴァロキテシュヴァラは男性でもあり、女性でもあり、「慈悲の菩薩」、観世音菩薩だという。
 師は次に 観世音 の説明に入る。英語で Kannon と書き、漢字そのものとイメージ(写真)をそのまま載せている(念のため文末に転載する)。観世音は文字通り、世の中全体の音に耳を傾ける。つまり、「悟りに達すれば、人は完全なる、<空>へと導く慈悲(compassion)を抱くようになる」のだという。観音は何も活動しない。ただ耳を傾けるだけで、「人々を悟りの彼岸に渡す」のだという(246頁)。
 悟りはenlightenmentと訳されている。観音は知恵を求めて深い瞑想に入り、五蘊(ごうん 注3)も空であり、観音の目は<無>という虚空にじっと注がれている。これを悟りという。師は悟りの意味を次の経文で説明する。

舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
(しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき)

 舎利子とは釈迦の十大弟子のひとりで、釈迦が語りかける相手のこと。<色>は形で、空とは正反対のものだが、同じものだという。矛盾した理解であるが、これが般若心経の真髄なのだ。観音は空を見つめてそこに形を見る。空は形であり、形は空である。ならばダルマ(宇宙の法則)も空であり、四諦(四聖諦 注4)も否定される。観音の悟りとは、知性を使わず、坐して瞑想し、自我を放棄し、真言のなかに宇宙的自己を見いだす。般若心経の最後の文章が悟りを説明しているという。

往ける者よ、往ける者よ、
彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、
さとりよ、幸いあれ

 ジョンストン師は、仏教のこういう空の観念は、キリスト教の中にも見いだせるという。師は阿部正雄の「神の自己無化」論を紹介する。無化はキリスト教では<ケノーシス>(kenosis)とよばれる。フィリポの信徒への手紙が検討される。阿部正雄は、仏教のスニャータ(空)とキリスト教のケノーシス(無化)は、お互いの独自性を排除することなく、共通の基盤を持っているという。師は、阿倍のこういう説明に対するカトリック側からの批判、H・キュンクの批判を紹介する。「神は無化」であるという阿倍の理解はあまりにも行き過ぎだという批判だ。だが、師はこういう批判を意に介さない。師は次に十字架の聖ヨハネの<空>の観念を検討することで、阿倍の議論に近づいていく。
 聖ヨハネは<ナダ>論を展開する。聖ヨハネは「ナダの博士」とよばれ、進む道は暗闇の道、無の道だが、ゴールは<全>(all)だという。「無、無、無。そして頂上にたどりついても、無」、と言って、持ち物すべてを、物質的・非物質的な持ち物すべてを、捨て去る(ルカ14・33)。

 でも私は思わなくもない。、本当に「神は無である」といってよいのだろうか。三位一体の神はペルソナだ。では、空や無はペルソナなのだろうか。
 ジョンストン師はこういう疑問や批判は百も承知である。十字架の聖ヨハネの『霊の賛歌』にある言葉、神ご自身は「円形とか球形で示される。神には初めも終わりもないのだから」を取り上げ、自説を展開する。文中に丸い円の形を大きく書く。そして言う。「円は神の象徴であり、無の象徴です。全と無 todo y nada の象徴です」(263頁)。つまり、師の結論は明解である。「仏教徒とキリスト教徒は手を携えて、超越的な英知へと互いに導きあうことができるのではないでしょうか」。 ジョンストン師の神秘神学の高らかな宣言である。だが当然批判が来る。師はこの批判に応えていかなければならない。第三部の課題である。

注1 阿部正雄は『禅と西洋思想』(1985 英文)、西谷啓治は『宗教とは何か』(1961)の英語訳(1982)を参照している。二人とも研究途上で思想的変化が見られるらしく、このジョンストン師の理解の妥当性は哲学史の専門家に任せるしかない。
注2 教会の葬儀でも式次第と一緒に「主の祈り」のコピーを参加者に配ったらどうかと思うが、どうだろう。
注3 人間を構成する要素のこと。色(しき)(=肉体)・受(=感覚)・想(=想像)・行(ぎょう)(=心の作用)・識(=意識)の五つ。
注4 四諦とは四つの真理のこと。苦諦、集諦、滅諦、道諦のこと。

 

            

 

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『愛と英知の道-霊性神学-』(3)(神学講座)

2017-12-04 11:04:17 | 神学

 待降節が始まった。もともとはキリストの誕生を待つ、クリスマスの準備という意味なのだろうが、いつしか終末(再臨)の到来に備えて準備していなさいという意味が強くなったようだ。やはり四旬節のほうが古いから、大事だからだろうか。マルコ13:33のように、「気をつけて、目を覚ましていろ」と言われると身構えてしまうが、 Keep awake とか Seid wachsam なら、まぁいいかと思わなくもない。勉強不足のせいだが、同時に言葉は不思議なものだとも思う。アドヴェント・クランツの習慣をまもっている教会や家庭がまだあるのかもしれない。希望と期待の期間である。毎月第一月曜日は神学講座の日だが、今月もお休みであった。

第4章 神秘主義と愛

 中世に神秘的体験がヨーロッパで流行する。祈りは素晴らしいが、神秘的体験は同時に誤りや偽物と区別をつけることが難しい。どうしても神学として整備する必要があった。神秘神学は中世、特に12・13世紀に発展し、14世紀に開花し、16世紀に神学としてほぼ完成する。神秘主義は教父時代に砂漠で生まれ、やがて中世には郊外の修道院で発展する。ついで16世紀には都市のなかに入り込んでくる。だが、神秘神学としては「14世紀から第二バチカン公会議にいたるまで、基本的にはは変わらないままであった」(123頁)という。本章はこの時代を扱う。

 神秘神学は愛に根ざしている、と言うと余りに当たり前に聞こえるが、神秘神学がいう愛とは何のことなのか。愛とは「愛徳」のことだ。原文は charity となっている。ギリシャ語ではagape アガペー, ラテン語では caritas カリタス。愛にはアガペ-とエロスの二つの意味が含まれるが(ストリゲー、フィリアを含む人もいる)、アガペ-は三対神徳(信德・望徳・愛徳)の一つだ。愛徳とは神に対する人間の愛のことで、人間を神に近づける、統合させる徳として、信・望・愛のなかで最も大事なものとされてきた。ジョンストン師は、第二バチカン公会議以前、自分が神学校にいた頃、「修徳神秘神学」(Ascetical and Mystical Theology)が神学校の必須科目で、キリスト教徒の完成(perfection 訳語は完徳)は「愛徳」にあると教えられていたという。現在はもちろんこんな科目はカリキュラムには存在しないようだ。神秘神学がいう愛とは愛徳のことだが、神秘神学には、このアガペー(神愛)をエロス(肉的な愛)とどう区別し、併存させるか、という問いが常につきまとっている。ジョンストン師は中世の主要な神学者たちがこの問にどう答えたかを論じていく。

 まず、クレルヴォーのベルナルド(1090-1153)(ベルナールとも)がくる。雅歌の注釈者として著名らしく、また、シトー会として多くの修道院をつくり、第二回十字軍を推進するなど、「活躍」したという。ヨハネの手紙Ⅰを中心に、肉体的な愛 carnal loveが神秘的であると共に受肉的である(incarnational)と述べたという。こういう考え方は「西洋の霊性に途方もなく大きな衝撃を与え」(108頁)たという。
 師は次に霊性学派として、ベネディクト会とフランシスコ会をとりあげ、これら修道会には固有の神秘主義があったという。ベネディクト会の三つの実践項目はどれも神秘的だ。
①労働は祈りなり Laborare est Orare
②聖書を読め Lectio Divina
③聖務日課の祈り

 ここで師は自分の訳書『不可知の雲』を引用して、聖体と神秘体験の密接な関係を説いていく。この本は著者不明の14世紀英国のものだが、少し長いが、ジョンストン師が好んでいたきれいな祈りなので、少し引用してみよう。

私が存在していること、また天性を授かり、
恩寵を受けて存在していることは、
主よ、すべてあなたからの賜物です。
主よ、あなたは「わたしはある」というお方です。(一部)


ジョンストン師自身の本(斉田靖子訳、エンデルレ書店、2011)ではこうなっている。(個人-[第3章)

わたしが存在していること、また天性や
恩寵というあらゆる賜を備えた
私の生きざまは、あなたが私に
お与えくださったものであり、
主よ、これらすべての善きものの源は
あなたです。(一部)

英語の原文はこうだ。(現代英語ではないから文法がどうのとは言わない)

That that I am and how that I am
as in nature and in grace,
all I have it of thee, Lord, and thou art it.
And all I offer it unto thee
principally to the praising of thee,
for the help of all mine even Christians and of me

ベネディクト会は祈りの修道会で、典礼の分野で重要な貢献をしたという。
 
 フランシクコ会の偉大なスコラ学者はボナベントゥラ Vonaventura (1217か21-1274)だ。フランシスコ会は受肉を祈りの中心に置いた。(トマス主義のドミニコ会とは対照的だ)。ボナベントゥラはフランシスコ会の総長となり、「光の神学」を説いたが、聖母マリアの無原罪のおん宿りの教説には疑義を表明していたという。これが教義とされた現在ではボナヴェントゥラの評価は難しいのかもしれない。
 また、11世紀のフランスに突然登場した吟遊詩人や宮廷恋愛にはロマンチックな要素があって、これが西洋の霊性に流れ込んでいったという。ギリシャ正教やロシア正教にはこういうロマンチックな要素はないらしい。修道院のなかでも愛の本当の意味が、アガペーとエロスの統合が、探し求められていたわけだ。

 14世紀は神秘家の時代だった。シエナのカタリナとか、イギリスの『不可知の雲』の無名の著者とか、『キリストに倣いて』の著者(とされる)トマス・ア・ケンピスなどたくさんいる。だがなんといっても、ドミニコ会のマイスター・エックハルト Meister Eckhart (1260-1327)が最も重要らしい。ドイツのラインラント(西部のライン川両岸地帯)は多くの神秘家を排出したという。同時に論争の時代でもあった。エックハルトはスコラ学と神秘主義を結合させようとしたが、結局は異端の宣告を受けてしまう。ジョンストン師は「最も悲しい出来事」と言っている。
 エックハルトへの注目は、キリスト教と仏教との対話の先駆者だからだという。鈴木大拙、上田閑照はエックハルトを高く評価しているようだ。師は言う。「彼の名誉が回復されることを、ただ望むだけです」(117頁)

 このような神秘主義を巡る論争は結局、神秘神学を一般神学から独立させて、専門分野として発展させることとなった。一方では、汎神論 pantheism (宇宙と神を同一視し、神の人格性を認めない 神秘主義とは紙一重の違い)に陥らずに「神との一致」とは何かを明らかにしなければならないし、他方では、静寂主義 quietism(祈りによる沈潜を重視したキエティスムやヘシュカスム、次章で論じられる霊性運動、ともに異端視された)に対して「観想」とは何かを明白化する必要があった。神秘神学は体系化の道を歩み始めた。結局これは数世紀後、十字架の聖ヨハネに委ねられるのだが、その前にトマス・アクィナスの貢献が言及される。
アクィナスは認識には二種類あると述べた。理性による認識と、親和性による認識だ。これに対応して神秘神学は祈りには二種類あるとみなした。一つは習得された祈りで、「刻印された種」によって知性に伝達されるという。もう一つは、直接「注ぎ込まれた」認識で、「英知」wisdom と呼ばれ、聖霊からの贈り物とみなした。神秘主義の祈りが「注賦的観想」と呼ばれる理由だ。「神が直接人間に働きかけ、その心に知識や愛を注ぎ込む」(120頁)のだという。師はこう結論する。

「最初の忠告は、考えるな、です。内なる炎が燃え上がるままにさせなさい。なすがままに任せるのです! 聖霊に抵抗してはいけません。このようにして人は神秘の道に踏み出します」(121頁)。

 私には経験がないのでよくわからないが、ジョンストン師を目の前にした時、あぁ祈りは人を変えるのだな、とよく思ったものである。ジョンちゃんは本当によく祈る人だった。

第5章 東方のキリスト教

 第二バチカン公会議以後、スコラ学は崩壊した。聖書研究や史的イエス論に代表される新しい歴史批判の方法が現代のカトリック神学を支えている。ジョンストン師は、この方法論の重要性は十分認めながらも、同時に、東方教会から神秘神学の方法を学び、カトリック神学に組み込まねばならないと主張する。
 キリスト教が生まれてから千年間、東方のギリシャ教会と西方のローマ教会は、散発的に緊張が漂った時があったにしても、基本的には共通の信仰と遺産をもっていた。両者が分裂したシスマ(schisma)は一般的には1054年とされる。キリスト教会の大分裂は、この東西教会の分裂、および宗教改革によるカトリックとプロテスタントの分裂、と二度起こっているが、シスマは普通前者を指すことが多いようだ。
 西方教会ではスコラ神学が優位を占め、神秘神学は教義神学とは別立てで発展していく。他方、東方教会では、神秘神学は神学そのものであったから、ことさら神秘神学なるものは別個には存在しなかった。トマス・アクィナスはほとんど影響を与えなかったのであろう。では、東方教会の神秘神学の特徴とは何なのか。
 東方教会の神秘神学は ヘシュカスモス Hesychasm (ヘスカスムとも)と呼ばれる。あまり聞き慣れない言葉かもしれないが、神秘神学の理解にとってはキーとなる概念だ。「静寂主義」と訳されることが多い霊性運動のことだ。ジョンストン師は、新神学者聖シメオン(949-1023)にならって、ヘシュカスモスの特徴を三点に整理している。 第一は「神化」論だ。ヘシュカスモスでは、①考えることをせずに静寂状態に入る ②イエスの祈りを繰り返す ③呼吸を規則正しく整える ④神化をめざす。 神化 deification とは、人間が神になるということではなく、神の「エネルゲイア」に浴して、祈りによって、恵みによって、神を知ることを意味する。また、ヘシュカスモスは祈りでの姿勢や呼吸を重視する。禅やヨガとおなじように「臍の周りに」エネルギーの中心があると考えるという。
 第二の特徴は「火の神学・光の神学」だ。東方教会の神学は受肉を強調するので、祈ると、体内で火が燃えているような内なる暖かさを感じるという。また、この時本当に苦痛や恍惚を経験するという。また、祈っていると、光が降り注ぎ、一日中消えることがないという。火と光は神秘体験の中核を構成しているという。
 第三は「エネルゲイアの神学」だ。これも聞き慣れない言葉だろうが、エネルギーのことだ。グレゴリオ・パラマス(1296-1359)によると、人間は神が「存在」することは知っているが、神が「何であるか」(ウーシア・本質)は知ることはできない。けれども、「神のエネルゲイア(働き)」は知ることができる。タボル山で変容したキリストの姿を見た弟子たちに、神は、火として、光として、エネルギーとして現れた、という。また、ヘシュカスモスの頂点である「神化」に達すると、「霊魂と肉体はともに変容する」のだという(135頁)。
 この「造られざるエネルゲイア」論は、西方のスコラ神学からは、神の単一性を否定するもの、神を二分するもの、として徹底的に批判され、いまだ論争の的になっているようだ。しかし、東方教会ではこのパラマスの教義は正統神学として認められている。つまり、東方教会の神学はグレゴリオ・パラマスという聖人によって代表され、ジョンストン師は西方教会も学ばねばならないと主張する。

 西方教会にも神秘的な「光」を体験した神秘家がいたという。ジョンストン師は、アウグスチヌス、ベネディクト会のビンゲンのヒルデガルト(1098-11798)、アビラの聖テレジア(1518-1582)の三人をとりあげ、この人たちの光の体験は、ヘシュカストたちの体験と似ているという。とはいえ、現代のカトリック神学者たちはかれらから学ぼうとはしなかった。ジョンストン師は、シメオンやパラマスは「今日へのメッセージを携えています」(148頁)と本章を結んでいる。

第6章 愛を通して生まれる英知

 神秘神学は、14世紀には、トマスの影響を受けたドミニコ会士たちを中心に一つの独立した神学として成立してきた。そして16世紀にスペインのカルメル会の修道者たちによって完成される。本章では、神秘神学の二人の完成者、アビラの聖テレジア(1515-1582)と、彼女の協力者である十字架の聖ヨハネ(1542-1591)が取り上げられる。

 神秘神学は、第二バチカン公会議以前にも神学校で教えられていた。神学校の花形は教義神学だったとは言え、神秘神学は修得神秘神学とか霊性神学とよばれてそれなりに教えられていた。だがそれは、十字架の聖ヨハネたちが実践していた「愛から生まれる英知を求める祈り」である「伝統的な解釈よりも、ずっと視野が広いものでした」とジョンストン師は批判する。つまり、将来司祭になる神学生たちに祈り方や祈りの指導法を教える科目になってしまい、普通の現代人の祈りに役立つ実践的な教えではなかったという。もう一度聖ヨハネにに戻ってみようというわけだ。

 トマス・アクィナスは二種類の認識、祈りについて語った。実践的知識と、愛を通して得る親和的知識、との区別だ。スコラ学者は前者の知識についての研究は進めたが、後者の知識についての研究は神秘神学者にまかせられた。神秘神学者によれば、愛を通して得られる知識は「英知」wisdom とよばれ、「注ぎ込まれた知恵」であり、「聖霊の賜物」であり、それは「輪郭のはっきりした概念的知識をもたらしませんし、イメージや姿ともつながりません。それは不可知の雲の中にあるぼんやりとした知識です」(151頁)という。訳者たちはwisdomを英知と訳したり、知恵と訳したり、知識と訳したりしてフォローがなかなか難しいが、wisdom が祈りの頂点であるという理解では共通している。「祈り」は最初「推論的祈り」 discursive prayer として始まる。やがて聖霊の賜物の力が強くなると「観想」 contemplation の世界に入っていく。これが、「この先果てしなく続く神秘的な登攀の第一歩です」(152頁)という。愛という祈りを通して英知を獲得することが神秘的体験の目標だと言っているように読めるが、どうだろうか。カト研の皆さんの理解を教授願いたい。

Ⅰ 神秘神学者としてのテレジア

 アビラのテレサ、大テレジアのことである(リジューのテレーズ、幼きイエスのテレジアではない)。スペインの改革カルメル会の創始者。神学者というよりは神秘家というべきで、多くの神秘体験を書き残しているという。神秘体験を「体験すること」、「理解すること」、「説明すること」、は別のことだと語っているという。テレジアの神秘神学は受肉論が中心で、その著『霊魂の城』は花婿と花嫁の霊的婚姻について述べているという。祈る時は、黙想会のように聖書の場面を視覚的に観想したりしない方がよいと言っているようだ。イエスのイメージを考えるのではなく、なにか宇宙的なキリストとでも呼べるような力を感じていたという。日本でも上野毛教会はよく知られている。

Ⅱ 十字架の聖ヨハネの神秘神学

 十字架の聖ヨハネ Juan de la Cruz (1542-1591) はスペインの神秘家で、男子跣足カルメル修道会の創始者。ジョンストン師は中世神秘神学の完成者と考えているようだ。十字架のヨハネは修道名で、俗名は Juan de Yepes。英語では St.John of the Cross。神秘神学を「愛から生まれた秘められた英知」 the secret wisdom that comes from loveと定義した『霊の賛歌』 The Spiritual Canticle で知られる。神秘神学を「観想」、「暗夜」、「愛の生ける炎」から成るとして、この順番で、説明しているという。暗夜 dark night とは神秘体験では重要なもので、祈っている時に神が霊魂(訳者はthe soulを霊魂と訳したり、魂と訳したりして一貫していないが)に入ってきて感じる苦痛のことをいう。(第13章でさらに詳しく論じられる)。そして愛の生ける炎とは花婿の霊のこと、即ち聖霊のことをさす(婚姻論のことで、第15章でさらに論じられる)。そしてこの愛が英知へと導いてくれるという。ジョンストン師はこの英知を、wisdomを、「至高の悟り、目覚め」(a supreme enlightenment or awakening)と呼ぶ。英知とは聖霊の働きと言えそうだ。
 では、「秘められた」とはどういう意味なのか。師はそれを、「推論や思考を超え、明瞭明白な考えを超えた知識のことです。そのような知識は不可知の雲の中にある形のない知識です」(161頁)と説明している。不可知の雲とは a cloud of unknowing のことで(注1)、アリストテレス流の「無知の知」 knowing by not-knwowing からきているようだ(無知の自覚が知恵をもたらす)。なにか直感みたいなものを指しているのかもしれない。
 「神は秘められている。隠れた神 Deus Abscondius です。神は神秘の中の神秘で、霊魂には夜のようです」「理解しようとしてはいけません。神を待ちなさい。身を任せなさい。神の慈しみと愛を信頼しなさい」(162頁)。これが十字架の聖ヨハネの神秘神学なのだそうです。理解するな、と言われても・・・・と一言言いたくなりますが、凡俗の私はただ困惑するばかりです。
 この十字架の聖ヨハネの神秘神学は、ジョンストン師が習った修徳神秘神学とは違う。現代の神学校のカリキュラムからは消えてしまった霊性神学とは異なる。師は「神秘神学は書き直されなければならない」(166頁)と宣言する。
 書き直す前に、師は、カトリック神学が現在直面し、きちんとした答えを用意できていない現代世界の諸問題をいくつか取り上げて論じていく。神秘神学はその課題に応えうると考えていたようだ。第二部は現代社会との[対話」と題されている。

注1 ジョンストン師訳の『不可知の雲』(原題 The Cloud of Unknowing)の正式のタイトルは、『不可知の雲と呼ばれる観想の書-この雲の中で人は神と一体となる』と題されている。

 

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『愛と英知の道-霊性神学-』(2)(神学講座)

2017-12-01 18:08:22 | 神学

 12月に入り、待降節もすぐだ。本文に入る前に、本書のタイトルをもう一度考えてみたい。このタイトルを見て私が最初に受けた連想は、倉田百三の『愛と認識との出発』(1921)であった。題名が似ているだけではなく、共にキリスト教と関係する哲学書とも言えるからだ。私は教養主義世代ではないが、それでも若い頃は倉田百三や三木清などをよく読んだことを覚えている。『愛と認識との出発』が昭和の哲学青年にたいして持っていた位置を、本書『愛と英知の道』が、平成の、21世紀の若き哲学青年にたいして持ってほしいものだと願っている。

 さて、第一部「キリスト教の伝統」は6章から成っている。神秘主義神学の成立と発展の歴史が整理される。今回はこの第一部を無理を承知で大急ぎでまとめてみたい。

第1章 背景(1)  第2章 背景(2)  第3章 理性 対 神秘主義
第4章 神秘主義と愛  第5章 東方のキリスト教  第6章 愛を通して生まれる英知

 単なる学説史ではなく、ヘレニズムの影響を強調し、東方教会の神秘主義を高く評価し、神秘神学は十字架の聖ヨハネによって頂点に達したと主張するジョンストン師独特の議論の展開がなされる。

第1章 背景(1)

 キリスト教がギリシャの世界へ広がって行くにつれ、キリスト教はインカルチュレーションの課題に直面する。他文化、他宗教への適応だ。土着化といってもよい。神秘主義神学は最初ひとつの祈りの型としてこの課題に応えるものとして生まれてくる。二人の偉大な神秘家が本章で論じられる。一人は雅歌の注釈で大きな影響をあたえたアレクサンドリアのオリゲネス(185-254)。雅歌は愛の詩だ。神秘神学は愛の(性愛も含む)神学という性格をもつことになる。もう一人は否定神学(Theology of Negation)の完成者ディオニュソス(または偽ディオニュソスとも、5世紀末か6世紀初め頃か)だ。師はこの二人について詳しく論じていく。特にディオニュソスの否定神学の説明が詳しい。

 否定神学は神秘主義神学の重要な柱、または構成要素である。否定神学なしに神秘神学はありえない。では否定神学とは?もともとはカッパドキアの3教父までさかのぼれるというが、「神とは---である」(例えば神は全能だ)と述べる肯定神学の反対概念だ。無限の神は知識では知り得ないから、「神は---でない」とマイナスの側面から神を知ろうとする神学である。神の神秘は隠れていて、形がなく、暗く、表現のしようがないのだから、神は理性のみでは知り得ない。神秘家は「考えることを止め」なければならないと説く。自己を否定しなければならない。これが西洋における「観想」(contemplation)の出発点となる。観想とは、理性を働かせず、思考することなく、ただ沈黙した祈りのことを指す。黙想会ではわれわれは聖句などについて「考える」。だが観想は考えない。「考えるな!」 こういわれるとなにか日本の禅が思い浮かびませんか。ジョンストン師がある時期座禅に没頭していったのは自然の流れだったわけだ。

第2章 背景(2)

 では、こういう神秘神学はどこから生まれてきたのか。その発生源はどこか。もちろんそれは聖書なのですが、ジョンストン師はその源を「ヘレニズム」に求めていく。神秘神学は、肯定する者と否定する者との間の長く激しい争いの中にあった。ローマ・カトリックでは基本的に神学の片隅に置かれ、ひっそりと生き延びてきた。他方、東方教会では神学は神秘神学そのもので、あらためて神秘神学などと呼ぶ分野があるわけではないようだ。つまりキリスト教に対するヘレニズムの影響をどう考えるか、によって神秘神学への評価が分かれてきたのだろう。
 ヘレニズムといってもいろいろな定義があるだろうが、ここではキリスト教の中に入り込んできた非キリスト教的な、ギリシャ的な思想や文化のことと考えてみる。具体的にはプラトン主義だ。ディオニュソスらの神秘主義は新プラトン主義に影響されておりけしからんというのがカトリックの主流派の神学者の理解だったようだ(新プラトン主義とは何かは別の話だが、ここでは二元論・超越論・存在の3層論などと理解しておこう)。「神秘神学は、キリスト教を汚染している異教徒の疫病の、もう一つの現れである」(60頁)という理解だ。いかに激しい批判にさらされていたかがわかる。
 ジョンストン師は「神秘」「神秘的」という言葉がどのようにして生まれてきたのかを明らかにしていくことによって、神秘神学へのヘレニズムの影響の強さを論証していく。結局これらはギリシャ世界から初代教会の教父たちに入ってきた言葉だという。師は、このあとディオニュソスの『神秘神学』を詳しく説明していく。師らしい丁寧な説明がなされる。この本は否定神学を体系化するというより、弟子を指導するという司牧的な性格を持っていたという。「思考の英知という神の闇に入るための忘我、すべての事物からの離脱、すべての思想の放棄がうたわれて」いるのだという。私は読んだことはないが不思議な文章に満ちているようだ。
 つまり、神秘神学は、ヘブライ生まれのキリスト教が地中海世界に流れ込み、ギリシャ文化と出会い、ヘレニズムの影響のもとに発展してきた。他の文化と出会うことで、キリスト教は発展した。ジョンストン師は21世紀のキリスト教は、いま、同じように他の文化と、アジアの文化と、出会っているのではないですか、と問いかける。「新しい神秘神学という子どもの誕生を期待してもよいのではないでしょうか」(77頁)

第3章 理性 対 神秘主義

 キリスト教はギリシャ教父たち以来中世まで、使徒信条の確定など神学の体系化に努めてきた。その過程で特筆すべき大きな出来事が二つあった。一つは、「ベルナルドとアベラールの神学論争」であり、もう一つはトマス・アクィナスによるスコラ学の完成である(スコラとは schola 学校 という意味で、1200年以降の中世の学校で教えられていた学習の方法のこと)。特にジョンストン師の議論の特徴は、アクィナスを理性主義と神秘主義の統合に成功した者としてとらえ、しかも神秘主義者としてのアクィナスを強調する点にある。そしてアクィナスの後継者たちがアクィナス神学の理性主義の側面のみを強調してスコラ学を作っていったと批判する。興味深い視点である。
 「ベルナルドとアベラールの神学論争」とは、キリスト教神学における神秘主義と理性主義の間の論争のことだ。ピエール・アベラール(1079-1143)(アベラルデゥスとも)はキリスト教の理性的な基盤を見つけようとし、ギリシャ哲学にならって理性の力を強調した。つまり、神の存在は理性の力で把握できるとした。クレルヴォーのベルナルド(1090-1153)(ベルナールとも)は、神学は瞑想(meditation)であり、祈りであるとして理性主義に偏ったアベラールを激しく弾劾する。結果アベラールは断罪される。ジョンストン師はこの争いに「胸が痛む」(83頁)と書いている。
 胸が痛んだのは『キリストに倣いて』を書いたトマス・ア・ケンピスも同じで、この理性主義と神秘主義の対立はキリスト教神学を貫く最大の争点となる。理性があれば神を知りうる、いや、神は理性だけでは知り得ない、祈りによる神との一体化しか道はない、と考えるのか。スコラ学は結局「理性と信仰の一致」の道を選ぶ。「理性の信頼」、これこそスコラ学的なキリスト教神学の根底となり、今でも続いている。(では理性は本当に信頼できるの? これは唯名論や啓蒙思想などその後の近代思想に連綿と続く争点となっていく)。
 ジョンストン師は、この理性主義と神秘主義の不幸な対立は、「理性と信仰」は一致すると主張したトマス・アクィナス(1225-1274)によって統合されたと詳しく説明していく。アクィナスはドミニコ会修道士であり、神秘家であったことが強調される。もちろんアクィナスはスコラ学の完成者で、[トマス・アクィナスは600年にもわたり、カトリック神学を支配しました・・・教父たちの著作に充ち満ちていた神秘主義はどこに行ってしまったのでしょう」(102頁)と批判する。だが、アクィナスをストレートに批判するのではなく、批判の目は「トマスの後継者たち」にむけられる。門脇佳吉師のようにジョンストン師は基本的にトマス主義者だと批判する人もいるくらいだから(『愛する』への「解説」など)、ジョンストン師のアクィナス論は複眼的に見なければならない。つまり、ジョンストン師は神秘主義者だからスコラ学そのもののアクィナスを批判しているなどと短絡的にとらえてはならないようだ。

 師はアクィナスの神学をおもに二つに絞って紹介していく。一つは「類比論」で、もう一つは[親和性論」だ。まず類比論から見ていこう。
 アクィナスの存在論は、「本質と存在」について独自の理論となっている。「存在」は「一義的」ではないし、また「多義的」でもない。それは「類比的」であるとする。(こういうギリシャ哲学の議論についていけないとスコラ学はちんぷんかんぷんになってしまう)。類比的とはアナロジーのことだ。認識には演繹法・帰納法とならんで類比法がある。神の認識は理性だけでは直接認識することは難しいからアナロジーで理解するしかない、という考え方だ。(譬えで理解するといってもよいかもしれない。クリスチャンはたとえ話が好きだとよくいわれるが、あながち的外れな指摘でもないのかもしれない。聖書によればイエスもたとえ話をよく使った)。
 たとえば、神の存在については、肯定的・否定的・超越的な語り方があるという。

肯定の道: 神は存在する
否定の道: 神は(被造物のようには)存在しない
超越の道: 神は(超越的なしかたで)存在する

 ジョンストン師は自ら訳した『不可知の雲』を使って、本質論ではなく、存在論に関心を向けるように説明し始める。「神があなたの存在であって、あなたは神の存在ではない」という表現はトマス学派の類比論を的確に表現したものなのだという。類比論にはこういう「存在の類比論」だけではなく、近代神学には「関係の類比論」もあるので、プロテスタント神学も関わってくる。プロテスタント神学は原理的に神秘神学を持っていないので、類比論だけで神秘神学を特徴付けることはできないようだ。

 次にジョンストン師は「親和性」論という認識のしかたの話に入る。恐らく本書で一番難解なのはこの部分ではないか。まずこの「親和性」という訳語の問題がある。原語は connaturality だ。これは神学の専門用語で、訳語は親和性として確定しているのかもしれないが、私にはわかりづらい。con は with なので、with nature からきている言葉と考えられる。これをなんと訳すか。恐らく訳者たちも悩んだのではないか。もともとは「同じ本性 nature を持っている、共有している」という意味だろう。自然的・生得的・一体的・同化的など近い言葉はあるが、「親和的」とは興味深い訳語だ。だがなにかわかりにくい訳語だ。「親和性による認識は、特に道徳の分野で価値があります」(91頁)。この日本語は意味が通じるのだろうか。(注1)
 ジョンストン師は、『神学大全』(Summa Theologica)においてアクィナスが展開した二種類の認識の区別の話から始める。一つは理性を用いて行われる認識で、科学研究や日常生活で用いられる。もう一つは「親和性」を通しての認識で、「認識の対象は自分自身の血肉となっていて、同じ本性を持っている」(91頁)。(ここは原文は one co-natures with the object で、同じ本性を持っている はよい訳だと思う)。アクィナスは「習性」という言葉を使っているという(原文は inclination, inclinationem。山田晶訳『神学大全』では「自然本性的」という言葉が使われている。Ⅰの360頁)。たとえば、貞潔の問題でいうと、倫理学の学識のある人は理性に基づいて判断を下すが、美徳を身につけている人は直感的に判断を下す。そういう「親和性に基づく」認識は論理的に正しく、信頼に足る、という。要は、親和的な認識はアクィナスの否定神学的思想のあらわれで、神秘神学に特有の認識のしかただという。アクィナスでは、理性による認識だけではなく、親和性による認識が強調されている、というのがジョンストン師の説明だ。
 このあと、アクィナスの親和性による認識という考え方が、「愛を通しての認識」、「キリストと共にある親和性 connaturality with Christ 」という2節にわたって詳しく説明される。ここは難解だし、なにぶん長いので省略しよう。最後にジョンストン師は、アクィナスのスコラ学は600年にわたってカトリック神学を支配したが、かれの後継者たちは神秘神学を忘れ去ってしまったと嘆く。他方、プロテスタント神学は、神秘神学は新プラトン主義的だとか、グノーシス主義的だとかいって、神秘神学を無視し、育てることはなかった。だが、師は言う。「無意味な言葉だけの思索に物足りなさを抱いている現代世界は、アジアの神秘的な宗教と出会うことで、神秘主義に改めて魅力を感じ始めている。神秘神学が神学全体の中心になる日が必ず来る」(102頁)。

 要約がうまくいかず長くなってしまったので、次の第4・5・6章は次回にまわしたい。

注1 社会科学で「親和的」というと、すぐに verwandtschaft という言葉が浮かんでくる。 M.ウエーバーでいえば、 Wahlverwandtschaft は選択的親和性と訳され、例えば禁欲的プロテスタンティズムのエートスと、資本主義の精神はおのおの別々の法則性・規則性を持つが、両者には選択的親和性がある、という議論がなされる。英訳では selective affinity となる。affinity というありふれた言葉になってしまう。ドイツ語では、同じ根を持つ、類似している、親近性がある、などのニュアンスがあるようだ。connaturality という英語の単語にこういうニュアンスがこめられているのだろうか。ラテン語ではどうなのだろうか。。神学の専門領域の話になってしまうのかもしれないが、親和的という訳語は、誤解とはいわないまでも、理解を難しくしているのではないかと思う。

 

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