版画草子 All That Print Work

自作版画作品と日常の写真を日記形式で紹介してゆきます。
(画像の無断使用は固くお断りします。)

第20回てくてく歩き隊 その2

2012-04-01 16:39:14 | その他 Other

NHK番組「ブラタモリ」も都内を歩きながら 江戸から東京に至る
いろいろなエピソードを紹介する楽しい番組ですが
都内散策の発想・実行は我々の方が古く 
番組初期は我々が歩いたコースを妙に辿っている様に展開していました。(エヘン!)

最近はNHKの力を存分に発揮して 一般が入れない様な場所などを盛んに放送していますが
我々の隊長も人柄を存分に発揮して テクテク実行日の前に 分厚い資料を送って来ます.....



今回は17ページ!
かなり勉強臭い資料を 私も前日に必死に読みました。 いわゆる 一夜漬け.....



さて 今回のコースです。



地下鉄春日駅近くの交差点で待ち合わせ
ここを起点に本郷周辺から上野へ出て 「伊豆榮」のうなぎで昼食 というコースです。
隊員の一部は ほとんどうなぎに釣られて歩きました。

まず 一葉終焉の地を訪ねました。



ここは当時丸山福山町と言われ 一葉は死ぬまでの14ヶ月を過ごしますが
その間 「たけくらべ」「にごりえ」「大つごもり」「一三夜」「わかれ道」などを書き上げています。
驚異的ですな。
明治二十九年十一月二十三日病没 享年二十五歳   もったいない.....



その後菊坂方面へ



石川啄木が金田一京助の援助で住んだ 当時は「蓋平館」と言われた下宿屋
現在も大栄館旅館として営業しています。

啄木は知人・友人には決してなりたくない 実に嫌な奴だったそうな などという話しをしながら
菊坂を登って行きます。




菊坂に一葉が一時住んだ旧居近くにある共同井戸(一葉家族も当時使った)
現在も利用されていますが 飲用にはできない様です。

随分狭い場所で 住居が建て込んでいます。
散策客・見物客が多いので住民はかなり迷惑しているそうです。

上の写真にも見えますが 井戸のすぐ先の木戸付きの階段を上ります。



随分古いですが いい雰囲気です。
今回から新しく参加した裕子女史隊員曰く
「古い建物って 自分では決して住みたいと思わないけど 残しておいて欲しいわよね」
言えてますな。

私はここを見たとき 咄嗟に黒澤明監督の「どん底」のシーンを想い出しました。
崖の下に建て込んだ家々の雰囲気が似ていましたね。
崖の上は武士階層・富裕層 その下の狭い土地に何倍もの庶民が肩寄せ合って
倹しく(つましく)暮らしていたのが江戸なんですな。


江戸はまた 坂の多い町でもあったんですね。
今回も菊坂の他に「炭団(たどん)坂」「切り通し」など風情のある名の坂を歩きました。

現在の菊坂


左隅にちょこっと写っているのが一葉も通った「伊勢屋質店」
一葉の命日十一月二十三日に土蔵を開放して見学出来るそうです。


炭団坂



江戸当時この一帯に炭団屋が多く集まっていたという説があるらしいのですが
隊員のほとんどが炭団を知りませんでした。
私は40数年前 都内雑司ヶ谷の燃料屋の店先で見た憶えがあります。
ソフトボールくらいの真っ黒な炭の塊でした。
ただ どうやって 何に使うのかは判りませんでしたね。
北海道にはありませんでしたから。

などと話しが弾みながら 一同テクテク歩きます。    つづく






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