「日々、キャリア」降矢一朋の気付きメモ日記!

日常の自分が感じた「?」や「!」な事を書き留めたサイトです。

嫌いな事にこそ自分の本質があるかも知れない

2009年04月28日 | Weblog
最近、「仏教」や「禅」の本を読んでいてふと自分の事を振り返って見た時に
自分って昔、嫌だった事、嫌いだった事を仕事にしているって気付いた訳です。

小学校の時に始めて殴られたのは美術の時間、書きたく無い絵の宿題を適当にして
提出したら殴られた、でもその後何でなのか分からないままに大学で絵を描いてた

人前に出るのなんて大嫌いで、話すのも嫌い一人で本を読んでるのが大好きだった
なのに、今人前で話をする仕事をしている。

案外、子供の時の「嫌い」という感覚は「興味がある」「意識している」という
兆候なのかも知れないなと、でもすぐに出来るほど簡単ではない事なので意識は
しているがやれない、出来ないというジレンマを感じて「嫌い」という意思表示に
なっていたのかも知れないなと、今だから思える。

本を読む等の、好きなことは相変わらず続いています。(これは病気です)

これは行動が強化されているのと習慣になっている部分があるので相変わらずです

仏教では生きている事自体を「苦」として捉え、その中で何か少しでも良いことが
あれば生きやすいだろうと言う考え方が根底にあるならば、好きと同じくらいに
嫌いという感情も、自分の心が動いた何らかのサインだと思うと実はその中にこそ
本当は自分のやりたい事などが見え隠れしているのを、本能がかぎ取った証しが
そんな違和感やギャップを表すような感情で自分自身にサインを送っているのかも
知れないなと思ったりもする。

よく「チャンスは笑顔ではやってこない」と言われるので、「嫌い」というのも
実はチャンスなのかも知れないなと、先の事を考えると今の「好き」か「嫌い」は
大した問題では無いんじゃないかなとも、自分の今までの人生を見るとそう思える


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