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物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

先制予防原則

2018-08-22 12:51:03 | 科学・技術
というのはポスト・ノーマル・サイエンスが提唱されたヨーロッパでGMO(遺伝子組み換え作物)をアメリカからヨーロッパへと輸入するかどうかという議論のときにヨーロッパ(EU)側が言い出した論理である。

これは科学史家の塚原東吾さんはヨーロッパ起源の概念だとお思いのようである。だが、すでに日本でも武谷三男の「安全性の哲学」の中で提唱されている概念であった。

武谷の編纂した岩波新書の『安全性の哲学』などにもその考えはあるようだが、すでに熊本の水俣病訴訟でその闘争の論理として採用された。

このことは私の徳島科学史雑誌への投稿論文(2015)「他人から見た武谷三男」で言及したことである。重複にはなるが、ここでその原田正純氏の引用個所を書き抜きしておく。

(引用はじめ)

武谷氏は農薬に限らず、薬物を使う、ときには被害が証明されない限り使ってはいけない

いけないというのが基本原則であって、逆に有害が証明されない限りつかってもよいというのは非常に困る、と述べていた。

害が証明されないというが、現実にそういうことをやってみてそうなるかどうかがはじめて証明されるというのでは科学の無能を意味し、ときであり、降灰放射能の害が証明されるのは、人類が滅びるときであり、人体実験のほかならない思想にほかならないこと

(引用おわり)

いま直前の文はもともとビキニでの水爆実験による降灰放射能の害についてどう考えるかを述べたところに出ていることである。

水俣病研究会では(1)高度の注意義務(2)安全確認義務という二つの原則に仕立て上げた。

最近、ポスト・ノーマル・サイエンスという概念を塚原さんの論文で知ったので、それとの関係で2015年の私の論文を思い出した。詳しくは今年末に発行される「徳島科学史雑誌」に述べたいと思っている。

体系的な書物を著した人たち4

2018-08-21 12:34:12 | 物理学
ここでは秀才だとか偉大な業績を挙げた人とかのその人の学者としての業績とかを度外視してあげている。

今回は村上雅人さんを取り上げる。この人は東京大学の金属工学科の出身であるが、高校時代をアメリカで過ごした人なのかちょっと変わった経歴の人だとの印象がある。

今調べてみると、はじめは「なるほど虚数」(海鳴社)を出して、注目を集めたと思うが、その後、この「なるほど」シリーズのテクストを私の知り限りでは15冊以上出している。

はじめは数学が主であったが、いまでは物理学のテクストも出版している。

微積分、線形代数、ベクトル解析、フーリエ解析、複素関数、統計学、確率論、回帰分析、微分方程式、熱力学、電磁気学、量子力学等である。

なかなかの才人であることは間違いがない。

村上雅人さんは実は超電導が専門らしいが、そちらのほうでもいくつかの賞を受賞しているようなので優秀なかたなのであろう。私も「なるほど熱力学」(海鳴社)を図書館で借りて読んだが、その書き方にはなかなか独特なところがあって、興味をそそられた。

ポスト・ノーマル・サイエンスと武谷三男

2018-08-21 11:54:53 | 日記
最近のヨーロッパの科学論とかからみて、武谷三男はもう遅れた存在だというのが2016年6月に出た「現代思想」の中で科学史家の塚原東吾さんが書いた論文にある。

彼は武谷三男が遅れた存在だとははっきり書いてはいないのだが、どうもそうとっていた節がある。それは見当違いだというのが私の現在の見解である。これは今年の12月に発行される徳島科学史研究雑誌に論文として投稿するつもりであるが、その要点を書いておきたい。

農薬が私たちに悪影響を及ぼすということがだんだん判明してきた1970年代の初めか60年代のおわりころに「朝日ジャーナル」に武谷はその悪影響がないことがはっきりしない間はその農薬を使うべきではないという論説を掲げたという。もしか、農薬が人間に悪影響を決定的に判明したころには人類が全滅しているとかいうようなことが起こらないためだという。絶対悪影響がないということが確実であることが確かめられるまではそれを用いてはならない。これが武谷の考えである。

法律では容疑者として疑わしきは罰せずというモットーがある。武谷は公害においては疑わしいことはしてはならないという。これは現在でいえば、「先行予防の原則」であろう。

その「朝日ジャーナル」の記事を読んだ、熊本の水俣病訴訟を闘っている人達が彼らの訴訟の理由としてその訴訟を結局のところ勝訴に導いた。このことは私は原田正純さんの文章から知った。

これはいまなら、「先行予防の原則」と言われているものである。この原則はアメリカからヨーロッパへGMO(遺伝子組み換え農作物)が入ろうとしたときに、ヨーロッパの側がそれを輸入しない論拠としたものである。

その武谷は「先行予防の原則」という名称をつけはしなかったが、それと同等のことをすでに40年近く前に提唱していたのだ。

最近になって科学史家の西谷正さんがテープ起こしして、50ページを超える文書になったものを読むと、武谷が単なる科学至上主義者ではなかったことがうかがえる。これは決して武谷の書いた論文等からはうかがい知ることができなかったかもしれないことである。

名古屋大学での物理の集中講義での聴講者の質問に答える形で意見を述べたところにそういう考えが出てくる。社会はすべて科学だけできまるわけではないという意見を表明する件がその文書の中にある。

『物理学天才列伝』下

2018-08-20 10:33:41 | 物理学

ブルーバックス(講談社)を図書館から借りてかえって、その一部を拾い読みしている。

私がおもしろかったのはチャンドラ・セカールであった。南部さんの『素粒子』(ブルーバックス)だったかに天文台からシカゴ大学まで大学院のセミナーをするために出てきていたとか書いてあって、彼のクラスの全員がノーベル賞をとったと説明があった。

これはリーとかヤンとかがその直後にノーベル賞をとったことを意味してもいた。そのうちにチャンドラー自身がノーベル賞をとる。

わたしが関心をもったのはチャンドラーの最後の研究である、ニュートンのプリンピアの話であった。彼はプリンキピアをはじめからは読まないで、自分で力学の定理を書いてそれを現代的に証明して、それからその点をニュートンがどう書いているかをプリンキピアを読むことで比較したという。そして、どのようにニュートンがうまく力学のことを書いているかを痛感したという。

この研究はいつものチャンドラの流儀で本にした。すなわち、チャンドラーは自分の研究の総括としていつもその分野の専門書を書いて、その分野の研究を終わりにしていた。このチャンドラーの最後の研究書は中村誠太郎さんの訳で講談社から出されている。もっともこの本は一万円を超える定価がついていたと思う。

もっともこの説明で私もこの訳本を読んでみたくなった。 

もう数十年も昔のことだが、日本にチャンドラがやってきて、ブラックホールについて物理学会で講演した。その講演の訳が物理学会誌にでていたのだが、その最初の部分のアイディアを使って、試験問題をつくったという思い出がある。

入試の問題になるくらいのやさしい話にしたのである。


お盆やすみを過ぎて

2018-08-20 10:03:08 | 日記
このブログのアクセスが増えたのはどうしてだろうか。

ちょっと皆さんが暇になったのだろうか。日曜はアクセスがふつう落ちるのに300を越していた。

先週の土曜日には仕事場に来なかった。これは近くの生協病院で「この世界の片隅で」というアニメの上映会があるというので、仕事場に来るのを急遽やめたからである。

このアニメはもともと漫画か何かをアニメ化したものである。それにドラマとしてもどこかの局から放送がされている。

それでそのアニメの上映後に仕事場に本と雑誌を取りに来て、昨日はそれを読んで過ごした。ようやく夕方になって、8月25日の徳島科学史研究会での報告のめどがついた。それまで全く何を話したものやら、全く見当がつかなかった。

2016年6月発行の「現代思想」という雑誌の特集「日本の物理学者たち」の塚原東吾さんの論文を読んでいたのだ。「ポスト・ノーマル・サイエンスの射程から見た武谷三男と広重徹」と題する論文である。


塚原さんだけではなく、最近の科学史研究者の見解では武谷の批判者としての広重から中山茂と吉岡斉へと発展したというようなことらしい。ところがそういうのは考えの発展としてはそうであってもどうも体制批判というような点では弱くなっていてアピール力がとても小さな力しかもてていないのではないかとしか感じられない。

科学論としても科学技術批判としても中山茂とか吉岡斉の社会への影響は武谷のかつての影響ほどにはないのではないか。この点はどう考えるのか。

科学者としての武谷の実績とかには中山も吉岡もはるかに及ばない。そのことともあって原発政策の批判を吉岡もされたのであろうが、社会を動かしという点においてもやはり弱かった。




今日は過ごしやすい

2018-08-17 15:36:18 | 日記
さっき温度計と湿度計を見たら、温度は30度近くまで上がっているが、湿度は50%くらいでそれほど高くはない。それでやはり昨日までと比べてぐっと過ごしやすい。

テレビの天気予報の女性が明日は乾燥した冷たい空気が北から流れ込むと言っていたがその通りになった。

午前中は29度を下回っていたが、さすがに16時前だとそれほど気温は低くはならない。だが、70%を上回っていた湿度が60%等となるとぐっと体には楽に感じる。

それにいつもは西風が吹くのが通常であるのに、今日は東かぜである。まだなかなか暑さは続くだろうが、時々は過ごしやすい時があるのだろう。

武谷三男のイメージ

2018-08-17 14:26:14 | 物理学
がぐっと変わった。これは科学史家である、西谷 正さんが武谷三男の1973年6月に名古屋大学で行った集中講義の録音テープを文字に起こしたものを読んだからである。

武谷三男というと科学至上主義の権化のようにどの科学史家も書いているが、どうもそれはかなり的外れなのではないかという気がした。

彼は科学至上主義に見えるところもあるけれども、それは彼の一面にしか過ぎないのではないかということである。
教室では黒板を用いて図や文字を使って話をしているのだが、それを音声だけ録音によって拾っているので、なかなかその真意はわかりずらいのだが、それでもかなり書籍とか雑誌等で文字として読む、武谷三男とは違うイメージを抱いた。


これは私一人の抱くイメージではなく、多くの科学史家や科学社会学者の抱く武谷三男のイメージ変更を迫られることではないかと思っている。

生前の武谷三男を直接知っている人々は彼のいろいろな側面を知っているから間違ったイメージを持つわけはないが、あまり彼との接点がなかった若い人たちの抱く武谷三男像は一面的である可能性がおおきくなる。

52ページにも及ぶこの録音のテープ起こしは大変だったろう。西谷さんの労を多としたい。


同次か斉次か

2018-08-16 14:21:22 | 数学
微分方程式等で非同次方程式とか同次方程式という用語がある。

私自身は同次方程式とか非同次方程式という用語のほうになじみがあるが、ほとんど同年代のSさんには斉次方程式とか非斉次方程式のほうになじみがあるという。

これはどちらかか間違っているわけではない。たぶん以前は用語として斉次方程式、非斉次方程式が一般的に通用していたのだと思う。だが、あるときに用語として同次方程式とか非同次方程式とかにしようということにどこかで決めたのだと思う。

ところが、こういう用語は使われてきた実績があるためになかなか一掃することは難しい。それに法律で強制するという種類のことでもない。

そうすると、なかなかどこか例えば、文部省とかの委員会で推奨されてもなかなか新しい用語にはならない。

こういう用語としてはいくつか思い出すものがある。

太陽系で太陽の周りをまわるplanetを日本語に訳して惑星と遊星という訳語がある。どちらも同じものであるが、これは東京大学系では惑星であるが、京都大学系では遊星とか。

工学系と理学系とで違う用語もある。よく知られているのは工学系では電界,磁界だが、これは理学系では電場、磁場という(注)。

高橋秀俊さんの有名な著書『電磁気学』(裳華房)に序文にはこういう例がいくつか出ていた。回路のことを理学系では輪道というとか。これはさすがに輪道という人に出会ったことはない。振動数と周波数とはどちらも使うであろう。

最近の用例では超伝導と超電導とであろうか。また表記としてコンピューターとするのは理学系の人に多いが、コンピュータと止めた表記をとるのは工学系だとか。

(注)電場、磁場は読み方は「でんじょう」「じじょう」ではなく、「でんば」「じば」である。普通に工場は「こうじょう」であり、もちろん「こうば」と読む人いるだろうが、正式には「こうじょう」である。そうすると「でんじょう」「じじょう」と読みたいところだが、いわゆる重箱読みである、「でんば」「じば」が使われている。。


体系的な書物を著した人たち3

2018-08-15 17:43:20 | 日記
「私は体系的な書物を著した人たち」として別に超有名な人だけを取り上げるつもりではない。

私がネットで知り合った人の中にJhoさんという方がおられる。この人は私と連絡があった当時はイギリスにおられた。そのうちに日本へ帰ってこられたのだが、今どうされているのか存じ上げない。しかし、この方が物理の本をシリーズで出されてい

私が彼からもらった本は『力学』(プレデアス出版)であるが、その後熱力学とか電磁気学の本も出されているいるはずである。村上曜さんという方である。

インターネットのサイトに「物理のかぎしっぽ」というのがあるが、そこに優れた解説を書かれており、この人はただものではないという雰囲気ではあったが、なかなかのタレントである。

なんでも航空力学とかが専門のかたであった。いま日本るのかどうかにおられるのかどうかわからない。
Joh Obersdorfというペンネームであったが、ご自分の名前のドイツ語訳であった。

Johさんがいまどれくらいの本を出されているのかはっきりとは知らないが、アマゾンコムで調べればすぐにわかるであろう。

いま、アマゾンコムを検索したら、『電磁気学』と『熱力学』それに『振動と波動』の3冊が上に挙げた『力学』以外にあった。

熱力学は4つ星の評価がされていた。いつか読んでみたいと思う。
 

ライスカレーかカレーライスか

2018-08-15 12:31:26 | 日記
数学・物理通信の編集をしていたので、昨日はブログを書くのを忘れた。

昨日はライスカレーかカレーライスかということを書こうと思っていた。私が小さいころはカレーライスとは言わずにライスカレーと言っていた。

それがだんだんとカレーライスという語が定着してきた。いまどきライスカレーなどと呼ぶ人はいない。そういえば、カレーと一緒にライスではなくて、ナンを食べることも多くなってきた。

今朝もナンとカレー味の野菜炒めとを朝食に食べた。もっともあまりカレーが多くなくて中途半端ではあった。

最近は朝食の用意を私がすることが多い。もっともそうはいってもいろいろな野菜を切りきざんでの野菜炒めしかつくれない。

そういえば、べルリン名物の食物の一つにカレー・ブルストというのがあるそうだ。これを真似て、今年の年末の忘年会でカレー・ブルストをつくりたいと思っている。もっともこの肝心なところは、トマトケチャップの味のようでべルリンでは各店が独自のケチャップ味を誇っているとのことである。

それと真夏に申し訳ないが、冬のドイツの味覚の一つはグルー・ワインである。これは最近ではデパート等の食品売り場でそのまま鍋か何かで温めたら飲めるものを昨年末に購入した。

私たちが小さい時に母がつくってくれた、ライスカレーは魚のサバで味をつけたものであり、肉を入れてライスカレーをつくるなんてことはまったくしらなかった。

これは戦争直後では肉を手に入れるなどということはとても難しかったので、肉の代用として、魚のサバを使ったのであろう。それでも私どもの子どもには珍しい味であった。

スマホとパソコン

2018-08-13 12:37:32 | 日記
たいてい私がなにか話をすると、すぐに妻がスマホで検索して私の言うことが正しいかどうかチェックする。ところが「マテオ・ファルコネ」の話を昨日の昼食時にしたら、すぐにやはりスマホで検索したが、どうしたものか「マテオ・ファルコネ」はスマホの検索には出てこなかった。

それは妻の検索の仕方が悪いだけなのかどうか、本当のところはわからない。「パソコンで検索したらたくさん項目が上がるよ」とだけ妻に言っておいた。

盆も正月もない

2018-08-13 11:54:38 | 日記
と世間では言うけれど、さすがに私も正月の休みをとる。だが、今日から3日間は世間ではいわゆる盆休みだが、私は休みをとらない。

確かに今年の夏は暑い。それで数日の休日を取るべきかとは思うが、そんな時間的な余裕を私には与えてくれそうにない。これは8月25日にコミセンで徳島科学史研究会の総会があることとそのときの講演の準備がまったくできていないことによる。

いわゆる墓参りもここ10年くらい行ったことがない。もっとも両親が生きていたころは十分かどうかはわからないが、尽くしたつもりである。

母の晩年は病気のためにつらいものがあった。また、父は母よりも実は何年も長生きをしたのだが、その孤独な生活のなぐさめのためにときどき日曜とかの休みには実家に帰り、父をどこかにドライブで連れて行ったものだ。これは私の妻の配慮が大きかった。

父は口頭での表現の仕方の下手な人であり、そのために子どもたちが腹を立てることが多かった。近くに住んでいた兄とか妹も腹を立てて、父に寄りつかないという感じだった。

これはひとへに父のものの言い方の表現の悪さに原因があった。そういう素質を受け継いでいるために私もものの言い方があまり上手ではない。というかむしろ下手といったほうがいい。こういうつまらないことが似るというのも因果なものだが、そういうところがあるのは親子だからしかたがない。

こんなことを思い出した

2018-08-11 12:37:29 | 日記
今朝、朝日新聞の書評欄を読んでいたら、写真家の濱谷浩さんが45年もかけて日本人の各界の人の写真集を作ったという話を読んだ。その中に皆様ご存知の湯川秀樹先生の名前も出てきた。

写真と湯川先生と言えば、私もちょうど50年前に半年ほど先生が所長をされていた研究所の非常勤講師を務めたことがあった。

そして、そのころ湯川所長室の隣の小会議室で所員の人が昼食をとるのに参加するようになった。このときに先生が話をされたことの一つである。

あるとき、有名な写真家の土門拳が先生の写真を撮り来たことがあった。そのときに土門拳は写真をとる対象となる人が腹をたてるようなことをわざというのだという。

これは土門拳はその人は怒ったときに、その人の本性が一番よくあらわれると考えていたためにとる、写真家としての一つのテクニックであったのかもしれない。

もちろん土門拳の写真家としての名声はすでに確立していた彼の晩年のことなので、それからほどなくして土門拳は亡くなった。湯川先生からこぼれ話をうかがったのはもちろん私一人ではないが、覚えておられる人がどれくらいおられるであろうか。

体系的な書物を著した人たち2

2018-08-10 12:27:05 | 日記

自分なりの体系をもって、物理なり数学なりのテクストを書いている人は日本人に限ってもたくさんいる。もちろん、著名な人もいれば、それほど著名でない人もいる。わたしはここでは著名がどうかはあまり問題にしていない。

大学の教授を長年務めていた人ならば、そういう体系的なテクストを著すことに意義を感じる人も少なくないであろう。

そういう人の一人として砂川重信さんがいる。「物理の考え方」(岩波書店)というシリーズを書かれている。力学、電磁気学、熱・統計力学、量子力学、相対性理論の巻がある。

砂川さんは別に電磁気学についてのいくつかの本を書かれており、あまり体丈夫ではなかったためかいつなくなっても家族が生活に困らないようにと電磁気学の本を書かれたと紀国屋書店から発行の『理論電磁気学』だかの序文に書かれてあった。

予想に反してなのかどうかは知らないが、結構長生きされて「物理の考え方」のシリーズも書かれたのであろう。

『理論電磁気学』で感心したことは電気多重極の説明がよかったことである。そこがあまりよくわからなかったので、はじめて意を尽くした説明を読んだ気がしたが、それがどういうものであったかはもうよくはわからない

もう一つ感心したことは相対性理論の巻の、斜交座標の反変成分と共変成分との説明のところに結晶学での逆格子との関連が述べられていることであった。物理学は一つであるという感を深くした。

そういえば、逆格子についての書きかけのエッセイも私はもっているが、これもなかなか完成をしない。


独検準1級を目指して

2018-08-10 11:56:00 | 日記

すこし、意識的に学習をしてみたい。私などは長年ぼんやりと学習をしているので、学習の期間が長い割には語彙も少ないし、なかなかまともにカタコトも話せない。

現在のこの状況ではそれでも別に不都合はないのだが、1級は到底無理だが、準1級くらいはパスして死ぬのも悪くはないかもしれない。

2級は数年前にとったので、つぎの目標は準1級である。この準1級の合格のために予想されている、語彙数は5000語である。

いつだったかもこのブログで述べたが、私の知っているドイツ語の語彙数は3000から4000の範囲だと思う。そうするとまだ2000は語彙が不足だということでもある。

若いときに発起すれば、それは難しいこともなかったかもしれないが、もうそろ80歳に年が届こうとしている。それだから、記憶力がいいはずがない。ただ、経験を積んではいるので、それが私の強みと言えるかもしれない。

だが、3年計画くらいでこの目標を達成するしかあるまい。

独検の受験者の最高年齢の人は92歳だとかで、それに比べるとまだ私は若造である。準1級は2007年までの独検の2級であって、この2級が少し難しすぎるというので、従来の3級と2級の間に新しい2級をつくり、前の2級を準1級としたいきさつがあるらしい。

ちなみに1級はドイツ人と話して十分な意思疎通ができるかなりドイツ語の達人のレベルの人であるらしい。これは私の今の環境では達成は土台無理というものであろう。

(2018.8.13 付記) こんな勇ましいことを書いたのだが、実は昨年も似たようなことをブログに書いていた。もっともそのときは書いたのだが、どうも覚悟はできていなかったらしい。だからそのうちにまたその覚悟を忘れてしまうだろう。 これはこの時期に独検の試験の応募書類が毎年来るということと関係がある。