物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

FeynmanとKさん

2016-11-17 12:23:48 | 日記

中間子論50年(Meson 50)のときに、亡くなった K さんと Feynman とが話したという逸話を書いておこう。

Feynmanは K さんがつけていた名札を見て、「あなたはこの後で記念講演をする K. さんですか」と尋ねた。それでKさんは「僕は K. さんほど歳ではないですよ」と答えてから、「そんな年齢にみえますか」と尋ねた。そうするとそれなら、Feynman は君は「それなら有名な K. さんなのか」と  Kさんに尋ねた。この人もイニシャルだけなら M. K. である。

どうしてこの M. K. さんをFeynmanが知っているかというと、もちろん2008年にこの M. K. さんは南部さん、益川さんとノーベル物理学賞を受賞した方である。だからこの M. K. さんをすくなくとも名前はFeynmanは知っていたのであろう。

あわてた K さん、いやいや日本には K という姓の物理学者はたくさんいてその中でもイニシャルがM. K. という物理学者はFeynmanが挙げた以外にもいるんですとつけ加えた。

これがどこで行われた会話だったか聞かなったが、M. K. 先生が中間子論50年の講演をする前であったことは確かである。この話をしてくれた K さんはほとんど毎年夏にはカナダのエドモントンのAlberta大学で研究をするのが常であったから彼は英語を上手に話すことができた。


気の利いたことを

2016-11-16 11:49:07 | 日記

毎日書きたいと思っているが、実際にはそんなことはできっこないから残念である。

量子電気力学でむかし業績をあげたF. J. Dysonは最近の彼の論文選集にBirds and Frogsとかタイトルをつけたという。その論文選集はまだ手に入れてないが、Birdsは科学者でも天才肌の人のことを意味しているとか、彼は自分自身のことをFrogとしているとかどこかで読んだ。

もっともそれは謙遜かも知れないのだが、自分のことをそういっているのなら、それはそれで結構かもしれない。だが、非秀才の私などから見たら、Dysonなどはもちろんbirdの一人であろうけれども。

そういえば、1985年に中間子論50年Meson 50の国際会議があったが、このときにbirdの一人であった,Feynmanも会議に来られたが、そのときに私の友人のK氏がこのFeynmanとした話を面白おかしく話してくれたことがあった。

それは日本の物理学者の中にはK(小林)という姓の学者が多いということに関係している。この話はどこでもしたことがないから、今日書いてもいいのだが、明日の話題にしておきたい。というのはおもしろい話題をわたしははあまりもっていないからである。


スーパームーン

2016-11-15 12:20:55 | 日記

昨夜は68年ぶりのスーパームーンだったとかだが、松山は雨で月を観測はできなかった。

だが、このことはNHKの21時のニュースでも取り上げられていた。月の大きさが1.14倍とか聞いていたのだが、河野キャスターが「月が30%も大きく見えるなんて」とニュースの終りに言われたのでそうだったの?と疑問に思ってその夜は寝た。

今朝になってやはり新聞にスーパームーンの写真が載っていて、そのデータがでていた。それによると月の直径が1.14倍大きく、面積が1.3倍大きいという。それでようやくわかった(注)。

朝食前だったので、コタツの机の上で1.14の2乗1.14^{2}を計算してみたら、ちょうど1.29くらいで面積の比で言えば、約1.3倍となる。

つぎに直径が1.14倍に見えるというのはどうしてだろうかと考えた。月の視半径dと距離rとが反比例しているとすれば、rd=一定となる。

それでいまの月の距離35万キロと4月の距離40万キロとを反比例させて、40/35を計算してみると1.143くらいになるから、月の直径が約1.14倍大きく見えることがわかった。

もっとも新聞にはこういう説明はなかったが、簡単な数学というか算数を使うとこういう結果が得られる。

今までそういうことを考えたことはなかったが、少し理性を働かせればこれくらいのことはわかる訳である。もっとも最近はインターネットを検索すれば、何でも分かってしまう時代だから、余計なお世話かも知れない。

 (注)地図の縮尺は距離の縮尺である。だから面積の比で言えば縮尺の2乗となっている。私のブログを訪ねる方は理工系の方が大部分だと思うので、「釈迦に説法ではある」のだが。

ちょっとインターネットを調べた見たところでは私のように理の勝った議論をしている人は少ないようである。きれいに月が見えるということが先に来て、その大きさがうんぬんとかはどうでもいいようである。

また月の表面の面積が30%増えるというのではなくて、明るさが30%増えるというふうに言っているのが普通であった。東京天文台のインターネットにはさすがに月面の面積がおよそ30%大きく見えるとあったが、距離から計算してとあるだけでどういうふうに計算するのかの説明はなかった。


人工知能の本

2016-11-14 11:57:54 | 日記

を始めて1冊読んだ。『人工知能の衝撃』という本であり、簡単ながら人工知能とはなにかについて少し知識ができた。

人工知能への関心がなんどか起こったこともあり、またその反対に人工知能への期待がしぼんだこともあり、いまの人工知能への期待が膨らんだのは3回目だとのことである。

いくつかのブレークスルーによって現在の人工知能への期待が大きくなっている。それだのに日本ではすこし企業等でアメリカやヨーロッパに立ち遅れているのではないかという。

AI+ロボットというのが現在の傾向だというが、日本では産業用のロボットは進んでいるが、新しい形のAI+ロボットが立遅れているのではないかと著者は心配している。これが今後の産業の中心になるのではないかと考えられているらしい。

ファナックなども産業用のロボットはいまメインの業績だろうが、それがいつまでも続くという保証がないし、新しい芽をつくらなければならない。


年・月・日の天文学

2016-11-12 11:15:24 | 日記

という本が昔出ていた。それでその本の中に一日はいつ始まるとするのか書いてあったかどうかわからないが、インターネットの古本で購入することにした。

この本は中央公論社から出ていた、自然選書というシリーズの1冊であったが、その本自身は読んだことがない。自然選書の他の本は購入をしている本が数冊ある(注)。

先日、一日はいつはじまるかというドイツ人の R 氏の疑問に答えることが書いてあるかどうか。この本の著者は広瀬秀雄氏であり、広瀬さんがどういう人が知らなかったが、どうも天文学者であるらしい。

まだ存命なのかそうでないのかも存じ上げない。だが、私には一日はいつ始まるかについてもし書いてあるとすれば、この本くらいしかないだろうという気がした。

一日は周期的現象だから、いつをその一日のはじまりにしてもいいわけである。日の出の時刻を一日のはじまりにしてもいいし、日の入りの時刻を一日のはじまりにしてもいい。または太陽が南中する時刻を一日のはじまりにしてもいい。

それはそうだが、それを真夜中にしたのはそれなりに理由があるのであろう。そういうことはいままで考えたことがなかったが、人間の歴史はおもしろい。

(注)天野 清「量子力学史」、高林武彦「量子論の発展史」、佐藤文隆、ルフィ―二「ブラックホール」、朝永振一郎「スピンはめぐる」などがある。


一日の始まりはいつ

2016-11-11 11:21:46 | 日記

かというと真夜中(Mitternacht)であると子どもでも知っている。だが、昔は一日の始まりは太陽が沈んだときとしていたということを昨夜のドイツ語のクラスで教えてもらった。

ドイツ人の R 氏は思わぬことを知っている。日本人の私たちはそのようなことを学校で学ぶだろうか。すくなくとも私は学校の歴史の時間にそのようなことを教わったことはない。

もっともそのようなことをドイツといえども学校では教えないのかもしれない。そうだとすると R 氏の一般教養が深いということになるのだが、はたしてどうなのだろうか。

そのことを書いたものがあるかどうかと理科的な百科事典をちょっと探して見たのだが、ちょっと探したくらいでは見つかりそうにない。

時計の歴史だとか時間の歴史とかいう本はときどき見かけることがあるけれども、そういうものをきちんと読んだことがなかった。ちょっとそういう文献を探して見たい。

 (2016.11.19 追加)「年月日の天文学」を古本で入手したが、どうも読む気が起こっていない。それに一日がいつ始まるかを書いていそうにない。

その後、東京天文台の暦に関するサイトを見たら、いつを一日の始まりと考えるのかは日本でもいろいろ考えられたらしい。日の出を一日の始まりとする考えもあるし、太陽が南中するときを一日のはじまりとすることも考えられるとあるが、夜の星の観測時に途中で日にちが変わるようになるので、それは避けられるようになったとある。

それだと真夜中の12時に一日が始まるのはちょっと都合が悪いことになるが、その辺はどうなるのであろうか。

ユダヤ暦とかイスラム暦では日の入りが一日の始まると考えている。


今日は11月11日

2016-11-11 10:49:36 | 日記

である。それがどうしたという声が聞こえるような気がする。

実はFastnacht(Karneval) カーニヴァルはドイツでは11月11日11時11分11秒に始まる。実際のFastnachtのお祭りは来年は2月28日である。2月27日がRosenmontagであり、3月1日がAschermittwochである。

カーニヴァルの行列があるのは2月28日である。


トランプの当選

2016-11-10 12:17:37 | 日記

に多くの世界のインテリは当惑している。しかし、そのことは織り込む済みで世界は何とかこの数年を生き抜かなければならない。

政策ではトランプは今の世界の事情もほとんど知らないらしい、無知のトランプを誰が教育できるだろうか。アメリカ大統領は議会のコントロールも効かないところがある。

経験がないことが新しいことをできると自分で言っているらしいが、政策が全体として最小の被害で最大の効果をあげるような賢い政策が打てるとはとても考えられない。最低のところで人の言うことを我慢強く聞くことができる資質をもっていれば、何とかなるが、そうでなければ、部下は首を覚悟で苦言を呈さなければならない。そうする人も少しは出ることだろうが、やはり大統領の権限は大きい。大統領から部下は首だと言われれば、それを甘受しなければなるまい。

これがアメリカ国内の問題だけにとどまればまだいいのだが、アメリカ大統領ともなれば、全世界に影響を与える。最低4年間は忍耐の連続であろう。もっと悪ければ、8年間は我慢しなければならない。アメリカ大統領に一番の苦言を呈することができるのはヨーロッパであるが、これは以前のサン(息子)・ブッシュの時代にすでに経験したことである。計算のできないイラク侵攻をしたのは心ある人からは危ぶまれたが、その通りとなった。

トランプもイラク侵攻ではもちろんないが、同様な愚行を起こすことであろう。世界は耐え忍ぶしかあるまい。そしてそのことでアメリカの権威はさらに失墜することだろう。すこしトランプが賢明であってほしいとは願うが、それほど賢明ではなかろうと思う。

日本の国民もあまり賢明とは言えないが、今度という今度はアメリカ国民があまり賢明ではないことを思い知らされた。トランプの政策が、世界恐慌を引き起こさないことを祈るばかりだ。


AIと東大入試

2016-11-09 13:43:00 | 日記

ロボットが東京大学の入試をクリアできるかというAI の研究者のプロジェクトがあるが、どうもAI搭載のロボットは東京大学の入試をクリアできそうにないということになって、このプロジェクトを終えることにしたらしい。

コンピュータは知識を覚えることはできる。そしてその知識から判断できることは答えることができるが、もっと知的な判断を要することに答えることができそうにないという理由かららしい。AIの限界を知ったということらしいが、AIがもっと進む可能性はないのだろうか。

AIがらみの話題では将棋の羽生さんがAIの考え出した将棋の指し手にはどうしたら思えつけるのかわからないようなすごい手がときどきあるが、それを人間が学習しようとしても学習のしようがないと述べていることである。コンピュータの中はブラックボックスであるので、どうしたらそのようなすごい手を考えつくのか人間が学習しようがないとのことである。

AIが、進んだディープラーニングで将棋のすごい手を考え出したとしてもそれを勉強して将棋の新しい戦術を考えようとする人には役立たないとは皮肉なことである。

AIの考え方とか理解のしかたを大ざっぱにでも人間がフォローできないのなら、それの意味は少し減じるということでもあろうか。そういえば、難しい難病の治療法をAIが見つけたとか先ごろに話題になった。これなどは人間の気のつかなかった治療の可能性を見つけてくれたということで人類に貢献したことになろうか。これだって後追いかも知れないが、人間がAIを理解できないとやはり人間である医者の間で論争が起こってその治療を採用する医師もあれば、そのようなAIの治療法を否定する医者も出てくることだろう。

そうなるとやはりかなり面倒なことになる。しかし、AIの出した治療法の可能性を等しく意義があると人間の医師の間で認められるようになれば、医学の進歩に寄与することはまちがいがないが。

武谷三男の指摘するようなある種の実体論的モデルとかがコンピュータの中でつくられないで、本質的な認識ができるのかどうかについて関心をもっているとは前にもこのブログで書いたことだが、コンピュータはそのような思考なしに本質論的な認識に達することができるとすると機械学習はおもしろいことになる。

だが、それを人間が理解しようとすると実体論的モデルを一度経由して本質論に至るというふうになるのであろう。人間がAIを学習するという時代が到来したのだろうか。


Owncloud

2016-11-07 16:26:17 | 日記

というソフトか何かがあり、それについての本を私の子どもが同じ会社の人と出すらしい。昨晩の電話でそういう話がでた。彼は何でも難しそうなことをわかりやすく説明する才能があるが、文章に書くのは少してこずったという。

もっとも本はオンデマンドの出版だというので、本屋さんにその本が並ぶということはないらしい。彼の兄も経済学の本を共著で数年前に出したことがあるし、Rという統計のソフトかの本を多くの著者の一人として共著で出したことがある。

cloudとはどこかの大きなメモリにいろいろな情報を共有してセーブしておける技術だと思う。それが他のハッカーからも安全に保たれるような技術がオープンソースでできているらしい。

それを誰が必要とするのかはまだよくはわからないが、そういうモノがあれば、使うということは企業とか個人とかが考えてもいいことだろう。

すこしowncloudについて勉強してみようか。


Hillbilly Elegy

2016-11-07 14:56:02 | 日記

という小説というのかノンフィクションというのかがアメリカでいま盛んに読まれているという。これはいまの大統領選挙でのトランプ人気の理由を知るのにもっとも適しているという。

Vanceというオハイオ州出身の男性は現在アメリカのカリフォルニアで投資会社のプリンシパルを務めている人である。彼は若いときの半生の身の上話だという。

エール大学のロースクールを出たVanceはオハイオ州のある町に生まれ育った。両親は彼の若いときにすでに離婚しており、貧乏だった。彼のお母さんは看護師だったが、身持ちも悪く、いわゆるろくでもなしだった。だが、おばあさんが彼を愛してくれて、彼を注意深くケアして励ましてくれた。

町には製鉄会社があったが、それはうまくいかなくなり、皆が貧乏だったり、不幸だったりした。高校生はその2割が卒業できなくなるというひどいところだった。最優秀な生徒でもようやくオハイオ州立大学に入るのが関の山で、州外の有名大学に進学するものはほとんどいないという。

Vanceはおばあさんの激励や注意深いケアによって高校生のとき勉強に励み、オハイオ州立大学を卒業して、その後エール大学のロースクールに進む。Vanceはトランプ大統領候補の支持母体となっている貧乏な下層労働者層に属する層であったという。

だから、トランプ大統領候補を支持する層の気持ちがよく分かるらしいが、Vanceはそのあり方には批判的であるらしい。もっともVanceにもいまの状況をどのように打開したらいいのかはまだ分からないとのことだが、トランプの意見には賛成ではないらしい。

このノンフィクションを読んで詳しい説明がインターネットに出ている。アメリカに住んでアメリカ人と結婚してる日本人女性が詳しいこの本のあらすじを書かれており、それを読めばほとんどこの本を読む必要がないくらいだ。

私は昨日の朝日新聞のGlobeでの紹介記事を読んで、Hillbillyってどういう意味だろうねと妻に聞いたら、妻がスマホで検索してくれて書評があることを知った。Hillbillyとは「田舎者」くらいの意味のあまり上品なことばではないらしい。

昨日のGlobeを読むと超Global化によってアメリカを含んだ世界中のいたる所が貧乏になって来ているようであり、globalとはアメリカを富ます資本主義の陰謀と思っていたが、そうではないらしい。そしてそのアメリカ人の下層白人層がトランプの支持母体となっているらしい。

もっとも、もしトランプがアメリカ大統領になったとしても彼らが本当に貧困から抜け出せる方策を本当に持っているのかどうかは疑わしい。

英語の作品を読まないで、日本ではアメリカの悲惨な様子を知ることができるとは日本の文化はなんてすばらしいことだろう。などと自画自賛したことであった。


校正の必要性

2016-11-05 11:51:56 | 日記

先日、論文の校正が来て、はじめほとんど校正する箇所はないと思っていたが、元の原稿を印刷所の方でチェックを入れてくれており、それを見ると元の原稿に細かな助詞が抜けていたり、また余分の文字が消し忘れていたりしていたことに気がついた。

原稿は何度も読んだはずだが、それにしてもこういうことが起こる。私の原稿の読み方のあまさに驚かされる。もっとも原稿の青鉛筆のチェックのお蔭で校正刷ではあまりもうミスは残っていないだろう。

時間が経って、別刷を手にいれて読んでみたりすると表現のまずさが見えたりする。なかなか完璧にはいかないものだ。『四元数の発見』(海鳴社)を出版したときには編集者が原稿を読んでくれてそのお蔭でミスは少なくなったが、それでも時間が経つと結構のミスプリに気づかされる。

ずっと以前に『数学散歩』(国土社)という書を出したことがあるが、編集者から編集料としていくらかの額をとられたと思うが、一字もここは間違っているのではないかという指摘も受けなかった。まあ、このときは自費出版だからしかたがなかったかもしれない。それに数学の式の間違っているところの指摘もまったくなかった。もっとも数学には疎い編集者だったのだろうから、指摘がなかったのもしかたがない。

いずれにしても校正が必要なことは言をまたない。


年々再々花相似たり

2016-11-05 11:35:40 | 日記

「年々再々人と同じからず」とかいうが、私たちの知人・友人も亡くなる人がおられて、少しづつではあるが、変わって行く。ある弁護士さんのお母さんで私たちが存じ上げていた方も亡くなっていたことを知った。

この方は書道の先生であったが、亡くなられたという。そういえば、京都南座に新春に歌舞伎をバスで何回か見に行ったときにお元気に一緒に行った H さんもいつの間にか亡くなられていた。ときどき県民文化会館のロビーでお見かけしたり、春の花見の季節には石手川の畔のベンチの近くでお見かけしたりした。

演劇とかの文化の芽を絶やさないようにというご意見の持ち主であった。歳をとられても姿勢の正しい凛とした感じの方であった。

私の近所の M さんが亡くなってからでも数年が経つ。妻がいつも一緒に車でどこかに出かける時にはご一緒した。体の健康はごく晩年までよかったが、軽い認知症を患われておられた。それでも不死のようにさえ思われた方でもやはり亡くなるということがある。

生死は人の常とはいえこういうことがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこかに


腰痛

2016-11-04 12:10:38 | 日記

が7~8割かた治癒するらしいということがわかったという。先日のNHKの「ためしてガッテン」でやっていたが、筋肉が硬くて睡眠中に寝返りがあまりできない人が腰痛になるらしいことが分かって、筋肉をほぐす4種類のストレッチをくりかえせば、2か月ほどで腰痛がよくなるとか言っていた。睡眠中に17,8回も寝返りを打てるように体の筋肉が柔らかくなると自然と腰痛がなくなるという。

私は腰痛もちではないので、わからないが、腰痛もちの人には朗報であろう。腰をひねるとかなにかのストレッチをくり返すといいらしい。私は中学生のころには前屈して掌が床につくくらいであったが、その後体操をしなかったので、体が硬くなっていたが、ここ十年くらいラジオ体操をするようになって昔ほどではないが、ほぼ掌が床につきそうなくらいになってきた。

もっとも妻の伯母は急に無理やり前屈して腰の骨が折れたとかで歩行も困難になった人がいるとかで、妻はあまりラジオ体操で前屈するのには賛成していない。もっとも私の場合には無理に前屈しているわけではないので、それほど苦痛なことはない。

大学に在職中だったが、友人の N さんからお前は体が硬いだろうと言われていた。そのころは多分、前屈などはほとんどできなかったと思うので、反論はしなかったが、その後、体の柔らかさは中学生の時代に近づいているのではなかろうか。


フーリエ変換

2016-11-04 11:54:07 | 日記

のことが十分にわかっていないことに気がついたので、昨夜、以前に自分で作っていた電子電気工学科ミニマムの「フーリエ解析」の項を読み始めた。

そして、もう少し使いやすい形に書き変えた方がいいのではないかと思いはじめた。まだどうするか決めてはいないが、大幅に書き変えるつもりである。

フーリエ解析は工学部ではぜひ学ばなければならない数学的手段の一つであろうが、どうもあまりわかりやすくは書かれていないのではないかというのが以前に「電気電子工学科ミニマム」にフーリエ解析の項をつけ加えた理由であったが、これが量子力学の理解のときにあまり役立たない書き方ではなかったとと反省をした。

いまではlatexを使えるので、前のときよりも原稿がきれいにできあがるはずだ。それにはしかし、いくらか材料を集めなくてはならない。