物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Gaza Strip

2014-07-18 14:30:37 | 国際・政治

イスラエルのガザ地区への爆撃は許されるべきではない。

世の中の多くの人がそう思っているとは思うが、なかなかイスラエルの横暴をたしなめられない。

ハマスのイスラエル攻撃もあるだろうが、圧倒的に強い、イスラエルに非があると私は思っている。

力に力で対決する方式は解決には至らない。そんなことは百も承知なのだろうが、それでもそれを選んでしまうという愚かさを悲しむ。

特にナチの迫害を受けたということで建国をしたイスラエルが自分たちの民族がされたような迫害をパレスチナの人々にするという、こういうことが許されるべきではない。

Gaza Stripというこの地帯は地図で見るとまるで、細長い布の切れ端のようである。それでGaza Stripと言われるようになったらしい。

私がガザの人々にしてあげられることは何もないが、イスラエルの人道的な不正をインターネットで述べることくらいはできる。


黒川博行さん

2014-07-18 13:01:21 | 本と雑誌

今治市出身の作家・黒川博行さんが6度目の挑戦でようやく直木賞に選ばれたとマスコミが報じている。

私も今治市出身なので、同郷者としてすなおに喜んでいる。5回も直木賞の選に漏れれば、もう小説を書くのを止めようかと思っても不思議はない。

黒川さんは65歳だというので、私よりも10歳年下であるが、なにはともあれ喜ばしい。

美術分野の道に進まれていたのが、作家となられたということだから人生の不思議といっていいかもしれない。

美術だってそれで生きていくことは大変だが、作家となることはもっと大変だろう。

それでも5回も直木賞にノミネートされたということだけでも実力のほどは窺われる。もっとも私は小説を読まない方なので、私が何かを言っても無力だろう。


True colors

2014-07-17 13:03:24 | テレビ番組

昨日は水曜日だったので、NHKのEテレでTEDカンファランスの講演があった。

ここではJohn LegendのピアノをひきながらのTrue colorsという歌の一文だけを紹介する。

Treu colors are beautiful like rainbow.

という、一文である。これがなんどとなくリフレーンで歌われる。

true colorsとは人々が本来持っている自分の特色だとか、皮膚の色だとか、個性だとかを指しているらしい。


失神

2014-07-17 12:36:07 | 日記・エッセイ・コラム

先日のドイツ語のクラスで脱法ハーブ(illegale Kr"auter)が話題となった。

脱法ハーブを吸った自動車運転者がどうなるのかと聞かれたので、とっさにいい言葉が思いつかず失神する(Ohnmacht)と口走っていた。

そうするとR氏がohnm"atigとかbewusstlosだと助け舟を出してくれた。というようなことを朝食後に話したら、妻がすぐにタブレットでインターネット検索をしてくれた。

それによるとin die Ohnmacht fallen, das Bewusstsein [die Besinnug] verlierenとかいうことがわかった。他にもいろいろな表現がある。

いずれにしても私の50年以上にわたるドイツ語との接触でようやく得たことを妻が瞬間にしてタブレットで知ることができたので、私の50年以上にわたる研鑽はなんだったのだろうとつぶやいたら、妻が知識を知ることはできても自分にはすぐには使えないのだからと慰めてくれた。

それにしても彼女に聞いた検索のしかたは「ドイツ語、失神」と打ち込んで検索するだけである。

そういうことを知ると、学習のしかたも以前とは変わって来なければならないと思う。

話は急にかわるが、最近では数式処理で積分の計算ができたりする。これは不定積分できる関数なら、mathematicaなどの数式処理ソフトで数式を入力したら、積分の答えが即座に得られる時代なのである。

そういう時代に微積分学をどう学んだらいいのか考える時代が来ている。

(2015.7.18付記) またこれは小学校の算数の話だが、普通に市販されている、関数電卓でも分数の計算はできないが、そういう分数の計算ができるような電卓も数年前に売り出されていた。これがいまでも売っているかどうかはしらない。 もちろん、普通の数式処理システムなら、もちろん分数の計算を小数に直さないで計算してくれる。それほど高度の数式処理システムではないある種の電卓が必要であるのかもしれない。

社会の反映とは?

2014-07-16 12:31:14 | 社会・経済

NHKの「日本人はなにをめざしてきたか」で武谷や湯川、はたまた鶴見や丸山真男が取り上げられると聞き、喜んでいる。

しかし、私にはちょっと解せぬこともある。数学教育で一時代を画した水道方式と遠山 啓がとりあげられることはあるのだろうか。

出版業界では遠山の書は多くが復刊されたり、再版されたり、文庫化されたりしている。

そして古本業界でも彼の書の古書はたくさん売られている。一方、武谷の書はあまり復刊されたり、再版されたり、文庫化されたりするものが少ない。

一つだけ「物理学入門」がちくま学芸文庫として最近出たが、それ以外はポピュラーなものはない。その学問の性質とか著作の性質とかもちがうのだが、どうしてこのような違いが出てくるのかというのが疑問に思っていることの一つである。

一方で、たぶんNHKの放送では「遠山と水道方式」は取り上げられないであろう。ということはNHKの考え方が一面的なのではないかと思っている。

吉本隆明全集が晶文社から出されるとかであり、それは慶賀の至りではあるが、武谷全集を出そうという出版社はあるのだろうか。さらに言えば羽仁五郎全集を出そうという出版社もない。


鶴見俊輔と思想の科学

2014-07-16 11:31:00 | テレビ番組

NHKの「日本人はなにをめざしてきたか」の第2回は表題の放送が先週の土曜日夜にあった。

元来元気な、鶴見さんもさすがに老齢で病院の入退院を最近はくりかえしているらしい。

それで新しい映像はなかったようだが、思想の科学で見いだされた論客の数人が出演されていた。

映画評論家の佐藤忠男氏、歴史家の山領健治氏、それから野沢さんとか作家の黒川創さんとかである。声なき声の会のメンバーの熊谷順子さんとか他の女性も出てきた。

それともう思想の科学の創刊同人の一人としてまだ健在な武田清子さんとかがおられる。

7人の創刊同人は武田さんと鶴見さんの二人となってしまった。

黒川創さんが言われていた思想の科学の多元主義は武谷三男から来ているというのが、鶴見の発言からわかっている。

創刊同人は丸山真男、渡辺慧、鶴見和子、鶴見俊輔、都留重人、武田清子、武谷三男の7人である。和子、俊輔、武田清子、都留重人はアメリカ留学生であり、渡辺慧はフランス、ドイツへの留学生である。

それで思想の科学の多元主義はそれらのアメリカとヨーロッパの留学生がつくり出したかと思われがちだが、実はそうではなくて外国に行ったことのなかった武谷が主張したことであったと鶴見はいう。

『思想の科学』は50年続いて1995年に終刊になったが、それは生まれて間もなく廃刊になるところだった。それは日本共産党以外の意見を代表する雑誌が一つくらいあってもいいのではないかという武谷の一言であったという。

ここに鶴見は思想科学の多元主義の根幹を見る。マルキストと思われていた、武谷の意外な側面であった。

残念ながら、そいう話はこの放送にはほとんど出てこなかったが、そういうところから「思想の科学」に投稿したり、かかわった人は5000人に及ぶという。


irgendwie(なんとなく)

2014-07-15 10:41:41 | 外国語

またまたドイツ語ネタですみません。

先日、NHKのEテレのドイツ語講座を見ていたら、音楽の紹介のコーナーがあった。

その中で歌の文句にirgendwieという語があり、それをサーシャさんは「なんとなく」と訳されていた。その訳語がちょっと気にかかった。

私などもirgendwieという語をつかわないでもないが、「なんとかして」とか「どうにかこうにかして」いうように使うような気がする。

そういった意味をこの語がもっているのかどうかはわからないが、irgendがつく語はirgendwann, irgendwo, irgendwas, irgendwelcher, irgendwerとかある。

この語が使えるようになるとなかなか「むにゃむにゃ」としか日本語で言えなかったことが「むにゃむにゃ」とドイツ語で言えたりする。

そういう意味で便利な言葉である。


7月14日

2014-07-14 12:43:52 | インポート

7月14日といえば、le Quatorze Juilletである。今日はフランスの国民の祝日La fete nationaleである。日本では映画「パリ祭」にちなんでよく7月14日をパリ祭と言ったりするが、フランスではそんなロマンチックな言い方はしない。

シャンゼリゼ―では日中は軍隊のパレード行進(d'efil'e militaire)があり、夜にはいたるところでダンスパーティがあるという。

シャイヨ宮の側のトロカデロ広場でも花火をあげ、町のいたるところでダンスパーティがあると聞く。

エッフェル塔のセーヌ川をはさんで対岸のシャイヨ宮に向かってはゆるやかな坂になっていて、そこから若者がスケートボードに乗って降りてくるのを見たのはもう40年近く前の3月のことである。

そのときにはエッフェル塔からパリの市街を見物した後でシャイヨ宮に向かって坂を一家4人で上がって行った。まだ子どもが4歳と6歳のころである。シャイヨ宮の方からエッフェル塔を見るのもまたいいながめであった。シャンドマルス(Champ-de-Mars)も下方に見える。ちろんその前にエッフェル塔に登ってパリの展望をした。遠くのモンマルトルの丘の上に白いサクレ・クールの寺院が見えたと思う。そのサクレクールに行ったのはその次の日であったか。そういえば、セーヌ川での数時間の遊覧船観光もした。いわゆる大きな船のバトームシュbateau-mouche(注1)ではなかったが。

その後はエトワール広場(この頃はドゴール広場というのか)に出て凱旋門を見学した。その後はシャンゼリゼ―を下って行き、そこの近くのレストランで食事をして、地下鉄で宿まで帰ったのだろう。

最近ではパリの地下鉄の駅の内装がとても明るくなっているとかいうことだが、そのときにどうだったかは覚えていない。

シャトレーという地下鉄の駅station(注2)でいつも乗り換えていたと思う。パリ郊外の田舎の町に宿をとって、パリ市内の観光に数日をかけたと思う。とはいってもたいしたものを見たわけではない。

(注1)moucheは蠅の意味だと聞いたことがある。なんでそんな名前がついたのかの由来は知らない。 (注2)la staionは地下鉄の駅であり、鉄道の駅はla gareである。バスの停留所は覚えていなかったので辞書を引くとl'arretだとある。

ドイツチームが優勝

2014-07-14 12:02:29 | スポーツ

ブラジルで行われていた、サッカーのワールドカップはドイツチームの優勝で終わったらしい。

今日の早朝4時からの中継があったのだろうが、そんなに早朝から見ることなどできないから、9時前に起きて妻に聞いたら、スマホで調べてくれて1-0でドイツが勝ったということを知らせてくれた。

ドイツ語のクラスでR氏からその予想を各自聞かれたが、私はドイツ―アルゼンチンは3-2でドイツが勝つとしていたが、その予想は見事に外れた。

ネイマールの個人技に頼っていたブラジルはネイマールの負傷とともに準決勝と3位決定戦で大敗を喫した。

これからもヨーロッパ流の多様な戦力をもったチームがやはり優位に立つのであろうか。

もっとも意見としてはネイマールの負傷は故意に起こったという見方が普通であろう。

それを引き起こした選手の故意ではないとの弁解にもかかわらず、サッカーは公正なスポーツではないという意見もあるであろう。

その点からいえば、テニスなどはそういう不正が入る余地がないと思う。


動物と植物のちがい

2014-07-12 13:33:49 | インポート

動物と植物のちがいをよく知っているわけではない。

動物は自分で動いて獲物や植物を食べることができるが、植物は特別な植物は自分で芳香を放って、虫とかを呼び寄せて食べる花もあるとかだが、大体は動物を食べたりはしない。

これは一般的かどうかはわからないが、炭酸同化作用で植物は炭酸ガスを吸い込んで酸素を放出する。SFではそうでない植物も出てきたりするようだが。

動物の方は人間も含めて酸素を吸って、炭酸ガスを排出する。

そのために火星への人間の移住計画では炭酸ガスの多い火星の大気を少しづつ変えて、酸素を増やすために苔のような植物を火星にロケットで送りこんだらとかいう考えをもう20年以上前に聞いたことがある。

中学校の頃に友人から、植物の方が動物よりも地球上に先に現れたということを聞いた。なぜなら、動物は植物なしでは生きられないからだとか。その真偽のほどはいまでも一度も調べたことはない。

人間が自宅の庭に植物を植えたり、集合住宅に住んでいる人なら、バルコニーに草花とかを育てていたりするのも、心が癒されるということもあろうが、植物が炭酸ガスを吸入して、酸素を放出するということとも本能的に関係しているのかもしれない。

話は違うのだが、私のブログの中で意外とよくアクセスされるのが「気体と液体とのちがい」というブログである。どうしてこのテーマがよくアクセスされるのかはわからないのだが、毎年ある時期になるとアクセスが増えるという現象がある。


西表アサガオ

2014-07-12 13:20:08 | 日記・エッセイ・コラム

今年も西表アサガオが庭先で咲いている。

このアサガオは生命力が強くてどこにでも侵入してくるとかで妻の知人からは植えることを止められたと聞いている。住宅の側に植えると家の床下から生えてくるとかで家屋を痛めるからと言われた。

それでも花が咲くと薄紫で大輪とまでは行かないが、かなり大きめのアサガオである。

西表島では有名なのは西表ヤマネコであり、これは切手好きなら、それが切手になったということもご存じだろう。

あまり沖縄のことを知らないので、何とも言えないが西表は動植物も特異なものが多いと聞く。


Oさんからのメール

2014-07-11 14:09:43 | 外国語

ドイツ語のクラスの世話人のOさんから長いドイツ語のメールが届いた。

その大部分はそれほど読むのが難しくなかったが、はじめの部分の意味がわからなかった。

それでしかたなく辞書を引いたりしたのだが、一つはことわざ(Sprichwort)であった。

Hochmut kommt vor dem Finaleとあった。これはブラジルとのワールドカップの対戦でドイツが7-1と大勝したことを戒める文である。もとのことわざはHochmut kommt vor dem Fallである。

辞書に出ている訳だと「没落の前におごりが現れる」とある。私はこのメールでHochmut(高慢)という言葉を知った。

そのつぎの文章も知らない言葉の入った文であった。

Der Semesterabschlussabend r"uckt bis auf nur 20 Tage  heran.

文章は後長々とつづくのだが、それを追うのは止めるが、この上の文章に出てくるheranr"uckenという語は知らなかった。

それでそれもやはり辞書を引いてみた。ところがクラウン独和辞典には載っていなかった。11万語を収録した郁文堂の独和辞典にようやくheranr"uckenを見出してようやく意味がわかった。

クラウン独和辞書は収録語数が5万2千語くらいである。昨晩はこの辞書に載っていなかったと言ってOさんをからかったのだが、これはOさんのドイツ語知識の水準の高さを示している。

私がそれを読んだときに思いついた語はnahekommenであり、これがこの上の文章で使えるかどうかはわからないが、近づいてくるという感じは初心者でもわかるだろうと思った。またはherankommenでもその語を知らない人にも感じが伝わるかもしれない。

私たちのクラスのレベルが高いことはないのだが、R氏の使う言葉にときどき後で辞書を見ても出ていない語にであう。

どうも10万語前後を含んでいる辞書でないと見いだせない語もときどきだがある。インターネットで調べても出てこない語もある。

(2014.8.1付記)  Hochmut kommt vor der Finale. と書いていたら、昨夜Oさんからvor dem Finaleだよと注意された。

辞書を引いて確かめてから、ブログに書けとのきついお叱りであった。すみません。

こういう誤りをどうしてするかというとeで終わる名詞は女性名詞であるという思い込みが私にあるからである。

もちろんlivre(本)のような例外はあるが、フランス語でeで終わる名詞は女性名詞の場合が多いからである。

確かに独和辞書を引いてみると、das Finaleで中性名詞であった。

同じようなことにドイツ語でGeがついた名詞は中性名詞であることが多い。だが、der Geschmack(味覚)は男性名詞である。

もちろん、die Gemeinschaft(共同体)のような女性名詞であることがわかる語尾をもった名詞を除いての話である。


天気予報氏のユーモア

2014-07-10 12:03:45 | 日記・エッセイ・コラム

台風が来て、テレビは台風の災害の報道でもちきりである。そういうときだから、ユーモアある話を一つ。

アメリカのテレビで天気予報を担当していた、Aさんあるとき聴視者からお前はいつも雨を降らせてばかりで「けしからん」と苦情をもらった。

それに答えて曰く、「なんならあなたの住んでいる地方にもっと雨を降らせましょうか」と。

これはアメリカのある社会心理学者の書いた本で読んだことである。

これは聴視者の方がユーモアがあったのか、それともいつも天気予報をしている人が雨を降らせる能力をもっているかのような錯覚に陥ったのであろうか。

それにしてもそれに答えた天気予報氏さんのユーモアはとてもいける話である。

私なら、せいぜい「私が雨を降らせているわけではありません」と鼻が白むようなセリフが口から出てきそうな気がする。

もっともその、「なんならあなたの住んでいる地方にもっと雨を降らせましょうか」というセリフで視聴者がそのユーモアを評価したかどうかはわからない。

ひょっとしたら、これは著者の創作のユーモアであったかもしれない。


宇宙白熱教室(第3回)

2014-07-09 12:52:46 | 物理学

先週の金曜日の夜に、NHK教育テレビで、アリゾナ州立大学のローレンス・クラウスさんが行っている宇宙白熱教室の第三回を見た。

内容をきちんと覚えているわけではないが、いま宇宙は膨張をつづけているが、それはどうしてわかるか。

宇宙が膨張を続けるのかそれともあるところでまた収縮に転じるのかだとか。

地球の質量を推定したり、太陽の質量を推定したり、最後には銀河の全体の質量を推定したりとなかなかおもしろいものであった。

それを本当によく知られたエネルギーの話とか万有引力の話とか進めていく。

科学は専門的な知識がなくても基本的なほんの数個の物理の知識があれば、それを理解することはできるという見本を示すような講義である。今週の金曜日が最終日である。

どんな講義か楽しみである。


エピジェネティクス

2014-07-09 12:01:28 | 本と雑誌

岩波新書の『エピジェネティクス』を読み始めたが、まだ3章の途中である。

就寝前の30分か1時間を使って読んでいるので、なかなか進まない。

もっとも第2章が読みづらかったが、第3章はそれほど読みづらくはない。それでこの後もそれほど読みづらくはないであろう。

どうして『エピジェネティクス』などという本に関心をもったかであるが、直接にはいつもコメントをこのブログに下さる飯尾医師の話からである。

間接的には遺伝子がどういう場合に変異を起こすかということと関係して関心をもっている。

もっとも遺伝はDNAの塩基の配列で基本的に決まるというから、遺伝子の変異にはエピジェネティクスは関係をしないのだが、そのもっていた遺伝子のもっている情報を読むか読まないかを決めるのがエピジェネティクスである。

本質的にはDNAに書き込まれている情報がすべて読みだされるわけではなく、読まれないものも多数ある。そこらあたりが知りたいことである。

ヒストンが8個くっついたものにDNAが巻き付いているが、そのヒストンの状態によってDNAのある情報が読まれなくなったりするという。

しかし、まだすべてを通読したわけではない。が、再読三読しないと十分に了解できないようである。

今週の日曜の朝日新聞にこの『エピジェネティクス』の書評が出ていた。いままで自分が読んでいる書の書評が載ったりするという経験をしたことがなかったが、あまりこの書評を読んでも書かれた字数の制約のせいかピンと来なかった。