世の中には注意深い観察者がいるものである。
これは大学の英語の授業で学んだことだが、スプーンの中に写る自分の像は倒立である。どうだったか確認のためにいまあわてて台所へ駆けて行って私はスプーンを出して見てみた。
確かに倒立で間違いがない。私は高校物理の中で直線光線の鏡やレンズがつくる像について学んだものであるが、そのうちにそのことも忘れてしまっていた。凹面鏡では実像ができるはずであるが、スプーンは理想的な球面の凹面鏡でないので、像がひずんでいる。
私は物理を学んだのにいい加減な理解が至るところにある。たとえば、反射望遠鏡では像を肉眼で見ることができないと思っていた。たぶん写真をとるとかしかできないのだと思っていたようである。
子どもが小学生の頃に望遠鏡で星を見ることに関心があったので、大学の建物の屋上にある球状のドームに望遠鏡があるのではないかと言い出し、そこには望遠鏡はないということを子どもに納得させようと思って、ドームのところへ連れて行ったら、暗に相違してそこに望遠鏡があり、クラブの人たちが毎晩のように星を観測していた。
そこである晩に星を見ることに招待されて、子どもと一緒にそこに星を見に行った。そこで見たのは小さいながらも反射望遠鏡で接眼レンズから、星を見ることができた。
物理の考えが十分身についている人から見たら、おかしくて笑ってしまうような観念を私がもっていたということである。このようにいつも奇妙な観念の持ち主である、私は。
これは、2008年7月の議論を踏まえて、次の理解でいいのでしょうか。
・ 凹鏡面で焦点が自分と鏡面の途中にある場合、通常の平鏡面の反転に加えて左右上下も反転する。
・ したがって、通常の平鏡面の反転、左右反転、上下反転の3反転となり、奇数反転のため、やはり、右手系と左手系が反転する。
・ そのため、通常の平鏡面と同様、上下、左右、前後のうちどれか1つが反転しているとみなすことになる。
・ 2008年7月の多幡先生の説を踏まえ、人の意識としては結局「左右に押し付けられる。」(この点は、像としては上下逆になっているので、床に平鏡面がある場合の感覚に似ている。)
コメント有難うございます。
確かに今歯磨きをしながら、右手に歯ブラシをもってスプーンの中を覗いたら、確かに上下だけではなく左右も反対になっていました。
十分にご議論がわかった訳ではありませんが、多分その議論でいいと思います。多幡先生の議論の要点をもう忘れてしまったので。
普通に高校物理の幾何光学では左右に大きさのある図は描かないのです。上下に大きさのある図しか描きません。だからおっしゃられたようなことには気がつきませんでした。
注意深い観察者がもう一人居られたということですね。
2008年7月に議論したのは、姿勢としての左右反転です。つまり、自分の左手を上げると鏡の中の自分の右手が上がっている(と思う)のはなぜかということでした。今回のスプーン鏡面においても、自分が左手を上げるとスプーンの中の自分の右手が上がっているように思います。2008年7月の議論における多幡説を裏付ける1つの応用例として考えてもいいのではないかと思います。
反転という言葉について、像としての反転と姿勢の反転とを区別して再度コメントさせていただきます。
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かつ、左右反転(姿勢反転)ですね。(私の持っているスプーンは反射性が悪く判然としないのですが、左右反転(姿勢反転)しているように見えます。)
これは、2008年7月の議論を踏まえて、次の理解でいいのではないかと考えます。
・凹面鏡で焦点が自分と鏡面の途中にある場合、通常の平面鏡の反転(像反転)に加えて左右上下も反転(像反転)する。
・したがって、通常の平面鏡の反転(像反転)、左右反転(像反転)、上下反転(像反転)の3反転(像反転)となり、奇数反転(像反転)のため、やはり、右手系と左手系が反転(姿勢反転)する。
・そのため、通常の平面鏡と同様、上下、左右、前後のうちどれか1つが反転(姿勢反転)するとみなすことになる。
・2008年7月の多幡先生の説を踏まえ、人の意識としては結局「左右(姿勢反転)に押し付けられる。」(この点は、像としては上下逆(像反転)になっているので、床に平面鏡がある場合の感覚に似ている。)
いや、いつも自分の姿勢と鏡の像の姿勢とがこんぐらがりますね。私のようにぼんやりしているものには。この議論は頭がしゃきっとしているときにそれも注意して議論しないといけないということでしょうか。
またいつか考えて見ましょう