雨の日もあれば、晴れの日もある。雨の日ばかりが続くこともないし、晴れの日ばかりが続くこともない。もちろん、雨の日、または晴れの日が続いたとしても、これは数日のことであって、百日の単位で続くことは今のところない。
これは将来にわたって保証されているわけではないが、誰でもそう思っている。もちろん、これはたとえば、気候変動によって極端なことが起こらないというような仮定がされているのだが。
人生でも比喩的に言えばそういうことが起こるだろう。雨の日ばかりでもないし、晴れの日ばかりでもない。雨に日は地球が顔を洗っているか風呂に入っているのだと私は思っている。人間が顔を洗ったり、風呂に入ったりするようにである。
ファインマンの「物理学講義」電磁気学(岩波書店)には地球上では三万箇所ぐらい同時に雷が鳴っている地区があるのだと書いてあった。そんな統計を誰がとったのか知らないが、そういうことに関心のある人がいるものだと感心した。
その雷の部分を読んだのは学生から雷の起こる原因を聞かれてそれに答えるためであったが、彼の説明は詳しすぎて私には学生の質問に答えるための要約ができなかった。