物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

注釈

2010-03-02 17:31:48 | 学問

学問だけには限らないのだろうが、昔からの古典にはその注釈がつきものだという。そして新しい注釈ができるとそれがその古典の新しい解釈というか読み方を与えると昨夜岩波書店のPR誌「図書」で読んだ。

そこで取り上げられていたのは、中国の古典司馬遷の「史記」であり、その注釈も多いという。これはしかし中国の古典だけに関係することではあるまい。例えば、物理では有名なファインマンの本とかにはその解説書みたいなものが、日本語では出ている。その質がどうかということはさておき、それは一種の注釈書であろう。

有名な朝永の「量子力学I. II」(みすず)では著者の名前は忘れてしまったが(これは以前のブログで話題にした)、詳しい計算をした本が出ている。もちろんこれは市販されなかったので、誰でも手に入れることのできる本ではないが、そういうものが出されているのは事実である。これはやはり一種の注釈書であろう。

私も本当に暇になって暇をもてあますようになったら、Pauliの量子力学の本の注釈というか詳しい計算をしたり、その解説とでもいうべきものを書きたいと思わないでもない。もっともこれは自分の趣味としてであってそれ以上をまったく意図していない。

ところがこの本には何十年か前に翻訳が日本でも出ているが、私がドイツ語で読もうとするとどうもドイツ語がしっかりとは分からないところがある。もっとも、これははじめの方を見た印象なのでずっと読んでいけばそういうことはないのかもしれないが、どうもドイツ語の読解力に自信を失うことはなはだしい。これは多分にドイツ語の特色の一ついわれる冠飾句の難しさによるものであろう。

だが、趣味としてのそういう読解をするような日が本当に来るのかどうかわからない。