神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

右岸の用水2

2017-10-21 06:38:04 | 神田川2

 久我山村との境に設けられた紺屋堰から分岐し、右岸の水田を灌漑していた用水を追っています。月見橋に向かう通りを越え、高砂橋を通る道路から左折で離れると、浴風会前の幅広の通りに出ます。この通りの北側まで水田が広がり、その際を用水が流れていたはずですが、昭和30年代中ごろの宅地造成の際、水田もろとも失われてしましました。なお、老人福祉施設のはしりともいえる浴風会は、関東大震災の下賜金、義捐金を原資に昭和2年(1927年)に開設、当時は内務大臣が会長を務める財団法人でした。民間の社会福祉法人となったのは戦後のことで、のち医療部門が独立して浴風会病院となっています。

 

Ugan2

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

0905a

    1. 月見橋を通る道路を越えた先です。右手は引き続き右岸段丘の崖面になっています。 

0905c 0905b

    2. 段丘の際を左右に蛇行しながら東から南寄りに向きを変えます。

0905e 0905d

    3. 高砂橋を通る道路と合流していったんは南下、すぐに左折して幅広の道路に出ます。 

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    4. 「杉並の通称地名」によると、この付近の右手は清水山と呼ばれていました。段丘下に湧水があったようです。 

0905h 0905g

    5. 浴風会本部前です。東大安田講堂と似たような雰囲気ですが、同じ設計者の手になるものです。