神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

上高井戸村境

2017-10-16 06:58:43 | 神田川1

 → 「久我山村絵図」を見ると、二番目に架かる現久我山橋の先で右岸流が本流に戻りますが、そこから三番目の現高砂橋まで、神田川本流が久我山、上高井戸村の境となっていました。下掲「段彩陰影図」に見るように、この区間の本流は右岸段丘に沿っているので、神田川流域の田圃は久我山、段丘上の雑木林は上高井戸に属していたことになります。現在は各々京王線の検車区、企業のグランド等となっているところです。この事情は明治に入り、同じ高井戸村の二つの大字の境にも引き継がれましたが、現在は富士見ヶ丘駅前に架かる月見橋までが久我山(1~5丁目)、それ以降が高井戸西(1~3丁目)と、分かりやすく二分されました。

 

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    ・ 「段彩陰影図 / 神田川2」(1/18000)  オレンジ線は杉並区と世田谷区の区境です。なお、これまで右岸の尾根筋を並行してきた玉川上水は、暗渠となって中央自動車道の下にもぐります。

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    ・ 神田川  久我山橋の次に架かる清水橋から下流方向です。右岸の崖面が接近しスペースがないため、遊歩道も途切れます。

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    ・ 富士見ヶ丘検車区  左岸には昭和30年代まで田圃が広がっていましたが、昭和41年(1966年)、京王線富士見ヶ丘検車区が設けられました。 

 <タウン誌「くがやま」>  昭和40年代と50年代に各々数号発行された久我山のタウン誌があります。その「くがやま」の復刊第4号(昭和56年)の中に、「戦前の久我山」(秦暢三)という、この付近の情景を活写した文章が掲載されています。「只今の駅前通りは新道と申しまして、神田川の清流を利用して農家が共同野菜洗場を作り、大八車や牛車等で遠く神田、京橋等の青物市場へ出荷する大根を洗い、村人達は仕事の合間に世間話をする憩いの場所でした。今の寿湯の所は葦の自生地で、南側は高い雑木林、崖下には清水が湧き、たくさんの沢蟹が棲息して居り、悪童達の良い遊び場でした。ここより少し東寄りの所に清水堰があり、その附近一帯の水田は泥沼で田植えが不能の為、肥料の中へ稲種を混合して摘田作業を行ひました。其のため秋の取り入れの際は、自製の大きな板下駄をはき、刈り取った稲束を牛にのせて運びました。」