「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

『生活保護』という恥ずべき?制度

2013年03月27日 20時34分56秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
今は母宅から帰宅して一人アパートであります。

今日午前中に母に私が思っていること、「本当は働きたい精神疾患者」について話をしました。

まぁ、「ふむふむ」と聞いていたと思います。

(「理解はしていないだろうな」とは思っていましたが)

数時間後、母方の身内になって、「あなた、誰かに生活保護って言った?」と問われました。

「言っているか、どうか忘れたけど、

ブログをでオープンにいしているから、そこれ知れるかの世はあるわな」と答えました。

母は感情をあまり表面に出すタイプではないので、

今の場合は表情で何を考えているか類推します。

(はぁはぁ、母の姉に知れたことが、解って嫌な思いをしている)

と思いました。

この場合、疾病して生保を受給している私の立場は置き去りで、

「姉妹間の体面」が、最優先事項になっています。

んん~、この思考のすり変わりはなんでしょうか?

簡単に切り捨てるように言ってしまえば、「みんな自分が可愛い」ということでしょう。

たとえそれが我が子であっても・・・。

「いや、空蝉さんそれは違いよ」と言われると思いますが、「首実検」で証明済みです。

世の中分かった顔をするわけではありませんんが、

「世の中の本音の部分」の一部を垣間見えることができるでしょう。

しかし、絶望はしてません。希望もあまりないけれど・・・。





にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 複雑性PTSDへ
にほんブログ村
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村







不理解を理解するという認識

2013年03月27日 04時59分23秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
けが、一過性の病気などは、たとえその事に関して「不理解」されても、

疾患している当の本人も「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で忘れるので帳消しになってしまう。

精神疾患は、なかなかそうはいかない。

精神疾患はほぼ慢性的で精神疾患から免れる時は「死ぬとき」だ。

いや、死してなお「あの人は気が触れて死んだ」などと

子の代まで言われることもよくある話だ。

しかし、患者側も考えどころで理解してもらったところで、

せいぜい、Dr.の足元までも及ばない程度が現実・・・。

Dr.は、「解らない前提」で話を進めている方もいるので言い易い面もある。

しかし、「にわか理解者」は手におえない。

暴言覚悟で言うならば、「それなら無知でいて」というパターンが大半である。

一段下って、「無知」だとしよう。

これもまた問題で、単なる「思い込み」で話をする方が多い。

これまた暴言覚悟で言うと、「それならば、しゃべるな」と強く言おう。

では、寄り添う人はどう接すればいいか

ゴータマ・ブッダの「対機説法」ではないけれど、

「そうか大変だな、今何をすれば楽になる?」

これがベストだろうと思う。

これは「甘えですか

しかし、言わせていただければ「病人」である。

しかも、人間の中枢を司る部分の病気である。

ここまで読んでいただいて「甘え」としか捉えることしかできない方は

「さようなら」

「もうこのブログ観ないでね」





にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 複雑性PTSDへ
にほんブログ村
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村