「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

日々是仏滅 「もうあなたは居ないのか…」

2022年12月30日 15時27分34秒 | 日々是佛滅
12月28日に田舎の父(実父)が自宅で倒れているところを発見され、明けて29日亡くなりました。
私が幼いときに両親が離婚し両方再婚しました。まぁ親が四人居たことになるのですが、父が亡くなって四人とも亡くなったわけです。
年末年始や私と兄が田舎を離れているため年明けの葬儀になるのですが、頭を整理しつつ粛々と手続きを進めていきます。今年の正月に母が(実母)が亡くなって5月に従兄弟が亡くなり、葬儀や手続きに追われていたのですが、また年始からバタバタすることになります。


南無三




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日々是仏滅 「捨てる神あれば、拾う神あり」

2022年12月25日 18時04分36秒 | 日々是佛滅
続けての投稿です。
6月に膝の手術をして日々回復しているのですが、最近は停滞気味です。先日の診察では左右の足の長さは一緒とのことでしたが違和感を感じるのは実感しております。ヒザはもちろん、股関節、腰は痛くなるのはほぼ日常的で鍼灸やマッサージに通うのは日常の事になりました。
そんなわけで空手をやれるような体ではなくなっています。手術前は歩行するのも大変な苦痛を伴っていたので、今日常生活を以前より楽に暮らせるようになっただけでも御の字です。空手をやれなくなったくらいは、解っていたのでさほどの喪失感はございません。しかし、40年近くやって来たことですからね、日常から空手が抜けるのはね…(これ喪失感?)スポーツ・武道の動きで足をひねったり、地面を蹴って足を上げたり、膝の屈伸は膝の寿命を縮めるだけです。(まだ正座やあぐらは出来ません)
3年前程から精神疾患/障害者全般のことで京都府の事業にお呼びがかかって、なぜか研修の講師をやっております。去年からは資格取得を目的とした講習も受け持ったりと、身の丈以上の役割を与えられたり、京都府の講習メンバーからお誘いがあってその方が所属する学会に出させていただいたりして、昨今締めきりとの戦いに明け暮れております。体の具合と相談しながらですがね。声が掛かるだけでありがたい話しです。
・・・で、私の性分なのか「飽きが早い」ことです。どの場でも同じような話しをさせていただくので「自分に飽きる」のです。病院を辞めましたので実際の支援からは遠ざかっていますしね。いわば「過去の遺産」で話しているわけです。最近「あぁ~、つまらん」と思っていたのですが、私の好きな歌手なんかは代表曲一曲で喰っていたような人がいっぱい居ることを考えれば「なるほど!」と思って、その歌手はその時々で自分でアレンジしたり、バンマス(バンドマスター)と一緒に工夫したりと50年以上歌手生活をしていたわけです。もちろんカバー曲でも持ち前の自力を遺憾なく発揮していたのですが。そう考えると「これしきのことで飽きているようではアカン」と思って先日大阪であったフォーラムを聞きに行ったり、京都市で開いている精神疾患の講座を受けたり、身になるような書籍を読んだり常に吸収する意識がないとイケないと思ったのです。おぉー進歩!進歩!(自画自賛=うぬぼれ)
空手は出来なくなったけど、このような世界に呼び込んでくれる人が居ることはありがたいことです(急に謙虚)。
とりあえずは年始までの締めきり2本と、2月の研修本番にたどり着くようにします。

そういえば書籍紹介してませんね、中途半端に終わっている本いっぱい(~_~;)






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日々仏滅 「漢(おとこ)五十を前にして『死』を再考する」

2022年12月25日 16時07分33秒 | 日々是佛滅
去年から同年代の親戚、以前勤めていた会社の後輩が突然亡くなったりと『死』を身近に思いました。もちろん今年の正月に亡くなった母もそうですが。特に後輩が亡くなったのは堪えました。後輩と言っても私よりひとつ年下。会社を辞めた後も私が帰郷した際には必ず酒宴で会っていたのですが…。
私ごとですが体のあちこち痛んできて小さい脳梗塞がいろいろ見つかって、これは何十年かけてできたものです。今年手術した右膝もそうですね、痛みは今もありますが一年以内に左膝も手術かな?痛みはないけど腎結石も数個…。来年50になる身ですので、いろいろ出てきてもおかしくないかと思います。で、私が精神疾患の兆候が出始めて、ずーっと死のことを考えてきました。空手の事故で亡くなった対戦相手のこと、爆発事故で自分の命が危なかったこと、精神疾患で「死にたい」と常に思っていたこと。近年、症状も軽減してきて人間というものは適当にできているもので、身近に、私ごととして感じなくなっていました。
で、去年からの親しい人達の死。急に『死』が迫ってきて困惑気味な私です。一人暮らしだし、家を行き来するような人も居ないし…。といった不安です。私のようにあまり社交的でない人間はあまり密着した関係は苦手です。自業自得といえばそうなのですが、この歳になって『独居の不安』でもがいでいます。
最近、少しだけ気持ちの変化があったのですが「まぁ、いつかは死ぬし、今考えたってしょうがない。とりあえず今どうするか考えよう」と。職場のクリスチャンの方と宗教の死生観について話しをしていたのですが(どんな職場?)、一応佛教系の大学にまがりなりにも通っていたので、その時は鬱やPTSDが最盛期で毎日『死』が頭の中を駆け巡っていました。その時に知りたくなったのが『仏陀(お釈迦さん)の死生観』でした。原始仏教(小乗仏教とも)の話しの中で残っているのが、お弟子さんが仏陀に「死んだら人間はどうなるのですか?」という質問に「そんなことより今を(良く)生きなさい」というものでした。(※うつせみ的解釈)人にそのようなこと話しして、自分に返ってきた感じです。
とりあえず、いまできること、ブログを更新してみました。ずいぶん間隔があいてしまってしまいました。待っていた人がいるとしたら申し訳ございませんでした。

柄にもなく、原稿の締め切りが2本とスライドの締めきりを1本抱えているので気ばかり急いている次第です。



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