「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

寂しい免疫力

2008年08月28日 00時10分56秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
私はいろいろな目に遭ってきた。

自分で見ても『なんじゃそりゃ』と思う体験をしてきた。

災害、事故、別離、出会い、入院、手術、両親の離婚などなど

最近、こんな事ばっかりブログに書いてますが・・・すみません。

背負ってきたものが重いと近くの人間に頼ろうとすがりつく、

でも、その人にも限界がある。

で、離れていく。

いろいろな体験をしてきた割には、人生を達観していない。

未熟なんです。自己矛盾もいっぱい

日ごろ偉そうな事を言っているから自己矛盾がばれると

そこだけが目だって見える。

で、私が頼ったその手を離して去っていくのです。

今に始まった話じゃない。

母親然り、火傷事故の時の恋人然り・・・。

すっかり、免疫がついてしまいました。

『お手をどうぞ』じゃなく、

『好きなときにその手を離してください』

重いなぁ~、話が・・・だから、私は逃げられる。

ブッタが云いました『自らの島を頼りとするべし』

身に沁みます。




五木寛之『人間の関係』

2008年08月27日 00時20分04秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)

五木寛之著『人間の関係』

久しぶりの真面目な著作です。

五木寛之さんの本は団塊の世代が読むものだと勝手に解釈していました。

この本の何に惹かれたかというと、本人のうつ体験が書いてあったからです。

男性の更年期障害に近いものなのでしょうか、

ご本人は、三冊のノートに『歓びのノート』『悲しみのノート』

『あんがとノート』の三冊で三回のうつを乗り越えて来ています。

私の場合は、まだ暗中模索ですが

本題は、今問題になっているのは、『人間』ではなく、『人間の関係』

なのではないかと、五木さんは言っています。

『人間の関係』こそが出発点であると結論づけています。

これこそは、永遠のテーマなのではないでしょうか?

人間が存在しうる限り・・・。

良書、良書





自灯明法灯明

2008年08月26日 21時43分37秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
以前にも紹介した『自灯明法灯明』であります。

ざっと、おさらいいたしますと、お釈迦様の死期が近づいてきた時

弟子が、『あなたが亡くなったあと、何を頼りに生きればよいのですか』

との弟子の問いにお釈迦様は、

『自らを頼りとし、法を頼りとして生きなさい』

と言われたそうです。

人生の灯明と言ったところでしょうか。

私と言えば最近、うつを楯にして来た様に思います。

つまりは言い訳に使っていたのですね。

やはり、原点に立ち返り自分を頼りとして、

自分の正しいと思う規範に従い生きるべきだと・・・。

原点とは何か?

それは、私の両親が離婚したとき小学生ながら

『もう頼るべきものは無いのだ』と、思い生きてきたのです。

うつが顕在化する前までは・・・。

現在と言えば、何かしらに頼ろうとしてすがりつこうとしている自分が居る。

情けない話です

少なくとも精神的に自立する自分を目指さなければ

うつと、どう向き合うかも含めて。

考え処です

自分の人生の荷物は自分で背負わなければ・・・

こんな糞重い荷物誰にも担げません。申し訳ないです。

自分で背負って立ちますよ

やや迷走気味ですが、とりあえずの決意です。