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「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

うつせみ和尚のお説教 「人は『あの人は✕✕色、間違っている』と言うことは的を得ている?」

2025年01月07日 21時48分18秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
私がよく扱っている「差別」という人間の行為や考えは、言い逃れする人に言わせれば「区別」ともいわれることがある。なんというか、この言い換えられた区別という言葉には「考えが違うだけ」と言うことに収まらずに「差別的」な臭いがぷんぷんするが、さらに丁寧な言葉に言い換えられることがあるがそれでも、差別の臭いはぷんぷんする。

黒白(こくびゃく)」。
この対極する『白↔』の間には無限に色の変化があって、最終的にどちらかにたどり着くが、人間はバカだから微細な変化を連続とは考えずに羊羹を切るように上からバッサリと切り分ける。人間は基本的になまくらだから、微細な変化を省いて自分勝手な解釈で、第三者から見て同じ色でも「これは黒っぽい/これは白っぽい」と解釈して、その自分の認識を絶対的な物として譲らない。傍から見てれば「どっちでも良いし、どっちでも無いよな」という外からの声も聞こえない。
反対に「どっちでも良いし、どっちでも無いよな」という見方は「優柔不断なところが日本人の悪いところ」と断じられるが、『白↔』の間に一点の「これはっぽい/これは(しろ)っぽい」という色に同一の価値観は必要なのか?
今、世界的には「分離主義」が蔓延って、他人の価値観を受け付けない、他人を否定するのが、お流行(はやり)らしい。「ちゃんと、違う意見の人の話も聞いてるよ」という人もいるが、おそらく聞いてるだけで自分の頭の中で練(ね)られていない。結局、自分の意見を最終的通したい。

練らないなら、馬や鹿でもできる。


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うつせみ和尚のお説教 「『もし、死にたいと言われたら、どうしますか?』という学生からの問い」

2025年01月01日 13時24分01秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
先日、知人が教師を勤める大学で話しをしてきました。精神保健福祉士を目指す学生たちの教室でした。久しぶりに自分の体験を語る場でした。(そのようなオーダーだったので)約60分話して、私の体験について質疑応答があって別の教師からも質問があったりして講義の時間を超過するほどでした。
その後、学生たちはその日の講義の感想を書く「コミュニケーションペーパー」を書いて教師に提出して教室を後にしていきました。教師からは「後でコミュニケーションペーパーをコピーした物を送りますね。」ということで12月28日に届きました。前もって「的外れなことも書いてあるので...」ということでした。
私の「自分語り」の中で、「火傷の治療の中で何度か死のうと思ったが、体も思うように動かすことの出来ない状態だったので、「死ぬことも出来ない」と死ぬこと止めて、それ以後治療に積極的になった」という内容を話しました。また、支援者として友人として、そのような場面に遭遇したことも話しました。その話を受けてある学生からの質問で「もし、死にたいと言われたら、どうしますか?」という質問がありました。その質問を見たとき「はっ」としました。自分の精神的な症状が非常に悪かったときは、日常的に「死にたい」と言っていたり、友人知人が自死を遂げた人も私のように「死にたい」日常的に言っている人も居ました。はて、「私がそのようなことを告白されたときにどうしていたかな?」と。そこで思い出したのが「とりあえず、今(または今日)は止めておきましょう。明日また二人で考えましょうね。」と言っていました。その言葉がどれだけ効果があったかわかりません。他の人がなにか言って止めたのかも知れないし、自分で思い返して止めたのかも知れません。原因がどうであれ、止めてくれたので結果オーライということです。
お前は所詮、口先だけだな。」と言われるかも知れない、自分でも時々そう思ったりします。でも、そのような場面では瞬時に考え込むことなく、答えなければならない。例え「~口先だけだな」と言われても緊急的なその場では乗り越えなければならない。そのような場面もいくつか経験してきました。もうこうなれば、心理学的な手法、技法よりも、その手前の話しだと思います。ですが、言われたときにその場を凌ぐときに、どのようなトレーニングや勉強をすれば良いのか私は知りません。というかあんの?

でも、学生からの率直な質問、感想は考える切っ掛けをくれました。










うつせみ和尚のお説教 「非難承知、パラスポーツにもの申す!」

2024年09月08日 17時52分09秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
今、書いている段階で「パリパラリンピック」で日本選手が活躍していて頼もしい限りです。また、メダルに届かないまでも優れた技術やパワーには尊敬せずにはいられません。

で、パラオリンピックに限らず各スポーツ団体では「障害者大会」は行われています。パラスポーツは競技スポーツとしての意義はもちろん、活躍する障害者を見て障害者の世界を垣間見てもらったり、障害者の世界に興味を持ってもらうという大事な目的があると思います。パラオリンピック/各スポーツ障害者大会のほとんどは身体障害、軽・中度知的障害が主な対象で、その他の障害は出場規定には入っていません。もちろん、私のような精神障害も。とある競技団体に問い合わせたところ「出場選手が少ない」「エントリー選手が来ない場合がある」、その後に「今後、検討して参りたいと思います。」と言うお答えでした。「今後…」返事は来ておりません(笑)
私がよく言うのは「身体・知的障害は、障害者でも優等生」って言ってます。まっ、先駆者というか優遇されやすい対象ですよね。見た目や話せば「あぁ、障害者なんだな」と分かるので、その方のための優遇処置を実施するまでの時間は短い。見た目や普通に話していているような精神障害や高次脳機能障害、発達障害などは具合は悪くなるけど、あまり道ばたでバタリとは倒れない。自宅をのぞくとゴミ屋敷になっていたり、自立した生活が崩壊していたりするが、それは訪問するかしっかりと聞き取りをしないと、その一端が見えてこない。
なので、近年まで精神障害は「障害未満」扱いをされてきた。かといって精神障害者の団体から「パラオリンピック/各障害者大会に出場させろ!」という抗議運動はマスコミに取り上げられていないのか、そのような運動がそもそも起きていないのか?

追記:精神障害者対象のサッカーはあるみたいですよ。










読まずに死ねるか!(書籍紹介) 「『天皇が十九人いた』保阪正康 著 角川文庫」

2024年07月15日 15時17分00秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
なかなかショッキングな題名ですね。
まっ、この表題ひとつのセクションの名前で...

1.天皇
2.東條英機
3.官僚とその周辺
4.映画俳優
5.普通の人々
6.補章
となっていて、「1.天皇」の中の一つが「天皇が十九人いた」なんです。天皇のもう一つは終戦後間もない日本を慰安した天皇巡幸のテストケースであった神奈川を視察したときの様子を書いたものです。

今回は全部の感想を書くのは大変なので表題の「天皇が十九人いた」のところについて書こうと思います。
<(`^´)>エッヘン。
この本自体、太平洋戦争後の様子を書いたものですが、この「天皇が~」も戦後の混乱期の様子を書いたものです。
この本に出てくる代表的な「自称 天皇」は熊沢天皇というお方。数名いて有名なのは「熊沢寬道」で、当時ずいぶんマスコミにも出ていて時の人だったそうです。この「自称 天皇」は、南朝の後醍醐天皇の末裔で南朝百十七代天皇とのこと。他の「自称 天皇」の中にも南朝の末裔を語る人は多く、酒本天皇(後亀山天皇)、竹山天皇(大覚寺統天皇家※特定の天皇を特定していない)、田宮天皇(後醍醐天皇)、長田天皇(長慶天皇)、上村天皇(後村上天皇)、外村天皇(後醍醐天皇)、伊藤天皇(南朝、尚尊王)です。なぜ、南朝の末裔を名乗る者が多いのか?これは明治時代に入って、様々な事情から南朝正閏論→国会から天皇へ上奏→明治天皇の勅裁。自身が北朝の末裔であった明治天皇であるのに、南朝の正当性を認め南朝の天皇も天皇の代数に入れたことが事の発端らしい。
「自称 南朝末裔天皇」以外は源平時代で海に没したと言われる「安徳天皇の末裔」✕2名などがいる。読んでいて大方の「自称天皇」の先祖と言われる方の時代は源平合戦時、南北朝、承久の乱といった混乱期の天皇であることが言えると思う。避難先、流刑先での落とし胤、生存説(安徳天皇)で、よくある話しなのかな?と思う。明治天皇の南朝正閏の勅裁前から地方には「自称 天皇」はいたのかも知れないが、勅裁後からマスコミに取り上げられたり、熊沢(寬道)天皇のように昭和天皇の全国巡幸について歩いた人、宮内庁に自分の正当性を訴える書簡を送った人、自分の結婚式の招待状を官僚や時の大臣に送ったという積極派もいる。また、これらを担いだ人もいた。またまた、よくある話しですが「自称 天皇家正当論争」。これは熊沢天皇家で起きていて、熊沢天皇だけでも5名いる。もう、混乱の上の混乱ですね。
この章の最期に保阪さんが小島廣次(※当時 名古屋市立女子短期大学教授)にインタビューしている。(要約)「自分の生活が良くなるわけでも無いのに、なぜ南朝の天皇にすがるのか、その心理やエネルギーそれがわからない」。殊に熊沢天皇宗家争いを見ても「なぜ?なぜ?」と思う。
十九人の他にも「実は〇〇天皇は暗殺されていて、替え玉が据えられた。」という手合いの話もあるそうです。根拠は無いようですが。

京都銘菓「八つ橋」でも以前に裁判があったなぁ。これは正当性を世間に知らしめることによって販売量が変わるからですが。
これまた余談ですが、「自称 天皇」までとは言わなくても「自称 有栖川家の後継」として結婚式を挙げるに当たって、芸能人や右翼、暴力団関係者を呼んで祝儀を巻き上げる詐欺がありましたね。(有栖川家はすでに断絶しています)

この熊沢天皇騒ぎは途中まで当時の占領軍であるGHQやアメリカのメジャーなマスコミも興味を示していて、特にGHQはある程度の配慮もしていたそうです。その事もまた「自称天皇」が勢いを増す一つの『燃料』みたいなものになったんだろうと思います。
調べてみると保阪さんだけでなくいろいろ資料があるようなので、機会を見つけて読んでみたいと思います。

ん~、この本読まずに死ねるか!

※Wikipedia『皇室詐欺』、『南朝正閏論』参照資料



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うつせみ和尚のお説教 「最近、気になる言葉『確かにぃ~』そんなに世の中に確かなものなんて無い」

2024年06月15日 15時02分53秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
題名書いたらもう書かなくていいな、と思ってしまいました(笑)
最近気になる言葉は、元々はTV発信なんでしょうが、妙に気になる。というか「そりゃどうなんだい?」なんて思う。

『確かにぃ』
特に語尾の「ぃ~」が気に障る。
テレビを観てるとNHKのアナウンサーも連呼してる。話し言葉って、どんどん移り変わって行くものだから、私がここで踏ん張ったところで、どうしようもないのですが、ちょっと言葉にこだわりがあるので最近の傾向が気になります。本の文章がそのまま話し言葉になるわけじゃないけど、本を読んでいるとそれに近くなる、影響されるというわけです。その意味で言うと「確かにぃ」というのもTVに影響されているのですが、どうもTVのバラエティで話される言葉は崩れすぎているように思えて成りません。本はさすがに話し言葉で書くことは少ない、やわらかい本だと話し言葉に近づきますが、それでもバラエティほど崩れていない。今さら「まろは・・・」という平安貴族のような話し言葉にしなさいとは言いませんが、ここで釘を刺さずにいられなかった。
釘?針?
私がここで書いたって、世の中に影響がないので「無痛針」かぁ…。