「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

「意識されないものは、存在為うるか?」-佛教問答

2017年08月27日 02時45分17秒 | うつせみ佛教問答

たとえば、部屋に時計があります。

人間はそこで初めて「時間」を認識します。

では、「時計の無い部屋」で時間を知り得る方法が無い場合はどうでしょうか?

人間は「時間」を認識できるでしょうか?

外ならば、陽の昇降で「時間の経過」から「時間」を認識できます。

これは「時間」に留まらず、たとえば私が今タイプしている「PC」。

私が今タイプを止め、手を離し、目をつぶると、さてPCはあるでしょうか?

「さっきまで触れていたから、あるに決まっている。」

そうして、目を開けるとやはりPCはありますが、

「目をつぶっている間、PCが存在していたという証明はできるのか?」

私たちは、自分の「肌(手足)・眼・耳」から伝達される情報にあまりに頼りすぎで

「自分の感覚を疑う」ということをしません。

「いつものように毎日が過ごせているので、全て(自分が接するもの以外も)存在する」

と、信じ込んでいる。

是非とも「自分の存在の有無」から、疑っていただきたい。

 

 

 

 

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

 

 

 

 


私の『死生観』ー「お前さん、そんなこと考えてどうすんだい!?」

2017年07月27日 19時08分57秒 | うつせみ佛教問答

釈尊こと本名「ゴータマ・シッタールタ(表記方法は様々)」は、

当時インドで盛んに行われていた「苦行」に当初は傾倒し、

苦行に励んでおりましたが、あるとき「アカン!苦行やっても煩悩から抜けられへん!」

と思い、かと言って彼自身「釈迦族の王子」時代の毎日繰り返される享楽の日々でも

いけないと知っていたので、『苦楽中道』という道を導き出します。

ちょっと、話は飛びますがゴータマが大事にしたのは、「今、現在どうあるか」です。

『「過去」や「未来」に思いを馳せても小が無い』ということです。

あるお弟子がゴータマに「人間は死んだらどうなるのですか?」と問いました。

「お前さん、そんなこと考えてどうすんだい!?今を一所懸命生きなさいよ!?」

つまりは、そんな解らないことを考えて不安になるのは馬鹿げている。

大切なのは、それぞれが「今」をどう生きているかが大事だと。

ゴータマは、非常に現実を大事にします。

正直、今の日本佛教のような仏像を拝み「あ~、ありがたい。合掌。」というのは

ゴータマが嫌った形態です。

つまりは、「全ての指針は自分の中にあり、常に『自分は正しいのか?』チェックする」

ことが大事なのです。

だから、「自分の『今』、『今』、『今』」を見つめること」が大事なのです。

「自分のチェック機能は自分の中にある。」というわけです。

 

 

 

にほんブログ村

 

 

 

 


長引く『健康ブーム』娑婆への執着・・・「死ぬときは死ぬがよろし」良寛和尚

2017年05月27日 00時27分49秒 | うつせみ佛教問答

良寛さん

まぁ、「良寛さん」をフィーチャーしようというわけではありませんが、

今、非常に「健康番組」、「健康食品CM」が多いですね。

みなさんが目指しているのは、『健康長寿』なのか、『元気でポックリ』なのか、

私のいろいろな経験や回りの方々の生き様、死に様を見ていると、

『生き様、死に様、死に様は選べない』と、私は断言できる。

ある障害、ある疾病になると、それぞれが重篤だと

まず『死』を意識する。

 

 

そのまま、ありのまま、生きるべきは生きる、死ぬときは死ぬ。

人間はこの自然の摂理に今なお逆らい、様々な手段を用いて逆らおうとしている。

あぁ、見苦しい・・・。

 

 

 

 


にほんブログ村


うつせみ佛教問答 『時間は存在するのか?』

2017年03月12日 00時10分35秒 | うつせみ佛教問答

「また、何を言い出すんだ!」と言われるかもしれませんが・・・(^^;

これは「佛教学」、「西洋哲学」、「物理学」の世界では

『永遠の課題』と言ってもいい疑問です。

「時計が動いているじゃねぇか!!」と言われるかもしれませんが、

それは、ひとつの「目安」、「共同の仮の認識材料」とでも言いましょうか、

共同」と言いましたが、これは「危うい認識」です。

お互いに同じ感覚であるか?

相手が時間の認識を持っているか?

大変怪しい世界です。

ちょっと、物理学などをかじった人は「ビックバーンから時間は生じた」と言う人もあるが

そんなの誰が認識したのか?

「今日は短く感じた!」とか、「嫌な時間が長く感じた。」などとは、

よく日常会話であることです。

本当にその人に流れる時は長かったのかもしれませんし、

そもそも時間など無く、それぞれの勝手な認識なのかもしれません。

佛教のごく一部の集団からは「刹那滅論」というのが出てきまして、

「1刹那=1/76秒」としています。

それとこれは佛教に広くある共通認識ですが「三世実有」という考え方である。

「あらゆる現象は、『過去』、『現在』、『未来』それぞれに存在する。」と言う考え方です。

これは原始仏教の「説一切有部」という佛教集団でいわれたことですが、

今の「寺の坊主」は、『佛教の哲学』など捨てて、毎日の浄財の勘定に熱心なようで、

学問的なことは「大学に任せておけ」と言わんばかりです。

「時間とは何なのか?有りや否や?」考え出すと寝られなくなります。

ただでさえ、不眠期なのに・・・

時間の無駄?

そんな事言わずに・・・

 

 

 

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

 

 

 

 


空蝉、佛教問答『たびたび発言、「宗教無用論」』

2017年01月22日 23時56分48秒 | うつせみ佛教問答

今は浄土思想がちょっとした流行のようで、TVでもちょくちょくやっています。

特に「阿弥陀仏」の像を見ると、自然と手を合わせる方も多いようです。

今は「末法世界」なのか?

人間は「現状に不満」で良く言えば、「向上心」。

さて、それが人間をこの先「真の幸福」を得られるのでしょうか?

私は、この考えに甚だ疑問で「幸福とは妥協である」と思っている。

これは、「人間としての進歩の諦め」とも取られるかもしれないが、

べつにそのように見られても構わない。

例えば、「戦争」である。

今まで使われていなかった毒ガス使われたのが「第一次世界大戦」飛行機もそうである。

ロケット技術、潜水艦、原子爆弾が使われたのが「第二次世界大戦」。

『科学の進歩』は、幸福をもたらしたが、その反面・・・である。

今や「無人飛行機」が敵地の上空に侵犯し軍人ばかりか一般の国民へも爆弾を投下する。

その結果のひとつとして、ツインタワーへの突撃テロが起きた。

今は、トランプ大統領が「イスラム過激派を地球上から抹殺する」と息巻いているが、

アメリカという国はあまり学習力が無いらしい。

また、アメリカでそれも国連本部にでもテロをやられたらどうでしょう?

また、同じ事をするのでしょうか?

宗教もどの大きな宗教も「分派」して行き細分化が進んでいて、

教義も元々からは乖離したものも多い。

元は同じでも些細な教義の違いで対立し、命のやり取りを平気でやる。

それも「神の名の下に」という大義名分でだ。

佛教はその名の通り、本来「仏陀の教え」なのだが、今日本の99%は「大乗佛教」という

「仏陀」本来の教えから乖離していると私は思っている。

仏陀の言葉として、「偶像崇拝してはならぬ」と、説いているし

「仏陀自身を崇めてはならぬ」としている。

まっ、原型を止めていないのです。

今の宗教の多くは「経済」の波にもまれて、「拝金主義」になっている寺院も多い。

BMWを乗り回す坊主がいたり、フェラーリを乗り回す織田無道という人もいる。

よくあんなので檀家がついてくるな、と思いますが・・・。

「人間は弱い生き物なので、宗教は必要である」というのだが、

今、世界にある宗教ならわたしゃ要らぬ。

 

 

 

 

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村