「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

日々是仏滅 「便利な寝相・寝言」

2021年01月29日 00時53分14秒 | 日々是佛滅
知っている人は少ないと思いますが、私の「寝相・寝言」は激しい。
その上、「どなたかと一緒に床を共にする」というのは私にとって
最大級のストレスなのです。
なので、交際中の人が居るとして夜一緒に寝るということはありません。
「寝相・寝言」が激しい事もありますが、何よりストレスになることなのです。
寝床は別!できれば、別室!というのが良いのです。

まっ、そんなことを踏まえてですが、私の永らく住んでいる集合住宅は
壁が薄くて、床も薄いのです。ですからドタドタと歩いたり、
そこそこの声量で話されると、とってもうるさいのですが、
最近引っ越してきたお隣さん。この住宅の「暗黙のルール」が解っておらず、
室内を歩く時はドタドタ、通話や同居人?と話す時は大声で困っておりました。
(過去形)
私の症状のひとつとして「睡眠障害」というのがありまして、
昨今は「睡眠不順」とでも申しましょうか、まことによろしくない状態が
続いていて、日中もボンヤリして「昼行灯(ひるあんどん)状態」なのです。
朝は早く起きるし、日中は眠いし、そんな今日もお昼前からボンヤリして
おりまして、案の定11時くらいからウトウト。
今日は午後から用事があったのですが、出発予定30分前に起床したのですが
寝ている途中の夢が問題でして、兄弟や親戚とワイワイ話していて、
自分の嫌な展開になってきて「うるさい!」と夢の中で叫んでいました。
そんな夢を見て起きたのですが、寝る前まで「となり、うるさいなぁ」と
独り言がでるほど、うるさかったのに居るのは解るが物音一つ立てません。
「もしや・・・!?(__;)」
結果、静かになって良かったのか?
早々に退去しないことを祈ります。

ここいつから「二人暮らしOK」になったの?




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読まずに死ねるか!(書評)「アウシュヴィッツを生き抜いた心理学者 ヴィクトール・E・フランク『夜と霧』」

2021年01月06日 00時58分56秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
前々から気になっていて「年末の書籍爆買い」で買いました。
今日スタバで読み始めたのですが「遅読派」の私でも3.5時間ほどで
読了いたしました。本編は157頁と短いものです。
やっぱり翻訳がいいと読みやすいものです。
私が引き込まれたのは113頁の「運命-賜物」から終わりまでの約40頁。
著者専門の精神・心理学はもちろん西洋の古典からの引用など
説得力があるものでした。なにより、著者自身があの「アウシュヴィッツ収容所」の生還者であること。
入所から徐々に失われていく人間味。
その中で感じた他の収容者や監視兵の優しさ、人間味。
「どんな運命も私だけが感じるることができること」。

ここから少し本文から抜粋しますが・・・
『~この具体性が、ひとりひとりにたった一度、他に類を見ない人それぞれの
運命をもたらすものだ。だれも、そしてどんな運命も比類しない。どんな状況
も二度と繰り返されない。そしてそれぞれの状況ごとに人間は異なる対応を
迫られる。具体的な状況は、あるときは運命をみずからすすんで切り拓くこと
を求め、あるときは人生を味わいながら真価を発揮する機会を与え、またある
ときは淡々と運命に甘んじることを求める。だがすべての状況はたった一度
ふたつとない現象であり、そのたび問いに対するたったひとつの、ふたつと
ない正しい「答え」だけを受け入れる。そしてその答えは、具体的な状況に
すでに用意されているのだ。
少し長い引用になりましたが、特に赤い太字の箇所は良い状況もまた最悪と
見られがちな状況、私の解釈でいうと「」をも含めた状況/現象も
時には淡々と甘んじなければいけないということかと思います。

さらに抜粋しますと・・・132頁の「苦しむことはなにかを成し遂げること」では
『~私たちにとって、「どれだけでも苦しみ尽くさねばならない」ことはあった。
(原文まま)ものごとを、つまり横溢する苦しみを直視することは避けられなかった。
気持ちが萎え、ときに涙することもあった。だが、涙を恥じることはない。
この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。しかし、ことことを
わかっている人はごく少なく、号泣したことがあると祈りにふれて告白する時
人は決まってばつが悪そうなのだ。
たとえば、あるとき私がひとりの仲間に、なぜあなたの飢餓浮腫は消えたので
しょうね、と尋ねると、仲間はおどけて打ち明けた。
「そのことで涙が涸れるほど泣いたからですよ・・・」

苦しむことで成し遂げられるもの、苦しみという経験を手にすることができる。
とも換言できるかもしれません。

なるほどなぁ~、と感心も同調もいたしました。今回読ませていただいて
目の前の困難、苦しみを甘受しながら人生を味わっていこうと再確認させて
いただきましたよ。


ん~、この本読まずに死ねるか!!













PTSD うつ闘病記「私は飲んでいる薬の名をよく覚えていない」

2021年01月03日 00時11分48秒 | 日々是佛滅

まずは年が明けましたが、まだまだ真の「新年の日の出」は
このコロナ禍では望めそうにありません。

さて、ひさしぶりに「闘病記」なんですが
最近、精神状態はほぼ安定しております。
ただ、職に就いていないことから、時折不安感に襲われることがありますがね。
Twitterのアカウントを複数持っているのですが、
その中のひとつが「精神疾患者や他の障がい者」とつながるためのアカウント
なのですが、
おそらく、私があまりに無頓着なだけなのかもしれませんが
いわゆる「精神疾患当事者あるある」みたいなものなのですが
みなさん、自分が服用している薬の管理が出来ていらっしゃる。
管理というのは「薬名」と「服用量」を覚えていらっしゃるということです。
私もご多分に漏れず、以前は処方が変わるたびに、このブログに「報告」するほど
細かくやっておりました。
ここからはあくまで「私の場合」ですが、「薬のことは薬剤師とDr.に聞く」
ことにして覚えることを止めてしまいました。

診察や処方を受ける際にDr.や薬剤師に今の症状や薬の減量/増量の
相談をするようになって、「~だから、✕✕という薬を調整して欲しい」とは
言わなくなりました。ただ、症状の説明をして薬の増減の判断はお任せする
ことにしております。
まぁ、ハンドルネームなんかでよく見られるのもありまして、
「デパケン増量中 〇〇子」なんて、自虐的にも映るようなネーミングをしている方も
散見いたします。
自虐的と言えば私も思い当たりますがね。(^0^;)

まぁまぁ、持論なのですが「障がい者当事者は自分の症状についてのプロ」
であることは間違いありません。たとえ、医学界の権威であってもです。
「医学、薬学についてはDr.や薬剤師がプロである。」ということです。
この二つの言葉をつなぐガイドとして「自分の症状/病状について当事者は
雄弁、多弁でなくてはいけない。」というのが私のモットーです。
当事者はもうちょっと薬に関しておおらかであるべきではないかと
思ったりもするのです。ハイ





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