「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

『反戦・差別』と向き合った政治家ー野中広務さん・没

2018年04月24日 00時00分58秒 | 奇論、迷論人物批評

野中さんは、「町議・町長・府議会議員・副知事・国会議員」というたたき上げの政治家だ。

近隣の「差別」を幼い頃から接していた、そして「戦争体験」。

小泉内閣から「右傾化」し始めた「安部第一次内閣」、「麻生内閣」に対して

徹底して抗してこられた。

今、この反戦、反右傾化は若者に受け継がれていると思う。

私が思うに野中さんが思い描いていたのは「反戦・中立」の思想ではなかったかと思う。

さかのぼると、「反岸信介派」・「親吉田茂派」と言うスタンスではなかったかと・・・。

私も姿勢を正し、「反戦・中立」を叫ばなければならないと思った。

たとえそれが無理難題だとしても。

南無三・・・

 

 

 

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入院生活での思い出 『お母ちゃん、なんで・・・』

2018年04月12日 18時01分59秒 | 「うつせみ和尚」のお説教

これは以前にもこのブログで述べたことですが、私の最後の入院となった

平成25年、初めて「統合失調症」の患者が多い病棟に入院したことがあった。

最初の晩は忘れもしませんが、消灯時間に突然に病室の壁に向かい

「法華経」を唱える男性がいて、さすがに私も眠れなかった。

翌日、担当ナースを呼んで苦情を言った。

それから数日して、その男性がこれまた就寝時に床に仰向けに寝そべったまま

言い放った言葉は、「お母ちゃん、なんで僕を捨てたんや!」と、

ささやくような、しかし、力強く訴えるような声で言っていたのを聞いた私は、

同室のベッドの中で涙ぐんだ。

『これが、障害者を持つ家族の実態なんや』ということである。

私の知るいわゆる「精神障害者を家族に持った人々」の多くにみられて、

私が勤めているような施設へ「お任せ」することが多く、

まだ良い家族で「月一度」、断絶したいが致し方なく来る家族は「半年に一度」や

中には「施設側の求めに応じて、数年ぶり」に来る家族はざらである。

いわば、「障害を負った家族は『お荷物』」なのである。

しかし、私自身障害者であるが思うに「なんで、家族が責められようか」ということである。

障害者の血族は、身内に精神障害者がいると、家族を持っていれば当事者家族は

自分の築いた家族に迷惑を掛けまいと気を遣うのは当然であろう。

しかし、障害者/当事者の心の中は悲しみでいっぱいになる。

それが私の最後の入院になった同室の方の夜中の嘆きである。

「お母ちゃん、何で僕を捨てたんや」という心の声である。

近親者に障害者の有無を問わず、一度考えてみていただきたい。

「その時になったら、私はどうするだろうか?」と。

 

 

 

 

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