「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

日々是仏滅 「続々 どうした?オレの膝!?」

2024年04月02日 00時47分35秒 | 日々是佛滅
明けましたので昨日(4月1日)ですが、リハビリの帰り市バスに乗って帰るところ下車するバス停に止まって運転席横の出口へ(京都市は後ろ乗り、前降り/料金後払い)向かう途中に膝をひねってしまったようで、膝が「グリッ」って鳴りました。(外には聞こえてませんが)右足を引き摺ってなんとか下車しましたがバス停で膝を抱えて唸っておりました。バス停の向かいがマンションなので帰宅できましたが大変な思いをしました。しかし、部屋の中でも歩行困難になってしまったので、なんとかしなくてはいけない。タクシーを呼んで情けないことに本日二度目の通院。警備員のおっちゃんには「コイツまた来てるな、それも午前中とは違って杖ついてる」というような視線を一身に浴びながらクリニックへ入りました。受付で「これこれこういうことで…」と説明して医院長と話しをしたのですが、エコー検査では「確かに水は溜まっているけど、これだけでは判断が付かない。今週の金曜日に手術した病院へMRI検査を受けることになっているので、私からメールで担当医師にお知らせしておきます。受診の際にも話ししてください。」と。水を抜いて、痛み止めを入れてもらって、帰りは市バス。やっとの思いで帰宅して徐々に痛みは良くなってきていますが、一定の痛みはあります、違和感も…。水曜までお休みなのでとりあえず安静かな?
MRIの結果や如何に!?

To be continued.




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日々是仏滅 「続 どうした?オレの膝!?」

2024年03月29日 17時15分24秒 | 日々是佛滅
先日、手術を受けた病院へ回されて診察を受けてきましたが、その際触診やクリニックのレントゲン画像を見ながら話しをしていたのですが開口一番「わからない」との力強いお言葉(笑)とりあえず、ヒヤルロン酸を注射して4月にMRIを撮ることになりました。(なんこっちゃ)
ちなみに、レントゲンでもMRIでも半月板は映らないはずなので撮るにしても結果はレントゲンの結果同様の見解になるのではないかと思っています。(金ぇ)クリニックの医師と、手術をした医師の対応は微妙にズレていてクリニックの医師は「レントゲンもエコーも問題は無いですが、実際に痛みがありますからねぇ」。手術をした医師はMRIで解らなかったときには膝に内視鏡を突っ込まんばかりの勢いです。実際に過去の手術では本番の手術の前に膝に内視鏡と鉗子を突っ込んで中の様子を見るのと欠けて膝の中に浮遊している骨片や半月板を「お掃除」して、その後切開して本番に入るって感じなんです。(同じ時間内でね)
直に「人工関節」には行かないと思いますが、その手前の手術が「骨切り」ですが、骨切り後の不調はどうすんのかな?
怖い、恐い





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日々是仏滅 「どうした?オレの膝!?」

2024年03月22日 11時43分06秒 | 日々是佛滅

一昨年、膝の手術をして昨年はプレートを取る手術をしたことは、このブログでも書いたと思います。この手術で「十年待って、その後人工関節を…」っていました。その後も毎週リハビリに通って時々起こる痛みに対処してきたんですが、二週間前ほどから痛みが取れる増幅しております。リハビリでも痛みは改善しなくて、先日エコーで見るとえらい量の水が溜まっていました。痛み・炎症が起こると水が溜まるらしくて、手術前にも結構溜まって毎週注射器で抜いて「こりゃアカン」というわけで手術をしたわけです。…で、今回抜いた水の量がなんの「18cc(ml)」これは結構な量なんです。手術前にはこれほど抜いたか記憶にありません。注射器2本分!抜いたあとは痛み止めを入れるわけですが、それがあまり効かない。医師によると「強めの痛み止め」らしいですが、膝には相手にされなかったみたいです…トホホ。
そんなわけで、レントゲンを撮った後、見ても原因はわからず「この後、手術した病院へ行ってもらえますか?」というわけでタクシーを駆って、只今診察待ち。「再手術です!」なんてことにはならないと思いますよ、しらんけど…。

ひんぱんに水を抜くようなら手術で膝に蛇口付けてもらったほうが早いかもね(笑)


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日々是仏滅 「非・凡人嗜好(ひ・ぼんじんしこう)」

2024年01月19日 14時03分16秒 | 日々是佛滅
※上の画像は1998年当時の自民党総裁選の候補者である「小渕さん・小泉さん・梶山さん」を田中真紀子さんが「凡人・変人・軍人」と評したことを今回のタイトルや内容と掛けたものです。(解説すると野暮ったい)

若い頃から、もしかすると子供の頃からか「脱・普通」を心掛けていたようです。「人と似たような人生、なにが楽しい!?」という考えです。「横並び、平均的」という言葉や位置が嫌いで性に合わないということです。
※「平均」という人は居ません。この場合「平均周辺の人」ということです。
私は学校では明るく、楽しく振る舞っていて自宅や家族と一緒に居るとおとなしくて物静かな子供でした。母親の運転で叔母と三人で外出すると「静かだから乗っていないのかと思った」とよく言われていました。人間誰しも二面性があるものですが、子供の頃から落差が大きかったようです。今もそうですが「自分の思っていることを他人がわかるものか/自分が他人のことをなぜ解る?なぜ、わかると思っている?」という考えが今まで通貫されているのです。私が携わっている精神の分野では「精神分析」や「脳科学」があって、殊に「脳科学」は様々な機器が開発されています。でも、それで解っているのか?といわれると全然そうではない。「精神分析」の分野でも、考えが学派によって体系化されていて、素人からすると「学派に分ける意味って何?」と思ってしまう。おっと、脱線してしまいました…。
そんなわけで、「変な人」「変わっている人」を演じている内に本物になったというわけです(笑)でも、この「変人路線」を取ることで失敗や後悔はあるけど「概ねの方向性」については後悔していないいし、失敗はしていないと思っている。しかし、「変人路線」「変人嗜好」「変わった生き方」を取っていて、図らずも「本当に稀有な人生」になってしまった。これは二件の事故のことです。今までの人生や体験を聞かれるままに話しをすると目立ってしまうけど、本人にはそんな意図はなくて「人と大きく違う人生に満足している」というだけのことです。