「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

日々是仏滅 「私が『人間嫌い』になった理由」

2022年11月29日 14時46分13秒 | 日々是佛滅
あまりいいお題ではございませんが、今日はこれでガマンしてください_(._.)_
小学生からすでに世の中を斜めに見るような「餓鬼」でした。あるとき小学校の遠足があって空港に行くことになりました。(今の餓鬼では絶対やらない距離)出発前、校長があいさつに立ち「今日は雲一つ無い遠足日和の日です!」とあいさつの後、出発したのですが空港について展望台にいって飛行機を見たりした帰り、小学校の1km手前あたりから突如のスコール!先生、生徒はずぶ濡れ。みんな下を見て歩くような始末。途中で大型トラックが見るに見かねて包装資材をカッパ代わりにくれました。今思えば「ネットニュース」ものです。ちょうどポンチョの様に頭が出るように切って小学校に到着。そこで餓鬼の私は校長のあいさつをあげつらって「今日は雲一つ無い・・・」というのを学校で連呼してました(笑)
このような曲がった餓鬼でしたが中学校の時はおとなしくして多様な気がします。小学校五年の時に両親が離婚したとき周りの対応が急に変わったり、学校でムリに明るくつくろったり、当時子供なりに世間に嫌気が指したんだろうと思います。離婚する/しないの時期、私もさすがに翻弄されて、餓鬼の心にも『激変』が起きて自暴自棄になって、それまで嫌いではなかった勉強も意図的にしなくなって、夏休みの宿題もせず夏休みの自由課題のテーマを友達に提供しても自分ではしない、本を読んでも自分の中に留めて友達や先生に言わなかったり変化の兆しがこの頃です。中学に上がった後もサッカー部に知り合いの勧めが強くあって入部、その頃からすでに「人間嫌い」の片鱗を発揮し、そんな人間はやはりサッカーのような団体競技に向くはずもなく、辞めるのも面倒なのでズルズルと三年間続けたもののやはり部内で「劣等生」だった私に慕ってくる後輩もおらず卒業式の日には後輩が花を持ってきてくれるのが慣例でイヤイヤ持ってきたことを思い出します。先輩などにはウケが良かったのですがね。
同時期に兄から強引に入らされた空手を始めたのは中学入学して初めての夏休みを終えた頃でした。空手を無理矢理入れられたものの空手は基本的に個人競技なのと凝り性の私に合っていたのか長く続けていたのですが…。このブログをご覧の方は「見飽きた」と思うでしょうが再掲です。1999年に当時24歳。現役だった私は件の大会に出場していて「形(踊りみたいなやつ)」と「組手(殴り合うヤツ)」と両方エントリーしていて、最近カムバックしてきた選手と「組手」で対戦!まぁ、当時は「殴り合い」は性に合わないのですが稽古量もあって「コイツには負けない」というような自信があって、試合は私有利に進んでいてひとつ技の出し合いがあって、審判の「止め」が入って両者開始線に戻った途端、彼は天を仰ぐように後ろにドタン!と倒れ一分ほどけいれんがあって駆けつけた大会付きの看護師と私の兄が赤十字の救急の研修を受けていたこともあり、二人で手当てをしていましたが救急車がゴールデンウィークでなかなか着かない。30分ほどして着いたものの恐らく病院到着までさらに長い時間が掛かったと思います。大会は進んでいき閉会式。閉会のあいさつで「彼もいま病院で頑張っています!」というような話もありましたが私は気が気でない。大会関係者・希望者は病院へ。私はなぜか大会会場に残されて気遣われたのか世界大会や全国大会の映像を見せてもらっていましたが、なにせことがことなので気が気でなく、そのうちに会場の電話が鳴って「私に病院に来るように」と。なんとか病院に着いたものの待合のスペースはドンヨリとした空気が漂っていて「あぁ、これは…」。間もなく他道場の先生が「亡くなった」と教えてくれました。ソファーに座っていると警察官が近づいてきて「君のせいではないから」と声をかけられ、医師が来て「彼の持病のせいだから」という声を掛けられました。病院側から「最後のお別れを」と言うことで場に居合わせた関係者が順に面会しました。
その後も道場で大勢の生徒を抱えていた関係上、辞めるわけにいかず道場で教えている分には良いのですが、どうしても県単位の会議や行事に出なければいけない。そこでは事故前までバカを言ったり、気軽に話しをしていた後輩、同輩、先生などから声を掛けられることもなく、たまに声を掛けられれば「アイツの胸にお前の蹴りの痕が残っていたな」というツラい話し。時間が経てば少しづつ話が出来るようになったのですが、「人嫌い」な私は権力者もしくは権力を欲しがっている人にすがるようなことはしていなかったので、「権威主義」の方からは疎まれ、それにすがる人は離れて、あらぬ噂を立てられて、同じ世界にいた兄からなんの抗議もなく、ただ救いだったのは今年亡くなった空手の恩師がかばってくれて抗議してくれたことでした。心ない言葉を言った本人は覚えていないこと多いですが言われた方はたまったもんじゃない。うつせみ理論でいうと「叩いた人は覚えていないが、叩かれた人は覚えている」ということです。でも、きっと私も「叩く側」になっていることはあるはずでそんなことも気になってしょうがない。

まぁ「お一人様」でもぜんぜん構わないのです。



本文と別の話題ですが・・・
先日の土曜11/26京都おうばく病院の施設で行われた研修会でお話しをさせていただきました。「ピアサポーター研修会」で私が障害になった経緯やピア活動してきたこと、気をつけていることなどなど。
また私の悪い癖が出て持ち時間20分のところを15分ほど超過してしまいました…。12/10・11に日本病院・地域精神医学会 ・京都大会で2日目にZoomで登壇させていただきます。コロナの第八波に入ったののでWebになりました。残念。対面で行われた場合はご近所の立命館大学朱雀キャンパスでした。

最近、お話しをするようなお誘いを受けることが多いのですが、元来表に立つよな人間ではいないので戸惑っております。「これからこんな機会が増えてくるんじゃないですか?」なんて言われましたが…





にほんブログ村 介護ブログ 障がい者へ


 にほんブログ村 その他日記ブログ 底辺男日記へ






精神世界への誘い 「個性と障害特性」

2022年11月13日 01時32分26秒 | うつせみの精神世界への誘い
私自身も精神障害者であることで様々な障害者さんと出会うことができました。私の場合は「中途障害者」であるので健常者とも関わりがあります。(障害を持ったことで私の周りから多くの人が途中退場していきましたが...。)そのようなことはさて置いて、障害者・健常者問わず、みなさん性格上の「個性」はありますよね。昨今「癖が強い」という言葉が流行ってたりしますが、まさしく「個性が強い⋰癖が強い」方もいます。症状や障害の名前は「○○症」「××病」といろいろありますが、精神障害ももちろん病名を告げられるわけで「あなたは××症です。」という具合で、患者さんの方も「あぁ、私は『××症』なんだ納得!」というわけで医師に言われたからでしょうが、昨今精神医療でも『誤診』があることが言われていて、「この症状はこの病気!」ということもなにやら怪しく聞こえます。「患者にとって『病名』というのはそんなに大事なものなのか?」と最近よく思います。患者さんが抱えるさまざまな症状は病名で区切られるようなものではなく、病名を横断するような形で症状が存在しています。病名をつける役割のひとつとして、障害者手帳の発行や障害年金を申請する際にひとつの指標になっています。また『障害者雇用」や「障害者施設」を利用する際も必要です。それを除けば病名なんかは必要ないように思えます。なぜなら「病名はその人格の全てを表すものではない」からです。病名のひとつの役割としては「差別の道具」という面もあります。
愚痴になりますが、精神科医にかかわらずどの診療科の医師も「障害者手帳」の取得を進める人が少ない。多くは他の病院職員から内緒でアドバイスをもらったり、同じような病気ですでに手帳を持っている方から話しを聞いたりと、もーなまくらというかサボタージュをかましてるというか…。
今、厚労省に問い合わせをしている中のひとつは「なぜ、『障害者手帳』の様式は障害の違いや自治体で違うのか?」ということです。私の住んでいるところで言えば「市バス・市営地下鉄」は無料になるので運転手や改札で提示するのですが障害別によって色が違いますし、別の地域に行けばまた違います。手帳は各自治体が発行するので様式が違うのだと思いますが、国が号令一下「様式統一!」とすれば、引っ越しして隣町や都道府県をまたぐ際も簡易な手続きで住みます。また、マイナンバーに組み込めばICタッチで改札やバスの料金箱にタッチすれば済む話しです。手帳取得後の住所変更後も簡易になるはず。障害者が旅行で他の地域に行っても同一のサービスを受けられるよう配慮して歌田期待と思います。精神障害者の事で言えば「JR(鉄道・バス)」は割引対象ではありません。(一部割引はあります)今、厚労省の会議や国会の委員会などで決まって各交通機関に「お達し」が出たようですが、まだまだ問題は山積です。「厚生労働省(旧 労働省・旧 厚生省)」で専門省庁なのだから、しっかりして欲しいものです。(しっかりどころか、うっかりしてるのかも)