「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

読まずに死ねるか!! 「東京裁判 下 児島襄 著 中公新書」

2022年05月25日 05時36分13秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)

こんな時間に更新でございます。(書き始め5/25 4:25)まぁ不眠でね、睡眠状態がすこぶる悪い。睡眠時間が一日平均3~4時間ぐらいでしょうか?やってられません(~_~;)
まっ、そんな事はさておき、書籍紹介でございます。
この新書は上・下巻で一冊はそんなにページ数はありませんので、気軽に手にとって頂きたいと思います(興味があればですが…)このブログでは「東京裁判」について何度か書いてきましたが、この本を読んで(まだ読了しておりませんが)、下巻の後半になるにつれて、やはり「戦勝国が敗戦国を裁くという不公正さ」、されに突っ込めば「人が人を裁いていいのか?」という裁判制度自体に疑問を感じざるを得ないところまで考えてしまいます。「じゃあ、『神様か、仏さん呼んでくるか?』」みたいな馬鹿なツッコミはしないでください。人間の考え、この場合で言えば「倫理観」や「公正さ」と思いますが、第二次世界大戦の興奮冷めやらぬ時期に、戦勝国各国が世界の各所でA,B,C級に戦争犯罪のジャンルわけしてやるわけですから「公正さ」は無いと思います。
近年、日本で様々な民事・刑事裁判の報道がされて、少なからず「冤罪事件」も起きています。判決の取り消しの裁判を起こすための手続きや裁判に至るための困難さは「検事・裁判所の判断に間違いはない」という前提上で判決が下されるわけですが「人間だから、捜査や判事の判断に間違いがあるかも」という前提に無いわけです。じゃあ、「裁判官は神や仏か?」といえば生身の人間です。「検事・裁判官は『完全無欠』か?」といえば違いますよね。例えば、ネクタイを締めて出勤するときに一回目でちゃんと縛れなかったり、バスを乗り違えたり、日常の中に「ミス」はあるわけですから、検事・裁判官の判断全てが「BEST」なわけがありません。裁判制度自体の改正があっても良いと思います。
さて、「東京裁判」にもどりますが…この裁判はいままでの「国際法」や「戦争法」などに照らし合わせて行われていると思うでしょ?そうじゃないんですね。裁判官・検事・弁護士に至るまで「それぞれの出身国」の法律がバックボーンとなって判断しているところが多々見受けられます。「我が国アメリカの裁判に照らし合わせても…」って言う趣旨の発言は裁判の後半によく言われていますし、「国際法・戦争法の古さ」で現代に対応していないのも問題です。
世界期間の「国際連盟」は戦後直ぐの1946年には解散していますから、もう国際的に「時代遅れ」と「機能不全」があって、なにしろ世界大戦を止める事できなかったのですから、その存在意義もないようなものです。そんなわけで、「東京裁判」運営は、ほとんどマッカーサー率いるGHQが指示を出していて、ここでも「公平さ」を欠いています。この中でひとつ例を挙げますと、東條英機の検事側の評定(評価)のところでは、「侵略戦の立案指導者」などとあります。上手く言えませんが、侵略や殺人は戦勝国・敗戦国を行っており、いわば「お互い様」なので、それを「裁く側/裁かれる側」に分けるのは矛盾を孕んでいますし、これは右翼の方の怒られそうですが、侵略などの戦争行為に関して最終的に判断するのは日本では「昭和天皇」だったわけです。結果、なんも責任問われる事なく、「現場責任者」だけが裁かれ、「天皇は操られていた」といった風なことで裁判は終わっている。このことはマッカーサーが介入していて日本の各被告も「天皇が裁判に出廷することは避けたい」というい共通の認識で発言を歪曲したり、練習までして発言をコントロールしていたりします。途中からは「結末の決まった裁判」をしていて、同時期に行われていた「ニュルンベルク裁判」が速いペースで行われて終了したため、連合国側から矢の催促があり、裁判長のウェッブが焦りだした事も国際裁判の正当性を欠いている一因になっていると思います。「裁判の正当性が欠けている」として被告側の弁護士が辞任した事から見てもわかります。

日本側の被告では「大川周明」が、仮病をして裁判所側から「精神的に混乱を来して裁判を維持できない(趣旨)」責任を問われなかった事も詳しく調査をしていなかった「手落ち」とも言えます。「大川周明」って東京裁判で席の前に居た東條英機の頭を叩いた有名なおっさんです。

さまざまなところで「正当性」や「公正さ」、「連合国側からの圧力」で歪曲された裁判で各被告が判決を受けたわけです。責任は各被告にあると思いますが、さてそれが「正当な判断」で判決が下されたのか疑問はいっぱいです。

この本は緻密な取材により書かれたもので、終戦~戦後の「隠された歴史」を見る事が出来るので「東京裁判てさぁ~」って語る前に、読んでおきたい本です。


この本、読まずに死ねるか!!








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和尚の説教 「人間としての『引き際』について宮坂さん(仮名)の人生から考える」

2022年05月20日 00時03分52秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
宮坂さんは50代半ばでかねてから趣味にとどめていた「ミニチュアカー/ラジコンカー」の店を長く勤めていた衣料品店を退職して念願の「我が城」をオープンさせました。人脈が広く、車好きの仲間や新規のお客さんも参加して「ラジコンカーイベント」を小さいモノではありますが開催するほどになりました。
今まで勤めていた衣料品販売の会社ではずいぶん認められて、なんと三店舗の店長を兼任するほど会社に認められていたようです。ですが、「もうそろそろ、商売替えするには最後の年齢か?」と思ったらしく、今回の退職~かねてからの念願の成就に至ったわけです。店もすこぶる順調で以前勤めていた会社で子飼いしていた20代の男性に今までの店舗を任せ、自分は車で10分ほどの所に「ミニチュアカー専門店」を新たに開店しました。
どうやら、そのイケイケドンドンの時期には女性関係もお盛んだったようで浮き名を流していたようです。(うらやましい)商売を始めた1号店も子飼いにしていた部下に任せていて、売り上げもそこそこあって宮坂さんの時とは違い「若い女性層」がお客さんにつき出して「新たな未開拓地への進出」ばかりと言わんばかりの部下に、なんとジェラシーの炎を燃やし始めて、わざと若い女性のお客さんが居る時に訪れて店主である部下を女性の前で散々悪口を言って、もう女性が逃げ出さんばかりだったそうです。まぁ、自分で自分の首を絞めているわけですが、そんなことはもうどうでもいいのです宮坂さんは。「あいつが俺以上にモテるのはけしからん!」ということなんですねぇ。部下くんの店はあっという間に左前になって、イケナイ筋から借金をして店をすててどこかへ身を隠してしまいました。結局、最初のお店を閉じざるを得ず、また「その筋」から借りていたお金も借り入れの二倍近くに膨らんだ借金も喫茶店で土下座して元金に法令上の正当な利子にしてもらい(当たり前なんだけど)、全額返済しましたね。そこら辺りから自分が現在やっているお店も「具合が」悪くなってきたのですが、「ここは踏ん張りどころ!」と何を思ったか、今の店舗から車で2,3分の所に「喫茶&実車販売のお店」を母親から借金をして…ですが、宮坂さん母親から借りた金は「自分のモノ」「金のなる木」にしかおもってなかったようです。(バカだね)しかし、宮坂さん飲食にはずぶの素人。人づてに喫茶勤務の経験がある調理人を雇って、やっていたのですが「喫茶部門は空回り」その上、想いだけが先行して車の値段も相場の5倍~10倍の値段を付けて、車の装備も自分好みにチューンナップして販売したのですが、さすがに共有できる人間なんてそういませんから「半年に一台売れるかどうか…」と零細一直線。その上、店員の持ち逃げなども手伝って喫茶部門は閉鎖、実車販売も振るわず、自宅から会社に行くのも二日に一度、三日に一度、その内にお客さんから「今、店に来たけど開いてないよ」と電話が来て慌てて店を開けに行くという始末。こうなると運転資金も底を突き、国・銀行・信金からカード会社まで借りるだけ借りたのですが商売は更に悪化、会社の家賃さえ母親に払ってもらう始末で、母親も再三再四の「現金の要求」でスッカラカン。母親が自分の通帳残高が「数万円」になった現実を突きつけたときにずいぶんショックだったようですね。ですが、「時すでに遅し」です。月末には借り入れた各会社から電話が掛かり返済の矢の催促、郵便で届く「督促状」が来て、「翌月の家賃も払えない状態」になった時に、朝会社に行く準備の最中に「プツン」頭の血管が弾けて「即死状態」母親が時間になっても降りてこないのを不思議がって部屋に入ると椅子に腰掛けて鼻血を少し垂らしたまま硬直している息子を発見。消防に電話し救急隊が来たときには、もう亡くなっていて、「司法解剖」に回されて「脳内出血によるショック死」という診断。そこで「生命保険」に入っていれば良かったのですが家賃も支払えない状態では生命保険どころではなかったのでしょう。
結局、宮坂さんは「負債の山盛り」を残して旅立ったわけですが、残された者は大変で、相続放棄、事務所の撤去などに日々追われているとのことです。
やはり、「どの時点で撤退・退却するか?」という『引き際の見極め』混乱の中できなかったようです。実業家しかりスポーツ選手なんかもそうですよね、よそに作った浮気女といつ手を切ろうかなんていうどうでもいい選択もありますが、日常にも「小さな引き際」ってあるでしょ?あなたはあっさりあきらめられますか?
今日は「引き際」のお話しでした。







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PTSD・うつ闘病記 「今日は『追悼記念日』私はシンドイ」

2022年05月05日 19時56分52秒 | 日々是佛滅
5月5日は世間で言うところの「こどもの日/立夏」であります。
私にとって5月5日は「友人の死の日/トラウマの始まりの日」であります。さかのぼれば、1999年5月5日ですから、23年前。生まれた子が大学を出て新社会人、社会人二年生ぐらいですか…。私の目の前で友人が突然亡くなってしまいました。その原因の一端は私にあり、業界からは疎まれ、田舎を去るひとつの要因になりました。それ以上に自責にさいなまれて悩んだ日々がありました。ずいぶん前ですが墓参もさせていただきました。ご遺族のことを考えると私の墓参は複雑な気持ちか、不快にさせるものだったかも知れませんね。

人間、「死ぬとき」は選べるようで選べないものです。「今は死なない」のも『奢り(おごり)』でしょう。いついかなる時も、そこが『青山(死に場所 )』になり得ることを…。
「日常≧非日常」・・・日常の中にしか非日常は存在しないのです。そんな体験、当事者になったひとつの日が5月5日という日です。これおも糧にして生きていかなければ亡くなっていった方に申し訳なく、合わせる顔がない。






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日々是仏滅 「あぁ、弔い続き。なぜ?なぜ?俺が悪いの?」

2022年05月02日 01時41分20秒 | 日々是佛滅
今週は長く空手でお世話になっていた郷里の先生が闘病の末、お亡くなりになりました。私は正月六日に亡くなった母の納骨前日に帰省しようかと思ったのですが、「強風で終日JR運休」となってしまって参列できなかったので、納骨後の墓参りと先生の仏前へお参りに行きました。先生の奥さんと一時間ばかり昔話をして宿に戻り、親友と待ち合わせをして一献。翌朝、自宅に戻るべくJRにて帰っている途中、LINEが来まして「✕✕ちゃん(母方のいとこ)が死んだ!」と連絡が来て、明日葬儀ということで一旦自宅に戻り、キャリーバッグの着替えを入れ替えて礼服を持って…
駅に行く途中に整形外科に事情を言って、昨年末より痛み出した膝に痛み止めをさらにサービスして打ってもらって、さらにDr.の配慮で「これ使えると思うので使ってください」と、「無料で使用期限が切れた座薬」をポッケに入れて、いざ帰省!と、病院の最寄りのバス停へキャリーバッグをコロコロ転がして向かっていたのですが、バス停近くで急にズボンが下がってしまいました!「なぬ!?」。ベルトが切れちゃった…こんな時に。
で、また京都駅に辿り着いてチケットを買って(京都駅からだと指定席を取らにゃならんのです)、先ほど来た路線でまた同日に帰省…。息子を急死で亡くした年老いた叔母と対面。取り巻きは夕方までいますが、夜は私と「私曰く『姉ちゃん(亡くなった母の親友のお子さん)』」の三人。なんとか、会話を続けて、翌日の段取りを確認してなんとか就寝。亡くなったいとこの車に叔母を乗せ私は亡くなってから初めて故人のいとこと対面。内心「このバカ、還暦も行かないで死にやがって(私より五歳上)」。という私の気持ち気持ち。(今でも)そんなわけで、叔母の家に四泊?しました。叔母は母親の長姉に当たる人で、叔母といえども母親より十四歳上、なにせ長女と末っ子ですからね。その九十歳の「老婆=叔母」に息子の後片付けを支えるには心が痛みます。いとこは会社もやっていて、どうやら左前の様子。さてさて、てなわけで会社の閉鎖、収支の確認などなど母親の看病や看取り、死後の手続き以来(といっても昨年12月~1月の話しですが…)、また田舎との往復生活が続きそうです。俺、悪いことした?






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