「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

うつせみ演芸の時間&奇論、迷論人物評 「桂ざこばさん死去-豪快な語り口で泣き虫だった師匠」

2024年06月13日 13時58分16秒 | うつせみ「演芸の時間」


繁昌亭口上

二代目 桂ざこばさんが亡くなりました。
ここ最近、上方の芸能人が立て続けにお亡くなりになって誠に残念なことです。キダタロウさん、今くるよさん...。
私が若いころ大阪にいたときに「米朝一門会」「桂米朝独演会」「桂枝雀独演会」「桂ざこば独演会」によく行ってました。米朝一門の中では、枝雀さんとざこばさんは異端な感じで、米朝さんの精緻な語り口とはかけ離れていました。それでけに面白かった。感情の起伏が激しくて。
ざこばさんで言えば「豪快な語り口」で、どちらかというと「六代目 笑福亭松鶴」さんのような感じです。独演会に行ったときに「猫の忠信」という噺を最後にやったのですが、ざこばさんにとっては大きな挑戦だったと思います。登場人物や語り口などは、いつものざこばさんというわけにはいかず、細かな描写が必要だったのです。その当時は「ざこば・鶴瓶のらくごのご」という番組をやっていて、これは観客から三つのキーワードをもらって、一旦楽屋に引っ込んでその間に噺を即席で作って落語をするという番組でした。この手法(三題噺)は元々寄席であったものをテレビ番組として作ったものですが、鶴瓶さんはフリートークが得意なので無難にこなしていましたが、ざこばさんは苦手だったようで、練り切れずに舞台に出て泣く日もありました(笑)そんな番組に出ていたこともあって、独演会は盛況でそんな中「猫の忠信」をやったわけですが、本人の思う噺の出来ではなかったようで、幕が下りるときに「あきまへんでした」といって幕が下りたのですが、まだ話していたので一旦幕が止まって「下げておくなはれ」といってまた下がったということがありました。これもまたざこばさんらしいエピソードです。
小さい寄席でGWに一週間落語家が入れ替わり、独演会や一門会をする時があって、その時にも見に行って、その当時「米朝一門会」に出演する落語の出し物はすべて米朝さんが決めていて、先ほど言った「らくごのご」で人気だったざこばさんの出番には米朝さんが「らくごのご」と書いて、ざこばさんが出ていました。「だって、米朝がそう書いたんや」といいながら(笑)
思い出すと、自分は結構ざこばさんの落語を聞いていたんだなと思いました。私の好みは米朝さんなんですが(笑)
今、上方落語は多くの噺家さんがいていいのですが、ざこばさん、松鶴さんのような「型」の噺家さんていないなぁと感じます。
ちなみに「ざこば」というのは、魚市場のことで「雑魚場(ざこば)」が語源です。

ただただ、残念

南無三




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うつせみ演芸の時間&奇論、迷論人物批評「今くるよさん亡くなる『漫才ブームの女性コンビ代表的存在』」

2024年05月28日 23時12分31秒 | うつせみ「演芸の時間」

女流漫才コンビ「今いくよ・いくよ」さんのボケ担当の「くるよさん」がお亡くなりになりました。今の段階では吉本は年齢を出していませんが、NHKは野暮なので年齢を出していましたね。(アホ)
「いく・くる」さん以前に女性漫才コンビはありました。漫才ブームの時期では対抗関係にあったのは、春やすこ・けいこで、これ以前には海原お浜・こはま、海原千里・万里(千里は上沼恵美子)の他、音曲漫才(トリオ漫才)では、フラワーショウ、ちゃっきり娘など女流漫才(音曲)がいました。
春やすこ・けいこは結婚があって、自然消滅したものの「いく・くる」さんは、いくよさんのガン闘病に入るまで活動を続けていました。いくよさんがガンで亡くなってからは、劇場では漫談、TVでは中川家と絡んで出ていました。
一時期は会社に勤めたものの吉本に入って「今喜多代」さんに弟子入りした異色のコンビでした。
※今喜多代さんは「島田洋之介・今喜多代」の夫婦漫才師で、島田洋之介さんの弟子にはB&B、島田紳助などがいます。

「いく・くる」さんは京都出身でソフトボール部のチームメイトで、それが漫才のネタにもなっていました。
いくよ:「私(いくよ)がピッチャーで、くるよちゃんがボールで...(ホームベースの時もあった)」
くるよ:「それどうゆうことやの?自分ばっかり良いとこ取って!」

また、くるよさんの体格をいじったネタでは
肩を出したくるよさんの腕を掴んで
いくよ:「くるよちゃん、いややわぁーこんなところから足出して!」
くるよ:「腕やっ!」

他にもいくよさんの細身をいじって、浮いた首筋でギター?ができるとか、ツッコみに肩をパンッ!と叩いたり、思い出せばいくらでも場面が浮かび上がります。他にも、漫才ブーム後期からは、くるよさんの衣装が目を引くようになりましたね。お二人の衣装の収納にマンション一部屋借りていたそうです。

いくよさんとくるよさんの命日が一日違いというのもなにかの縁のようにも思えます。

南無三

今いくよ・くるよ(お笑いネットワークより)

今いくよ・くるよ「わたしの魅力」(1982年)




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うつせみ演芸に時間 「落語家の春風亭小柳枝さん死去、88歳…『井戸の茶碗』など古典が得意」

2024年02月16日 13時25分05秒 | うつせみ「演芸の時間」

春風亭小柳枝 『二番煎じ』 1997/02/01

小柳枝師匠がお亡くなりになりました。
享年88歳。
直に聞いたことはありません。
が、NHK「日本の話芸」の録画が自宅にはあります。
「二番煎じ」、「井戸の茶碗」。
知らなかったのですが、2016年に脳梗塞で倒れたそうですが翌年には復帰していて最後の高座は2018年だそうです。
芸風は実直という感じで、私が特に好きな「二番煎じ」は冬を背景とした落語なのですが、本当に寒さが伝わってくるし、夜回りの後、みんなで食べている「猪鍋(ししなべ)」で一杯やっている感じは、猪鍋と日本酒のおいしさが伝わってきます。市販の音源はあると思いますし、このブログの載せたYouTubeに「二番煎じ」を貼っておいたのでご覧ください。ちょうど冬なので情感が伝わってくると思います。


南無三




うつせみ演芸の時間(奇論・迷論人物評) 「かしまし娘・長女 正司歌江さん死去」

2024年01月28日 14時21分55秒 | うつせみ「演芸の時間」
かしまし娘


ウチら陽気なかしまし娘~、誰が呼んだか知らないが~、女三人よおたら、かしましいとは愉快だね、ベーリーグゥグゥ、ベーリーグゥグゥ…

かしまし娘の長女である「正司歌江さん」がお亡くなりになりました。
子供の頃からの芸人さんで途中男性と駆け落ちして、当時の麻薬である「ヒロポン」で大変なおもいをされました。私の田舎である「富山県」とも御縁があります。放浪生活を送っていた際には10年間芸者さんとして滞在されていたようです。
この空白の十数年間を引け目に思って、妹お二方には負い目があったようです。しかし、「音曲トリオ漫才」の草分け的存在で、その後は舞台に多く出演されたりTVドラマにも多く出演されていました。
個人的な想い出としては友人と四条河原町にあるすき焼き屋さんの二階で食事をしていたところ、二階に上がってきた仲居さんが「一階のカウンターに正司歌江さんがいらっしゃいましたよ」と言うと友人が「歌江ネェちゃん!」といって行こうとしたところを私が「プライベートで来ているんだから」と言って制止したことがあって、今を思えば会っていても良かったかな?と思っていますが…。仲居さんが言うには、その時に南座で舞台があったようで、舞台終わりに友人と麻雀をして「負けたわぁ」といっていたようです。
「かしまし娘」の後輩であるトリオ女性音曲漫才でいえば「フラワーショー」「ちゃっきり娘」などがいらっしゃいます。フラワーショーは燃える前の浪速座で観たこともあります。今では音曲漫才も絶滅危惧種になってしまって寂しい限りです。ちなみに男性の音曲漫才は「ボーイズ」とも言われたりしますね。

なにわともあれ、合唱



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うつせみ演芸の時間 「島崎俊郎さん訃報」

2023年12月08日 22時15分11秒 | うつせみ「演芸の時間」

ヒップ・アップ:淡谷のり子「なんてったってアイドル」

「昭和後期の芸人」というよりは「漫才ブームのお笑いタレントの走り」といった方が良いかもしれない。コント(漫才)トリオ「ヒップアップ」の島崎俊郎さんが急逝されました。ダチョウ倶楽部上島竜平さん、笑福亭笑瓶さん、財津一郎さん。昭和~平成~令和を駆け抜けた芸人さんたちが惜しまれつつ亡くなりました。
島崎さんといえば「アダモちゃん!」。三味線の師匠から前弾きがあって、一声「アダモちゃん!」と声がかかると「ペェ~イ」と両腕をゆっくり回してポーズを取る。これは数々の伝説とブームを巻き起こしたフジテレビの「俺たちひょうきん族」で誕生したキャラクターです。
私自身「お決まりネタ」が大好きでTVの前で小学生だった私は腹を抱えて笑っていました。その後、これもフジテレビの「ものまね王座決定戦」で、本格的なものまねではなく「色物ものまね」で、これまた毎回爆笑を巻き起こしていました。
楽しかったなぁ~

ペェ~イ!合掌