「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

精神世界への誘い 『精神疾患者は、精神医学の先達』

2018年01月30日 23時53分55秒 | うつせみの精神世界への誘い

精神医学の業界の中で臨床といわれる患者さんと直に接している人たちの中にも

精神疾患者を心の中で馬鹿にしている人は半数以上いると言って良い。(残念ながら)

精神医学は本来、「精神疾患を知るため」のものであるのだから、

馬鹿にするのはお門違いで、自分の疾患について一番知っている罹患者は

『その専門』と言って良いと思う。

私は精神疾患者でありながら、精神疾患者に寄り添う立場であるが、

「傾聴」が一番理解する近道だと思って疑っていない。

それは、精神疾患者であろうが、健常者であろうが人の心を知ろうと思うのであるならば、

思う存分話してもらい、100の内から1か2の真実の声を汲み取るのが

臨床家の役目ではなかろうかと思っている。

そこに臨床家の「我」など挟んではならない。

なにせ、話している相手はプロ中のプロなのだから目は肥えているのである。

 

 

 

 

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『無学・無関心・偏見』という「差別」の温床~『旧・優生保護法訴訟』から

2018年01月25日 18時45分08秒 | 「うつせみ和尚」のお説教

<私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(上)葬られた生/幸せも夢も無駄に

<私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(中)偽りの台帳/本人同意なく手術

<私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(下)消えぬ差別/子ども 欲しかった

「旧・優生保護法(母体保護法)」というのは戦前からある「国民優性法」を後に戦後、

形を変えて立法化したものである。

ナチスでも「アーリア人」の優位性を掲げ、ユダヤ人大量虐殺の切っ掛けとなったのも

日本の「国民優性法」という「障害者虐待法」とも言うべき考えと発想は同じである。

これは今でも残る様々な差別を「日本国として認める」ことになり今でも法律は無くなったが

考えは日本国民のこころの底に流れている。

このニュースで宮城県の事が取り上げられているが、そこだけの話しではない。

私の住む京都府は長らく都だったため、その差別も激しく、その考えは今でも残っていて

行政でさえ差別を見込んで日常の業務をこなしている現実がある。

私が京都市内のある区の窓口に行ったとき、

「被差別」というゴム印が窓口に忘れて置いてあった。

国会議員でさえ、「日本は単一民族の国である。」と言っていた方もおり、

この発言は視野がすっかり狭くなってしまった「無学の国民」を代表した発言であると言って良い。

これと同様に「日本に差別は無い。」と言ってのけたりするのも

「めでたい国民性」を反映したものだろう。

「考えの範疇が自分の体を超えていない」ことは『差別意識』の温床であろう。

「無学=差別」という一見飛躍したような考えの移行に見えるかもしれないが

「無学」と「差別」は『=』で結べるような直結した考えなのである。

今、国会では「日本国の貧富の差」をどう埋めるかもひとつの論点として

代表質問に上げられているが、そこからさらに「なぜ、貧しくなったのか?」

「それは最近なのか?代々家が継いでいるものなのか?」という違いもある。

貧しい家のでの人はその家の子も貧しいというパーセンテージが非常に高い。

「これは学びが得られない」ということもあるが、「被差別」に育てば、

世の中の偏見から、就職で不利を強いられたりすることはそんなに珍しいことでは無い。

「珍しいことでは無い」といったが、これが常であることが

「本当に豊かといえない日本」を生み出していることは間違いない。

まずは隣人に興味を持ち理不尽な「差」を是正する気持ちが無くては

広範な価値観というものは一生涯持てないだろう。

 

 

 

 

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精神世界への誘い 『精神疾患者の発言とその信憑性~私の経験を振り返って』

2018年01月19日 01時35分31秒 | うつせみの精神世界への誘い

私の症状が最も酷かった頃は、うつ病患者によく見られる「陳腐な正義感」を

振り回し周囲を困らせていたものである。

決して間違ってはいないのであるが、「そんなことを言ってどうなるの?」と

冷静な方からはため息交じりに言われそうな陳腐なものであった、と今私は思う。

しかし、そのさなかにあった私の耳には忠告は入ってこなかった。

今、その頃の私に似たような人を見受けるし、長い間抜けられない人もいる。

私はそのような人に言葉を掛けるならば、「止めなさい」ではなく、

「いろいろ経験して迷惑を掛けて、あとで『迷惑を掛けたな』ときっと振り返ってください」

と言いたい。

心身に傷を与えるような迷惑はいけないが、単なる「手間を掛けさせる」程度ならば

大いにやっていただきたい、ただし条件付きであとから『迷惑掛けたな』と思うこと。

反省なくして前進はない。

過去の失敗を分析なくして、成功はない。

 

 

 

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年末あれこれ・・・

2018年01月04日 07時44分33秒 | 「うつせみ和尚」のお説教

年末のことですが、寝床に着いていると私のスマホが鳴りまして・・・

まぁ、「とある方」だったのですが内容が以前からなのですが、

何かと私にイチャモンをつけていて、今回もそんな内容でした・・・怒!

途中までは年長ということもあって、私もへいこらとかわしいなしていたのですが、

私の頭にも限界が来てとうとう怒り口調になってしまいました。

電話の相手は、相手を怒らせるので有名で被害者を何人も知っていて

その方の周りから居なくなってしまう方も少なくありません。

まぁ「人望の遠心分離機」とでも言いましょうか・・・。

周りから人が居なくなっても自分の都合の良いように考える方なので

「付ける薬もない」ので困ったものです。

怒り半分語って、30分くらいでしょうか、「また話ししましょう。」ということで

ご自分から引いていきましたが、次は直に話すとなると、

我が身をどう処したら良いものか憂鬱でしょうがなく、

そんな心理状態で年を越したので最悪でしたよ。

トホホ・・・

『援軍』を頼まねば!!

 

 

 

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