「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

うつせみ和尚のお説教「『清貧のすすめ』-現状からの脱出-」

2021年04月20日 21時51分19秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
もはや死語といって良い、この「清貧」という言葉ですが、過去に日本は「一億総中流社会」といわれ、今や実体は「一億総底流社会」と言われています。物価に対する所得や他の先進諸国との比較などをみるとうなずける話しです。数年前程から「所得の二分化」などとも言われ、「所得格差」なんという言葉も紙面を飾っています。都市圏にお住まいの方で耳目を研ぎ澄まして観察している人だと如実にお解りかもしれません。地方ではまだまだ「中流社会の残像」が色濃く残っているようですが、早晩この「所得の二分化」の波が遅寄せてくること間違いありません。都市圏から地方への傾向の時差はおおむね10年といわれていますので、もうそろそろきても良いのではないかと思います。
・・・さて、今回の「清貧」ですがね、私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること。『清貧に甘んずる』」ということですが、大事なところは「私欲をすてて・・・」というところでしょうね、現世のしがらみ欲求にまみれた現代人には、なかなか難しいところです。かくゆう私はといえば、所得が大きいわけではないので「貧しい」はクリアしているものの「清い」というところはどうか解りません。私のこのデスクの横を見れば、スチール棚があって、ファイリングした論文や書物、撮り溜めたDVDが山積みになっております。これが「ぜいたく」とは言えないと思います。と思います。ハイ必需品としては・・・PC、ネット環境、書籍、TV(今、壊れて映りません)、DVDレコーダーというところですかね。正直、ぜいたくしようともできないのですが、近い将来働いて所得が増えても「なにを買おう?」と思うくらいでAmazonの「欲しいものリスト」には大半が各分野の書籍がリストアップされていますし、金銀財宝や高級車が欲しいわけでもない。あっ!贅沢と言えばもう少し広い部屋に引っ越ししたいですね、二間あれば十分ですが。
物欲はこれくらいにして、「清くなるためには」というのが本題で、例えば余りある部分は公的な団体に寄付をするとか、恵まれない家庭や子どもたちへの支援、被災地の復興のために援助するとか言う具合でしょうか?それから、「日常の行い」ですよね、だらしのない生活や乱暴放埒な振る舞いなんかもしてはならない、人道から外れたことはしないことも「清い生活」のことを指すのでしょう。私がアレンジいたしますと「精神的に街の雑踏を離れた心穏やかな生活」、こころの余裕がないと隣人愛、奉仕の精神なんかも生まれないと思います。
みなさんいかがでしょうかね?今夜、いっぱい呑む代わりに、その分募金するだけでも「清貧」へ一歩近づくのでは?






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読まずに死ねるか!(書評)「『生の短さについて 他二篇』セネカ 著」

2021年04月17日 22時56分07秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
正直なところ「西洋哲学は・・・」という感じな私です。立命の哲学専攻でくじけた「トラウマ」があるので・・・。
しかしこれは「NHK 『100分de名著』」で取りあげていたので読んでみようと思いました。「訳本」だけに独特の言い回しが最初取っつきにくかったのですが読み進むにつれて、慣れてきて「なかなか面白い」と思えるようなってきました。気になるところ「これわわわわわ!!!」というところは手帳に書き留めたり、ヒントを得て思ったとも書き留めております。ハイそのメモから抜粋しますと・・・。
P113「~なにかの労をとるときは、必ず何かの目的をもち、必ずなにかの目標を定めようにしなければならない。勤勉が彼らをせわしなくさせるのではなく、物事の虚像が彼らを駆り立て狂わせるのである最近の私は就活に落ちまくっており、なぜ働くのか?、目標・目的も「不採用の森」の中で迷い続けておりました。そんな時に「ビビッ」きた一文だったように思えます。また、不採用の連発で落ち込む私には・・・P121「~生(人生)を嘆くより生を笑い飛ばすほうが、人間的なのである(中略)笑う人間は存在に幾計が希望の余地を残してくれるのに対して、嘆くものは正せる見込みがないと思うのに愚かに涙するのであり、また全て勘案すれば、涙を抑えられない者よりは笑いを抑えられやい者の方が大きな心の持ち主であるといえる。~」私のこころが不安定だった時に「ここは踏ん張りどころ、空(上)を観よう」と思えるようにしてくれた言葉です。まさに「ケ・セラ・セラ」てなもんです。
古典の世界に比べて現代社会が難しくなって正鵠を射る事が難しくなっているのか、現代人の「文系離れ」が哲学の世界を暗くしているのか分かりませんが、「古典」は率直に語りかけてくるし、スッと体に吸収される。そう思っていた私にP173「彼らは善き言葉や善き思想に満ちた心眼を軽蔑して良い理由はないものである。健全さをもたらす学問研究は、たとえ成果が得られなくとも、賞賛すべきものなのだ。険峻な山に挑んだ者が頂に到達できないとしても、なんの不思議があろう。少なくとも君が立派な男子なら壮図(そうと)に敢然と挑む者をたとえ志半ばで挫折しようとも敬意の眼差しをもって見上げるとよい。自らの(後天的)力ではなく、自らの本然の力を恃(たの)んで高邁な企てに挑むこと、きわめて勇敢な精神に恵まれた人でさえ果たし得ない程の壮図をこころに期することは、高貴な人に初めてなし得る業なのである。~」。さすがに自分が「高貴な人」とは思わないまでも、今の現状からさらに高みへチャレンジすることが大事だと言うことをこの言葉に背中を押された気がしました。




この本、読まずに死ねるか!!






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闘病記 「この『就職難の時期』を良く取ると・・・」

2021年04月05日 01時48分07秒 | 日々是佛滅
最近はこの「コロナ禍」と「就職難」で自宅待機の時間が長く、これまた私の母が何度目かの「ガン」を患っていることもあり、世間の目を気にすること無く、遊びに行く気にもなれぬ。母は郷里にあるのと入院してしまって面会はおろか、電話による連絡も向こうから掛かってくる時のみ連絡が付くといった具合でまんじりともせず、ただただ自宅に居るのだ。
そのような事情でPCの前に座っているか、ベッドで横になっているかのどちらかだ。人があまり居ないであろう平日の喫茶店へ滑り込む程度なものだから、私の患っている「PTSD」や「うつ」という精神疾患には良い療養期間となっている。時々、DVDレコーダーに収録してある番組をDVDに焼き、そのラベルを作成する。こんな時だから、むかし撮り貯めた落語をこれまたDVDにダビングすることをしなければならないのだが、暇な時にはなかなかしないものだ。そんなわけで「十分な療養体制」になっていている。
しかし、この「就職難」は精神衛生的によろしくなくて、ときおり焦燥感がわき起こり「療養体制」が破られたりする。最近、この「焦燥感」の発生頻度が頻回に訪れて、さてはや困ったことになっている。この原因は単に「就職難」ばかりではなく、母のことがあることは当然のことである。
就職活動の方は書類選考中が二件、今月半ばに面接、試験が待ち構えている。






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