「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

空蝉<うつせみ>現人 『貧乏艦隊!』

2016年05月24日 03時31分14秒 | 『貧乏艦隊記!』
先週の事でございます。

今は「過活動期」で、金も無いのに酒が飲みたくなって、

近くの繁華な駅前まで繰り出したわけです。

いつもいっている?立ち飲み屋に行ったのですが満員・・・

「ちぇっ」と心の中で舌打ちをしながら、ブラブラしていたわけです。

そうすると、前から気になっていた洋風(イタリアン?)の立ち飲み屋があって

そこはまだスペースが空いていて、そこになんと客引きに可愛い女子大生!!!!!!!!♡

まんまと引き寄せられ、まずは生ビール!

それから、グラスワインの赤を一杯。

「ん~、もの足らん」と、赤のボトルを一本頼んで、

なんだか、お隣さんとも仲良くなって(男性ですが・・・)

酒も進んで、二本目を注文。

それもなんだか知らないうちに呑んじゃって、

内心、懐具合を考えて「もうそろそろ、まずいかも・・・(^^;」と思い始めたので、

ここで一度チェックをして、酔っているもんだから思考回路がやや壊れ気味で、

さらにグラスワインを飲んだところで最後のチェック!

フラフラと歩いて帰って、荷物をそんぐりお店に忘れました(笑)

それから、帰ってビールを呑んで寝ちゃいました。

そうしたら、『貧乏艦隊』が登場しました!



な、な、なんと、財布の中には16円しか残っていないのです!!

「ガーン」次の入金は31日です。

米も足りない計算です。

それで、昨晩ない頭を絞って考えました。

「そうだ!持っている落語・漫才のDVDを『Book Off』売ろう!」と。

それで、もう10年前に買い揃えた

「やすし・きよし」の5巻組と「桂枝雀」のを2巻持って行きました。

そしたらなんと、9,100円に売れたのです!!!

これで月末まで過ごせます。

とんだ恥を申し上げました。

お後がよろしいようでm(_ _)m







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やっぱりね!

2016年05月21日 19時49分13秒 | 日々是佛滅
熊本地方に於いてはまだまだ余震が続いております。

くれぐれもお気を付けくださいm(_ _)m

しかし、ボランティアの方もご苦労様です。

私のようなポンコツにはマネ出来ません。

気温が上昇しておりますのでお気を付けくださいませm(_ _)m





「調子が良いかな?」と、最近思っていたのですが案の定、宍戸錠・・・



エースのジョー!

・・・と、まぁこれは冗談ですが、調子が平年並みになってしまいました。

朝が辛くて、どうしようもありませんな。

倦怠感も半端じゃない。

ん~、それから寝られない・・・(T-T)

毎晩寝付くのは、AM3時以降。

その上、朝は辛いが6~7時に起きるというなんとも殺人的な睡眠時間。

毎年、軽減しているように感じますが、

健常者から見たら、まだまだです。

さて、生涯掛けてユルユルと回復していくのかな・・・








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一年前のブログは・・・

2016年05月13日 23時54分04秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
熊本地方に於いてはまだまだ余震が続いております。

くれぐれもお気を付けくださいm(_ _)m



この『gooブログ』は、サービスなのかお節介なのか、

「あなたの一年前のブログ」として、メールが送られてきます。

きょうもそんなわけで送られてきたわけですが、

私にとっては「障害の定点観測」として役に立ってます。

私の「2015年5月13日」は、

『四月は寝たきりに日が多かったが、五月に入ってマシになってきた。』というものでした。

今現在と同じです。

ですが、多分当時と同じだと思いますが、勤務以外の所用はなかなかできないのが現状です。

あ~、もっと実のあるブログを期待ものです。







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『日本の「恥部」を晒す』-平安時代の『穢多・非人』は江戸時代のそれと連続性がない

2016年05月07日 23時13分16秒 | 『日本の「恥部」を晒す』
仕事に復帰して、職場全体の「風景」が変わっていてすっかり「浦島太郎」の空蝉です。




まず、平安時代のと言われた「・(他に呼称はある)」の発生元は

『天皇邸の庭掃除』から始まると言われる。

そこから、天皇家が行幸する前の道路にある死体や動物の遺骸、ゴミなどの清掃までに派生し、

「遺骸を取り扱う賤しいもの」=()が大体のストーリーだ。



江戸時代くらいのの定義は、乞食等の無職の者は当然だが、

例えば、「出雲の阿国」などの踊り手もで、その後「女歌舞伎」として発展したが、

江戸時代に入って「女歌舞伎」がお上によって禁止され、今の形になった。

「出雲の阿国」は、元々出雲出身だが京都の河原で踊っているところを

秀吉に拾われたいきさつがある。

さて、他だが『職能民』というのは細かく職業が上げられていて

その行動も制約が厳しかった。

『』の頭は江戸幕府開闢前に鎌倉にいた「弾左衛門」というのが、頼朝の許可状を持って

江戸に入る家康を品川まで迎えに来たという記録がある。

それ以来、『頭・弾左衛門』として、明治初頭まで代々受け継がれることとなる。

『』は、これも関東に在していた「車善七」というのが、

『頭・車善七』として、江戸幕府から認められ「弾左衛門の直轄組織」として

組み入れられるが、善七はそれを良しとはせず、幕府に数度「独立した組織」として

認めるよう嘆願しているが、却下され『頭・車善七』と言う地位も

取り上げられ、完全に「弾左衛門直轄組織」になってしまう。

江戸幕府崩壊後、庇護してくれる後ろ盾がなくなった「弾左衛門」は、

江戸時代、「矢野・弾左衛門」を名乗っていたが、明治に入ってからは、

最後の当主、弾左衛門(直樹)は名を改め『弾・直樹』と名乗るようになる。

その後、『弾家』は続くのだろうが、私の調べではここまでである。

戦国~織豊~江戸時代と弾左衛門ら『』は皮革職人であったらしいく、

それには、斃牛馬(へいぎゅうば=牛馬の死骸)が必要であり、

また、庶民は牛馬の死骸を忌み嫌った。

特に公家や武家は嫌い、当家から死骸が出た事実をも隠したがって、

密かに『』に連絡を付け、引き取らせた。

『』としては、「生業の原材料」が、タダもしくは安価な値で入るのだから、

需要と供給の利害が成立していたわけである。

皮革製品は鎧の部品をつなぐひもに使われたり、馬の鞍などに使用された。

しかし、明治に入り欧米化した日本軍隊はヨーロッパの革製品(革靴など)を使うようになり、

すっかり下火になり、今現在皮革製品の加工を行っているのは大半がヨーロッパ式であり、

『』とは無縁である。

まだまだ書き足りないが今晩はこれまで・・・







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今年は軽いか?私の『記念日』

2016年05月05日 00時14分42秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
今日、『5月5日』は私にとって記念日です。

先週までは「地獄のような毎日」だったのに今週仕事に復帰してから軽減しました♪

「仕事に復帰する!」という意識が気を引き締めているのか・・・?

昨日4日は仕事でした。

復帰本番は来週ですね、さてどうなるか?

そして、『7月の記念日』もありますので、

毎年、毎年勝負です!!







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