「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

精神世界への誘い 「『死』は人間の一大事業、後進への教訓として・・・」

2021年11月23日 23時20分36秒 | うつせみの精神世界への誘い
昨日はえらく物騒な話しをしておりましたが、昨日の勢いそのままに
今日もお話しいたします。ハイ
まぁ、お題にしておりますが人は人生でいろいろな「一大事業」をすると
思うのですが、私が考えるに「生誕」、「出産」、「死」とザックリとではありますが
こんな感じです。
今回は「死」がテーマなのでお話ししますが・・・
なぜ、「死」が一大事業なのかと申しますと、友人、近親者、配偶者と
近しい人が亡くなりますね、そうしますと「あぁ、人は死ぬんだ」と
字面では「人は必ず死ぬ」とは知っていても、急に身近なものになりますね。
人間は都合の悪いことは忘れる仕組みになっているのですな。
やはり近親者が亡くなっても時間と共に「死の恐怖」も薄れてしまいますね。
残念ながら

まっ「死にかけ体験者」の私としてもですね、薄れていますね。これまた
ただ、覚悟として「次の瞬間の『生』は誰も担保できない」のであります。
うつせみ流「刹那滅思想」じゃないけど、「過去」「未来」なんぞ存在せず
ただただ「現在」の瞬間あるのみなんですね、
「未来から現在を通って過去になるんじゃね?(キムタク風)」と思うでしょう
未来に在庫が有るわけじゃ無し、過去が貯まって倉庫に入りきらない、
というお話しは聞いたことがありませんよね。
「じゃあ、現在は記録できるじゃないか?」といわれますが、
その記録したものを観たり、聞いたりするのは「現在の現象」でしかなく
それもやっぱり「現在」でしかないんですね。
過去に悔やまず、未来に期待せず、ただ瞬間に生きるということですな。

・・・シランケド。

















精神世界への誘い 「『死に際』について考えるのこころだぁーっ!」

2021年11月22日 22時35分29秒 | うつせみの精神世界への誘い
ひとりの人間が命の灯火を運命というそよ風に消えそうなほどに揺れております。
誰であろう、私の母親であります。
「生命を終えるのは歳の順」でありまして、母よりひとつ上の父は健在ですが
母の方が一足早いみたいです。健康のときは「死に際はいさぎよく」っと
思いがちです。しかし、世の人間のほとんどは「欲の塊」でそう綺麗に
散れないものです。特にまだ満足に話せる程度、少しは身体が動かせるうちは。
「まだ出来る、まだ死ねない」というわけです。
でもですね、我が母です「早っ死ね」という思いは湧きません。「もっと話したい一緒に居たい」というのが親子の情というものでしょう。
かの良寛さんが「うらを見せ、表を見せて、散る紅葉」というのが辞世の句
だそうですが、なかなかです。良寛さんは禅宗の僧侶、
しかしながら聞くところによると、かの一休宗純さんは死に際に
「死にたくねぇ~」と言ったとか言わなかったとか(どっち?)
一休さんも禅宗の僧侶ですが破天荒の僧侶だったようで、女、酒は当然で
帯刀もしていたとか・・・。

思うのですがね、「私の人生、どれくらいで腹一杯?」というメドというか
「欲求の自己管理」というのを修行で身につけておかなければいけないのでは?
と、思ったり...。

私自身、意識はありましたが死んでも仕方ないような目に遭って
「翌朝、生きているのか?」と天井を仰ぎながらICUで過ごした事もありました。
でもですね、その時の私はベッドから一歩も出られなかったし、
心拍数、点滴、導尿、身を包む包帯でどうにもなりませんでした。
とどのつまりが、その晩寝る間際になると「まっ、仕方ない」のであります。
そんなわけで、今なんの因果か生き残っておりまして、そのかわりBlogや
講演でぶっちゃけ過ぎな後遺症は強烈に残っているのですが...。

事故から、もう18年過ぎましたかな?
死生観は変わったのか?死に際にジタバタするのか?
開けて見るまで解らないのか、微調整が聞くのか?
追々、ご報告しまぁーす!














へなちょこお勤め日記 「『一億総活躍社会』の実際 パート2!」

2021年11月20日 23時37分12秒 | へなちょこお勤め日誌
まぁ多分以前と同じ事を書くと思いますが・・・_(._.)_
職場で話しをしていたのですが、(とはいっても持論を展開していただけですが)
今、障害者が「就労」しようと思うとステップがありまして、
「B型就労支援事業所」→「A型就労支援事業所」→「就労移行支援事業所」
そして一般企業へ「障害者就労」として働いたり、もしくは「クローズ」して
同僚や上司、企業に障害者であることを隠して就労する場合もあります。
障害者であっても「特殊技能」を持っている方は健常者同様の給金をもらったり
しておりますが・・・。

今回、取りあげたいのは「B型就労支援事業所」、「A型就労支援事業所」です。
殊にB型からA型事業所にステップアップすることは稀です。ハイ
B型はお仕事もするのですが無給に近く「通所する訓練」のようなもので、
要は「朝起きて働く拘束時間内を居ることが出来る訓練」の様なものです。
A型はある程度の給金は出て「働いた実感」も得られると思うのですが、
しかし、次の「就労移行支援」という一般企業とマッチングしてくれる所に
行ける人は少なく、また就労移行支援事業所でも一般企業に就労出来る方も
最近は少ないと聞いております。
ではでは、なんで「就労支援事業所」があるのか?
その元は「第3次安倍第1次改造内閣 」で『一億総活躍社会』というのを
打ち出して、Wikipediaから引用しますと・・・
女性も男性も、お年寄りも若者も、一度失敗を経験した方も、
 障害や難病のある方も、家庭で、職場で、地域で、あらゆる場で、
誰もが活躍できる、いわば全員参加型の社会ということなのです。
これは「深刻な労働者不足」が見込まれることを背景として打ち出されて
私の解釈で言うと・・・「健常者であろうと障害者であろうと『働かない』
という選択肢を選ばせない社会」ということで、今の「通所することに意義がある」
と言う風な間違ったメッセージを醸し出していると思うのです。
また、失礼かも知れませんが「『働ける』という幻影を見せつけている」
といってもよいと思います。
政府を始めとしてそのような雰囲気を出されると、障害者の現状として
「自宅に居てもらっても・・・」という背景があるので世間が乗っかった
感じだと思います。

今日の肝は「世間が地域に障害者が居ても自然な社会」
「障害者が働かなかったり、通所しなくても許される社会」をいかに
作っていくか、と言うことだと思います。もちろん、障害者が「働きたい!」
と思ったならば、職業訓練や就労の機会があるのは当然として・・・。
今まで障害者は地域から排除された存在でありました。そうでなくても
陰口を叩かれたり、隠された存在であったり、怖がられたり・・・(T-T)

てめぇ~ら(健常者)だって大した人間じゃネェだろ!?


おっと失言。






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日々是仏滅 「最近感じる『疎外感』について考えるのこころだぁー」

2021年11月17日 23時11分19秒 | 日々是佛滅
最近、「疎外感」をひしひしと感じておりまして、
とはいっても、職場では円満に働いております。

・・・で、ですね
まぁ多少は「自分で蒔いた種」の様なものだと何となく思っているのですが
淡く「疎外されているんじゃね!?」と思うようになりました。
そんな実害があるわけじゃないのですが、気持ち良くはありませんよね?

なんですが、これは「いつもの症状」でもあります。

この両方が相まって、最近の「不調への下り階段」を降りつつあるのです。
金銭、身内、空手、友人など勝手な思い込みもいくつかあるにせよ。
ジワジワと「疎外感」と「疎外感の幻想」に悩む昨今なのです。





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和尚のお説教 「衆院選終わったけど、関係ない話します。『日本中、監視カメラ・考』」

2021年11月02日 01時25分03秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
昨日、東京の私鉄で放火・刺傷事件がありました。
電車の中にはカメラは設置していないにせよ、個人で携帯のカメラで
撮影されているのが報道にのりました。
さて、コンビニには店内に向けてはもちろん、駐車場側=道路側にも
向いていて、時には事故や事件の一端が映り込んでいることがありますし、
都内では繁華街に「ごく自然に」カメラが設置されています。
田舎でも畑を荒らす獣を確定するためにカメラが設置されているし、
車の前後にカメラが設置されているのは、今や「当たり前」になっています。
前にも言った「携帯=カメラ」≓「国民総監視機能」ということには
あまりお気づきない。
なぜなら、自分がカメラを持っていて、「自分が監視対象、被写体」ということに
気づいていないか、気づいた振りだけしている可能性が「大」というか
100%と言って良い。

「カメラが犯人を捕らえていました」ということで・・・
「やはり、監視カメラは必要」

「車載カメラに『あおり運転』が映っていました」
「抑止力として必要だよね」

てな具合で「多数の意見」という仮面が張られて、それを疑わない。
でも、仮面は仮面であって本当の姿ではなく、しかしながら「それが真実」
と思って疑わない、なんの根拠も無いのに。

ずいぶん昔の話しを例に挙げれば、「大政翼賛会」というのが日本にありました。
当時の日本国民はちょっと疑いながらも「主流」に流されていく。
人間という生き物は「集団活動」によって子孫を残し発展していった
「動物」なので一概には否定できませんが、これだけ哲学や倫理学が発展し
今も進化続けている現代社会において「さぁ、主流の意見が正しいのだぁ!」
って、もはや「思考ストップ状態」なのです。まぁ、勝ち馬に乗るというか
「主要メディアにのる情報だけが真実」っていうのも疑っていい対象でしょう。
戦前・戦中・戦後を体験した古老が言っておりましたが、
「あの日(1945・8・5終戦の日)を境に世の中180度変わってしまった」
経験があるから、「常に眉唾精神」があるそうです。そりゃそうで教科書が
全部「黒塗り」されて、教員が「昨日まで言ってたことは全て間違いでーす」
という自己否定を含む、世の中が正に驚天動地になったわけで、
そりゃ世の中の事象全てに対して「眉唾精神」になってしまっても
「そりゃ間違っていますよ」なんて言えません。
今回の導入部分は「『監視カメラ性善説』を疑え!」という話しをしましたが
まっ、そういうことなんですが「雑誌・TV・ネット・風聞・隣の噂話」
全て眉唾精神で結構!というのが今回の結論です。

私なりのヒントを申しますとね「いろんな本を読んで、いろんな知識を得る」
そのことにより「眉唾の精神」が養われると思っています。
「なんでも反対!」、「なんでも眉唾」では能が無い。


批判・賛成の根本には豊富な知識が必要ということを私も肝に銘じます。







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