「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

今年から来年へ

2018年12月31日 07時26分26秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
今年は身内から二人葬儀を出して慌ただしい年でした。
また、今年後半は二回の出張は私にとって大変有意義なもので雑誌に投稿までさせていただくというありがたいこともありました。
人が亡くなると、正月の祝いや神社への初詣の自粛は当然のはなしなのですが話なのですが、最近は「故人の意思」という理由でこれらの自粛を辞めるところもあります。
仏事においても、初七日などは葬儀当日に済ませたりするのも今や当たり前となっています。
( -_・)?
そんな話で良いのかと最近は殊に思います。熱心な仏教徒でも神社にも仕える者でもありませんが、ひとつ誤れば故人のへの冒涜にもなりかねません。
今の世はなんでも省略になっていますが、よくよく考えていかないと敬いもなにもない世間になります。
「今はそんな世の中だから」で済ませて良い話ではないと思うのですが・・・。



和尚の説教 『未だ止まぬ「障害者差別」のこころだぁ~!』

2018年12月17日 09時09分09秒 | 「うつせみ和尚」のお説教

2016年4月から上記の通り、「障害者差別解消法」の施行された。

しかししかし、平気で健常者の口からは「気違い」という言葉はなんの躊躇もなく出てくるし、

右傾団体からは、「障害者の根絶やし」という街宣運動で叫ばれたりしている。

たとえば、「親しい隣人がまた自分自身が『心身疾患』になったならばどうだろうか?」

私が見ている範囲では、家族でさえ自分の子が障害者になったら、

冷たい態度をしたり、健常者家族から排除しようとしたりするのは日常のように行われている。

はやりの言葉で言えば、「『当事者意識』の欠如」と言うことだろう。

みなさん想像力が貧しくなっていませんかね?

「明日は我が身」と思えば、言葉選びも今よりずっと慎重になったり、

身の回りの不自由な方への心配りも出来るはず・・・

「出来るはず・・・」ではなく、しなさい!

 

 

 

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