「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

読まずに死ねるか!(書籍紹介) 「『老い・上』シモーヌ・ド ボーヴォワール 著」

2024年04月14日 13時54分21秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)

この本を買ったのは去年のいつだったか定かではありません。なにせ時間がかかりました。300ページを越える大著。ですが、まだ半分なんです。上巻でこのボリューム(~_~;)
著者のシモーヌ・ド・ボーヴォワール女史は、かの哲学者サルトルと事実婚をされていた方。事実婚であるので籍はいれていなかったようです。いわゆる「フェミニズム」のお方でサルトルは養女を迎えているようです。実質的には二人の養女と言うことになります。
本書は人間の『老い』について書かれているのですが、古典文学や世界の統計など資料を引用して書かれています。もちろん、サルトルの書籍からの引用もあります。私今年で51歳なんですが(えっ、51に見えない?ありがとうございます)、本書に書かれている古今東西の文献や風潮、医学的観点(いずれも当時のもの)では、もはや50代は『老い』の助走段階でバリバリ働くような年齢でも体力的でも適正から外れていて「もうすぐお払い箱」といった漢字の書かれ方をされていて、今回読了した上巻の後半になるとなおさら強く書かれていて出勤途中に、これを読んでいると電車の中で一人暗澹としてしまいます。(笑)
今、下巻を読み始めているのですが、下巻では少しだけでも希望が欲しい(笑)



この本、読まずに死ねるか!!


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うつせみ精神世界への誘い 「最近、いろいろな検査を受けてみて考えたこと」

2024年04月02日 14時17分00秒 | うつせみの精神世界への誘い
最近は体がガタガタと壊れ始めて、その事もあっていろいろ人間ドックなどの検査を受けることも、ここ2年ほどで増えてきました。その前は精神科である医師の「忘れた頃の血液検査」で医師も私も忘れていて慌てて採血をするような検査程度でした。
それが、父や母、従兄弟、恩師、後輩が次々に亡くなって「自分はどうなるか?」と思い始めたのが切っ掛けでした。
それで、またまた思ったのですが「俺ってそんなに生きたいのか?」ということです。これまでこのブログでは「健康志向」のことについて否定的なことを書いてきました。それで膝が更に悪くなって歩行困難になり手術✕2回、その間胆石で胆のうを取ったり…。むかし日本の僧侶は「即身仏」(←Wikipediaに飛びます)のように入念な死に支度をして亡くなるということは思わないにせよ、「死ぬなら、自宅でお一人様でご臨終」程度のことは考えていました。ですが、実際生活に支障が出てくるほど体が壊れてくると、検査三昧をしてしまう。死ぬのが恐くて往生際が悪いのか?この世に未練があるのか?わかりませんが「これ以上に不具にはなりたくない」という気持ちだけはあります。歳をとると体はドンドン壊れてくるのは自明の理ですがバタバタと「死ぬのは嫌だぁ~!」とは成りたくないという気持ちはありますが、その時に「嫌だぁ~!」となるかも知れません。以前に紹介した書籍「精神分析新時代 岡野憲一郎 著」(←Amazonに飛びます)の中で、『森田療法』の森田正馬氏が死病に取り憑かれた際に「死ぬのはこわい。だから私は怖がったり、泣いたりしながら死んでいく。名僧のようには死ねない。」「凡人の死をよく見ておきなさい。」と言い死の恐怖で「死にたくない、死にたくない」いってさめざめと泣いたという。-本書から抜粋
森田氏が名僧ではないけれど、様々な精神疾患の患者を診てきて、その数だけ人生を垣間見てきたには違いないが、それだけでは人間的な修練は出来ないと言うことだろう。私は危うく死にかけたけど、目の前の状況やあの痛さ、翌日の治療の恐怖は二十年以上経ってしまえば、さすがに昨日のことのような臨場感は無い…。とは言ってみたもののこう書いてみたり、言語化すると頭はドンヨリして体調が悪くなる(笑)
生まれてから50年経ち、体もヨボヨボしてくるとジワジワにじり寄ってくる人生の最期を認識せざるを得ない。私の死に際はどうだろうか?事故であっさり逝ったり、ジワジワと病み続け苦痛が増してゆっくりと死期を感じたり。
話しは帰りますが森田氏が「凡人の死をよく見ておきなさい。」と言ったのは、まだ苦痛が少なかったり、眼前に死を感じなかった時期だろう。私の体験で言うと大やけどを負って焼けてすぐは痛みもなく気楽に「死ぬのかな?」程度に考えていて、望みが見えてきて、しかし日々の治療の苦痛に絶えきれず「死にたい」と思い、痛み止めで頭がボンヤリしている時は死のうとは思わなかった。しかし、真夜中痛み止めがゆっくりと覚めてくる中で「明日も痛いよな」と思うと死にたいと思う。毎日こんなのの繰り返し。この先、どのような状態で死期を迎えるのかはわからないが「ジワジワ死に」になるとこんな感じになるのかな?

凡人はさめざめ泣き死に』で行きましょうかね。









日々是仏滅 「続々 どうした?オレの膝!?」

2024年04月02日 00時47分35秒 | 日々是佛滅
明けましたので昨日(4月1日)ですが、リハビリの帰り市バスに乗って帰るところ下車するバス停に止まって運転席横の出口へ(京都市は後ろ乗り、前降り/料金後払い)向かう途中に膝をひねってしまったようで、膝が「グリッ」って鳴りました。(外には聞こえてませんが)右足を引き摺ってなんとか下車しましたがバス停で膝を抱えて唸っておりました。バス停の向かいがマンションなので帰宅できましたが大変な思いをしました。しかし、部屋の中でも歩行困難になってしまったので、なんとかしなくてはいけない。タクシーを呼んで情けないことに本日二度目の通院。警備員のおっちゃんには「コイツまた来てるな、それも午前中とは違って杖ついてる」というような視線を一身に浴びながらクリニックへ入りました。受付で「これこれこういうことで…」と説明して医院長と話しをしたのですが、エコー検査では「確かに水は溜まっているけど、これだけでは判断が付かない。今週の金曜日に手術した病院へMRI検査を受けることになっているので、私からメールで担当医師にお知らせしておきます。受診の際にも話ししてください。」と。水を抜いて、痛み止めを入れてもらって、帰りは市バス。やっとの思いで帰宅して徐々に痛みは良くなってきていますが、一定の痛みはあります、違和感も…。水曜までお休みなのでとりあえず安静かな?
MRIの結果や如何に!?

To be continued.




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