昨日は、旅行記の続きを書くつもりでしたのに、ふと心に浮かんだ思いを書くうちに、文がまとまってしまい、それを一記事にしてしまいました。
今日は、また京都旅行の続きに戻ります。
他人の旅行記なんて、読んでも退屈でいらっしゃることでしょう。
宜しければ、せめて画像だけでも見て、楽しんでいただければ、幸いに存じます。
二日目の旅程を、今日はまず最初にお知らせしますね。
銀閣寺~哲学の道~法然寺~永観堂~南禅寺~私の母校の大学~父の母校の大学
こんなルートで、順調に観光を終了し、午後の5時過ぎには、ホテルに戻りました。
一日目の観光を終え、ホテルの和食処へ向かうとき、目に留まった生け花です。
昨日は、余りの人混みで、それに酔ってしまい、清水寺の印象が、必ずしも良いものではなく、スタートから少々つまずいた私ですが・・・・・・。
二日目、最初の観光スポット、銀閣寺(正式名称は、慈照寺)は、どうだったでしょう。
意外にも、観光客は少なく、とても静かな境内でした。
東山文化のわびさびを代表する、室町時代の建築物。
奥が深すぎて、私が十分理解できたかどうか疑問ですが・・・・・・。
風流人でありながら戦乱の世を生きなければならなかった、足利義政の苦労を思いながら、広い境内を巡りました。
銀閣寺を代表する建物が銀閣(観音殿)です。
現存する唯一の室町期・東山文化を代表する楼閣庭園建築で、下層は書院造りで住居風の「心空殿」、
上層が禅宗様式の「潮音閣」となっています
本堂の前には砂を波形に盛り上げた銀沙灘(ぎんしゃだん)と円錐型の向月台(こうげつだい)があります。
白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や向月台が、月の光を反射して銀閣を照らし、向月台の上に座って東山に昇る月を
眺めたと言われています。
画家の岡本太郎もこの庭を愛した一人で、銀沙灘や向月台は「私の発見したよろこびの、もっとも大きなものの一つだった」と、
この庭をとても気に入っていたそうです。
東求堂
現存する日本最古の書院造
画像の説明文は、ネットによる紹介記事からの、すべて引用です。
銀閣寺は、その筆頭とはいえ、どこの古寺名刹の庭園も、本当に素晴らしい。
どこから見ても死角がないといっていいくらい、実に美しい姿で、私の目に映ります。
造園に携わった方々に頭が下がり、日本人のすぐれた美意識を、改めて私は誇りにに思いました。
銀閣寺を後にして、次に向かったのが哲学の道です。
寺院を出ると、ほど近い所に、その道の入り口があります。
出口まで二キロの散策路。
心から魅されました。
その風景に目を遊ばせ、旅情に思い切り浸りながら、自分の徒歩ペースで、散策することができた私です。
清廉な緑に、心が洗われるようでした。
しばらく、その道なりの画像をたくさん載せます。
ご一緒にお散歩をどうぞ♪
同じような景色が続くようでいて、微妙な変化を醸し出す、その地点地点の情緒に心打たれます。
そのたびにシャッターを押し続けました。
人影がほとんどないのも幸いでした。
このあたりにお住いで、お散歩を日課にしている方が、本当にうらやましい~、と。
哲学の道ですから、思索にふけりたいところですが、夫のことを思いながら歩いた程度でしょうか。
もし夫と歩いた想い出があれば、この道の雰囲気の影響で、私の心は感傷的になり、涙が止まらなかった事でしょう。
そのような想い出がなくて、私は随分助けられました。
哲学の道を逸れ、法然寺へと。
哲学の道の途中で、法然寺に立ち寄りました。
こじんまりした古刹でしたが、立派な寺院ばかり見てきた私には、却ってそれが新鮮に映り、味わい深いものがありました。
法然寺
浄土宗元祖の法然上人ゆかりの土地に建てられた念仏道場のようです。
まるで山中にあるような俗気の少ないこのお寺の閑寂さを、多くの文人や学者たちが愛したとのこと。
法然寺を出て、また哲学の道を散策です。
道なりに流れる疎水は、これから向かう南禅寺に通じています。
この道を抜けて、しばらく歩き、たどり着いたのが永観堂です。
永観堂の正式名称は禅林寺。浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。
開基(創立者)は、空海の高弟の僧都です。
また、京都に3箇所あった勧学院(学問研究所)の一つ。古くから学問(論義)が盛んでな所です。。
想像以上に、大きくて立派な寺院でした。
複雑な回廊が至る所にあります。
傾斜の地形を生かし、非常に巧みに築かれた名刹といった感じでした。
庭園の繊細な枝姿の楓の緑が目にまぶしく輝き、その美しさはたとえようがないほど。
私は、我が家の庭も、草花を植えるのはやめて、もみじの林にしようかしら、と一瞬思ったほどでした。
秋になると、この樹木の林が見事な紅葉に彩られるのでしょう。
「紅葉の永観堂」と言われているほどですから、その美しさは見なくても、十分想像がつきました。
その季節に、いつかぜひ再訪したいものです。
この後、観光は南禅寺、私と父の母校と続きます。
間違ったことを書いてはいけないと思い、紹介した寺院の由来を調べ直すのに、結構手間がかかりました。
それでも、誤った説明があるかもしれません。
齢に免じて、お許しくださいね。
このあたりで、また打ち切らせていただきます。
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花のように泉のように
清廉な緑に、心が洗われるようでした。
しばらく、その道なりの画像をたくさん載せます。
ご一緒にお散歩をどうぞ。
同じような景色が続くようでいて、微妙な変化を醸し出す、その地点地点の情緒に心打たれます。
そのたびにシャッターを押し続けました。
銀閣寺以上に、観光客はまだらなのも幸いしました。
来てよかった、と心から思え、このあたりにお住いで、お散歩を日課にしている方が、本当にうらやましいと。
哲学の道ですから、思索にふけりたいところですが、夫のことを思いながら歩いた程度でしょうか。
もし夫と歩いた想い出があれば、嗚咽してしまうほど、私の心は、この道の影響で感傷的になってしまったことでしょう。
そのような思い出がなかったことで、私は随分助けられました。
道なりに流れる疎水は、琵琶湖から惹かれたもので、南禅寺に通じています
哲学の道の途中で、法然寺に立ち寄りました。
こじんまりした古刹でしたが、立派な寺院ばかり見てきた私には。却ってそれが新鮮に映り、味わい深いものがありました。
この説明も、画像の下に簡単に書き留めましたので、宜しければ目を通してくださいね。
この道を抜けて、しばらく歩き、たどり着いたのが永観堂です。
想像以上に、大きな寺院で、回廊が至る所にあり、丘陵の地形も生かし、非常に巧みに築かれた名刹といった感じでした。
庭園の楓の緑が目にまぶしく輝き、その美しさはたとえようがないほど。
私は、我が家の庭も、草花を植えるのはやめて、楓の林にしようかしら、と一瞬思ったほどでした。
秋になると、この楓がみごtに紅葉するのでしょう。、
紅葉の永観堂と言われているほどですから、その美しさは見なくても、十分想像がつきました。
その季節に、いつかぜひ訪ねたいものです。
この後、観光は南禅寺、私と父の母校と続きますが、なんだか買気付かれてしまいました。
このあたりで、また打ち切らせていただきます。
他人の観光の話なんて、さぞ読んでいても退屈でしょう。
申し訳ありませんが、日記ゆえ、記録として書き留めないわけにはいかず。
私自身は、綴ることで、その時の情景を思い出し、旅情に浸り直しているところがありますが・・・・・・。
溢れる思いを走り書きしているだけで、表現もありきたり。
ボキャブラリー不足の私ゆえ、どうしようもありません。
も一回、旅行の記事がありますが、どうぞ皆様は、スルーでお願い致します。
もっと短く、行間に思いが込めた雰囲気のある文章がかけないものかしら。
努力して、短文記事を目指し、実現したいものです。
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花のように泉のように