今年のお節は、今までの中で、一番美味しかった。
私の率直な感想です。
感謝の思いで一杯。
腕が上がったMちゃん達の、多大なる協力と努力のお陰だからです。
24歳の10月15日にYさんのもとに嫁ぎ、翌年のお正月に、今とほとんど変わりないお節を私は作りました。
冒頭の「今まで」の言葉は、この時以来の毎年のお正月を指します
60歳の時、クリスマス前に過労で倒れ、入院した時だけ、お節づくりをお休みしました。
2~3品はお願いしたかもしれませんが、倒れる前までは、私がほとんどすべて作りました。
日々、家事と仕事の両立に励む娘達。
実家に戻ってきた時くらい、日ごろの多忙な生活の疲れを癒してほしい、との親心で一杯だったからです。
お正月のみならず、孫のお誕生日など、家族のイベントは、すべて私の手料理を振る舞うのが当たり前でした。
後片付けも私が率先してやったものです。
それを心から愉しめる体力と気力が、その頃の私には十分ありましたから。
元旦の朝の食卓
ところが、過労で年末に倒れた60歳を契機に、娘たちの態度が一変。
力関係が逆転しました。
何事も、娘たちがリードしてやるように。
作るお節料理も、娘分担のものが年毎に多くなり、今年私が作ったのは、何と三品だけ。
特別お願いしたわけではありません。
娘たちがお節づくりを心から愉しむようになったからです。
さすがに我が娘。(笑)
私のすることを、毎年、お正月で見るうちに、自然に習得していったのでしょう。
親冥利に尽きる喜びです。
私も結婚する前は、きんとんやりんご羹、二色卵の裏越しのお手伝いくらいしかしませんでした。
結婚後は、夫の役目になりましたが。(笑)
母は、私同様に、お正月には丁寧にお節づくりに励む人でした。
ですから親元を離れ、新婚で迎えた最初のお正月にも、当然のごとく、私はお節を苦労して作りました。
母が手渡してくれたNHKの「今日の料理」のテキストを見ながら。
分からないところがあると、たびたび母に遠距離電話をかけて尋ねたものです。
夕餉の食卓
私が母から受け継いだように、今は娘たちが同様のお節づくりを愉しんでくれています。
母の代から綿々と続く、我が家のお節づくり。
幸せをしみじみ噛みしめる時です。
これが伝統というものなのかもしれません。
この我が家の伝統が、孫たちにも受け継がれると、嬉しいのだけれど・・・・・・。
長女家のパパは言います。
「桜は絶対作らないだろうなあ~」
と。
確かにそうかもしれません。
時代が大きく変化しましたから。
娘の代で終わっても、仕方ないでしょうけれど。
娘たちの今後の態度次第でしょうか。
我が家のお節は、私が嫁ぐときに母が手渡してくれたNHKの「今日の料理」のテキストのレシピがいまだに基本です。
そのテキストの画像を載せたいところですが、あまりにボロボロで恥ずかしいので、止しますね。
ですから、お節の伝統に割と忠実に従った内容ではないか、と思います。
幸いにも、私の家族はみんなお節が大好き。
お節を囲んで、笑顔がいっぱい。
美味しいの言葉が、飛び交いました。
家族が全員集まると、必ず最後には、ミニコンサートが開かれる我が家。
桜ちゃんとK君のピアノとバイオリンの素晴らしい演奏に耳を傾けました。
美味しいお節料理に舌鼓を打ちながら、今年も、幸せを心から噛みしめたお正月でした。
我が家のお雑煮
次女は小さなお重箱に我が家のお節を詰め、お土産として義父母宅に持参しました。
去年を振り返りますと、一人暮らしにも慣れ、充実した一年だったと思います。
歳を重ねる悲哀も、いろいろ味わされましたが。
今年も、慎ましく麗しく、良き日々を暮らしたいもの、と願っています。
麗しくは、あくまで私の理想のイメージです。(笑)
皆様とともに、頑張りたいです。
本年も宜しくお願いします。
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花のように泉のように