梅雨明け前になると、、梅雨前線が最後のあがきの如く活発になり、豪雨を降らせるのは毎年のことだけれど、今年は余りに異常。
被災地の人の話。
「まるで意思をもって、雨が追いかけてくるように感じた。どこまで行っても逃げられないんじゃないか」と。
逃げられないの言葉通りに、甚大な被害で、尊い多くの人命が失われてしまいました。
雨の表現で、一番好きな言葉は、私は「慈雨」。
新聞によると、「掠雨(りゃくう)」などという怖い言葉もあるようです。
青葉が美しい今の時季。
雨に洗われた自然の光景は、一層美しく・・・・・・。
目に映るものすべてがキラキラ輝き、その鮮やかさが、ひときわ際立つ時のはずですのに。
昨年の七月の初旬、妹と箱根に出かけたときの写真です。
その言葉とは対照的な泥の海。
本当に悲惨な光景を映す連日の報道を観て、言葉がありませんでした。
特に郷里の被害が際立っているのもつらい事です。
私の実家は、中心の繁華街からタクシーで十分足らずのところでした。
そのせいか、郊外の安芸区や府中、呉市などは、訪れた記憶が、私にはほとんどありません。
でも耳慣れた馴染みのある町名であることは確か。
この町から、母校に通学していた人もたくさんいたでしょう。
安芸区は、山林を切り崩し、造成開発の上、整った町のようですね。
安芸区に限らず、むやみな宅地開発の申請を安易に許す行政の責任も大きいはず。
二度とこのような災害が起きないように、その責任を痛感してほしいものです。
そして、この度の豪雨で甚大な被害を被った被災者すべての人達ののフォローを徹底し、政府が精一杯の救いの手を差し伸べてほしいもの、と。
心から強く願います。
早めに対策を講じれば救える命はもっとあったはずでは。
そう思うと、行政の怠慢が少々情けなくなります。
災害国の典型のような日本。
前回の一連の記事の中でも触れましたが、国民の命を守るを、政策の第一課題にして欲しいもの、と。
大地震も、その内に必ず来ると言われている現状ですから。
このような災害が起きたときは、いつも感じることは、日本人は同じ民族ゆえ、ある意味で皆、親族。
そんな気持ちになって、ささやかでも支援の手を差し伸べられる人になりたいものです。
町内会の回覧で、このような時は随時寄付を募ってはどうでしょうか。
少額でも、できるだけ多くの人たちが薄くても広く、心を寄せれば、大きな支援の力になる、と思うのですが。
財政事情が良くない政府を助けることにもなるでしょう。
国を頼るだけでなく、私たちも国を助け、急場を乗り切る意志を持つことも大切では。
国民全員で、被災者を救う。
そんな気持ちが、国中に湧き上がるといいですね。
でもこの提案は、何か大きな勘違いがあるのかも。
あまり自信はありません。
最近は妹と電話で話すと、必ず郷里の災難が話題になります。
郷里に限らず被災地の皆様は、なんとか頑張って、この艱難を乗り切ってください。
ボランテイアの方々の奉仕精神にも、ただただ頭が下がり、私の目には、神々しくさえ映ります。
私には、とても真似のできないこと。
当たり前のことしか言えない自分が恥ずかしいですが、今の私の気持ちを綴らせていただきました。
昨日(8月4日)
80点
前夜の野球観戦の疲労で、朝寝坊。
(私の料理ブログに写真を載せています)
七時半に起床。
いつもは4時起床の私です
日中も1時間半も仮眠をとりました。
でも家事は、良いリズムで快調でした。
デスクワークも家計簿記帳、新聞にも目を通し、読書も。
重要書類の整理もしました。
ブログ日記を更新しなかったのが唯一の心残りでした。
それ故、昨日の過ごし方を採点すると、80点くらいは上げられそう。
今日からスタートで、時々毎日の暮らしを採点し、自分の暮らしの励みにしたいと思います。。