何だかちょっと気恥ずかしいタイトルですが、私には幾つ年を重ねても、この傾向があります。
最近ますますその気持ちが強くなってきました。
年を取ると言うことは、ある意味で夢がなくなっていくことかもしれませんが。
その反動でしょうか。
夢見るおばあさんでなくて夢見る少女です。
私は、昨年の夏の終わり頃、脊柱管狭窄症と診断されました。
そして、これまでの生活を七割に落とさなければいけない、と言われた時、とてもショックを受けました。
健康寿命が、ついに終焉を迎えてしまったか、と。
ところが奇跡的に回復し、今では以前と余り変わりない暮らしを送っています。
けれど、一方で思うことは、もうツアー旅行は無理かな、と。
遠出も気を付けませんと、足への負担が重くなり、せっかく回復した狭窄症の症状がまた逆戻りしかねません。
そんな懸念を拭いきれなくて。
無理をすると、未だに真夜中、脚が痛み、目が覚めることがありますから。
事実、回復したわけではないようです。
神経が、今の体の物理的状況に慣れてしまったいるだけ。
大好きなこの部屋が、私の日々の暮らしを潤わせ支え続けてくれています。
カメラの設定を変えたところ、壁の色が微妙に違ってしまったようにも。
構図的には気に入っているので、このままでアップします。
でも私はもともとお出かけはそんなに好きではありません。
ですから、思ったほど大きな落胆にはならないで済みました。
一時的に陥った歩行困難な状態にまで、またひどくなると、話は別ですが。
しかし、体は弱っても、気持ちの持ち様で、充実した日々を送る事はできますものね。
この年になると、特別大きな目標はもうありません。
潤いのある素敵な日常を、心豊かに日々送る事。
自分磨きと自己啓発に努め、成長し続ける事。
そう思って、これからも前向きな人生を送りたいもの、と。
体力勝負のところがあるけれど、ガーデニングも一人暮らしの潤いと支えです。
そして、愚痴は、できるかぎり御法度。
素敵な暮らしには、似合わない行為に思えるからです。
あくまで、できるだけです。
ストレス発散のために、時には必要なときもありますもの。
言うは易く行うは難しのきれい事であることは、自ら承知しています。
たとえきれい事でも、思い続けていれば、多少は願いが叶うのではないでしょうか。
そう思って、この心がけを忘れず、日々を送りたい、と常に思っている私ですが。
体力と気力がなくなると、どうしようもなく、こんな願いが、よく風前の灯火。
これが現実です。