昨日から三月、弥生の月となりました。
関東地方には、春一番も吹きました。
何時になく厳しい今冬の寒さでしたから、ことさらの嬉しさを、私は隠せません。
「やよい」
何て柔らかな心和む響きでしょう。
弥生の由来は、ウィキペディアによると、草木がいよいよ生い茂る月、「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」が詰まって「、やよひ」となったそうです。
他に、花月(かげつ)、花見月(はなみづき)、夢見月、桜月、その他の別名もあるようです。
旧暦の名称ゆえ、ひと月のずれがあり、今の季節への違和感は多少はありますが、心にしっくりくる美しい呼び名ばかりですね~
一方、別れの季節でもある、やよい。
別れを惜しむ愛惜と新たなスタートへのの希望が若者たちの心を捉えて離さない月。
心模様が深くなる月、と言えば宜しいのでしょうか。
私にも、そんな時代が度々ありました。
改めて、人生の節目の年を思い起こし、かみしめてみるのも良いのかもしれません。
さらに弥生といえば、この柔らかな別名に一番似合う、ひな祭りの行事を忘れることができません。
既に、雛壇を飾られ、雅な雰囲気が漂っておられるお宅も、多いに違いありません。
私は一昨年、かれんにひな人形を贈ったばかりですが、今年も女児のお孫さんのご誕生で、そうされたご祖父母さまもいらっしゃることでしょう。
お孫さん達が初節句を迎えられた皆さまには、心よりお祝いを申し上げます。
さて我が家ですが、今年は七段飾りのひな人形を飾り付ける予定でいました。
去年は、旦那さまに、「1年おきでいいじゃないか」と言って、組み立てを断られてしまい、しぶしぶそれを了承した私です。
ですから、今年は飾る年になっていたのですが・・・・・
思わぬ出来事に心が少々奪われ、、ひな人形一式を出すのが、つい遅くなってしまいました。
4、5日前になって、やっと夫に、段飾りの組み立てをお願いした私です。
ところが、伝統的な風雅を味わう感性など、まるでない旦那さま。
あれやこれやの屁理屈を口にし、今年も組み立てを断ってきました。
その時の夫の屁理屈をご紹介しましょう。(笑)
「もう数日しかない。」
「二年くらい出さなくてもいいじゃないか」
「かれんはまだ分からない」
「長い間出さない時期があった」
私の問いかけの言葉は省略しましたが、こんな具合です。
私は、ブログに載せてやる、とばかりに、すぐ後にメモしておきました。(笑)
横着極まりない旦那さまで、本当にどうしようもありません。
それなら、私が一人で頑張ってすべての作業を引き受け、飾りつければ良いだけのことですが。
そこまでの気力はわいてこない、同様に横着者の私です。(笑)
と言うことで、飾り付けを完成することは叶いませんでしたが、せめて内裏雛だけでも、と思い、出して飾りました。
他のお人形は、箱の中ですすり泣いているかもしれない、とさすがに申し訳ない気持ちに。
せめて虫干しのために、飾らなくても箱から出し、新鮮な空気に当ててあげるつもりでいます。
最後に、あるブロガーさまが載せておられた、雛祭り行事についてのお言葉を、ご紹介させていただきます。
二週間ほど前位に拝読し、感銘を受け、コピペさせて頂いていました。
娘達にも、ぜひ読んでもらいたい、と思いましたので。
あざみさま、ごめんなさい。
お断りもしないで、ここに拝借させて頂きます。
古くから女児の情操教育に欠かせない大切な役割を持っています。
親子でお雛様を飾ったりお仕舞いすることで
季節の慣わしを覚えたり、大切な物を丁寧に扱う気持や
作法を育み、又幼少から美しいものを眺める事で素晴らしい
美的感覚が養われるのである。
自分のお雛様を眺める事で家族からの愛情を感じ
優しい心を育てます。
そのような環境で育てば素晴らしい女性になって
良縁に結び付くものであり、お雛様を飾る意義がそこにあります。
この記述通りですね~
娘達にも、なんとなく飾り付けて終わりにするのではなく、この行事を、娘の情操教育の一環として、大切に扱ってほしい、としみじみ思いました。
ご訪問、有難うございました。