「気分と自分とは勿論別者さ。知識と自分とが別者なのと同じだ。もっと言わせてもらえば、記憶と自分とは別者よ。仮に、地上とは記憶にほかならずと詩人が呟いたとしてもだ。ましてや、集合的無意識なんぞと呼ばれている重宝な思い付きとは縁も所縁もないのさ。しかしな、話は飛ぶが、おれは最近、千年とか億年とかいった長さの時間ってものが、何かひどく身近に、とても懐かしく感じられるんだ。十年、二十年といった、人間の生まれて死ぬまでの須臾の間、歳月として数えられる時間は、逆に遠くて抽象的なものとしか感じられないんだ。千年、万年、億年の時間の流れの中に立っている自分の姿が、一番現実的で、生々しく心に感応されて来るんだ。その流れのすべてに行き渡るように時間に沿ってどこまでも伸長し、薄く薄く拡がりつつある存在が、本来元々にあった自分の姿じゃないかと思えるんだ。」
さっきから体がだるい。今何時頃だろう。まだ九時を回ることはないはずだが。それにしても、あの河原の光景は記憶の一片には違いないのだから、つまりは、自分の一部になってしまっているのだろうか。それとも、堤の上で暗闇とともに世界に溶け合ったものも自分ではないのだとすると、その懐かしい自分とやらはどこで眠りこけているのだろうか。