美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

国語漢・英総合新辞典

2010年07月07日 | 瓶詰の古本
  引くというよりは、時々頁を開いて拾い読みをする昭和三十年代の実用辞書である。実用辞典あるいは用語辞典としては、当用漢字世代であり既に時代遅れである。国語辞典として使うには、語彙数が足りない。漢和辞典として使うのは勿論論外だ。
  ただ、時々に眺めるには面白いところがある。ためしに「ゆるす」と引くと、許、恕、宥、允、免、赦の項目が立てられ、それぞれに使い分けられた語釈が記されている。「みる」と引いてみれば、見、覩、睍、看、視、観、覧、鑑、相、診、試の各見出し語が、同じ訓を別々の顔で叫びつつ犇めいている。ただし、実地に使うときには、「許す」や「見る」で十分まかない切れてしまうので、この辞書は字引と言うよりも寝がけの軽い読み物と化している。どこで中断しても惜しくはない。どこから読んでも差し障りがない。まことに重宝・奇特な言葉の本なのである。
  さらに、この辞書には戦後の再生を願う時代の風も吹いていて、復興国民が知っておくべき必須の百科語に対しては惜しみなく紙幅を与えている。語釈をつける語彙に配する説明が1行から多くて5行程度であるのに比べて、例えば「原子爆弾」の項に11行、「中間子理論」には20行、「熱原子核兵器」に16行、「ビタミン」には22行などなど、数多くの新知識を掬い集め、体裁の不均衡を厭わず丹念な解説を施す試みを見るにつけ、掌中に入らんとする携帯辞書であればこそなおのこと、編者の明確な啓蒙的意思と熱意に心打たれざるを得ない言葉の本なのである。
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