美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(百六十)

2018年10月03日 | 偽書物の話

 水鶏氏は口に石を含んだみたいにして回転する舌の動きを制し、論外な方向へ突っ走りかねないこの場の会話を用心深い手綱さばきで食い止めているようだ。容易く喪神へ魂を売り渡す私が、はやり過ぎてしまったのではと不安に駆られるくらいだから、黒い本に委ねた私の正気に信を置いていいものやらどうやら、水鶏氏がいわく言い難い胸騒ぎに襲われて昏迷の念を募らせるのは、誰にも咎められる筋合いのものでない。
   せせこましく開いた絵頁を凝視していた水鶏氏は、ゆっくり頭を上げて私の眼に見入った。それから再び俯くと、黒い本を前後へ微かにずらしながらさっきより遠目に挿し絵を眺めている。取り立てて絵像と私と顔の造りを見比べるというのではない。私が大袈裟に囃した奇幻譚がきっかけで翻然顧みてはじめて絵図を見出したのであり、宛も心に穿たれる節穴によって非道に見過ごされていた黒い本の自心を篤と探尋する好時機を逸すまいとする意気込みが、水鶏氏の張り直した肩口を通して伝わって来る。
   「成程そうですか。あなたが認知しつつある現象が、この本を繰って絵像と対面する都度に漸々進行していることに一点の疑雲もないのでしょう。生憎、絵画造形に関する識別力に欠ける私には、神妙な折り紙をつける資格などありませんが。それにしても返す返すの愚痴になりますが、こんなにしっかりと綴じられた挿し絵の頁ことごとくを見落としていたとは、とんだ目眩ましに引っかかったと今更らしく嘆いたりするのは余りに白々しいですかね。」

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