近江国さほ山と云ふ処に、昔ある何某はべりけるが、彼の者二人の妻を持てり。今に始めぬ事ながら、取りわき本妻妾を憎む事限りなし。ある時妾雪隠に居ければ、たけ一丈許りなる大蛇前に来りければ、「あら怖ろしや。」と喚きしかば、人々出合ひける程に、何処ともなく失せぬ。其の後本妻産後に、殊の外病ひ既に末期に及ぶ時男折しも妾の処にゐ侍るが、此の由を聞き急ぎ帰り、色々養生すると雖も、叶ふべきとも覚えず。彼の女云ふやう、「我は只今身まかりぬ。此の年月の怨み、生々世々忘れ難く候。」とて、男の飲ませける水を顔にざつと吐き掛け、歯がみをして終に空しくなる。片時も過ぎざるに、妾の所へ忍び、首をねぢ切り、消すが如くに失せぬ。さて力およばず、妾の葬礼を致しけり。其の時件の首を手に提げ、橋のありける所に立ちてゐたり。本妻の乳母これを見付け、「あら浅ましの御姿や。」と云へば消え失せぬ。又妾の子、十一歳と九歳とになる男の児二人有り、是れも三日の内に病み出し身まかりぬ。男は取り集めたる歎き一方ならず、これも程なく失せぬ。惣領一人残りけるが、髻を切り高野山にとり籠り、父母の後世をぞ弔ひける。
(「曽呂利物語」)