美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(百二)

2017年08月16日 | 偽書物の話

   水鶏氏は口ごもり勝ちに語を継ぎ、黒い本に誘導された書物論の補遺の箇所へどう辿り着こうか探っている。黒い本に心惹かれる一方で、正体不明の遠心力が加わって肝心の要所からみるみる遠退いて行く不安に捕われた私は、どこかで嘴を挟まねばと机の上に視線をうろつかせた。水鶏氏に重ね合わせて、石塊に穿たれた洞窟の中から声が響いて来はしないかと、よほど頓馬な雑念が頭をよぎった。
   「経験相の一貫性とは、現世界の存在に途切れぬ統一を供給するものです。数限りなくある、こうした入れ子式の包摂を続ける集合世界では、今ある集合が更に上位の集合の元へと転化するに臨んで、自我の一貫性が保持される究極の背理が無限に連鎖して起っています。その内界で気ままに動く自我や経験やの元で構成される集合が、一段上位の集合の一の元(客体)へ転生し、しかも自我の単一性は損なわれることがない。
   例えば、ある想念に耽っていて、あ、今この瞬間、問題を考えているおれがいるという発見、今息づいて働く意想や外界から構成される集合が、入れ子に包む外側の大きな集合の一箇の元であることに突如気づく。対象を統合的に睨め回している自我の経験自体が、より大きな枠における自我の経験の対象であることに気がつきます。」

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